ファンタスティックフォーチュン2 2次創作アロランディアの凶星
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プロローグ
「星の娘候補、アクアで間違いないな?」 男の声は謳うように軽かった。わずかな殺意の重みさえない…… あるいは殺す相手を人として認識していない声。 アクアは死刑台に繋がれた生け贄さながらに襲撃者を見上げる。 まぶたを縁取る長い睫毛、すっと通った鼻筋と引き締まった唇。そして、それらを囲む儚げで繊細な輪郭――相手は美姫と見紛うような美しい少年だった。 しかし、その顔に張り付いているのはデスマスクにも似た無表情である。同じ人間とはとても思えない。まるで墓場から蘇った悪霊だ。 「うう……っ」 アクアは灼熱の激痛を訴える腹部を両手で押さえていた。 今し方、この男に短剣で刺されたのだ。異物に蹂躙された腹腔は、とめどなく鮮血を噴出し、今日のためにおめかししたシフトドレスを真っ赤に染め上げている。 「ちがう……人ちがいよ……おバカさん」 アクアはなけなしの勇気を振り絞って、皮肉げに唇を釣り上げた。 銀髪を黄色のリボンでツインテールにしたアクアは、13歳という年齢よりはるかに幼く見えるとよくからかわれた。 そんな自分に愚弄されるとは、まさかこの少年も思ってはいまい。対して意味のない行為だが、ほんの意趣返しだ。 「そうか」 しかし、彼の無表情は小揺るぎもしない。初めから確信を持って襲ってきたのか、それともどちらでもよかったのか…… 「では、逝け」 一分のためらないもなく、彼は無慈悲に短剣を振り上げる。 死。 数分前まで考えもしなかったが単語が、圧倒的重圧となってアクアの心身を押しつぶした。 この襲撃者にとって、自分の命など虫けらと同列かそれ以下でしかない。この男は、野菜を切るほどの手軽さで、自分を切り刻むだろう。そう確信したとき、恐怖は呪縛と化す。 何も考えられない…… 魔法院長ヨハンをして天才と言わしめた彼女の頭脳は、降って湧いた生命の危機にまったくの無力だった。 「た、たすけて……先生」 引きつった悲鳴をあげる。もはや意地を張り通すことなどできなかった。よたよたと千鳥足になりながら、アクアは後ずさる。 そのとき、ひときわ大きな歓声と共に、夜空に花火が散った。闇を駆逐する閃光が、地上を白く塗りつぶす。 今夜は年に一度のアロランディアの建国祭。その乱痴気騒ぎは、夜を徹して続けられる。磯風に乗って喧噪がこの裏路地にまで響いてきた。 すぐそこ、走って到達できる距離に、掃いて捨てるほど大勢の人間がいる。だが、夜空を彩る光のページェントに夢中になっている人々は、誰1人として裏路地で行われている殺人劇には気づかない。 短剣が振り下ろされた。 極彩の光に濡れる凶器の軌跡を、アクアは引き延ばされた時間の中で見る。それは永遠にも等しい恐怖の瞬間。 視界が真っ赤に焼けた。 吹き出した鮮血が眼前を覆い、それ以外の色を奪う。 凶刃は少女の左胸――心臓に突き立った。 「……ヨハン先生」 愛しい人の幻影を護符のように胸に抱きながら、アクアは底なしの深遠へと落ちていった。 1話 墜ちた星 「まさか、星の娘候補が暗殺されるとは……なぜ彼女を1人にしたのですかヨハン殿?」 男の声は深沈と落ち着いていたものの、やりきれない怒りを孕んでいた。 (……あんさつ?) 茫洋とした頭の中で、アクアはその言葉を反芻する。 意識を取り戻すと同時に、なにか自分の周りで激しく言い争うような声が聞こえてきた。静謐を好む彼女にとって、それは不快以外のなにものでもない。 (うるさい……静かにして) しかし、声を出そうにも、なぜか喉が動かなかった。 「……申し訳ありません」 そう答えるバリトンは、絶望と自己嫌悪を映してこれ以上ないほど震えていた。 「まさか、ちょっと目を……目を離したすきにアクアさんが、こ、こんな目に会うなんて……私は、私は……」 それは、アクアが密かに好意を抱いてる魔法院長ヨハンの声だった。三十路前の若さながら、アロランディアの魔法使いたちの頂点に立つ男。彼の泣き崩れんばかりの様子に、アクアの胸は万力で締め付けられたように痛む。 (先生……どうしたの? なんでかなしんでいるの?) すぐに起きあがって、彼を励ましたかった。