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アロランディアの凶星

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9話 追憶のマリンブルー

 五年前 アロランディア離島近く

 絡みつく冷水が、蝕むようにマリンの体温を奪っていく。
 マリンの身体を受け止めた海原は、彼女を暗い暗い深淵の底へと引きずり込もうとしていた。
(た、たすけて……神父様!)
 パニックを起こしたマリンは、酸素を求めて懸命に手足をばたつかせる。
 だが、水を吸った衣服が鉛のように重くなって、思うように身体が動かせない。
 海という巨大な魔物に対し、10歳になったばかりの少女は、ただひたすらに無力だった。
 もがいてももがいても海面に出られぬことが、さらなる焦りと混乱を生み、マリンは自縄自縛の窮地に陥る。
 なんということだろうか!? 夜の海は、決して近づいてはならない死の領域だと教えられていたというのに……
 徐々に薄れ行く意識の中で、彼女は自らのうかつさを激しく後悔した。
 ほんの数分前、マリンは崖の近くにたゆたう青白い光を見つけた。
 星が地上に降りてきたような幻想的な光景にしばらく目を奪われていると、いつしか光は消え、見慣れない男の人が立っていた。
 青白いローブを着た、儚げな青年。
 彼は、なにごとか呟き、そのまま断崖絶壁に向かって歩き出した。
 漁師たちでさえ、落ちたら助からないと言われている崖だ。
 きっと青年は周囲が暗いせいで、崖があることに気づいていないのに違いない。
 そう思って、マリンは力の限り叫びながら彼の後を追い……誤って足を踏み外して崖から海に転落した。
 おっちょこちょいな自分に相応しい、果てしなく間抜けな末路だった。
 きっと、このまま誰にも気づかれず、夜の海に呑まれて果てるに違いない。
 水を掻く四肢は徐々に力を失い、頭を埋め尽くした苦痛はだんだんと鮮明さを欠いていく……
 静寂の中、マリンは一人きりだった。
 これほどの孤独を味わったことは、かつてない。
 この世のあらゆるモノ……いつも優しい笑みを向けてくれた神父や、回遊する魚、いまこの身を包み込んでいる冷たい海水、森羅万象のすべてから見放され、拒絶されていくような疎外感。
 やがて視界は完全な闇に閉ざされ、身を切るような冷たさも感じなくなり、あたりは生命の無き無音の世界へと落ちていく。
 彼女は求めた。自分の名を呼んでくれる人を。自分をこの世界に繋ぎ止めてくれる存在を。
「……大丈夫かい?」
 鈴振るような声が聞こえたのは、その時だ。
 同時に、視界が急速に色を取り戻し、薄ぼんやりとした像を結ぶ。
 誰かが、自分の顔を覗き込んでいた。
 それを知ってマリンは安堵を覚え、次の瞬間、息を呑んだ。
 目の前にいたのは、人外の美しさを備えた青年だった。
 青い髪に、同色のブルーの瞳。憂いを含んだ美貌は、触れれば砕け散ってしまいそうな繊細さを感じさせる。
 身に纏っているのは、飾り気のない水色のローブだが、それだけの装いが、どんな礼装より勝って見えた。
「あ、あなたは?」
 心臓が早鐘を打つのを感じながら、マリンは彼の名を尋ねる。
 同時に自分が言葉を口にしたことに気づいて驚いた。水中で、言葉などを話せる訳がない。
 しかも、大量の海水を吸って溺れていたハズなのに、身体には活力が戻っている。
 慌ててあたりを見回すと、彼女は暗い深淵の底ではなく、どこか見知らぬ洞窟の側にへたり込んでいた。
「あれ? あれ? ここ、どこ……? もしかして天国!? わ、わたし死んじゃったの!?」
 不吉な予感に、マリンは身震いする。
 周囲の景色は、海にもぐったようにゆらゆらと揺らめいて見えた。その上、岩々が薄ぼんやりと発光し、斜陽のような柔らかな光をあたりに投げかけている。
 目がおかしくなったのか、そうでなければ異なる世界に来てしまったとしか思えない。
「さっき、僕を呼んでいたのはキミかい?」
 青年は、マリンの問いには答えず、逆に質問してきた。
「え、あの……」
 マリンは彼を改めて注視する。暗かったので顔の判別はできなかったが、背格好や装いから、目の前にいる青年は崖の上にいた青年と同一人物であることがわかった。
「……はい、そうです。あの、あなたが歩いていた先に崖があったので、危ないと思って呼びかけたのですけど……」
「崖があるのは知っていたよ。危なくもなかったのだけどね」
 淡々とした口調で青年は、マリンの心配が取り越し苦労であったことを告げる。
 余計なお節介を焼いて生命の危機に陥るとは……まさにマヌケとしか言いようがない。
「……あう、そうだったんですか、ごめんなさい……」
 マリンは次に予想されるであろう叱責に怯え、消え入るような声で謝った。
「どうして、あやまるの?」
「だ、だって……何かされていたみたいだから、邪魔をしちゃったのかなって……ごめんなさい。気を付けます……」
