ファンタスティックフォーチュン2 2次創作 

アロランディアの凶星

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第5話 夜半の訪問者

 夜の帳を背景に星々が瞬き、冷たく柔らかな光を地上に投げかける。
 星の海を見上げながら、アクアは大きなため息をついた。
 もう夜もだいぶ更けてきたというのに、ヨハンはまだ帰ってくる気配がない。
 下手の横好きなれども腕によりをかけて作った夕食は、テーブルの上ですっかり冷えてしまっている。
「……先生、きょうも神殿から、帰ってこないつもりかなぁ……」
 視線をはるかな高台の上にある神殿に移せば、そこだけは煌々と昼間のような明るさに包まれていた。
 照明魔法の力場によって外壁全体が白く発光し、夜の闇を払っているのだ。
 ヨハンを想い、彼女はまた1つ重苦しい息を吐く。
 知覚強化された五感を使って、夜道を歩く師の姿を探すも、それらしい人影は見あたらない。窓の外には、重くたれ込めた陰気な闇が広がっているばかりだ。
 ヨハンは神殿の地下に設けられた魔法実験施設で、極秘の魔法研究に従事していた。魔法が国の趨勢を決めるこの時代、強力な魔法の力を得ることは国家にとって焦眉の問題である。
 そんな統治者側の思惑と、ヨハンの魔法研究への情熱は見事な一致をみた。
 彼は我が身のことなど省みず、テロで負傷した翌日から何事もなかったように神殿への往復を再開したのだ。
 しかも、夜遅くまで根を詰めているとなると、心配するなと言う方が無理である。 
「ぐわ! しょっぺぇええ!? おいアクア。お前、また塩加減間違えただろう!?」
 背後から不意打ちにも似た罵声が浴びせられた。
 驚いて振り返れば、しかめっ面のユニシスが、スープにかぶりついている。絆創膏だらけの顔は見るからに痛々しいが、治癒魔法の効果により痛みを気にせず食事が摂れる程度には回復しているらしい。
「あっ、こら! せんせい、まだ帰ってきてないわよ?」
「あの人は、今日も帰ってこないさ。最近は、いつもそうだ」
 アクアはきつく咎めるも、返ってきたのはふてくされた返答だった。
 夕食は家族3人そろってから摂るのが決まりであるが、ヨハンは最近、連絡も無しに神殿に泊まり込むことがあるのである。
「もうこれ以上待っても意味なんてないね。ばかばかしい。お前も食えよ」
「わたしは、いい。食欲もないし……ヨハン先生をまっている」 
 その誘いを言下に断ると、アクアは再び窓の外を眺めた。
 ヨハン抜きで食べる夕食など、彼をないがしろにしているようで気が引ける。そんなものがおいしいハズがない。
 夜が深まるに連れて、窓から入り込む隙間風は肌寒さを増していた。この寒空の下を、彼は身を縮ませながら歩いているかもしれないのだ。
 青天井に膨れあがるヨハンへの想いが、アクアの胸をキリキリと締め付ける。
 無視できほどの痛みは、同時に苛立ちをも喚起した。
 今日、自分とユニシスが住民とのトラブルで怪我を負ったことは、通信魔法で伝わっているハズだ。
 ならば、仕事など途中で放り投げて帰ってきてくれても良いではないか?
 魔法研究がヨハンにとっての生き甲斐であることは十分に承知しているが、それが自分たちより優先されることであるとは思えなかった。
「……なあ、アクア。お前、神殿から帰ってきてから、なんだか変だぞ?」
 ユニシスが、食事の手を止め固い口調で尋ねる。
 電流でも走ったように、内向していたアクアの意識が現実に引き戻された。
 やはり昼間の一件で、彼は不審を抱いたらしい。これは、ほとぼりが冷めるまで、なるべくユニシスとの接触をひかえた方が良さそうだ。
「ヘンってなによ? ……しつれいね。わたしは部屋にもどるわ。勉強しないといけないし……」
 さもそっけない素振りで言ってのけると、アクアはそそくさとその場を後にしようとする。
 だが、それは手首にかかった強い力に阻止された。ユニシスが、彼女の腕を引っ張ったのである。
「お前、最近、ぜんぜん飯を食おうとしないじゃないか。食い意地っ張りのお前が、お預けを食らって、つまみ食いもしないなんて異常だぞ!?」
 いつもの軽口とは違う、硬質な怒りを孕んだ声。
「その上、いつも思い詰めたような面しやがって。おい、なんか悩みでもあるのか!?」
 アクアは己の行動のうかつさに気づいて、臍を噛んだ。転生した後、彼女は食欲を覚えることがなくなっていた。