力になれずとも言葉を投げかけ、色を失っているであろうその顔を和ませたかった。 ヨハンは海で遭難して記憶を失った自分を助けてくれた、恩人にして恩師だ。行く当ての無い自分を我が子のように慈しみ、育ててくれている彼にはいくら感謝してもしきれない。無論、それはアクアが『星の娘』となる資格を持っていたという理由に起因しているが、彼の行為には無償の愛が感じられた。 その恩に少しでも報いたい。そう切実に願うものの、アクアの四肢は地面に縫いつけられたかのごとくピクリとも動かない。 いや、それどころか、両手両脚がそこにあるという実感そものもが無かった。頭から下の感覚は重厚な闇に呑まれて消え去っている。 戦慄と共に、気を失う寸前の光景が脳裏に蘇る。あのとき、確かに自分は短剣で刺された。それも急所中の急所、左胸への一撃だ。 (……わたし、どうして生きているの?) なぜ、自分がこの世にいるのかアクアには理解できなかった。 どんな治癒魔法の達人だろうと、心臓に穴を開けられた人間を救うことなどできはしない。理解の及ばぬ事態は不安を呼び、不安は恐怖となって、少女の胸を席巻する。 「すぎてしまったことは仕方ありません。とにかく今は残る最後の候補、マリン殿の身を守ることこそ焦眉の問題です」 淡々と事後対策を口にする男の声がアクアの耳に届く。 それはラーハ神殿最高位の位階に属する神官剣士ソロイのものだ。この国の王であるプルートの右腕とも呼ばれる男である。 「アクア殿を手にかけた賊の狙いは、星の娘候補の抹殺と見て間違いないでしょう。おそらくは、我が国の主柱を折らんとするいずこかの国の刺客だと思われます。早急に計画を実行に……」 「それでアクアさんを悪魔に差し出すというのですか!? こんな年端もいかない少女にそんな恐ろしいことを!」 ソロイの言葉を遮って、血も吐かんばかりにヨハンは彼を糾弾する。 温厚な性格のヨハンが、ここまで激情を剥き出しにするのは初めてのことだ。その言葉の不穏さと相まって、アクアは飛び上がらんばかりに驚き、彼の顔を見てみたい衝動に駆られた。 しかし、ぼんやりとした視界に映るのは、複雑に入り組んだパイプが走る天井だけ。横を向こうにも、首の感覚がすっぽり抜け落ちており、意のままにならない。重度の不具者にでもなった気分……いや、その想像はあながち間違いではないだろう。どんな奇跡が起きたのかはわからないが、あの状況から五体満足で生還できたと考える方が不自然だ。 「これは神殿の決定です。神の生まれ変わりである『星の娘』は、我が国の信仰と国力の主柱。その存在があるからこそ、アロランディアは、これまで大陸列強の侵攻を跳ね返してこれたのですよ?」 反駁するソロイの声にひるんだ様子はいささかもない。私情を交えず冷静に事実のみを突きつける。 「アクア殿はお亡くなりになり、これで『星の娘候補』はマリン殿ただお一人になってしまいました。神が『星の娘』に降臨される預言の日まで後半年……それまで、なんとしてもあの御方を守り抜ぬかねばなりません」 『星の娘』とは神の生まれ変わりとしてここアロランディアで崇められている巫女姫だ。『星の娘』は神より与えられた万能の神通力によって、あらゆる災いから人々を守り導いてきた。 今回、先代の『星の娘』が崩御したのをきっかけに、新たな『星の娘』の選定と教育が行われていた。『星の娘』となる資格を持った女児は、その身体に星形の痣を持つ。過去数年に及ぶ捜索の結果、次世代の星の娘候補として見つかったのはマリン=スチュワートという孤児の娘と、海で遭難しているところを助けられたアクアだけだった。 彼女らは星の娘となるべく、お互いに切磋琢磨することを義務づけられて過ごしてきた。神がどちらかの肉体に降臨すると預言された運命の日を信じて…… 「た、たしかにその通りです。しかし、こんな神をも恐れぬ所行で『星の娘』を守ろうなどと……本末転倒ではありませんか! それで信仰が守れると!?」 ヨハンはトーンを落としながらも、必死でソロイに噛みつく。 「率先して『エノクの魔法』の解明にあたっていたあなたが、いまさら私に説法とは片腹痛いですなヨハン殿? 誰よりも神を冒涜してきたあなたが、いまさら神を語ろうなどとは笑止。そんなにこの娘が大事なら、なぜ守り通さなかったのです?」 