 深々と頭を下げるマリンを、青年は不思議そうに見つめる。
「キミは僕を助けてくれようとした。それは誇ればいいよ。謝ったりする必要はない」
「え……?」
 予想外の返答に、マリンは一瞬、耳を疑った。
 彼女が身に纏っているのは、継ぎ接ぎだらけのぞうきんみたいなボロ布だ。
 腰まで届く亜麻色の髪は、煤けて光沢を放つことなどない。四肢には明らかに栄養の行き届いておらず、骨が浮き出るほど痩せていた。
 こんな小汚い身なりをした、明らかに孤児とわかるような娘に対して気を使う大人は、育ての親である神父以外にいなかった。
 彼女に落ち度があった場合、教育と称して過剰な暴力で報いるのが大人の順当な反応だ。
 道を歩けば、当然のように石を投げられ、罵声と嘲笑を浴びせられた。悪意は、彼女の行く先々で渦巻き、病魔のように身体にこびりついて離れなかった。   
「どうしたの?」
「うれしいです……えへへ……」
 身体の芯が熱くなるような感覚を覚え、マリンはにかんだ笑みをこぼした。
「それで、お兄さんが私を助けてくれたんですか?」
「うん。キミは今にも死んでしまいそうだったからね……とっさに、僕の力で助けてしまった」
 なぜか青年の口調には後悔するような響きあった。
「ありがとうございます! お兄さんは命の恩人ですね」
 マリンは喜びのあまり青年の手を取ってガクガクと上下に振る。
 しかし、彼はにこりともせずに続けた。
「それより、キミは自分の身の心配をした方がいい。ここは人間の来ていい世界じゃない。僕が浅慮だった。キミをこの世界に招き入れたことを精霊たちが怒っている」
 まるでおとぎ話の住人のようなセリフだった。
 精霊など、絵本や伝説の中でしか見ることのできない存在だ。
「え? え? どういうことですか?」
 マリンは頭の中にクエスチョンマークを乱立させる。
「このままここにいては、どのみちキミは死んでしまうということだよ。ここにいる子たちは、人間が嫌いなんだ」
 青年の声に反応するように、どこからともなくクスクスという忍び笑いが聞こえてきた。 
 その声が孕んだ陰鬱な感情を感じ取ってマリンは総毛立つ。孤児であるという理由で、常に理不尽な仕打ちを受けてきた彼女は、自分に向けられる悪意に対して敏感だった。 
 驚いてあたりを見回すも、発光する岩々がどこまでも続いているだけで、人の姿は無い。
「そ、そんなの嫌です!」
 青年の話は要領を得なかったが、身に危険が迫っていることだけは理解できた。
 何か得体の知れない者が、いまにも襲いかからんとこちらの様子を窺っている……
 そう思うだけで、マリンは恐怖におかしくなってしまいそうだった。
「助けてください、お願いします。私、帰りたいです!」
 マリンは目に涙を滲ませながら、必死に青年に懇願した。
「どうしても、帰りたい?」
「はい!」
「地上の世界は今、戦争をしているようだよ。憎しみと悲しみが渦巻いている。死と痛みが溢れている。そんな世界でもキミは帰りたい?」
 青年はマリンの瞳を見つめながら、憂いを帯びた口調で尋ねる。
「で、でも、私は帰りたいです! だって、神父様やみんなが待っていますから。私、神父さまたちとお別れするなんて嫌です!」
 マリンは青年に詰め寄り、懸命に訴えた。
 自分の居場所も、幸せもあの孤児院にしかない。死んでしまえば、もう二度と、大切な人たちに会うことも、温もりを確か合うこともできない。
 青年は、しばし考え込むように頭上を仰ぐ。
「……わかったよ。キミは僕を助けようとしてくれた。だから、これは、そのお礼」
 彼は花がほころぶような微笑を見せると、マリンの右手を握った。
 冷たくひんやりした、でも、とても柔らかい手触りに彼女の顔は湯気を噴かんばかりに火照る。
「え、あの……」
 気恥ずかしくなって目線を下げると、突如、右手に火が触れたような痛みが走った。
「ひゃぁ!?」
 驚いて右手を引き戻すと、五指の中央に星形の痣が浮かび上がっていた。
 しかもそれは、本物の星のように淡く発光している。 
「え、これって……」
 マリンは目をこぼれ落とさんばかりに見開いた。
 『手の星』。その意味するところは、このアロランディアに住む者なら誰でも知っている。
 大地の女神エーベの生まれ変わりである『星の娘』が持つという聖なる印だ。
「これで大丈夫。『金色の少女』と繋がったキミを、あの子たちは襲いはしない。安心してお帰り」
 青年は満足そうに呟くと、右手でマリンの背後を指し示した。
「出口はあっち。その星の明かりを頼りに進むといい」
 その口調には絶対の自信の響きがある。
 彼の言う通りにして間違いないと、マリンは確信した。
「あの、えっと……」
 同時に彼女の脳裏に疑問や言うべき言葉がいくつも浮かび、グルグルと渦を巻いた。
 この星は、本当に星の娘の印なのか? 青年は一体何者なのか? ここは一体どこなのか?  
