スーパー村長

その2 悠久ゆうきゅうなる魔術   

トップへ戻る

戻る    一覧に戻る    次へ


 

 恐怖に染まった思考が、刹那を永延に引き延ばす。
 限りなく遅くなる時間の流れ。
 己めがけて飛来してくる凶暴な拳の動きが、マーシャルには、やけに緩慢かんまんに見えた。
 迫り来る死から逃れようと、感覚器官が限界以上の働きを発揮しているのである。
 生き足掻く本能が喚起かんきする人体のポテンシャル……
 だが、研ぎ澄まされた知覚の早さに、肉体がついてこない。
 道を究めた剣士や武術家ならともかく、衰えきった老人に、生物としての圧倒的な運動能力の差を覆すことなど叶わない。
 スローモーションの世界の中で、彼の身体は重い鎖に縛られたように微動だにしなかった。
 肉薄する必殺の打撃を、彼はただ凝視ぎょうしする。
(サフィ……!)
 視界いっぱいに広がった巨人の拳に、マーシャルは己の死を確信した。
 命の花が散る最後の瞬間、彼の脳裏に閃いたのは愛する孫娘の顔だった。
 可愛いサフィ。
 自分だけならまだしも、この不憫ふびんな娘までもが魔物の破壊欲求の手慰みにされることに、彼は魂を焼き切られるほどの怒りを覚える……