悪魔に差し出す? エノクの魔法? 神を冒涜? 自分が死んだ? アクアには彼らの会話が半分も理解できなかった。自分を置き去りにして進行する言葉の応酬に歯がゆさを覚える。 「さきほども申しましたが、すでにこの件はプルート様も了承しています。アクア殿。いえ、この人形には、『星の娘』の影武者として影に日向にマリン殿の身を守っていただかねばなりません。マリン殿に余計な気苦労をかけず、また民心の不安を煽らずにコトを収めるのにはコレが最良なのです。なにより、アクア殿を監督不行届で死なせたなどということが公になっては、魔法院の存続にそのものに関わるでしょう?」 「あなたという人は……!」 揶揄するような相手の口調にヨハンは切歯した。 確かにそんな不祥事が白日にさらされれば、アクアの教育にあたっていた魔法院そのものが責任を厳しく追及されるだろう。ただでさえ、大陸の異文化である魔法をこの国の民はこころよく思っていないのだ。これを契機に魔法院を解体しようとする動きが顕在化するかもしれない。 (……2人とも、さっきから、いったいなにをしゃべっているの……!?) だが、アクアには自分が死んだなどとは、どうしても信じられなかった。 我思う、ゆえに我有り。彼女はこうして2人の会話を盗み聞きしている。それは、まだアクアが天に召されていない何よりの証拠だ。 アクアは必死になって四肢に力を込めようとする。いますぐ起きあがって、元気な姿を2人に見せればすべてが丸く収まるだろう。しかし、やはり彼女の肉体は意志の求めに応じない。まるで全身の神経の糸が切断されてしまったかのようだ。 「それに、これは今までの研究成果を試す絶好の機会です。人体実験など、そうそうできるものではありませんからね。アクア殿は星の娘にこそなれませんでしたが、このアロランディアに光をもたらす希望の星となるでしょう」 「……私はアクアさんを不幸にするために研究を続けてきたんじゃない……!」 ヨハンの呟きは、無念に彩られていた。自責、絶望、後悔、悲哀、あらゆる負の感情が彼から噴出するのが見て取れるかのようだ。 アクアは雷に打たれたように息を呑む。彼らの会話はまるで要領を得なかったが、自分の不徳がヨハンを苦しめていることだけは痛いほどわかった。 「偉業の前に犠牲はつきもの。いずれ誰かを生け贄に捧げることは予定の内だったはず。今回、たまたまあなたが育てていた娘に白羽の矢が立っただけではありませんか?」 ソロイは、ヨハンの懊悩など歯牙にもかけず冷然と言い放つ。 「とにかく一度動き出した歯車はもう止めようがありません。アクア殿の魂は反魂の術により、すでにこの肉体に舞い戻っております。あなたがいくら喚こうが、もはや不可逆の変質ははじまっているのですよ」 「アクアさん、どうか、どうか……私を許してください!」 ヨハンは、恥も外聞もなく声を張り上げて泣き出した。 ソロイはそんな彼を無視して、アクアの仰臥する寝台に近づく。 「さて、アクア殿。長い間、星の娘候補としてのご勉学ご苦労様でした。この上は、『アロランディアの凶星』としてさらなるご活躍を切望いたします」 ソロイはアクアを見下ろして、非の打ち所のない辞儀をした。三日月型に歪んだその唇が、とても禍々しいものとしてアクアの目に焼き付いた。 「そう、わたしはしんだのね。それなら……このあつかいにも納得ができるわ」 アクアはなすがままにされながら、諦観の呟きを吐く。 身体を切り刻まれ、内臓をいじり回されるというのはとかく不快な体験である。 唯一の救いは、もはや痛みを感じなくなっていたことだ。魂と肉体の再結合が進められた結果、五感は生前と同じように蘇ったが、痛覚だけは例外だった。痛覚は生物にとって死から逃れるための重要なシステム。死そのものを超越してしまった自分には無用の長物ということらしい。 今にいたってアクアはすべてを理解していた。この国の支配者たちは、死んだ自分を怪物として蘇らせようとしているのだ。 「相変わらず呑み込みが早いようでなによりだ、アクア。どうやら、脳細胞の死滅は最小限に抑えられたようだな」 手術に立ち会っていたソロイが満足そうに頷いた。 笑って見せたら男も女も魅了されるであろう、浅黒い精悍な顔立ちの男性である。