「……あ、ありがとうございます」
 大量の疑問は、逆に少女の口を噤ませた。結局、お礼以外は口から出ることなく、無為に時間だけが過ぎていく。
「それじゃあね。元気で」
 青年はマリンを勇気づけるように微笑すると、踵を返して、そのまま去っていこうとする。
「ま、待ってください。あなたの名前を教えてください!」
 マリンは、慌てて彼を呼び止め、どうしても聞いておきたいことを尋ねた。
「私の名前はマリン・スチュワートです! お兄さん、あなたの名前も教えてください」
「名前なんて無いよ」
 青年は足を止め、投げやりな口調で答える。
「え? お父さんや、お母さんにもらわなかったんですか?」
「そんなものいないよ」
 聞いてはいけないことを聞いてしまったことを悟り、マリンは電流が走ったように硬直した。
 親がいない寂しさ、心細さは、彼女自身が一番痛感していることだった。そして、それを意識してしまった時のやるせなさも……
「ご、ごめんなさい。無神経なことを聞いて……」 
「構わないよ。親はいなくても、大切に思える人が僕にもいたからね。キミと同じように」
 青年は、その誰かに思いを馳せるように遠くを見つめながら答える。
 その姿は、なにかとても寂しそうに見えてマリンは胸が締め付けられる気がした。
「で、でも、名前がなくちゃ困りますよね。だって、呼べませんし……」
「別に困らないよ。ここには僕しかいない。僕を必要として、僕を呼んでくれる人は、もうこの世界にはいないからね」
 その言葉には絶望も希望もなく、ただ擦り切れたような虚無だけがある。
「そんなの絶対だめです!」
 マリンは力の限りの大声を張り上げた。ついで顎に手を載せ、めまぐるしく思考を回転させる。
「う〜〜ん、う〜〜ん、そうだ! 今から、あなたは、ブルーさんです」
 彼女は、とっさに閃いた名前を彼にプレゼントした。
 海のように青くて美しい彼に相応しい名前。
「……え?」
 ブルーは面食らったように目を瞬く。
「今、私が決めました。名前がないなら私が付けちゃいます。今から、あなたのコトをブルーさんって呼びますね」
 自らの提案に、マリンは得意になって手を打つ。親切にしてくれた彼への心ばかりのお礼のつもりだった。
「ブルーさん、助けてくれてありがとうございました。私、また絶対、ブルーさんに会いに来ます!」
 

 その夜から、マリンの人生は劇的に変化した。
 ずぶ濡れになりながら、孤児院へと帰ってきたマリンの手に星の印があるのを見て、神父は目の色を変えた。
 女神の生まれ変わりである星の娘候補の印は、本来、生まれたときから身に宿っているものだ。
 成長過程で出現するなど、初めての例だった。
 マリンもブルーからもらった星が、星の娘候補の印であることについては半信半疑だった。魔よけの御守りのようなものかもしれない。
 しかし、彼女の手には紛れもなく星がある。星の娘候補を発見した場合、可及的速やかにラーハ神殿に報告するのが国民の義務だ。 
 村は嵐が来たような大騒ぎになり、早々に神官騎士ソロイ=ブラーエに率いられた神官団が派遣されてきた。
 そして、神官団の検分によってマリンは正式に星の娘候補として認められた。
 彼女の手の星は、まぎれもなく本物だったのだ。
 だが、マリンは喜ぶどころではなかった。
 彼女は、もう一度会うという約束通り、ブルーを探して島中歩き回ったのだが、彼の姿はどこにも見つけられなかった。
 村の人々の誰に聞いても、そんな青年は見たことがないという。
 あの夜のできごとが、夢だったのか現実だったのか、マリン自身にもハッキリしなくなった。
 星の印が出現したことも不思議なら、あの崖から転落して生還できたことも不思議だ。
 ブルーは一体どこにいるのか? どこに行ってしまったのか?
