スーパー村長

その7 エピローグ   

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 深い眠りの海より浮上する意識。
 白い靄がかかったような思考回路に、少女の声が流れ込む。
「……あっ、おじいちゃん!?」
「む、うう……」
 薄ぼんやりと瞼を開くと、瞳を潤ませた黒髪の娘が立っていた。
 悲壮な表情をたたえた彼女は、マーシャルの手を痛いほど固く握りしめている。
(アーヴィ?)
 ふいに、胸を去来する名。
 ひどく懐かしい響きを伴ったその単語は、次の瞬間、霧散する。そして、2度と結合しなかった。
「おじいちゃん!」
 感極まったように少女が、彼の首に抱きついてきた。
 決壊した涙の洪水が、頬に熱い雫を滴らせる。
「サ、サフィ……?」
 横たわるマーシャルに取り縋ったのは、彼の孫娘サフィだった。
 いつになく情熱的なスキンシップ。
 混乱にもまして、安堵と愛おしさが胸中にじんわりと広がる。
「どうしたのだ、何を泣いておる?」
 マーシャルは無限の慈しみを込めて、彼女の頭を撫でようとした。
 が。
「ぬぉおおおお!!」
 靱帯をねじ切るような猛烈な痛みが、動かした左腕を貫いた。
 あまりの激痛に、彼は向こう三軒家まで響くような絶叫を喉からしぼり出す。
「ああ、大丈夫!?」
 酸欠の魚のようにピクピクと痙攣けいれんする祖父に、サフィが慌てて告げる。
「動いちゃダメよ、おじいちゃん。魔術の反動のせいで、全身の筋肉が炎症を起こしているってアレスさんが言っていたの!」
「……な、なんじゃ、そりゃ?」
 彼女の言葉を証明するように、老いた総身が軋むように痛む。
 生かさず殺さず苦痛だけを永続させることに長けた、サディスト拷問官にもてあそばれているような感じだ。
 脂汗がどっと噴き出る。
 だがマーシャルは、不屈の精神力で顔が激痛に歪むのを押さえ込んだ。
 これ以上、無様にもだえるところ見せては、彼が構築してきた『威厳あるおじいちゃん』のイメージに傷が付く。
「とにかく安静にしていて。今、隣町までお医者さんを呼びに行ってもらっているから」
 降り注ぐ声は、天使の福音にも似てどこまでも耳に心地よい。
 彼を見下ろす孫娘の顔は、熱に浮かされたように火照っていた。まるで名誉の負傷を負った英雄を見るような、憧憬に満ちた目だ。
(はて。これは一体……どういうことじゃ?)
 マーシャルは思いっきり釈然としないモノを感じた。 
 次々に湧き上がる疑問が、激流となって胸中で渦巻く。
 寝室の状況に目を配れば、蟠る闇が、頼りなげに揺れる灯火に合わせて蠢いていた。
 ベッドから見上げる窓枠の向こう側は、悠久にして無限の星の海。          
 逢魔が時は終わったのだ。  
「サフィや。リリーアンは……村どうなったのじゃ?魔女めの生み出した雷球が落ちてくる辺りで、ワシの記憶はキレイさっぱりなのなくなっておるのだが……。それに魔術の反動とは、一体何の冗談かの?」
「え?」
 サフィは瞬間冷凍の呪文でも喰らったように表情を凍りつかせた。
 驚きに言葉も出ないのか、2度3度と唇を開閉し、そのまま行動停止すること3秒間……   
「おじいちゃん、何も覚えていないの!?」
「うむ」
 即答し、さらに質問を重ねるマーシャル。
「それに、何やら太鼓や笛の音が聞こえてくるのじゃが気のせいか?こんな時期に村祭りなど無かったはずだがの」
 「そ、それは『勇者アレス』を讃える宴だよ」
 なぜか、げんなりした顔で少女は応える。
 夜風に乗って、やかましい音楽や笑い声が寝室に侵入していた。
 解放的な男女の喧噪けんそうは、村という閉鎖環境の中でたまった日頃のうっぷんを、思う存分ぶちまけているような晴れ晴れしさがある。
「それはまた、村長のワシに断りもなく楽しそうな宴を……っと、そうかアレス殿がリリーアンとの戦いに大逆転勝利を収めたのか。そしてワシは、戦いの余波に巻き込まれて怪我を負ったと。そういうことか」
 与えられた情報から、マーシャルは合点の行く結論を導き出し、1人得心した。 
 あの圧倒的な戦力差を覆してしまうとは、アレスはまさに勇者の名を冠するに相応しい若者だ。
 彼に会えた僥倖ぎょうこう、そしてその偉業は後世まで語り継ぐべく、書物として書き残すことにしよう。そして村の伝説としよう。
「なに言ってるの!?リリーアンをやっつけたのはおじいちゃんで、アレスさんじゃないんだよ!みんな、それを勘違いして勝手に騒いで大変なの!」
 思案に耽るマーシャルの耳朶じだを、噛みつくようなサフィの大音声が打った。
 興奮に顔をわななかせる彼女の様子は、とてもあの病弱で大人しい娘とは思えない。
「はぁっ?。わしが《永久の魔女》を倒しただと……?そんな馬鹿なことがあるわけないじゃろ」
 マーシャルは面食らいながらも、失笑してそれを否定した。
 例え天地がひっくり返ろうとも、だたの老村長である自分に、最強の魔女を倒せる道理など無い。
「……本当に全部忘れちゃったの?」       
 サフィは悪い夢でも見ているような顔で問う。
 さびしそうに揺れる彼女の瞳に、胸が締め付けられるが、何も覚えていないのだから仕方がない。 
 だが、何だってサフィは、こんなちょっぴり爽快で荒唐無稽な絵空事を言うのであろうか?