もっとも、愛想のないその顔が笑顔に変わった瞬間を見た者は誰もない。ひたすらストイックに、この国のためだけに生きてきたこの男は、喜怒哀楽を表に出すことを知らないのだ。 剣士の理想体型を絵に描いたようなシャープなボディラインが、彼の謹直さと忠実ぶりをなにより雄弁に物語っている。毎日の鍛錬と規則正しい食事制限によって研磨された肉体。騎士と神官の最高位にまで上りつめながら、なお鉄の意志力で彼は修練に励んでいた。 「……そうね。えほんに出てくる『あんでっともんすたー』って、たいてい脳みそまで腐ったおばかさんばっかりだから。わたしもそうなったらどうしようかとひやひやしていたわ」 「そんな愚かなマネはせんよ。自分で状況判断を行って的確に行動し、かつ経験を重ねてより優秀な戦士に成長していく不死身の兵士……それが私の理想とするところだ」 アクアの強がりもこの男にとっては糠に釘だ。 少女の身体に魔法デバイスを埋め込んでいた魔導師たちが怪訝な面持ちになる中、ソロイの鉄面皮は微動だにしない。倫理も道徳も通じないところに彼の行動原理はあるのだ。 「お前たち、手を休めるな。時間が無いのだ。病気療養中ということにしているが、あまり長いこと候補様を隔離していては変に勘ぐる者が出てくる」 ソロイに叱咤されて、魔導師たちは怯えたように作業を再開する。 アクアを人間とは思わず物として扱えと、彼らはソロイに繰り返し厳命されていた。しかし、それでも数日前まで星の娘候補として敬ってきた少女をモルモットとして見るのは抵抗があるのだろう。魔導師たちは従順に施術を行いながらも、ときおり渋面を浮かべていた。 ラーハ神殿の地下で繰り返し行われてきた禁断の魔法研究。その最初の人体実験の対象に『星の娘候補』が選ばれるとは誰が想像しただろうか? 「そうよ。わたしがいないとヨハン先生やマリンがしんぱいするし……なるべくはやく動けるようにしてね」 アクアは退院を待つ病気患者さながらに、脳天気な口調で言う。 自分は死んだ。それは覆しようのない事実だ。そして、再びこの世に呼び戻され、人ならぬ怪物として復活しようとしている。悲しいが、それは自分ではどうしようもないことである。それなら、あれこれ悩んでも仕方がないとアクアは達観していた。 たぶんに強がりを含んだ達観だったが、それでももう一度ヨハンと暮らせるのなら悪いことではないと思った。 例えこの身が魔に墜ちようとも、ずっと彼のそばにいることができるのなら…… 「アクア、わかっていると思うが、おまえの使命はマリン殿の警護とゴミの排除だ。マリン殿のお命を狙うであろう不逞の輩を見つけだして抹殺しろ。その際は、くれぐれもおまえが怪物となったことを人に知られることのないよう気を付けるのだぞ」 「……わかっている。みんしんの不安をあおらないようにでしょ?」 甘美な妄想を邪魔され、アクアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。 闘争とは無縁の生活を送ってきた彼女だったが、暗殺者と戦うことに異存はなかった。自分を殺し、あまつさえマリンさえも手にかけようとしている者にかける情けなど無い。新しい命と共に身体に息づいた恐るべき力を、彼女は認識していた。この力さえあれば、もう何者にも膝を屈することはないだろう。 「それに、わたしにだけ仕事をさせないでよね。……『星の娘候補』をまもるのは、ほんらいあなたたち騎士のやくめよ」 「心得ているさ。ゴミは1匹残らず排除する」 ソロイは帯電するような殺意をみなぎらせて答えた。 「……ほんとに生きかえってしまったわね」 姿見の前に立って、アクアは感嘆の吐息をつく。 精緻な銀細工に囲まれた鏡面が映し出すのは、愛らしい少女の姿だ。 銀嶺のごとき艶を放つ銀髪を、黄色いリボンでポニーテールにし、ノースリーブのワンピースの上から水色のローブを羽織っている。 触れれば吸い付くような瑞々しい白い肌も、アメジストの光彩を宿した瞳も健在だった。 頬をさわってみれば、柔らかな弾力と共に皮下を巡る血のぬくもりをが感じられる。死したハズの身体に、確かな生命の息吹が備わっていた。 「ここもきれいになっているし……」 服を引っ張って胸元を覗き込むと、膨らみはじめたばかりの2つの丘陵がそこにある。左胸に穿たれたはずの傷跡は影も形も見あたらない。