 彼に会いたいという想いは、日増しに強くなっていったが、時は無情に過ぎ、彼女は星の娘候補としての教育を受けるためにラーハ神殿に送られることになった。


10話 ダリスの王子

「与えてやろう……」
 腹に響く重低音が、頭上より降ってくる。
「与えてやろう。永遠に変わらぬことのない愛を」
 まるで岩が口を利いたみたいな無愛想な大音に、マリンは驚いて空を仰ぐ。
「な、な!?」
 彼女はそのまま金縛りにあったように、口を半開きにしたポーズで固まってしまった。
 全身の筋肉がガチカチに強張り、息をするのも忘れて眼前の巨躯を見つめる。
 5年前までは、擦り切れたボロを着ていたマリンだが、今ではどこかの令嬢と言っても十分に通る容姿をしていた。
 胸元に大きなリボンの付いた赤いケープに、白いスカート。すらりと伸びた足は、黒いニーソックスで覆われている。
 腰まで届く長い亜麻色の髪は、丹念にキューティクルケアされて輝き、白いリボンのアクセントに添えられていた。
 人目を惹く強烈な美しさはないが、野原を飛び回る蝶にも似た可憐さがある。
「うっ、あ……」
 マリンを見下ろしているのは、彼女の数倍はあろうかという巨大な竜だ。
 数ある魔獣の中でも最強と謳われ、神々に近い力を持つとされる破壊の化身である。
 磨き抜かれた黒曜石を思わせる鱗が、ゴツゴツと攻撃的な起伏を作りながら体表を覆っている。
 その下に張り巡らされた強靱な筋肉は、少女の身体など一撃で粉砕してしまうであろう獰猛さを滲ませていた。
 伝説の中でしかお目にかかれないハズの竜が、なぜ目の前にいるのかなどという愚問に心を裂いている余裕はなかった。
 一刻も早く逃げなくては命が無い。
 だが、主の意思とは裏腹に、彼女の両脚は根を張ったように動いてくれなかった。
「ああっ………ブ、ブルーさ……ん……」
 マリンの脳裏に飛来するのは、この5年間、常に胸に秘めてきた青年の顔だ。
 彼と再会することを夢見て、手の平の星が彼との絆であると信じて、星の娘候補としての修練に励んできた。
 アロランディア本島に来てから、多くの魅力的な男性たちと知り合う機会に恵まれたが、彼への想いは、常にマリンの胸で熱く燻り続けていた。
 その想いも、いままでも積み上げてきた努力も、すべて無に帰されてしまうのか?
 マリンはいつ訪れるかわからない終わりの瞬間を、瞬きも忘れて待つ。
「我は黒龍王シグルトバルム。汝に永遠に変わらぬ愛を与えよう」
 漆黒のドラゴンは傲岸な響きで、マリンにそう告げた。


「わぁああっ……! って、あれ?」
 頭に響いた鈍痛に、マリンは驚いて周囲を見回す。
 竜に頭を噛み砕かれたのかと思ったが、そうではなかった。
 眼前に広がるのは、地平の彼方で2つに解け合う壮大な二対のブルー。澄み切った青空の下、海はサファイアを敷き詰めたように青く輝いていた。
 戯れる海鳥たちの鳴き声と、寄せては返す波のせせらぎが、耳に心地良く響く。
「な、なんだ……うたた寝しちゃったのか……」
 ほっと胸を撫で下ろしながら、マリンはヨロヨロと立ち上がる。
 いつものように砂浜に海を眺めに来たのだが、手頃な流木に腰掛けて休んでいるうちに、ついうららかな陽気に誘われて眠ってしまったらしい。
 今の衝撃は、流木から転げ落ちて頭を打ったためだった。
「はは、何やってやがるんだ。だっせー女」
 背後から、さも愉快そうな声が響いてくる。
 ムッとして振り返れば、清冽な白い騎士衣に赤いコートを引っかけた青年が、意地悪そうに口元を緩めていた。
 彼は、マリンの護衛役として配置されている紫紺の騎士・アーク=ハリントンだ。
 まだ18歳という若さでありながら、天才的な剣の腕を持ち、騎士院の中でも1位、2位を争う剣士である。騎士でありながら、持ち前の好奇心で魔法についても造詣を深めており、騎士院を総括するソロイから特別に目をかけられている。
「ひ、ひどいですよアークさん。せめて、起こしてくれたっていいじゃないですか?」
 恥ずかしさに火を噴く思いで、マリンはアークを見上げる。
「いや、マリンさん気持ちよさそうに寝ていたから、起こすの悪いかなと思って……」
 柔和な返答を返したのは、アークの側に立っていたもう1人の青年騎士だ。