 黙考するマーシャル。
 その脳裏に、ふいに天啓の稲妻が閃いた。
「ふむ、そうか!サフィお前は、いや、ワシらはひどく滑稽こっけいな幻を見せられていたのじゃ」
 自分の脳内で繋ぎ合わさった情報のジグソーパズル。それをろくろく吟味もせずに、彼は得意顔になる。
「幻?」
 目を瞬く少女。
 そんな孫娘にマーシャルは教壇に立つ学者よろしく、看破した(と思いこんだ)真実を開陳かいちんした。
「そう。すべては、アレス殿に恐れをなした魔物が、逃亡の時間稼ぎのために見せた幻じゃ!高位の魔物の中には、邪神に隷属してその恩恵に授かっておるモノがおっての。邪神の手足となる代わりに、様々な力を付与されておる」
 彼はいったん言葉を句切り、もったいつけるかのように頭を振る。
「つまり、リリーアンなど最初からいなかったのじゃ!ワシらの体験は、途中から魔物の生み出した幻にすり替えられていたのじゃ!。考えても見れば、あんな超大物の邪導師が、人口の少ない辺境の村落を襲うなど変な話だしの」
 村の防衛のため、外法の知識の研鑽けんさんに励んできた彼の見解にはそれなりに説得力があった。 
 サフィは、狐につままれたような思案顔になる。
 幻惑系の魔術は人間の感覚器官を巧妙に騙して、リアルな仮想現実を体感させる。
 その術中にはまってしまえば、例え第三者から真実を告げられたとしても、それを容易に信じることはできない。
 『百聞は一見に如かず』の格言にあるように、心理的に人間は、自分の目で見たものが間違いであるとは認めたがらないものだ。
「でも、そんな……おじいちゃんと魔女の頂上対決で生まれた破壊の傷跡はちゃんと残っているのに……」
 サフィも御多分に漏れず、しきりと首を傾げている。
「魔物どもとてプライドがあろう。ただ尻尾を巻いて逃げたとあっては腹立たしいから、意趣返しに手の込んだ嫌がらせをして行ったのじゃ。いまごろ、人間をまんまと騙してやったと、負け犬同士で喝采を上げておるかもな」 
 マーシャルは、孫娘の懊悩おうのうを吹き飛ばすように豪快に笑った。 
「ま、何はともあれ、一件落着じゃ。サフィ、お前も宴を楽しんでくると良い。勇者殿と語り合えるなど、滅多にある機会ではないぞ」
 本来なら村長である自分が、宴を取り仕切ってアレスを歓待かんたいせねばならぬところだが、この様な身では致し方ない。
 魔物退治の謝礼は明日、体調が落ち着いてから改めてすることにしよう。
 と、その時、バタバタと不作法に屋敷の廊下を走る足音が近づいてきた。
 おそらく、隣町の藪医者が押っ取り刀で駆けつけてきたのだろう。これで、この耐えがたい苦痛から少しは解放される……
「先生!起きていらっしゃいますか!?」
 蝶番ちょうつがいが弾けるほどの勢いで開け放たれる扉。
 飛び込んできたのは医者ではなく、切迫した様子のアレスだった。
「おお!勇者殿!」
 村を救った英雄の登場に、マーシャルの顔が歓喜にほころぶ。
「貴殿のご活躍によって、我が村は救われました。まさに感謝の言葉も……」
「先生まで何をおっしゃってるんですか!?」
 村長の謝辞を遮り、勇者は泡を食って叫んだ。端正な顔が、激情に熱く紅潮する。
「リリーアンとの戦いの後、先生は突然老人に戻って気絶してしまって……。私は魔物の残党を掃討そうとうしたにすぎないんですよ……!それなのに、勇者だなんて冗談にも程があります!!」
 マーシャルは一瞬、言葉を失った。どうやら、アレスはまだ魔物の幻術から抜け出せていないらしい。
「ふむ。どうやら敵には、よほど優れた幻術使いがおったようですな」
「え?幻術って……」
 村長の憐憫れんびんの籠もった穏やかな声に、アレスは毒気を抜かれたように目を瞬く。
 その顔にみるみる理解と失望の色が広がった。
「まさか、ご自分のしたことを覚えてらっしゃらないので……!?」
 彼はマーシャルに詰め寄ろうとするも……
 その行為は鳥の巣を突っついたような騒ぎによって遮られた。  
「勇者様、お待ちになって!」 
「アレス様、次は私の酌を受けて下さい!」
 甲高い嬌声きょうせいと共に、寝室に村娘たちが雪崩れ込んできたのだ。
 少女らは唖然とする村長の目もはばからず、アレスにしなだれかかる。
「わ!?だから、私は勇者などではないと……!」
 彼は茹で蛸のように、耳まで赤くしてたじろいだ。
 そんな勇者のウブな反応に、娘たちは歓声を上げて、さらに熱烈なアタックを仕掛ける。
「ほう、さすがは勇者殿。モテモテじゃの」
 マーシャルは、鷹揚な笑みを浮かべて彼を揶揄やゆする。
 本来なら、時と場所をわきまえぬ乱痴気騒ぎに一喝するところだが、今夜は無礼講だ。大いに楽しんだらいい。
「そんな先生!私は、先生に村の人たちの誤解を解いてもらおうとやってきたのに……あっ、ちょっと、ひっぱらないで!?」
「勇者様!勇者様!」
 砂糖まみれの甘ったる声を上げて、少女らはアレスを揉みくちゃにする。
「さっ。宴席に戻りましょ!アレス様の武勇伝をもっと聞かせて下さいな」
「は、放し下さい!私は先生にお話がぁああ!」
 連行される囚人のように、勇者は娘たちに引きずられていく。
 そんな彼の様子を、マーシャルは暗雲の晴れた穏やかな気持ちで見送った。     