思わず安堵の息が漏れた。 死者を復活させるという反魂の術。それは、神を冒涜する最大の禁忌として、しばしば絵本にも登場していた。 たいてい邪悪な魔法使いか、悪魔が使用するものである。それによって復活した者は、神の摂理をねじ曲げた反動によって魂が変質し、生者に対して異常な攻撃性を持つ。しかも、術の行使に時間がかかることからその肉体は腐乱し、見るもおぞましい生きる屍となるのが常だった。 今のアクアは、そういったアンデットと呼称される怪物そのもである。 彼女にとって最大の懸案事項は、自分が正しく自分のまま復活できたか否かであった。身体が醜くただれていたり、精神に異常をきたしたりしていないか不安でたまらなかった。もし、そんな事態に陥っていたら、ヨハンの前に再び立つことなどできはしない。 見るもおぞましい姿となった自分を見て、彼がどんな顔をするか想像するだけでも気が変になりそうだったし、ヨハンに襲いかかってその血肉をむさぼるようなことをしでかしたら……100万回自殺しても悔やみきれない。 「……どうやら、だいじょうぶみたいね。ぶい」 だが、そういった心配は杞憂だったようだ。アクアは会心の笑みを浮かべてガッツポーズを取る。 身体のどこにも異常は見られないし、おかしな衝動を覚えたりもしない。唯一、目に見える変化があったとすれば右手の平にあった聖痕が消え去っていることだ。『星の娘候補』の証である星形の痣。どんなに風呂場でごしごし洗っても落ちなかったそれが、きれいサッパリなくなっていた。怪物となった自分には神のよりしろとなる資格など無いということだろう。 「加減はどうだ?」 その時、ノックも無しにドアが開かれソロイが顔を出した。 「……れでぃの部屋にはいるのに不作法ねソロイ」 「レディ? はて、この部屋は神殿の資財置き場。そんな高尚な御仁など、どこにもいらっしゃらないが?」 忠告を真顔で切り返され、アクアは面食らう。そう、この男にとってもはや自分は人間ではなく、命令通りに動くマリオネットでしかなかったのだ。 「自分が人間などと思っては困るなアクア。おまえは私の道具。私の奴隷。いまだ自我を残しているのは、その方が便利だからにすぎん。」 ソロイは凍てつくような眼光で彼女を突き刺す。 「加減はどうだと聞いたのだ。マスターの問いに答えろ」 アクアは目を伏せて沈黙する。屈辱に全身が火のように熱かった。 あまりにひどい物言いではないか? すでに彼の態度の変化には慣れたはずだったが、自身の尊厳を踏みにじるような言動に彼女の腸は煮えくりかえった。 「なんだその態度は?」 アクアは俯いたまま答えない。もし口を開けば、痛烈な悪罵が噴き出すことがわかっているからだ。 彼女はプライドが高い。他人から不当な扱いを受けて、黙って堪え忍ぶことができるような器用な性格はしていなかった。 「星の娘候補とおだて上げられて天狗になったか? どうやらおまえには、再教育が必要なようだな」 ソロイの手が腰に釣った軍刀に伸びる。翻った銀光がアクアの目と鼻の先に突きつけられた。 「『無限心臓』を核とした賦活能力(リジェネレーション)システムの性能のほどを試してみるか……」 「何をしているのですかあなたは!?」 その時、扉を粉砕せんばかりの勢いで長身の青年が怒鳴り込んできた。 肩で息をし、厚手のケルトローブを上下させている彼は魔法院長ヨハンだ。眼鏡をかけた瓜実顔が、灼熱の怒気に紅潮している。 「……先生!」 その姿を見た瞬間、アクアの視界は彼にのみ焦点を合わせ、それ以外のモノを閉め出した。 目に入るけど見えていない。ヨハンを除くあらゆるものが、重要度の低い情報となって意識の表層を上滑りしていく。 「アクアさん」 すべての不安を、すべての恐れを拭い去るに足る、温かで力に満ちた声。 弾かれたようにアクアはヨハンに抱きつく。安堵と共に彼女の胸は、爆発的に膨れあがった喜びで満たされた。じんわりと伝わる彼の体温を全身で甘受し、酔いしれる。 「ぬぁぐぁああああ!」 絶叫が轟いたのはその時だ。 驚いて見上げれば、ヨハンが口から泡を吹いてる。白目を剥いたその表情から危機的状況であることが一目で知れた。 「せ、せんせい……!?」 「馬鹿者、ヨハン殿から手を離せ!」 叱咤と同時にアクアは床に殴り倒された。 