 栗色の髪を肩口で綺麗に切り揃えた、いかにも育ちの良さそうな温顔をした彼はリュート=ウィルソン。アークの親友であり、これまた外見からは想像もつかないような剣の使い手である。
 マリンの護衛は、主にこの2人が務めていた。
「そうそう。グースカ眠っていくれていた方が、街中を興味本位に歩かれるより、俺たちはずっと仕事がやりやすいからな」
 快活に笑うアークは、星の娘候補であるマリンに対しての敬意など、これっぽっちも持ち合わせていないようだった。
 彼は野性味溢れるそれなりに端正な顔立ちをしているのだが、この人を小馬鹿にしたような態度が、外見の良さをうち消して余りある欠点だ。
「アーク、やめなよ。マリンさんに対して失礼じゃないか」
 マリンが悔しそうに唇を噛んでいるのを見て、リュートが慌ててフォローに入る。
「いいんですよリュートさん。アークさんがこういう人だっているのは、わかっていますから」
「へえ、ところでよ。なんでお前は、いつもこんなところに来るわけよ? 海が好きだってんのもわかるが、気晴らしにどこかで遊びたいなら、もっとマシなところがあるぜ」
 アークはエメラルドの瞳をいたずらっぽく輝かせてマリンに迫る。どうやら、そのもっとマシな遊び場とやらに彼女を誘いたいらしい。
 護衛役としての本分を忘れた言動だが、むしろ変に気を使われない分だけマリンにとっては気持ちが楽だった。
 つい最近まで、彼女の護衛には、力と礼節を兼ね備えた練達の騎士たちが当たっていた。
 しかし、孤児として生活してきたマリンは、お姫様扱いされることにどうしても慣れることができず、騎士院の問題児であるアークを護衛役に推挙したのだ。彼は口は悪いが、打算抜きで接してくれる。
「ええっと、それは……」
 マリンは一瞬、この粗忽者に本当のことを言おうかどうか迷った。
 だが、アークとはもう気心の知れた仲だ。隠す必要は無いだろうと考えて告白する。
「海に来るとブルーさんに会えるような気がするからですよ」
 ブルーという名に特別な感慨を感じ、彼女は胸のあたりが熱くなるのを覚えた。
「ブルーさんって?」
「5年前、崖から海に落ちた私を助けてくれた人です。まあ、初恋ってやつでしょうか? えへへ……」
 マリンは自分の言葉に照れて頬を掻く。彼とはたった一度だけ会ったきりだったが、その顔、その声、その手の感触は今でも鮮明に思い出すことができる。
「初恋ね……ふんっ。それで、そいつはこの近くに住んでいるのか?」
 自分の世界にトリップしかけていたマリンに、アークが思いっきり冷水を浴びせた。
 ことさらバカにしたように鼻を鳴らした彼は、何が気に障ったのか全身から刺々しい空気を発散させている。
「え、えっと……わかっているのは名前だけで、どこに住んでいるのかもわからないし、海で一度会ったきりなんですけど……」
 マリンは、予想外の反応に困惑気味に答えた。
「なんだよ、それ。バカバカしいほど一方的な片思いじゃねえか」
「むっ、な、なんですか? その言い方?」
 にべもないアークの態度に、マリンの声にも険悪な色が混じる。自分の純粋な気持ちを愚弄されては黙ってはいられない。
「お前こそ、なにムキになってんだよ。 名前しか知らねえようなヤツのことをいつまでも想い続けていたって良いことなんてないぜ? それに初恋ってのは、たいてい実らないモノなんだよ」
 さも当然とばかりに投げ放たれた言葉は、この上ない凶器となってマリンの心を刺し貫いた。
『初恋ってのは、たいてい実らないモノなんだよ』というセリフが、絶望的な響きを持って脳内にエコーする。
「そんなモンに長年煩わされてたなんて、信じられ……」
「ちょ、ちょっと、アークっ!?」
 無遠慮に飛び出す暴言に、リュートが慌てて親友の脇腹を小突く。
 だが時にすでに遅く、マリンの怒りは臨界点を超えて、理性を吹っ飛ばしていた。
 心許せる相手だと信頼して自分の秘密を明かしたというのに、信じられない裏切り行為だ。
「アークさんなんて、大きっらいです!」
 マリンは大声を上げて、その場から駆け出す。目尻からは涙がこぼれた。
「お、おい、待てよマリン! 俺たちを置いて勝手に行動するな!」