 生命活動に必要な物質は、無限心臓によって異界より自動的に汲み上げられ補填される。いわば、アクアの身体は半永久機関と化しており、食物から栄養の補給をする必要がなくなっていた。
 そのせいか、どんな料理を口にしてもあまりおいしいとは感じなくなり、自然と食事を残すようになっていた。
 端から見れば、それは危険信号に見えただろう。なんらかの原因で心身を煩っていると勘ぐられてもいたしかたない。
「アクア、聞いってんのか!? ハッキリ答えろよ」
 塗り固めた嘘を突き崩そうとするツルハシにも似た一言に、彼女は身を竦める。
 だが、ここで沈黙したり、意固地に否定したりしては事態が泥沼化するだけだ。アクアは、とっさの閃きに賭けて反撃に転じた。
「……恋する乙女が、しょくよくをなくすなんて、とうぜんよ」
「へ?」
 ユニシスは、鳩が豆鉄砲を食らったように目を瞬かせる。
「わたしは、ヨハン先生がすきなの。いわゆる恋煩いね。もんくある?」
 傲然と開き直っての告白に、彼は面食らったようだ。滑稽なほどに顔を引きつらせ、口をぱくぱくと開閉している。
「それより、いたいわ……はなしてよ」
 ここぞとばかりアクアは顔を歪ませ、さも痛そうな演技をして見せた。
 こういう時に、少女という身分は役に立つ。よほどの悪漢か変態でもなければ、痛み訴える少女に手荒なマネはしない。
「あ、悪いっ」
 案の定、ユニシスにも効果があった。彼は、ばつが悪そうに手を放す。
「……ユニシスって、ホントにらんぼうよね。すこしは先生を見習ってレディにはやさしくするようにしなくちゃ、モテないわよ」
 アクアは、さもうらめしげに畳みかけると、そのまま回れ右して廊下に向かう。
 してやったりである。
「モテないって、俺、未分化のアンヘルだぞって……ちょ、ちょっと待て!」
 しつこく食い下がろうとするユニシスだが、捕まっていなければどうということはない。
 アクアは室外に出ようと小動物めいた俊足で駆ける。
 だが。
「きゃっ」
 ドアノブを掴もうと手を伸ばすと、ドアが勝手に開いた。ぎょっとした瞬間、視界いっぱいに広がった黒い布地に激突して尻餅をつく。
 部屋に入ろうとしていた長身の男性と出会い頭でぶつかってしまったのだ。
「ヨハン先生!?」
 驚きはしたが、魔法院長の居住区であるこの区画に夜半過ぎに出入りできる人間は、限られている。
 魔法院のセキュリティシステムは万全で、不法侵入を試みる者に対しては、自動的にスペル・トラップ(魔法の罠)が発動するのだ。この水も漏らさぬ防御陣を突破することは、超人でも無い限り不可能である。
 アクアは喜色満面で相手を見上げて……
 凍り付く。
「ああぁあ……!」
 そこにいたのは、ヨハンなどではなく、口を半開きにして苦悶の声を発する初老の男性だった。
 豊かな顎髭を蓄えたその男は、上級魔導師の証である黒地に銀の刺繍入りのローブを身にまとっていた。魔法院の施設内を時間帯に限らずフリーパスで行き来できる資格を持った、重鎮の1人である。
 言葉を交わしたことは少なかったが、アクアにとって知らぬ相手ではない。夜半過ぎの突然の訪問は無礼だとしても、必要以上に警戒すべき人間ではなかった。
「な、なんだお前!?」
 ユニシスがすっとんきょうな声を上げ、妹を守るようにアクアの前に出る。
 男は激痛に耐えるかのように顔面を歪ませ、壊れた操り人形のごとく全身を痙攣させている。なにか異常事態のただ中にいるのは一目瞭然だった。
「……ど、どうしたの? もしかして病気?」
 アクアは男が、なにか持病の発作でも起こしているのではないかと判断した。
 そうだとしたら、事態は一刻を争うものである。すぐに医者か医療魔法に通じた者に連絡を取って、治療に当たらなければならない。
「ご、ごうほさま……!」
 男は震える両手をアクアに伸ばす。
 こぼれ落ちんばかりに見開かれたその目は、追いつめられた獣のようにぎらついていた。
「も、もうじわけありませ……わ、わたしは助かりだくて……!」
 その顔面が、風船のように膨張する。不自然なまでに引き延ばされた表皮にアクアが息を呑んだ瞬間……
 男の頭が、爆ぜ割れた。
 頭蓋の内側より、無数の極太針がウニの殻のように突きだしたのだ。
 四方八方に突出した針は、頭蓋骨を内部より粉砕し、血と脳漿の花を咲かせる。
 空白。
 視界が白く染まり、アクアの脳内の時間が停止した。
 降り注ぐ鮮血の飛沫が、彼女の頬を濡らす。生命の残滓を伝える熱い熱い液体。