 ぼん

 いささか間の抜けた音を立てて、頭がザクロのように爆ぜ割れた。
 飛散する血と脳漿が、汚穢おわいな雨となって大地を濡らす。
「おじいちゃん!!」
 弾かれたようにサフィが抱きついてきた。
 だが、恐怖に嗚咽おえつを上げる少女を安堵させることなど、腰を抜かしたマーシャルにできよう筈もない。
「な、なにが…?」
 カラカラに乾いた喉から、彼はやっとの思いで言葉を吐き出す。
 今まさに老人と少女の命を刈り取ろうとしていた怪物は、首無し死体となって路上に横たわっていた。
 納めるべき頭部を失った屍から、紅い液体が盛大に流れ出している。
 頭を砕かれたのは、無力に立ちつくしてたマーシャルではなく、魔物の方だったのだ。
 一体、何が起きたというのか?
 まるで密かに埋め込まれた火薬が破裂したかのように、巨人の頭は内側から弾け飛んでいた。
 いかなる武器を使おうと、いかなる流派の武術を用いようと、このような現象は現出できないであろう。
 通常考えられる物理的手段では、実現不可能な殺傷法……
(もしや……魔術か?)
 突飛な発想が、マーシャルの頭に浮かんだ。
 そう、この脈絡無く巻き起こった奇跡を説明するすべは、一つしか思いつかない。
 猛悪なる魔物どもに対抗するために発祥し、進化を続けてきた人類の切り札『魔術』。
 精霊や悪魔の力を借りて現実世界をリライトし、本来あり得ない現象を顕現けんげんさせる英知。
 確かに魔術を使えば、サイクロップスの脳内で小爆発を起こすような芸当も可能である。
 だが、超越者たる魔術師が、こんな辺境にいるはずもない。
 魔導の道は、非凡の道。
 凡夫が歩むにはあまりにも険しく、一生賭しても、せいぜい入り口が終着点という魔境である。
 マーシャルも若し頃、魔導に魅せられて、たまたま村に立ち寄った魔術師に教えを請うたことがあった。だが、十年以上の歳月を費やして、修得できたのは2,3の基本的な術のみだ。
 魔術師を名乗るペテン師ならいざ知らず、本当に実戦で通用するような魔術を修めた者の人口は、天文学的に少ない。その上、各国が勢力拡大のために魔術師の登用に奔走しているため、在野の魔術師は皆無に近いと言って良い。
 国家の子飼いとなった彼らは命令がなければ動かないし、在野の魔術師は自分を少しでも高く売り込もうと強国間をハイエナのように右往左往している。そんな連中が、こんな田舎村にやってきて、慈善事業の魔物退治などする訳が無い……
「す、すばらしいです!」
 ふいに興奮にたぎった声が、思案に固まるマーシャルの背中を打った。
 驚いて振り向けば、日没の残照を背に、金髪の少年が頬を上気させて佇んでいる。
 見慣れない若者だった。少なくても、この村の人間ではない。
 年の頃は、17.8くらいだろうか。略式のプレートメイルに、魔術儀礼を施した青いマントを羽織った眉目秀麗な顔立ちの若者である。
 力強い輝きを秘めたコンバットブルーの瞳、決然と引き結ばれた凛々しい唇。
 ノーブルな顔立ちは、清廉とも言うべき気品を備えている。
 だが、肉付きの薄いその身体は女性のように華奢きゃしゃで、たくましいというより繊細さが目に付いた。鎧などに身を固めるより、楽器片手に恋の歌でも奏でている方がよほど似合いそうな若者である。 
(なんと……!)
 突如現れたその少年に、マーシャルは目を白黒させる。
 少年が掲げた五指を覆う、消えゆく炎のような儚い燐光りんこう――魔力の残光が、彼の繊弱せんじゃくな印象を裏切っていた。
(魔術師!?) 
 マーシャルは、幻覚でも見ているかのような心境で少年の右手を凝視する。
 そこにわだかまる超越的な力の残滓ざんしを、持てる知識を総動員して子細に分析する。
 少年の掌中に宿るのは、まぎれもなく完成寸前で凍結され、分解を開始した火炎系魔術の呪式。
 五指に収斂しゅうれんされた熱エネルギーは、空気を焼き、陽炎かげろうを立ち上らせていた。 
「あの一瞬で、呪文詠唱もなく魔術を編んでしまったその手並み……お見逸れしました!さぞかし名のある大魔導士様とお見受けします!」
 熱く拳を突き出し、少年は勢い込んで語る。
 その間にも、彼の手の中で弓弦のようにたわめられた魔力は、解放されることなく霧散していく。それは、この少年がしゃべりながらも、魔力の操作を完璧にこなしていることを意味していた。