「バカ、君のせいじゃないかアーク!?」
「うるせーなっ、とにかくあいつを追っかけるんだ!」
 騎士たちが泡を喰って追いかけてくるが、マリンは完全に無視して逃げる。
 彼女は、アークの言葉を心の中で何度も否定し、消し去ろうとした。
 ブルーとの想い出は、マリンにとって心の支えだ。
 思い出の中の彼は常に優しい。マリンの心の中で、夢の中で、彼女を励ましてくれる。
 それは他人から見れば、自意識過剰な妄想に思えるかもしれない。
 だが、星の娘を目指して勉学に励むのは、ひとえに手の星が、彼との絆であると信じているからだ。
 星の娘に成れば、再びブルーと会えるのではないかという幻想が、マリンを突き動かしていた。
 あれから5年、マリンは必死にブルーを探したが、彼はこの島国のどこにもいなかった。そもそも、ブルーに助けられて迷い込んだあの世界での出来事が、現実にあったことなのかもわからない。
 確かなのは、崖から海に転落して奇跡的に生還した自分の手に、星の印が出現したという事実だけだ。
(ブルーさん、ブルーさんを想う気持ちは、馬鹿げたモノなんかじゃ、ありませんよね……?)
 全力疾走するマリンは、砂浜を抜けて港に出た。
 水揚げされる荷物の中を水夫や商人などがせわしなく歩き回り、帳簿を片手に指示を出したり、荷物の確認を大声で交わしたりしている。
 停泊した船からは、とめどなく荷と人が吐き出され、混沌とした活気に満ちていた。
 アロランディアは観光地としても、貿易中継地としても知られ、世界中から人と物が集まってくる。舗装された道には露店が建ち並び、活きの良い客引きの声が、途切れることがない。
 この中に紛れ込んでしまえば、まずアークたちに見つかるようなことはないだろう。
 今はとにかく1人になりたかった。
 と、その時……
「おや、ここにおいででしたかマリン殿……て、うあっ!」
 無我夢中で走るマリンは、不意に行く手を遮った人影を避けきれず激突してしまった。
 そのまま押し倒してしまう形で、折り重なって倒れる。
「あいたた……これは強烈なラブアタックだね」
 目と鼻の先にあったのは、芸術品のごとき白皙の顔だった。
 高く細い鼻梁、滑らかな曲線を描いて尖った顎へと続く頬のライン――どこを切り取っても完璧な造形美と呼ぶに相応しい。
 吸い込まれそうな青色を讃えた瞳が、マリンの姿を映して細められる。
「うれしいけど、昼間からこういう行為に走るのはあまり感心しないな。何があったんだい?」
「シ、シリウス様……!」
 マリンは蒼白となって、弾かれたように立ち上がる。
 彼の名は、シリウス=ウォーレン=ダリス。大陸の3分の1以上の領土を占める超大国ダリスの第七王子で、ダリスとアロランディアとの友好を結ぶ親善大使だった。


11話 ダリスの影

 衝撃がマリンの脳内をゆさぶった。
 穴があったら入りたいどころか、ショックで気絶してしまいかねないのをなんとかこらえる。
「す、すみません! わ、わたしってば慌てていたもので……」
 すっかり動転した彼女は、地面にぶつける勢いで何度も頭を下げた。
 マリンが衝突したのは、アロランディアの賓客でもVIP中のVIPであるダリス王国からの親善大使、シリウス王子である。
 ダリス王国は魔法文明によって栄えた軍事大国で、つい最近まで大陸の支配を掲げて大戦争をしていた。
 現在は、さすがに長引く戦乱で疲弊し、大陸諸国によって組まれた対ダリス同盟との膠着したにらみ合いを続けている。
 そんな状況の中、ダリスはアロランディアとの友好を求め、王位継承権もある第七王子を大使として派遣してきたのだ。
「いやいや、キミみたいなかわいい女の子と衝突できるなんて、私はむしろラッキーでしたよ。一生に一度あるかないかの幸運だ。港に視察に来た甲斐があったなぁ〜」
 シリウスは押し倒されたというのに気分を害した様子もなく、おどけた調子で立ち上がる。
 月光の雫を纏ったように輝く銀髪に、高級なシルクをふんだんに使った華美な衣装。その身から溢れ出す気品は、典雅な顔立ちと相まって、庶民とは隔絶された世界の住人なのだということをまざまざと知らしめる。
 本来なら、孤児の娘など、話をするどころか顔を見ることもできない雲上の人だ。