容赦のない鉄拳を少女に見舞った神官剣士は、そのままヨハンに治癒魔法をほどこす。独特の韻律を踏んだ呪文が、手狭な資財庫に朗々と響いた。 「わ、わたし……わたし……」 拳よりなにより、己のしでかしたことの重大さに、アクアは打ちのめされた。 生まれたての子鹿のようにヨロヨロと立ち上がる。あわや教え子に絞め殺されそうになったヨハンは、気を失ってソロイに身体を預けていた。 罪悪感がどんな責め苦よりも深く、アクアの心を抉った。生前とは比較にならないくらい増大していた己の膂力を自覚しない軽挙が、彼を傷つけてしまったのだ…… 「なにをしている。お前もヨハン殿の治療を手伝え」 いらだたしげなソロイの声が、アクアの意識に活を入れた。そう後悔より先に、成すべきことがある。 彼女は大慌てでヨハンに取りすがって治癒魔法の詠唱に入った。 「精霊の息吹よ、か、彼の者の傷を……」 だが、気ばかり焦っていっこうに魔法を発動させることができない。 魔法を操る要訣は「意志」と「想像力」である。魔力で構築した呪式を因果律に強制介入させ、世界へ術者の意志と想像力を割り込ませる――それが魔法だ。つまり「意志」と「想像力」というメンタリティの部分が弱ければ、魔法は具現化しないのである。 アクアの心は激しく動揺し、カオスの様相をていしていた。こんな精神状態では、例えどんな完璧な呪式を編み上げても用をなさないだろう。 「……せんせい、せんせい!」 焦りと動揺のスパイラルに陥ったアクアは、涙腺を全解放して泣きたくなった。 「だ、大丈夫ですよ……」 ヨハンの口が開いた。アクアは、驚きに息を呑む。 「すみません。驚かせてしまって。突然アクアさんに抱きつかれてビックリしてしまっただけです。いやあ、めんぼくない」 彼は脂汗を流しながら、必死に笑顔をこしらえる。無理をしているのは、明らかだった。 「ヨハン殿。腰骨にひびが入っているようです。私の治癒魔法では応急処置にしかなりません。馬車を用意させますので、早急に病院に……」 「あ、そうそう、そうなんですよ。実は、さきほど階段から転げ落ちて腰を打ってしまいまして、痛くてたまらなかったのです」 痛々しいほど陽気に振る舞う大根役者。アクアの涙の堤防はとうとう決壊して大洪水を起こした。 「……先生、ごめんなさい。わたしのせいで……」 「何を言っているんですが、アクアさんのせいなんかじゃありませんよ。私が単に無理をしていただけです」 さも心外そうに言い放って、ヨハンはアクアの頭を撫でた。 手を通して彼のやさしさが伝わってくる。その温もりは、吹雪の中で出会った灯火のようにアクアの心を慰撫した。 「相変わらずその娘には甘いのですねヨハン殿」 ソロイが眉根を寄せながら口を挟む。 「ですが、アクアの取り扱いには注意してください。百も承知かと思いますが、ソレは人間の規格を大きく逸脱した存在です。いまのように、ものの弾みで他人を殺してしまうことがありうる」 酷薄な宣告。だが、それは紛れもない事実だ。現に今し方、この世で一番大切な人を絞め殺しそうになった。 自分は人間ではなく怪物…… それを肝に銘じなければ、また誰かを傷つけてしまうだろう。 「そんなことありません。大丈夫ですよ。ね? アクアさん」 「……え。うん」 ワンテンポ遅れてアクアは頷く。これから、自分は再び人間として暮らしていけるのだろうか? 群雲のように広がる不安に、彼女は怯えた。 2話 アンヘルの少年 「さて、アクアさん。これから快気祝いにレストランでお食事でもどうですか?」 痛々しく杖を突きながら、ヨハンは柔和な笑みをこぼす。 ソロイからの申し出を断り、彼はアクアと共に歩いて家路につくことを強行したのである。あくまで自分の傷は大事無いと言い張るヨハンに、とうとうソロイとアクアも根負けし、彼の主張を受け入れた。もっとも、彼ほどの魔法使いなら、歩きながらでも恒常的に治癒魔法を発動させ、骨の損傷程度なら治してしまうだろう。 それにしても、この笑顔は反則だとアクアは思う。急に跳ね上がった心臓の鼓動を押さえつつ、彼女はさも訝しげな目で師を見上げた。 「……弟子を誘惑しているの先生?」 「ととっ、そんなつもりはありませんよ。」 「じゃ、心にやましいことがあるとか?」 