 悲鳴は出なかった。あまりに唐突な目の前の惨劇を、アクアはすぐに受け入れることができなかった。
 魔法使いの亡骸が、音を立てて崩れ落ちる。
「うぇ、うええぇえ!? な、なんだよコレ!?」
 さしものユニシスも、狼狽を隠せないらしい。彼は腰を抜かしたように尻餅をついて喚き散らした。
 アクアは、理性を総動員してホワイトアウトに歯止めをかける。  
 冷静に冷静にと、恐怖と驚きでメチャクチャになった心をなだめすかし、思考力を取り戻そうと努める。
 九死に一生を得た経験のある者は、恐怖に対する感覚が鈍磨するという。すでに一度、殺されたことがある上に、魔法テロまで自力で切り抜けたことが、13歳の少女に不相応な胆力を与えていた。
 アクアは無理矢理、動揺を押さえ込むと周囲に警戒の網を走らせた。
 闇を見透かす猛禽の視覚と、夜にざわめく生命の息吹を、あますところなく聞き取る耳――超常の感覚が周囲の様子を余すことなく彼女に伝える。
 ……どうやら、他に襲撃者や罠の類はないようだ。
 正体不明のテロリストが徘徊しているだけに、神経過敏になっていたが、そもそも魔法の要塞とも言うべき魔法院に部外者が侵入できるはずもない。
「……これは、しばらく夢にでそうね……」 
 アクアはほっと胸をなで下ろすと、目の前で起きた惨劇の分析を始める。
 おそらく、男を死に至らしめたのは『呪針』と呼ばれる大陸の魔法だ。
 重罪人に埋め込まれる呪いの一種で、ある特定のタブーを犯すと脳内に埋め込まれた魔法デバイスである『針』が展開し、対象者の頭を突き破るのである。再犯防止のために多大な成果を上げているらしいが、あまりにも残酷な末路を対象者にたどらせることから、アロランディアでは採用されていない魔法だ。
(わたしは助かりたくて……か)
 アクアは、男が最後に残した言葉を反芻する。
 もしかすると、彼は何者かに脅迫されていたのかも知れない。それを拒否したために起こった悲劇……ということだろうか?
「……っ!?」
 その時、視界の端で男の死体が小刻みに震えた。
 予想だにしない出来事に、心臓が凍りつき、ぞわりと全身の毛がそそり立つ。
「ユ、ユニシス……い、いま、こ、この死体、うごかなかった?」
 アクアは呂律のおかしくなった口調で、足下の義兄に助けを求めた。彼女はお化けや幽霊といったものには、めっきり免疫がないのだ。
「お、おお、お前も見たのかよ!?」
 普段より1オクターブも高い声で、ユニシスは逆に聞き返す。
 笑い飛ばしてくれることを期待していたのに、まったく役に立たない兄である。
 2人は、そのままお互いの顔をじ〜〜と見つめ合った。怖くて、視線をよそに移せないのだ。
 そしてそれが、致命的なまでの時間の浪費をであったことに次の瞬間気づく。
 部屋の片隅で生じた白光が、アクアの網膜に飛び込んできた。
 男の死体を取り囲むように、目映い光で編まれた幾何学模様が中空に広がっていく。
「……お、おい、どうなんてんだよコレ!?」
 その現象の意味を知ったとき、未知への恐怖は、生命の恐怖に転化した。
 光の軌跡は空間そのものを浸食するように、その領域を拡大し、多層に及ぶ立体的な構造体を織り上げる。
 それは膨大な魔力の循環によって光を放ち、視認できるようになった呪式であった。
 特殊な手順によって、筆舌に尽くしがたい魔力を掻き集めたときのみ現れる魔法の奥義――超効率稼働する魔法回路・通称『エイリアス(魔法陣)現象』である。
「え、あ、うそ……」
 エイリアス現象を起こせるのは、この魔法院でもヨハン1人しかいない。魔法を極めた達人か外道中の外道にしか扱えない、最高クラスの魔法の引き金となる技だ。
 うかつだった。『呪針』を使った遠隔殺人は、さらなる惨劇を生むための布石にすぎなかったのだ。 
 『エイリアス』を発現させるほどの魔力を集める方法は、大きく分けて3つしかない。
 その内、もっともオーソドックスで手軽にできるのは、生け贄を使った方法――人間の命を、膨大な魔力に転化する忌むべき技である。
 おそらく魔法デバイスを媒介にしているのだろうが、これだけの魔法を遠隔操作で制御してのけるとは……なんという技量の術者だろうか。
 警鐘が頭の中で鳴り響くが、アクアの両脚は根を張ったようにそこから動かなかった。
 美しくも恐ろしい光のページェントの中より、身も毛もよだつような威圧感が叩きつけられてきたのだ。