「キミに涙は似合わないよ。もしよろしければ、このシリウス様に訳を話してみたまえ」
『たまえー』
 シリウスはポケットから腹話術の人形を取り出して、奇態な声を上げた。
 ずんぐり目のソレは、彼が自分の親友と言って憚らないボビーだ。
「え、えっと、それは……」
 外見を裏切る彼の奇行に、マリンの肩から思いっきり力が抜ける。
 ダリスの第七王子は、女の子を口説くのが好きな上、ところ構わず腹話術を始めてしまうという困った癖があった。
 見れば、シリウスの背後には彼の護衛らしき屈強な男たちが5人ほど控えている。
 わざわざ、マリンとシリウスの衝突を見過ごしたのは、主の意向を汲んでのことだろう。シリウスは同じラーハ神殿に滞在しているマリンに目をかけているらしく、なにかとちょっかいを出していた。
「ほらほら、ボビーもキミのことを心配しているよ?」
『とっても、心配。どうしたの?』
 シリウスの手に持たれたボビーが、調子外れの裏声に合わせて大仰にうなずく。
 やはり王族と言うべきか……彼には、周りの人間の目を気にするという感性は無いらしい。
「シ、シリウス様こそ、どうしてこんなところにいらっしゃるんですか? 今はテロなんか起きちゃって治安が悪くなっていますし、ダリスの王子様がこんな人混みの中にいたら、危険なんじゃ……」
「おや、それをキミが言うかな、かわいい星の娘候補殿。ソロイ殿から、常に護衛と一緒に行動するように言われていなかったかい?」
 シリウスに切り返されて、マリンはソロイの仏頂面を思い出し、怪物と出会ったかのごとく慄然とする。
 彼女の教育に当たっている神官騎士ソロイは、とにかくスパルタで怖かった。
 しかし、だからといって、アークたちの元にのこのこ戻る気にはなれない。
「そ、それが、アークさんと喧嘩しちゃって……」
「喧嘩? おやおや、守るべき姫君を救うどころか傷つけるとは、騎士の風上にも置けない連中だね……」
 芝居がかった仕草で肩を竦めるシリウス。次の瞬間、その顔が天啓でも降ってきたように輝いた。
「そうだ! ならば、今日のあなたの護衛は、僭越ながらこのシリウス=ウォーレン=ダリスがつかまつりましょう。私は今から、あなたの愛の騎士だ」
「申し訳ありませんがシリウス様、それはできません。マリン殿から離れていただきましょうか?」
 王子の申し出を一蹴したのはマリンではなく、その背後から浴びせられた氷の鞭めいた声だった。怒られた訳でもないのに、マリンは脊髄反射のように硬直する。
 あまりに馴染み深いその声は、氷点下の殺意を孕んでいた。
「だいぶ手こずりましたが、大通りのレストランを破壊したテロリストの身元が判明しました。ダリス王国の精鋭ベリルナイツだそうです。この一件、ダリス王国が関わっていますね?」
「そ、ソロイさん……?」
 振り向いたそこに立っていたのは、武装した騎士たちを引き連れたソロイだった。
 彼は、気の弱い者なら気死せんばかりの威迫を周囲に発散しながら、油断無くシリウスを睨み付けている。
 港を行き来していた者たちは、数と権力によるあからさまな暴力の臭いをかぎ取って、怯えた様子で彼らから距離を取った。
「犯人の1人を捕縛し、精神探索魔法による強制尋問を行った結果わかった事実です。申し開きは聞きません。おとなしく縛についていただきましょうか」
「おやおや、人の恋路を邪魔するとは無粋だねソロイ殿」
 シリウスは特に驚いた様子もなく、マリンの腰を抱き寄せながら言い放つ。
「ちょっと、シリウス様……!?」
 彼に密着される格好になったマリンは、驚きに悲鳴のような声をあげた。
 あまりの展開に、彼女の頭は混乱し事態をうまく把握することができない。
「マリン殿から離れなさいと警告したハズですが? あなたは袋のネズミ。逃げられはしませんよ」
 ソロイは、それを敵対行動と受け取ったのか、腰の得物に手をかけながら低い声で恫喝する。
 アロランディアは周りを海に囲まれた島国だ。船の出入りは神殿によって厳重に管理されており、許可無く入港、出航できないようになっている。つまり、どこに逃げようと、どんな抵抗をしようとシリウスが捕らえられるのは時間の問題でしかない。
