| 「もうお帰りになったの!?イル、お出迎えに行くわよ」 主人帰還の知らせを受けるや、リゼリアは弾かれたように立ち上がった。驚愕、喜び、戸惑い、不安、それらの感情が高速で美貌を塗り替え、彼女は押っ取り刀で部屋から出ていく。 「あ、ちょっと、待ってよ!」 話の腰を折られたイルは、憤然とソファから身を起こしした。 肝心な禁忌の由縁とは何なのか、ちゃんと話してもらわなければ困るではないか。 彼女は、リゼリアを追って転がるように廊下に出た。扉に寄り添った侍女が、令嬢に対して謹直に一礼する。 「それで、禁忌の禁忌たる由縁て、何なの?」 足に絡まるドレスの裾に難儀しながら、イルは継母に追いすがる。 見た目の華やかさだけを追求したイブニングというのは、お世辞にも実用的とは言い難い代物だ。 「それについては、移動しながら説明するわ」 リゼリアは一瞬いらだたしげに眉をひそめたが……すぐに表情を和らげた。彼女は、器用にも足を止めずに続きのレクチャーを開始する。 「完全無欠に思える魔人には種族として致命的な欠点があるの。貴女も知っているかもしれないけど、魔人は男性しかいない特異な種族よ。女性の魔人は生まれてこないの。だから、種族として近い人間の娘を イルはリゼリアに併走しながら、彼女の講義に耳を傾ける。 「でもね。魔女となった私たちが女の子を産まないなんてことはないわ。ただし、女児たちは例外なく魔人でも人間でもない中途半端な出来損ないとして生まれてくるの。片方だけ赤い眼を受け継いだオッド・アイとしてね。彼女たちは……貴女たちの言葉で言う聖眼保有者ね。」 リゼリアの爆弾発言の意味を解するのに、イルはたっぷり3秒もの時間を費やした。ワンテンポ以上遅れて、彼女は天地が逆さまになったかのごとく驚愕する。それは彼女の頭に刷り込まれた常識とは相容れぬ異端の説だった。 「……ちょ、ちょっと待て!なんだよそれ!?聖眼保有者は神に選ばれた戦士で、聖眼は神のおわす上部世界からの力を引き出す媒介じゃないの!?」 「都合のいい勝手な解釈ね。それは教会が聖眼保有者を人間の番犬とするためにでっち上げた偽りの教義よ」 リゼリアは鼻を鳴らして義娘の 「その様にして生まれた女児たちは、魔人の能力の一部を受け継ぎながら、人間を食料としない実に中途半端な存在よ。生物としての生態は、むしろ人間に近いわね。だから、魔人の社会にはとけ込めず、古来より人間たちに混じって暮らす者が多かったのよ。魔人たちは、そんな女性たちを危険視して古来から間引きを続けてきたわ。女児が生まれると、その場で殺してしまうのよ。それが、魔人の掟。それを破るは禁忌というわけね」 少女の口から流れ出るソプラノは、イルの信じてきた価値観を根底から瓦解させる破壊力に満ちていた。 人間社会で主張すれば、もれなく魔女と認識されて、火刑台経由の地獄行きツアーに招待されるような異説…… だが、それを無視しようとか笑い飛ばそうなどという気は1ミクロンも起きなかった。 「そ、それじゃ、私がいままで信じてきたことは、全部、嘘っぱちだったってこと……?」 自らの常識に彼女は必死にしがみついてみるものの、その声は裏返っていた。 心は拒絶しているが、頭は理解しているのだ。リゼリアの言っていることが、いままで抱いてきた疑惑を氷解させる呪文だということを。 「そういうことよ。だいたい、神様なんてこの世にいると思うの?もし、仮にいたとしてもある特定の種族だけに肩入れするなんて有り得えないでしょう」 冷笑を口元に張り付かせるリゼリアは、ウソをついているようにはとても見えない。 なにより自分の父親が魔人であったという事実が、彼女の論理を裏付けているようにイルには思えた。もし、本当に自分が神に選ばれた人間などという大それた存在であるなら、その親が教会の教義で言う悪の権化たる魔人であるハズがない。 イルは自らの足下が崩れていくような喪失感に打ちのめされる。 アルバトスが16年前、自分の右目を抉った上に人間の世界に捨てたのは、そういう理由からだったのだ。ただの自分勝手な親父だと思っていたが、彼が自分を愛していたのは本当らしい。なんだか、複雑な心境である。 「そういわけだから、貴女の現状は四面楚歌だと思って間違いないわ。中途半端な出来損ないとして生まれてきた貴女を、魔人たちはみんな危険視している。まさか主命に背いてまで貴女の命を狙おうとする輩はいないでしょうけど、みんな心中穏やかでないはずよ」 「ひぇ。こりゃ、ショックに打ちひしがれている場合じゃないなぁ」 だが、ここまで状況が悪いと、逆に肝が据わる。彼女は、やけっぱちになって微苦笑した。 「自分の置かれた立場を理解した?だから、無闇にアルバトス様に噛みついたりしないでね。なるべく従順な態度を装い、無害でか弱い娘を演じるのよ。油断ならないジャジャ馬娘なんてレッテルが貼られたら、それだけ監視の目が強くなるんだから」 その笑顔が瞬間冷凍される。 「……オスカー級の名女優になれっての?」 無害でか弱い娘とは対極に位置しているイルは、そんな演技を貫く自信が全く無かった。 彼女は血の気の失せた顔で継母を凝視する。 「人間死ぬ気になれば、できないことはないわ。取りあえず、親子のスキンシップくらいには耐えてね。抱きしめられてたりしても、抵抗しないこと。『大好きよ、お父様』くらいの言葉はかけてあげて」 ためらいもせずリゼリアは、義娘にオスカー女優になることを命じた。