 ゴォオオ!!

 夜気を鳴動させる咆哮。
 この呪式は、時空の壁を跳躍して何かを呼び寄せる召喚系のものだったらしい。
 最悪の上に最悪が二乗させられた。レストランでの魔法テロが、かわいく思えてくる。これを仕掛けた術者は、そうとう頭のいかれた危険人物だ。
「……ま、ま、魔獣!?」
 人類の天敵である異形を目の当たりにしてユニシスが絶叫する。
 目の前に立っている黒い影は、かつてエーベ神によってこの世界から追放された悪魔の末裔だった。

第6話 魔獣

 魔法喚起の光陣の中心にソレは現れた。
 粘着質な幻聴をもよおす仕草で、剛毛に覆われた巨木のような足が這い出す。
 さらに、足に続き、胴体、頭、尻尾……
 迷彩が解かれていくように、空気のキャンバスに巨大な獣の姿が描かれていった。
 床にどっしりと四肢をおろしたソレは――3つの頭を持った魔犬だった。
 地獄の陰火じみた紅い眼。
 漆黒の体毛の下に張り巡らされた荒縄のような筋肉……
 百獣の王さえ遁走しかねない獰猛さを溢れさせたソレは、どんな愛犬家でも愛でるのが不可能だろう。
 見上げるような巨躯は、犬と言うより牛に近い。
 アクアは確信した。目の前に立っているのは紛れもなく魔獣だ。
 かつて神々によって異世界に封じられたとされる彼らは、いくつかの偶然が重なってこの世界に姿を現すことがある。
 魔獣は神の恩寵を受けた人間を激しく憎悪しており、この世界に現れた際には徹底的な破壊活動を行うのが常だった。
「ゆ、ユニシス……にげ、にげ……」
 がちがちと歯の根が合わず、アクアは明確な言葉を口にできない。
 魔獣は、人間の小賢しい知恵や団結力など問題にもならない一種の天災である。
 英雄戦記でしか語られない暴力の化身が、圧倒的な存在感を持って目の前にいる。
 いかに修羅場をくぐり抜けてきたとはいえ、13歳の少女が正気を保っていられるハズもなかった。

 グォオオオ……!!