 通常の魔術師が、トランス状態にも近い精神集中の境地で魔力の手綱を握ることをかんがみれば、彼がどれほどの練達者なのか容易に想像がつく。    
「お、お主は……一体?」
 いささか面食らいながら、マーシャルは尋ねた。
 喜び、憧憬どうけい、困惑、畏怖、それらの感情が渾然一体となって、彼の胸中で踊る。
「ああ!これは失礼しました、つい興奮してしまって。私は、アレスと申します。お二人が窮地の所を救おうと、慌てて呪式を組んでいたのですが、先生に先を越されてしまいました」
「先生?」
 地面に激突するかのような勢いで腰を折り、敬意を表してくる少年魔術師にマーシャルは唖然とする。
(先生とは、まさかワシのことか?)
 そのことを理解するのに、たっぷり十秒以上の時を要した。
 どうやらこのアレスという少年は、とんでもない勘違いをしているらしい。
「アレスとやら、お主は思い違いをしておるぞ。確かにワシは魔術を知っているが、基礎的な術しか……」
 誤解を解こうするマーシャルは、そこまで言って、ある疑問に襲われる。
 彼はてっきり、魔物を葬ったのはアレスだと思ったのだが、その言動からしてどうも違うらしい。
 それでは一体、魔術を駆使してあの怪物を倒したのは誰だったのだ?  
「お、おじいちゃん、また!」
 切迫したサフィの訴え。
 何事かとマーシャルが意識を周囲に向けると、さきほどと同じ空間の揺らめきが無数に起きていた。
「馬鹿な、一度にこれほど多くの魔物が現れることなど……!?」
 愕然がくぜんと叫ぶ老人をなぶるかのように、周りの景色が一斉にぼやける。
 血の色の黄昏を通して、この世界に滲み込んでこようとする異形。異形。異形……
 実体より先に現れ出た影が、己の存在を主張するかのように地面におぞましいシルエットを描く。
 地上のいかなる生き物とも似ても似つかない、生理的嫌悪感を催す影絵。
 揺れ動くそれらの数は、ひい、ふう、みい……なんと15。
 この村を壊滅させて余りある、絶望的な数の魔物が現れようとしていた。
 前代未聞の窮地に、マーシャルの心臓は心停止寸前まで縮み上がる。
 逢魔が時に現れる魔物は経験上、多くても2.3匹程度だった。それが一度に10を超える数が現れるなど、悪夢としか言いようがない。
「先生、お任せ下さい!このような雑兵、この私がまとめて倒してご覧に入れます!」   
 まるで自分を売り込むかのように、アレスが颯爽さっそうと宣言した。
「なんじゃと?」
 気合いの入った暴言に、マーシャルは驚きを隠せない。
 彼がどれほどの力を秘めた魔術師なのかは知らないが、これだけの数を一人で相手にするのは常識的に考えて無理がある。
「力を授けよ、ギルバルドの英霊……!」
 だが、制止する間もなく少年魔術師は瞑想状態に入り、呪式を編み始めた。
 彼の指が、目にも止まらぬ早さで中空を疾駆する。
 ほのかに発光するその指先が、黄金の軌跡を空間に焼き付け、何かの紋様を形作っていく。
 精霊との契約を履行りこうするための証文――絶大な破壊力を喚起するための魔法陣を描いているのだ。
「雷を冠する五芒星!?」
 残留する光の文字が描く幾何学模様を、マーシャルは恐怖も忘れて、陶然とうぜんと見つめる。
 かつて自分が求めてやまかった超人への道。強壮無比なる魔術が、現出されようとしていた。
 少年の身体を媒介にして注ぎ込まれる破滅の力が、急激に陣内に収束、充填じゅうてんされていく。
 荒ぶるその力は、空間に余波となって紫電を散らし、気圧変動を起こして旋風を発生させた。
 小規模な天変地異の中心で、アレスは一心不乱に呪文を唱える。
 瞑目めいもくし、ただひたすら魔力の制御に腐心する彼は、年相応の少年ではなく老獪ろうかいな賢者を思わせた。
「きゃ!」
 立っていられないほどの突風に、思わずよろけるマーシャルとサフィ。バランスを崩しながらも、マーシャルはこれから起こる現象を目に焼き付けようと刮目かつもくする。
 これほど大がかりな雷撃系魔術ならあるいは……!
「来たれ、死の天雷!」
 魔物が雪崩なだれを打って出現したのと、アレスの魔術が完成したのはほぼ同時だった。
 彼の眼前に浮かぶ魔法陣が、脈打つかのように黄金の輝きを発し、収斂されたエネルギーを解放する。
 世界が白く沸騰した。
 大気を焼く、超高圧の電撃の奔流。
 アレスの魔法陣より撃ち出された雷光が、荒ぶる大蛇のごとく魔物たちに襲いかかった。稲妻の大蛇どもは、情け容赦なく獲物に牙を突き立て、むさぼり尽くす。