                 

 
 大気を振るわせる荘厳な音の奔流。
 訪れる者とてない朽ちた教会の中を、パイプオルガンの演奏が満たす。 
 曲目はレクエイム『新月』。
 白い指が滑らかに鍵盤けんばんの上を走り、死者たちを悼む音色を紡ぎ出す。
 聴衆はゼロ。だが彼は、一心不乱に、まるで己の想念を叩きつけるかのように演奏に没頭する。
「……失礼いたします。マスター、お耳に入れたいことが」
 ふいに、信徒席の末端に気配が湧いた。
 一条の光も射さない闇の中、少女の涼やかな声がピアニストに向けられる。
「リリーアンが消滅しました」
 それが合図であったかのように、唐突に曲が止まった。 
「場所はアーノルド王国のラピス村。大規模な精霊や高位アストラル存在の動きが確認されております」
 感情を一切交えない、まさに事務連絡のような口調。
 幼さを残したソプラノには不釣り合いな、老獪ろうかいとも言うべき落ち着きようだった。
「永久の魔女が……?」
 演奏に水を差され、彼は憮然ぶぜんと尋ね返す。
「まさか《ファウスト》のメンバー同士の、いざこざではあるまいな?」 
 闇に身を沈めた少女は、そこに静かな怒りの波動を感じたのか、わずかに気配を怯ませた。
「いいえ。他の会員が、その付近にいた形跡はありません。ただ……」
「ただ……なにか?」
 珍しく言い淀んだ少女に、彼は僅かに興味を覚え先を促す。
「あの場所は50年前、彼の者を。われらが仇敵、エレオノール・ザフィールを封じた場所にございます」
 抑揚のない玲瓏れいろうな響きは、その奥に隠しようのない畏怖を孕んでいた。
 我知らず、彼は唇の端を吊り上げる。端正な口元が、禍々しい弦月げんげつを描いた。
「ほう。知ってか、知らずか、あの娘は眠れる獅子を呼び起こしてしまったという訳か」 
「それはまだ断定できません。現在、調査中です」
迂遠うえんな調査など無意味」
 悦には入る主人を諫めるようとした少女の言葉は、言下に一蹴される。
「羊の皮を被った獅子を見つけるには、餓えた狂犬をぶつけるのが一番だ」
 続けて紡がれた言葉には爆弾級の威力が込められていた。
「いや、しかし、それは……」
 色を失って反駁はんばくしようとした少女は、途中で言葉を呑み込む。
 闇の奥から主人が、冷たい光芒を宿した目で自分を睥睨へいげいしていることに気づいたのだ。
「それは……何だ?」
「……御意にございます」
 震えたその一言を最後に、少女の気配が霞と消える。
 まるで最初から誰もいなかったかのように、闇の帳の降りた信徒席は沈黙に支配された。
「ククク……まだ現世に未練があるようだな、エレオノール」
 乾ききった魂を潤す愉悦。彼は薄い口唇から笑みをこぼした。
 続けてその指が先程より一層、情熱的に踊り、再び鎮魂歌が狭隘きょうあいな空間を満たす。
 死せる魂に安らぎをもたらす静かなメロディ。それが、深まり行く新月の夜にいつまでも響いていた。

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