 魔犬が口を開けた瞬間、その口腔の奥より暴力的な光が放たれる。
 あっ、と思ったときには遅かった。
 噴射音と共に魔法によって生み出された光の矢――マジックミサイルが打ち出される。
 視界が白一色に染まると同時に、全身を衝撃が貫いた。
「……アクア!?」 
 光の矢を受けたアクアは、猛烈な勢いで吹っ飛ばされて壁に叩きつけられる。
 衝撃で頭の中身が激しくシェイクされ、意識が飛び飛びになった。
 しかも、背面の肉が砕けて、まるで潰れたトマトのように身体が壁にへばり付く。
 痛みを感じないためイマイチ現実味に欠けるが、常人なら100%即死の状態であろう。直撃を受けた腹部は、もはや原形をとどめていない。
「く、あ……」
 ぐにゃりぐにゃりと、歪む視界。
 ユニシスが何か激しく喚いているのが聞こえるが、意味のある言葉として聞き取れない。
 身体の損傷が広範囲に広がりすぎていて、無限心臓の力を持ってしても瞬時には回復できないようだ。
 混濁する意識の中、アクアは激しい焦燥に駆られた。
「……やめ……」
 怪物である自分は魔獣の一撃にも耐えられるが、生身の人間であるユニシスはそうはいかない。
 魔獣にとって殺戮とは最高の娯楽である。彼が次の標的にされるのは間違いなかった。
(……うごけ!) 
 アクアは死体同然の身体に鞭打つも、神経系が復元しきっていないためか、首から下がピクリとも反応しない。
 徐々にクリアになりつつある視界が、舌なめずりしながらユニシスに近づく怪物の姿を映す。
 為すすべなく迫る最悪の瞬間。
 1秒1秒が無限の重圧となってアクアを押し潰した。
 彼女が自分の無力さを噛みしめたその時……

 グォオオ?
 
 数本の光条が魔犬に浴びせられた。
 魔法院に設けられた侵入者迎撃用トラップの1つ、対人用雷撃である。
 賊を昏倒させるために張り巡らされたそれが、魔獣を打ち倒そうと紫電を散らす。
 アクアは神に感謝を捧げた。
 あの怪物にとって対人用雷撃など蚊に刺されたほどの攻撃でしかないだろうが、それでも気を逸らす程度の役には立つ。
 案の定、ユニシスへと迫っていた魔獣は、小うるさそうに三つの頭を振った。

 ォオオオ!

 いらだちをぶつけるかのように、魔獣は見当違いの方向にマジックミサイルが連射する。
 凶暴な光が建材を食い破り、建物全体が激しく鳴動した。
 対魔法戦闘を想定して作られた魔法院であるが、さすがに中で魔獣が暴れるなどという異常事態には備えられていない。
 吹き荒れる破壊の嵐に掻き消されるように、対人用雷撃はあっけなく沈黙する。
 だが。
「……おいたがすぎるわよ。ワンちゃん……」 
 時間にしてほんの数秒。対人用雷撃が稼いでくれたほんの数秒が、アクアにとって天恵となった。
 寸分違わぬ正確さで肉体の再構成が終わる。脳震盪の影響が抜けきっておらず、いまだ足下がふらつくが、この際贅沢は言わない。
「……っ!」
 彼女は引き絞られた矢のように、壁を蹴って跳んだ。流れる視界の中、魔獣のがら空きの胴体が目前に迫る。
 
 ャオ!?
 