 ぐぎょおおおおお!!

 肉が爆ぜ、血液が沸騰し、魔物たちは調子はずれの道化師のように踊り狂う。
 それは、断末魔に彩られた死の舞踏。
 凄惨なる暴虐の歓待かんたい。         
 雷の驟雨が去った後、そこにはぐずぐすに破壊された肉塊が散らばっているだけだった。
 電撃によって、意思とは無関係に踊らされた哀れなマリオネットたちは、例外なく絶命している。動くものはいない。
 焦げた肉と蒸発された血が、たまらない臭気となって鼻腔をついた。
「な、なんという威力じゃ……」
 身を寄せ合ったマーシャルとサフィは、目の当たりにした魔術の威力に身震いする。
 想像を超える、悪魔のごとき力。
 魔術師とは超越者。絶対的な力を持って、敵対する者を討ち滅ぼす暴虐の化身。
「雷の精霊ギルバルドと契約して得た私の必殺技です。先生いかがでしたか?」
 アレスは胸を張って、マーシャルに向き直る。
 まるで難解な問題に解答を導き出した生徒のように誇らしげな態度。
 それは彼が現状の実力に満足せず、さらなる力を欲している現れだった。
 末恐ろしくも頼もしい、謙虚なる魔人。
 かつて、マーシャルが求めてやまなかった魔導の道を、この少年は駆け足で踏破とうはしようとしている。
「凄まじい破壊力じゃ。アレス殿、この村を救っていただき感謝の言葉もありませんぞ」
 不思議と、嫉妬しっとは感じなかった。
 ここまで、格の違いを見せつけられると逆に清々しい。
「ああ!ありがとうございます!つきましては先生、私に先生の魔術をご教授して戴きたいのですが……」
 顔を輝かせる少年魔術師。
 純粋なる求道者は、重大な勘違いを犯したままだった。
 そんな彼に、愚にもつかない現実を突きつけるのは酷であるが、この際致し方ない。
「いや、残念じゃが、ワシは魔術に関しては素人も良い所じゃ。お主に教えられるようなことなんぞ、何一つ無いぞ」
「は?」
 マーシャルの告白に、アレスはキョトンとする。
 続けて、世界の終わりを宣告されたかのような悲哀で顔を染めた。
「な、なにをおっしゃるんですか!?」
 取りすがるような口調で、アレスはマーシャルに詰め寄る。
 その言動から察するに、どうやら彼は、さらなる勘違いをしてしまったようだ。
 すなわち、自分の実力では、先生のお眼鏡にかなわなかったと。
「先生は、さきほど現れた魔物を歯牙にもかけずに倒したではありませんか!?
 独自のロジックによる高度な呪式圧縮法が確立できていなければ、絶対にできない神技です!」
「そこが問題なのじゃが、ワシは魔術なんぞ使っておらん」
 にべもなく切り返したマーシャルに、無垢なる天才少年は陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉する。
 まるで信じられないといった表情だ。
「そんな馬鹿な!?私は確かに見たんですよ!先生の中で編まれる爆裂の呪式を。間違いありませ……!?」
 まくし立てようとした言葉を、アレスは唐突に飲み込んだ。
 頬を熱く紅潮させたまま、彼は金縛りにでもかかったように固まる。
「どうしたのじゃ?」
 アレスの奇態を訝しく思うマーシャル。
 少年魔術師は、恐怖を孕んだ双眸そうぼうで、虚空の一点を見つめていた。
 何も存在しない筈の紅い空の果てを。
「……な!?」
 異変が起きた。
 アレスが凝視する空域を中心に、墨を垂らしたように闇が広がっていく。
 あたかもその部分だけが、一足先に夜を迎えたかのように。
 徐々に膨張する暗黒が、景色を塗りつぶしていく。
 光を飲み込み、自らの領域を拡大していく。
「な、なんなの、これ?」
 異質な、あまりにも異質極まる光景に、サフィが怯懦きょうだに染まった呻き声を絞り出す。
 魔物が現れる際の空間の揺らぎとは、似て異なる異常現象。  
 悪寒が…氷の槍で心臓を突き刺されるような悪寒が、マーシャルを襲った。
 同時に込み上げてくる吐き気。
 胃の中に手を突っ込まれて撹拌かくはんされているような、気色悪い感覚。
 全身にからみついてくる空気が、水のように重い。
 汚れた異界の空気である瘴気しょうきの濃度が、異常なまでに上昇しているのだ。
「ふふ……」
 涼やか女の笑い声が、世界を浸食する暗黒の中より流れ出た。
 がらんどうに響くような、幾重にも反響した嗤笑ししょう
「なんて強大な2つの魔力。こんなご馳走は、久しぶりね」
「だ、誰じゃ!?」
 不気味なソプラノに驚いたマーシャルが、鋭い誰何すいかを放つ。
 それに応じるかのように、闇の増殖がピタリと止まった。
 そして……
 暗黒の中より、音もなくするりと、白魚のような手が伸びる。続けて、豊かに隆起した胸が、白皙はくせきの面貌が、艶かな黒髪が威勢良く飛び出す。
 宙に口を開けた暗黒の深淵より、一人の女が舞い降りる。
「お、お、お前は……!?」
 鳥のように軽やかに着地した彼女を指差し、アレスが恐怖に上擦った声を上げた。
 それは、何とも美しい娘だった。
 夜よりなお暗い漆黒を宿した長髪。
 すべてを見透かすような、底知れぬ深淵を孕んだ蒼い瞳。
 寸分の狂いもなく黄金比で計って造形されたかのような、完璧なボディーライン。
 姿形を構成するあらゆる要素が、まるで宝石細工のように洗練されている。 
 それは見る者を虜にしてやまない魔性の美しさ。自然には決して生まれないであろう、女神を模したかのような理想的な美。
 この場にあまりにもそぐわない、黒のカクテルドレスに身を包んだ美女は花がほころぶように笑う。
「あら、私を知っているの?」
 暗黒より現れた娘のあまりの美しさに、マーシャルは魂を抜かれたように呆けた。
 女性に対する興味など、とうに枯れ果てた老人の心に湧く、黒き美女への憧憬どうけい
 自分より50は年下であろう娘に、彼の目は釘付けになる。
「魔女リリーアン!!」
 唾棄だきするかのようなアレスの絶叫が、暮れなずむラピス村に轟いた。

 


  トップへ戻る

                          戻る    一覧に戻る    次へ