この場合、代役を立てるなどという選択肢は無い。 「そ、想像するだに鳥肌が立つんだけど」 「うらやましい悩みね」 肩を抱いて身震いするイルを、リゼリアは汚物でも見るような目で一瞥する。 協力はしてくれるが、本質的には嫌われているらしい。彼女にしてみれば、イルは夫の愛を独占する憎い娘なのだから仕方がないだろう。もっとも、イルとてこの魔女と本気で馴れ合おうとは思わないが。 「とにかく、それがお互いのためよ。貴女はここを脱出する。私はアルバトス様の愛を取り戻す。そのための協力関係よ。貴女が、それに従ってくれないと言うのなら、私は別の方法を模索するだけね。なんとか、私が黒幕だっていう証拠を掴まれずに貴女を抹殺する方法を考えるわ。リスクは高いけど、そっちの方が後腐れ無くてすむしね」 「わ、わかったよ。別に嫌だなんて言ってないでしょ。するよ、する。何だってするよ!」 そんな恐ろしい打算を聞かされたらイルに選択権は残っていない。協力者が誰もいない状況で、この世界から脱出するなど絶対に不可能だ。ましてや、作らなくいい敵を作るなど愚の骨頂である。 「初めから、素直にそう言ってくれればいいのよ。」 リゼリアはサインされた契約書を眺める悪魔のような笑顔でほくそ笑む。 この娘の手の平の上で踊らされるのかと思うと癪だったが、イルは自分でも驚くほどの精神力で不快感を押さえ込んだ。 「じゃあ、アルバトス様に会ったら『お父様。お帰りをお待ちしておりました』と言って一礼してちょうだい。それで、あの御方の貴女に対する警戒心は薄れるわ。この城での監視の目も緩くなるでしょうね」 「い、いきなり無理難題を……」 イルは全身に蕁麻疹が発生したようなむず痒さを覚える。自分にはやはり女優の才能などないらしい。 「最初の印象が肝心なのよ。わかるでしょ?」 「ああ、わかっているよ」 彼女は不承不承、頷くしかなった。ここをライカとともに抜け出すためにはなんでもすると誓ったのだ。この程度ののピンチを切り抜けられなくては話にならない。 「お嬢様、こちらにいらっしゃいましたか!」 その時、回廊の曲がり角から、唐突にレスフォールが顔を出した。 前方不注意だったイルは、危うく彼の胸板に頭突きを食らわせそうになって、踏みとどまる。 「部屋でくつろぐとおっしゃっていたのに、見あたらないものだから心配しておりました。困りますよ、お嬢様。出歩くときは、必ず私に一声かけてくださるように申したではありませんか?」 レスフォールは令嬢をたしなめながら、リゼリアを警戒した目つきで一瞥した。 その不躾な眼はとても城主の奥方に向けたものとは思えない。血の色の瞳には明らかな敵意と不信感が宿っていた。 「人間である貴女様は、まだこの城の者たちに完全には受け入れられておりません。お館様の留守中、何かの拍子に貴女様に危害を加えようとする不逞の輩がいないとも限らないのですよ?部屋から出る際は、私がエスコートいたします」 彼はそう言って、イルを自分の背中に隠そうとする。額に汗をかいたその様子からして、本気で彼女の身を案じていたようだ。 「いや、別にリゼリアと話をしていただけだから心配ないよ。それに子供じゃないんだし、迷子になんてならないって」 「そういう問題ではございません」 脳天気に応じるイルを、レスフォールは焦燥を孕んだ声で一喝する。 「レスフォール。護衛任務に熱心なのはいいけど心配いらないわ。イルは、私のかわいい義娘。私が、彼女を害するとでも思ったの?」 ズバリ核心を問うリゼリアの声音は、象をも即死させるような猛毒を含んでいた。 その射るような視線にさらされた青年は、見えない鎖に繋がれたように動けなくなってしまう。 「いえ、決してそのような……」 「ごまかさなくていいのよ。この城で、イルに危害を加える可能性が最も高いのは、家臣たちの先頭に立ってこのコを迎え入れることを断固反対していた私だものね。警戒するのは当然……でも、安心して。私とイルはもうすっかりうち解けているの。そうでしょ、イル?」 話を振られたイルは、一瞬、どう答えるか思案したが、わざとらしいくらいの笑顔をこしらえて見せた。 「そうそう。さっきだって、部屋で一緒にお茶を飲んでいたんだ。もうすっかり仲良しだよ」 レスフォールは怪訝そうな顔で令嬢を見下ろしたが、やがて表情をほころばせた。 「左様でございますか。いや、これは失敬。私の杞憂で、奥方様とお嬢様にご不快な思いをさせてしまったようですね」 「わかればいいのよ。それと、これからはイルと2人で語らうことが多くなると思うわ。その際は、エスコート役なんて無粋なマネをして、私たちの貴重な時間を台なしにしないで欲しいわね」 リゼリアはここぞとばかりに畳みかける。その手並みに、イルは舌を巻いた。 これで、イルとリゼリアが2人だけで密会を重ねても不審がられることはない、この娘、なかなか話術に長けているではいないか。 「はっ……」 疑惑の 「それより、アルバトス様がご帰還になさったのでしょう?こんなところでグズグズしている暇はないわ。さ、いくわよイル」 「ちょ、ちょっと、待って」 イルの手を引き、リゼリアは先ほどの倍のペースで駆けていく。未だドレスに慣れないイルは、長裾に足を絡ませながら引きずられるように付いていった。その背中にレスフォールの刺すような視線を感じながら…… |