「ええ、それについては釈明できないほどいっぱいありますが……」 師の温顔が滑稽なほど引きつったのを見て、アクアは今の軽口が失言をだったことを悟る。 彼女は、ここ数日の間にこの国の恐るべきの暗部を見てきた。そして、それにヨハンが深く関わっていることも察しがついている。ここで、そのすべてを暴露してもらいたいのが本音だが、そんなことをして彼の立場を悪くすることは避けたかった。 「……わかったわ。じゃ、先生のゆーわくにのってあげる。でも条件は、オムライスにすとろべりぃしゃんてぃでらっくすよ。びし」 「はいはい。なんでも構いませんよ。お財布が空になるまでつき合ってさしあげます」 「いいどきょうだわ、先生。男に二言はないわね……」 「ううっ、すみませんアクアさん……お手柔らかにお願いします」 アクアの言葉のジャブには耐えきれなかったのか、ヨハンは涙目になって空を仰いだ。 なんのことは無いいつも通りのやり取り。疑いもなく続くはずだった、当たり前に日常。でも、これは神の理に背くことで手に入った貴重な一瞬だ。 アクアは何げない風を装いながらも、その幸せを噛みしめる。 怪物となった我が身の不運を呪いもしたが、今は再び手に入れた命に感謝していた。こうやって、ヨハンの声を、体温を、その存在を感じ取れるのは生ある者のみの特権である。 「せんせい。手、つないで……」 「はい」 さりげなく切り出したその申し出を、ヨハンは快く受け入れてくれる。 繋がる手と手。2人の絆を視覚化するように、お互いを結びつける。この手をいつまでも放さないでいたかった。 だが、残念なことに、アクアの密かな願いは物の数秒もしないうちに打ち砕かれる。 「ああ! おまえ、なに先生と手なんて繋いでいるんだよ!?」 誰もが振り返るほどの無遠慮な怒声を発し、肩を怒らせて歩み寄ってくる少年がいた。 木漏れ日を束ねたような見目鮮やかな金髪に、端正な顔立ち。体つきは、一見すれば少女と見紛うほど線が細い。しゃっれけのない作業着に、横柄な言葉使いから少年と判別することができるが、ドレスでも着せて黙らせれば十分に美少女と言って通る容姿である。 「……なんで、ユニシスがこんなところにいるのよ?」 先生と2人だけの世界を満喫していたアクアは、そのお邪魔虫に剣呑な視線を向けた。 彼はユニシス=ハーシャル。ヨハンが我が子同然に育てているアンヘル種族の子供だ。いわばアクアとは血の繋がらない兄妹といった間柄である。 アンヘル種族は、思春期になるまで性別が定まらない珍しい種族だ。今年で14歳を迎えたユニシスは、いまだ性別がハッキリしない未分化の状態であったが、男言葉に男物の服装を好んで使っていたため、周囲から少年と認識されていた。 「なんでって、当然じゃないですか? アクアさんの快気祝いは家族みんなで行わないとね」 さも当然といったヨハンの説明に、アクアは愕然と彼を見上げる。2人っきりの食事というシチュエーションに胸を躍らせていたというのに、これでは台無しではないか。 「そんな聞いてない……」 世界の終わりでも告げられたように彼女はがっくりと肩を落とした。 「おい、アクア。おまえ、まさか俺をのけ者にして、先生と2人だけで食事をしようなんて考えていたのか!?」 ユニシスは、怒鳴り声を上げながら強引にアクアとヨハンの間に割って入る。ヨハンとの繋がりを断たれたアクアの不機嫌レベルは、一気にマックスにまで跳ね上がった。 「……そうよ。悪い?」 「あ、当たり前だろうが! いいか、先生はお前のもんなんかじゃないんだぞ!」 アクアとユニシスは真っ向から睨み合う。空中でぶつかり合う視線が激しく火花を散らした。 本当にコイツはお邪魔虫だとアクアは思う。 ユニシスは、希少種ということから見せ物小屋で奴隷同然に扱われていたところをヨハンに助けられた。それ以来、彼はヨハンを親以上に慕っており、つい最近一緒に住むことになったアクアに姑もかくやの敵愾心を向けてくるのだ。 さらに頭が痛いことにアンヘル種族は、初恋相手の性別に合わせて雌雄が決まるという。つまり、ヨハンにぞっこんのユニシスは女性になる可能性が高かった。そうなったら、アクアにとっては脅威である。ユニシスはがさつで乱暴だが、外見だけは悪くない。 「こら、ユニ。やめなさい。アクアさんは病み上がりの身なんですよ?」 