 アクアの渾身の拳が魔獣の腹部にめり込み、その巨体が重力を振り切って宙を飛んだ。
 そのまま派手に壁を突き破って、中庭へと消えていく。 
(……かなり効いた?)
 アクアはその手応えに驚嘆する。無我夢中の攻撃だったが、その効果は想像以上だった。
 なにしろ、魔獣といえば数々の伝説で語れる悪の化身。それこそ神に選ばれた勇者でもなければ太刀打ちできないような存在である。
 改めて自分の力におののきを感じると同時に、チャンスは今しかないと確信した。
「あ、アクア……? おまえ……アクアなのか!?」
 怯懦にまみれた声が、アクアの耳を打つ。
 見れば粉塵まみれのユニシスが、亡霊でも見るような目で彼女を見つめていた。
「ユニシスだいじょうぶ? いますぐここを離れよう……!」
 魔獣に単身挑もうとするほど、アクアは無謀ではなかった。今の攻撃が効いたのは、相手がコチラを脅威と認識しておらず、無警戒だったからにすぎない。
 桁外れの魔力と、人間をはるかに凌駕する呪式演算能力を持った魔獣の真の恐ろしさは、その魔法速射力にある。
 達人クラスの魔法使いが、長時間かけなければ構築できない強力な攻撃魔法を、魔獣はわずかなタイムラグもなく連続発動できるのだ。
 そのデタラメな破壊能力は、まさに生きる自然災害と呼ぶにふさわしい。
 いかに超人的な力を持っているとはいえ、戦闘に関してはずぶの素人であるアクアが太刀打ちできる相手ではなかった。
 まして、ここにはユニシスもいるのである。彼を守りながら魔獣に勝つなど、守護天使の一団でも味方につけなければ不可能だろう。
 ここは、一刻も早く彼と共に脱出して神殿に通報した方が賢明だ。
 ソロイやヨハンならば、魔獣をなんとかすることができるだろう。
「……アクアは今、死んで? アレ?」
 ユニシスは涙で顔をぐちゃぐちゃにして、うわごとのように呻く。
「さ、わたしに捕まって……!」
 せっぱ詰まったアクアは、錯乱している彼を説き伏せるのももどかしく、この際、抱きかかえてでも逃げようとした。
 もはや、正体を隠す隠さないの問題ではない。もたもたしていれば、2人とも犬の餌にされるのだ。
「ひっ!?」
 しかし、手を伸ばした瞬間、ユニシスは顔を引きつらせて後ずさる。
 その緑色の瞳にうごめくのは、紛れもなくアクアに対する恐怖だ。
「ユニシス……!?」
「アクアは……ぐちゃって壁に張り付いて……どう、なってんだ? こりゃ、夢か?」
 ユニシスは泣き笑いのような表情になった。理解の範疇を超える出来事に、彼の心は耐えきれなかったようだ。
 アクアは一瞬言葉に詰まるが、すぐに気を取り直す。
 今は、彼との関係が破綻したことを嘆いている時ではない。  
「……そうね。とびきりの悪夢かも……」
 彼女は抵抗する間も与えずユニシスを捕まえると、お姫様だっこの体勢に抱え持った。
「お、おい……!?」
 義妹の思わぬパワーに驚いたのか、ユニシスは目を白黒させる。
「だまっていて、舌かむわよ……」
 アクアが決然と言い放った時、肌を刺すような冷気が足下から昇ってきた。
 それが広範囲の空間を対象にした冷凍魔法の前触れと察するや、彼女は全力でその場から飛び退く。
 同時に極低温の旋風が、室内を席巻した。
 間一髪、崩れた壁から外に脱出するも、凍てつく死神の吐息から完全に逃れることはできなかった。
 右足の感覚が無くなり、足がもつれてその場に転倒する。
「きゃ!?」
 何事かと視線を下半身に向けると、スカートからのぞく右足が、驚くほど膨れあがって赤紫色になっていた。
 これは重度の凍傷の症状である。体内で結晶化した氷が体組織を壊死させ、足を使い物にならなくしてしまったのだ。