「そんなことをしたら、そこの暑苦しい男たちが、すぐさま私を捕らえるでしょう? 男と肌を密着させるなんて拷問、私には耐え切れませんよ」
 冗談めかしていたが、それはつまり、自分の身の安全を確保するためにマリンを人質にするということだ。
 騎士たちの間に明らかな緊張が走り、シリウスの一挙手一投足を見逃すまいと、視線の圧力が増す。
「シリウス様、あなたはもっと賢い御方だと思っておりました。失礼ながら、ご自分の立場をわかっておいでですか?」
 呆れたように嘆息しつつも、ソロイの口調は毒針のように鋭かった。
 だが、シリウスは柳に風とまったく恐れる様子がない。
「わかっているさ。今、愛し合う私とマリン殿の真実の愛が試されているということくらい」
「だ、誰が愛し合うですか!?」
 マリンは思わずツッコミを入れるが、彼は無視して続ける。
「冷静になりたまえソロイ殿。私は親善大使だよ? ダリスとアロランディア、両国の友好を深める目的でこの地に来ている。もし、その私に刃を向けるなら、それはそのままダリスへの宣戦布告と受け取られかねない」
 表面上は友好な姿勢を保っていたが、シリウスの言葉は紛れもない脅迫だった。
 アロランディアはダリスを仮想敵国として、ここ数年、軍備を増強してきた。
 国民の反対を押し切って魔法院を設立し、魔法使いの養成と、軍用魔法の研究に励んできたのはそのためだ。
 だが、アロランディアは人口と資源の乏しい小さな島国。数と物量では圧倒的に劣る上、現在は主柱となるべき『星の娘』を欠いている。この状況で、ダリスと戦争になればひとたまりもないだろう。
 そのため、アロランディアはダリスからの親善大使を渡りに船と受け入れたのだ。
「あなた方から戦いを仕掛けておいて、それはないでしょう。『星の娘』は、我らがお仕えする神の化身にして、我らが女王。我が国は『星の娘』なくして存在できません。その候補に危害を加え、あまつさえ暗殺しようなどとする輩と馴れ合う気など、我々にはありません」
 ソロイはわずかな迷いもなく、断固としてシリウスの脅迫をはね除けた。
 同時に抜剣し、優美な流線型のフォルムを描く片刃の剣を、敵国の王子に突きつける。
「もう一度言います。マリン殿から離れなさい。さもなくば武力行使にでます」
「王子、お下がりください。ここは我々が……!」
 シリウスを守ろうと、彼の護衛たち剣を抜き放ちながら前に出た。
 殺意の籠もった視線同士がぶつかり合い、帯電するような緊張感があたりに漲る。
「や、やめてください! ソロイさんも、シリウス様も!」
 その状況下に耐えきれず、思わずマリンは声を張り上げた。
 とたんに注目の的になり、やや気後れしながらも力説する。
「ケンカは良くないですよ、ケンカは……もっとよく話し合いましょう」
「マリン殿。あなたは黙っていてください。全員、抜剣を許可する!」
 ソロイの一言で、陽光の元に無数の鋼の煌めきが散った。
 膨れあがる敵意に、マリンは思わず言葉を呑み込む。統率された戦闘集団が放つ威圧感は、まるで巨大な魔物が牙を剥いたかのようだった。
「そら、マリン殿逃げるよ!」
「ええっ!?」
 シリウスはマリンをお姫様だっこの状態で抱きかかえて、脇目も振らずに逃げ出した。
 人1人の体重を支えているというのに、風のような身のこなしで雑踏の間をすり抜けていく。シリウスの護衛たちも身を翻し、彼の背後に付き従った。
「逃がすな追え! マリン殿をお救いするのだ!」
 ソロイの命を受けて、騎士たちは通行人を押しのけ猛然とその後を追う。路上に突き倒された女性が悲鳴を上げ、売り物を踏み荒らされた露天商が怒号を上げるが、彼らはそんなことには頓着しない。
 ここでマリンを救うことができなければ、アロランディアの未来は闇に閉ざされるのだ。
「に、逃げるって、ど、どういうつもりなんですかシリウス様!?」
 目を回しながらマリンは叫んだ。

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自分じゃ、さすがに批評できませんので(汗)。


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