| 五感に薄い膜がかかっているような、不確かな感覚。 身体に絡みつく空気は水のように重く、 (……どこじゃ、ここは?) ねじくれ歪んだ森が、眼前に広がっていた。 法則性無く、デタラメに曲がって生える樹木の群れ。 狂った画家のデッサンのような自由奔放な植生は、光合成の効率を完膚無きまでに度外視している。 まるで、川底から見上げる景色のようだ。 すべてのモノが冒涜的に歪み、湾曲し、盤石であるはずの大地さえ、グニャグニャと不自然に波打っている。 神の摂理に反抗すべく悪魔が造形したような、怪異の森。 しかも、不気味なことに、ここには生命の気配が皆無だった。 生き物たちの (……ふむ) だが不思議と、マーシャルは満ち足りた気分になっていた。 自我が森に溶けて、どこまでも染み渡っていくような感じ…… ここでは何一つ脅威足り得るものは無い。 世界と一体化した、その全能感だけがすべてだ。 (うーむ、これは夢じゃな……) マーシャルは、自分が夢を見ていることを自覚した。 冷静に自己を観察し、世界を そう、ここは現実とは隔絶された世界。 確かに存在するが、朝の始まりと共に消え記憶にも残らない、 (じゃが、いつの間に眠ってしまったのだ?) ふと気になって、記憶の糸をたぐる。 確か最前まで、《永久の魔女》リリーアンが暴虐の限りを尽くしていたような気がしたのだが…… 思い出せない。 浮かび上がるビジョンは、7つの高密度プラズマが眼前に迫ってくるシーンを最後に途切れてしまう。 その先は、空白。 ……… 全身を悪寒が駆け巡った。 「まさか、これは夢ではなく……死後の世界?」 確かに、このおどろおどろしい光景は、冥府の入り口と呼ぶのに相応しい気が…… 「そんなわけないでしょ、エレオノール!」 鈴振るようなソプラノ。 ふいに、 月光で 純白のワンピースより伸びる手足は、男の無骨な手で握れば容易く折れてしまいそうなほど華奢だ。 繊細なガラス細工を思わせる美しい少女。 だが、可憐な顔に弱々しさはなく、内面の活力を映して、元気に輝いている。儚い外見とはミスマッチの無限の活動力が、全身から発散されている。 その姿は、マーシャルの愛する孫娘サフィに良く似ていた。 「おお!久しぶりだな、アーヴィ」 胸の奥で弾ける歓喜。 同時に五感が鮮明化し、不安定だった世界が盤石のものとなる。 彼女がいるということは、すなわち、ここが夢の中であるという証拠。 落ち葉の ここは彼の世界。 思い描く願望は、すぐに具現化される。不可能はない。 「やったわね、エレオノール!ギリギリのところで奴の呪縛から抜け出せたわねっ。さすがよ、さすが!もう、ハラハラしたんだから」 花弁を思わせる口唇から、アーヴィは歓喜の叫びを速射する。 彼女は、マーシャルの手を取ってブンブン振り回し、それはもうアグレッシブに狂喜乱舞した。 「……エレオノール?」 アーヴィはマーシャルの夢の中の住人でありながら、唯一彼の思い通りにならない独立した存在である。 彼女は確固たる人格と肉体を持ち、幻想世界の神ともいうべきマーシャルに対等に意見してくる。 無想の世界に住む、リアルな少女。 それ故にこそ、違った名で呼ばれたことなど、今まで一度もなかった。 「なにを言っているんだ?オレはマーシャルだぞ、忘れたのかっ」 彼は頬を膨らませて糺す。アーヴィと対等な会話をするために、肉体のみならず、精神年齢すら年相応に退行させたのだ。 「え?」 そのとたん、少女は感電したみたいに固まった。 ボルテージを一気に下降させ、戸惑いを浮かべた瞳で彼を凝視する。 「それより、せっかく会えたんだ。今日は……そうだな、釣りにでも行こう」 マーシャルは、はやる気持ちを抑えきれず、彼女の手を引いた。 夢は 人生のおよそ3分の1を占める夢は、寝ながら体験するもう一つの人生だ。 そこには、当人だけの独自のルールによって形作られた世界が存在し、連続性を持っている。 淡い青春を閉じこめた、2人だけの楽園。 それが、マーシャルが望み、いままで保ってきた世界だ。 夢の中での彼は、物心ついたときより、この少女に夢中だった。 それは、悠久の時を経ても、決して 現実世界では一時の幻想でしかない、初々しい初恋の気持ちが、ここでは風化することなく永続していた。 「釣り?またロマンのないオヤジ趣味な遊びを……って、そんなことより、記憶が戻ってないの!?」 