「アクア!? ……おい、なんだこりゃ、ひどい傷じゃないか!?」
 ユニシスが耳元でがなり立てるが、アクアは無視して片足で跳ぶ。
 一箇所にとどまっていれば、魔法の集中砲火を浴びることになる。まして、こちらが機動力を損なったことを知れば、魔獣はここぞとばかりにトドメを刺しに来るだろう。
 アクアは片足とは思えぬ機敏さで、その身を夜霧に変じたかのように駆ける。
 向かうは、魔法院の背後に広がる広大な森。樹木が密集しているため、雲を突くような魔獣の動きを制限し、足止めすることができるだろう。
「ユニシス、通信魔法で先生にれんらくをおくって……!」
 コレがアクアがとっさに考えた対策だった。
 魔獣を人気のない森に誘い出し、通信魔法で神殿に連絡を送って討伐隊をよこしてもらう。そうすれば、最小限の被害であの怪物を葬ることができるはずだ。
「どうなってんだ!?……おまえ、本当にアクアなのか!?」
 だが、恐慌をきしたユニシスは、彼女の意を汲むどころか詰問してきた。
 激しいいらだちを覚えると同時に、胸の奥を針で刺されたような痛みが走る。
 今日限りで、彼との兄妹ごっこもお終いである。
 ……いや、もしかしたら2人仲良く命までお終いかもしれない。
 凍傷を負った右足は、予想に反してすぐに回復しなかった。
 右足全体が極低温に保たれているため、復元された細胞がすぐに壊死してしまうらしい……
 虎の子の復元能力が満足に機能しないことに、アクアは泣きたい気分になった。
(……このままじゃ、このままじゃ、まずい……!)
 もともとの戦力差に加え、ユニシスまで抱え、しかも右足が使えなくなってしまったのでは圧倒的に不利と言わざるを得ない。
「つべこべ言わずにはやくして……! ホントにころされるわよ!?」
「だけど……!」
 なおもしつこく食い下がってくるユニシスに、アクアは殺気混じりの声を叩きつけた。
「……うるさいわね。男がつまらないことで、ガタガタいわないの!」
「わ、わかった! やる、やるよ!」
 義妹の迫力に気圧されたのか、ユニシスはヤケクソ気味に承諾する。
 彼とて、今なすべきコトはアクアの詮索ではないことぐらいわかっているのだろう。そのまま目を閉じて息を整え、瞑想の状態に入っていく。こんな状況では、冷静に呪式の演算構築などできないだろうが、ここは彼に賭けるしかない。
「……がんばってねユニシス。仮にも大魔導師ヨハン・ハーシャルの一番弟子なんだから」
 軽口にも似たエールを送りつつ、アクアは森へと突入した。
 乱立する樹木を、片足だけのステップで軽快に避けながら、風のように前と進む。濃厚な闇に包まれた夜の森も、超感覚を備えたアクアにとっては何の障害にもならない。
 その時、彼女の鼓膜を、津波のように迫り来る轟音が叩いた。
 何事かと背後を見やると、進路上に立ちふさがる樹木を猛然となぎ倒して、黒い獣が一直線に向かって来るではないか。
 理不尽に命を刈り取られる木々が奏でる絶叫が、アクアの心を芯から凍えさせた。
 甘かった。
 密集する樹木が、あの巨大生物の足止めになるなどとは、とんだ浅はかな考えだった。
 行く手を阻む物は、なんであろうと粉砕して省みない、そんな狂った奴らなのだ。こいつらは!
 
 ォオオオオ!!

 夜の森に響き渡る魔獣の咆哮。
 その瞬間、演算に数時間を要するような複雑な呪式が一瞬にして組み上げられ、一部の遅滞もなく作動する。
 アクアの周囲を、魔法によって生みだされた6つの巨大な火球が取り囲んだ。火球に触られた樹木は、一瞬にして炭化されてしまう。
 離れていても肌を焦がすような熱に、彼女は息を呑んだ。

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