ヨハンは、目に怒りの火を灯してきつく言い放った。 「だ、だって、先生……こいつが」 子犬みたいに身を縮まらせながら、それでもユニシスは恨みがましくアクアを一瞥する。 「あなたはお兄さんでしょう? 少しは譲歩するということを覚えてください。まったく」 「うっ……!」 やんちゃなユニシスもヨハンにだけは逆らえない。言葉を詰まらせて後ずさる。アクアは溜飲が下がる思いでそれを見つめていたが、彼らの絆の深さを再認識させられ、複雑な気分になった。 ヨハンはユニシスのことを『ユニ』と愛称で呼ぶ。対して、自分には『アクアさん』だ。星の娘候補という身分からの敬称かもしれないが、他人行儀な響きは否めない。それが少し悔しかった。これだけ自分はヨハンが好きなのに、ヨハンは自分だけを見てくれるわけではない。 「……そうそう」 もって行き場のない想いの当てこすりとばかりに、アクアはヨハンにしがみつく。 「ああ! コイツ、先生から離れろって言っているだろう!?」 「いってない」 ユニシスの麗貌が怒気に沸騰する。アクアの首でも絞めかねない迫力だ。 「ユニ! アクアさんも! どうしてあなたたちは仲良くできないんですか!?」 堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりの叱責が響いた。2人はシュンとなるが、相手を突き刺す視線の斬り合いは続けている。 人目を気にしない往来での兄妹喧嘩に、周囲の人々もあきれ顔だ。 「それよりユニ。あなたは、アクアさんに渡す物があったんでしょ?」 ヨハンは嘆息しつつ、ユニシスになにか促す。 彼は一瞬、鼻白んだように目を瞬くと、ことさら悪意を込めたような舌打ちをした。そして、無造作に肩に掛けていたバッグから包みを取り出す。 「……なによ、これ?」 鼻先に突きつけられた包みに、アクアは眉をひそめる。視界いっぱいに広がったそれは、可愛らしいリボンのラッピングがされたドッチボールほどの大きさの袋だった。 「お、おまえにやるよ。あ、開けて見ろ」 アクアから視線を逸らしながら、ユニシスはぶっきらぼうに言い放つ。その頬はなぜか桜色に染まっていた。 一瞬、新手の嫌がらせを連想したアクアだったが、ヨハンも承認しているらしことから彼を信用してみることにした。包みを受け取ると、リボンを解いて中身を取り出す…… 「え? これって……」 中から現れたのは、つぶらな瞳をしたティディベアだ。それは、以前からアクアが欲しくてたまらなかったものだった。 「お、お見舞いにやろうと思って買ったんだよ、そのクマ! お前、いつもぬいぐるみ屋の前で、物欲しそうにそいつを見ていただろう? でも、ソロイ様が面会謝絶だって言ってアクアに会わせてくれないから……」 ユニシスはめずらしくどもりながら、言い訳でもするように捲し立てた。アクアは建国祭の夜に重病で倒れ、神殿の隔離病棟で特務スタッフによる治癒を受けていたことになっている。 「それなら快気祝いのプレゼントにって、思ってさ。ま、まったく心配かけさせるなよな! ばか!」 ことさら語気を荒上げるユニシス。ころころと移り変わる彼の表情に困惑させられながらも、アクアは彼が自分を気遣ってくれていたことに気づいた。 「……ありがとうユニシス。だいじにするね……」 アクアは愛おしそうに、ぬいぐるみを掻き抱く。 その様を見たユニシスは火に触れたように驚き、顔を真っ赤なゆでだこ状態にしてしまった。いくらなんでも過剰な反応である。そんなに自分がプレゼントを素直に受け取ったことが意外だったのだろうか? 「良かったですねアクアさん。ユニも見直しましたよ」 「……え? いや、そうですか!?」 ヨハンに褒められて、ユニシスの表情が華いだ。その態度にアクアの嫉妬心が再び鎌首をもたげたが、今回だけは不問にすることにした。彼の優しさがこの呪われた生に、もう一つの存在理由を与えてくれたのだから。 こみ上げてくる温かな感情が心を浸すのを感じながら、彼女はもう一度胸中で感謝を呟いた。
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自分じゃ、さすがに批評できませんので(汗)。
布教活動
ファンタスティックフォーチュン2について。壊れ気味ゲームレビューです(笑)