可憐な顔をブリキ人形みたいに強張らせて、アーヴィは叫ぶ。 可聴域から飛び立つような、キンキン声。 「記憶?なんのことだ?」 マーシャルはいらだって尋ね返した。 今日に限って彼女は、なにを訳の分からないことを言っているのか? 「そんな。力と同時に記憶も戻ったはずだったに……も、もしかして、50年の耐用でガタのきた縛鎖呪法に一時的な綻びが生じて、不完全な覚醒を果たしただけ?」 アーヴィは軽いめまいを覚えたように後退り……顎に手を当てて熟考ポーズを取る。 「魔術は荒ぶる感情を理性によって精錬、精製し、魔力へと昇華させるのが基本。感情の高揚によって増大した魔力が、その契機となったのかぁ……」 しかめっ面でウンウン頷き、なにやら自己完結する彼女。その顔に隠しきれない落胆が滲む。 マーシャルには、話の筋がさっぱり見えない。 「なんだよ、それ。魔術の話か?オレは嫌な思い出があるから、魔術の話はしないでくれって言ってるだろ」 「うん?ああ、ごめん。そうだったわね」 目の焦点を彼に戻し、アーヴィは何かを吹っ切るかのように、にっこり微笑んだ。 後光が差すような笑顔だ。まさに天使。 苛立ちはマイ・エンジェルの力によって浄化され、再び至福が心の中を満たした。 「そりより、早く遊びに行こう。釣りが嫌だってなら、リクエストを聞くぞ」 「ええと、実は、あんまり時間がないの。あなたが、復活してくれたのかと思って喜びいさんで出てきただけだから」 だが、至福から奈落の底へ転がり落ちるのは一瞬だった。 拒絶の言葉は、鉄拳となって心の急所を撃ち抜く。 「……なんだよ、それ」 マーシャルは力尽きた拳闘士のように、暗い影を背負って肩を落とした。 「だいたい、おまえ、さっきから記憶だの復活だの、意味不明だぞ」 「むくれないの。だいたい、キミに説明したところで、目が覚めちゃえば、どうせ肝心なことは全部忘れちゃうだから。ま、それが呪いの力で、こうやって会うこと自体、奴の呪式の裏をかいくぐってやっと実現させていることなんだからね」 「はぁ?」 モノローグ的返答に、マーシャルの混乱は増すばかりだ。 会話が成立していない。 心が交流していない。 すなわち、楽しくない。 わずかに許された彼女との 沈静化された苛立ちが、 「はぁ〜〜〜っ」 そんな彼の神経を逆なでするかのように、アーヴィは深い溜息をつく。 人生の辛酸をなめ尽くした老婆のような、やつれた仕草だった。 「おい、なんだよババ臭い」 「ババ臭いですって!?」 ほんの意趣返しで放った言葉に過剰な反応を返され、マーシャルは鼻白む。 「キミは、いつの間にか本物のおじいちゃんに成ってくるくせに!50年以上もあんな奴の力に拘束されて、なにやっているのよ!?人の気持ちも知らないで、まったくイライラさせてくれるわね!」 嵐のような 少女の迫力の前に、彼は異端審問官に捕まった魔女のように縮こまった。 「ぅっ。も、申し訳ない……」 訳も分からず、とりあえず謝っておく。 こういう状態のアーヴィには逆らってはダメだと、彼の長年の人生訓が危険信号を発していた。 「申し訳ないって、ちゃんと分かって言ってるの!?」 説明を拒否しておきながらの、ヒステリックな追撃。 乙女心は古代魔術文字より難解というが、これはいささか理不尽だ。 さすがに、カチンときた。 「なんだと……!」 思わず、ちゃぶ台をひっくり返しそうな勢いで怒鳴り返そうとしたその途端。 アーヴィの背後に、強烈な光源が生まれる。 「お、おい、ちょっと……!?」 マーシャルは、その正体を直感すると同時に それは幻夢の世界を崩壊させ、現実へと彼を引きずり込む、夢の終演を告げる光。 誰かが、彼を揺り起こそうとしているのだ。 (デートはおろか、まだ、なにも話してないのにっ!) 理不尽なまでに唐突に訪れる別れに、マーシャルは懸命に夢の世界にしがみつこうとした。 だが、本人の意思に関係になく、ビル爆破工事のような迅速な破壊が世界を覆い尽くしていく。 地面にいくつもの亀裂が走り、ガラスを割るように 「外の世界からの介入!?ああん、もうっ。やっぱり、活動時間帯に会うのは効率悪い!」 「エレオノール、私もできる限りのことはするから、あきらめちゃだめ……!」 急速にぼやけ、輪郭を失う世界。 現実の到来が、大きな壁となって2人を分かつ。 そして…… 彼は目覚めた。 |