レッドアイズ 2部   

第10話 協力者

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 リゼリアの申し出は、イルの頭の中をぐちゃぐちゃに攪拌させた。
『返してあげるわ。貴女のお友達も。貴女自身も、もとの世界にね』
 あの魔女が、あんな都合のいい約束をするはずがない。
 トライ&エラーを繰り返せども繰り返せども、彼女の翻心の理由が見つからなかった。
 リゼリアは、実は、やさしい娘だった。などという非現実的なオチで納得するほど、イルは世間知らずではない。
 魔女の密約の裏には何かある……
 そう考えてみるのだが、今のイルには、他に頼る当てがなかった。
 この魔界で、孤立無援の自分が囚われの友人を救いつつ、元の世界に生還するなど神の恩寵を独占でもしない限り不可能だ。
 ならば、例え罠でもリゼリアの申し出に乗ってみた方が得策だという結論に達した。
 このまま手をこまねいていても、アルバトスの愛玩人形にされるだけだ。あの男と偽りの家族ごっこをさせられるなど、想像しただけで虫酸が走る。少しでも脱出の可能性があるのなら、それに賭けてみるべきだ。
 そう決心したイルは、現在、リゼリアの居室の前で仁王立ちしていた。
 食事の後、彼女はレスフォールに城内のアチコチを案内され、様々な説明を受けたのだが、完全に右から左に抜けていく状態だった。
 唯一、記憶に残っているは、アルバトスが闇の女王の招集を受け城を留守にしていることだけである。
 どうやら、彼は帝都で派手なドンパチをやった理由を追及されているらしい。なんでも無許可で人間の世界に行ったのがマズかったとのことだ。
 ともあれ脱出計画を練るには、またとないチャンスである。
 イルは眼前にでん!と構えた、貴金属の装飾が施された見事な扉を見据える。
 バクバクと暴れる心臓を深呼吸して落ち着かせる。これからの交渉次第で、自分とライカの運命が決まるのだ。駆け引きや権謀術数に疎いイルは、巨大な獣の口に飛び込んでいくような心境だった。どうしても、緊張に身が強張ってしまう。
「ええいっ、ままよ」
 彼女は意を決して、扉をノックした。もうこなったら、当たって砕けろだ。
「こ、こんばんわ。イルだけど……」
「どうぞ、入って」
 涼やかな声に誘われて、イルはノブを回して部屋に入り……
 同時に、予想だにしなかった光景に目を点にしてしまう。
 贅の限りを尽くした内装の部屋には、天使と見紛うばかりの少女と……多くの○○たちがいた。
「よく来てくれたわね、イル。でも、こんばんわ、だなんてあいさつ、継母の部屋に入るのに必要ないわよ」
 ソファに腰掛けたリゼリアが、100万ドルの夜景も霞んでしまうほどの笑顔で迎えてくれる。
「え?あ、ああ、そうかもね」
 イルは、生返事を返すのがやっとだった。
 室内には、放し飼いにされた沢山の動物たちがいたのだ。
 おそらくリゼリアのペットなのだろうが、その種類と数が尋常ではない。
 鳥類、ほ乳類、爬虫類、魚類、とにかく無節操にいろいろいる。動物園が出張サービスに来ているのか?と疑いたくなった。
「ふふふ、かわいいでしょ?この子たち、みんな私のお気に入りなのよ」
 リゼリアは幸せそうに目を細めながら、膝の上に載せたウサギの頭を撫でた。臆病で人に懐きにくいはずのウサギは、気持ちよさそうに身をゆだねている。  
「は、はあ」
 リゼリアは、実は、やさしい娘だった。などという非現実的なオチが、やおら現実味を帯びてきたではないか。
 動物と心を通わす少女が悪人だとは思えない。動物は愛情を注がぬ者には決して懐かぬものだ。その姿は後光が差すような美貌と相まって、まるで森の精霊のような清廉せいれんさがある。
 もっとも、自室にこれほどの数の動物を放し飼いにしておく神経は理解できないが……糞の処理とか、どうしているのだろう?
「さ、どうぞ。腰掛けて。今、お茶を入れさせるわ」
 イルは、まとわりついてくる鳥たちを手で払いながら、リゼリアの向かい側に腰を下ろす。
 と、臀部でんぶに生暖かい弾力を感じて、慌てて飛び上がった。同時に、彼女は眼下を疾駆する黄色い毛並みを目撃する。クッション剤の感触とは明らかに違うそれは、昼寝をしていた小キツネだった。
「な、な、なぁ!?」
 少女に圧殺され損なったキツネは、弾かれたように逃げ出していく。
 目を白黒させる義娘の姿に、リゼリアは忍び笑いを漏らした。
「なんだよ。注意してくれてもいいじゃないか?」
 寿命が縮むかと思ったイルは、ムッとして抗議する。自分の体重が凶器なるなど考えたくもないことだ……
「ごめんなさいね。仮にも聖眼保有者なんだから、それくらい気づくと思ったの。どうやら、あなたは、まだ右目の感覚をうまく使いこなせてないみたいね」
 その指摘に、イルは言葉を呑んだ。 
 聖眼は、周囲の空間のあらゆる情報を収集する超感覚器官だ。その能力を活用すれば、確かにリゼリアの言う通り、事故は回避できたハズである。それができなかったのは、聖眼の超感覚がうまく機能していなかったからだ。今まで片目無しの障害者だったイルは、その自覚がなかった。
 もしかすると、脳と聖眼との回路がうまく繋がっていないのかも知れない。魔法によって、突然、復元された機関だから無理もないだろう。
「まあ、仕方のないことよ。人間の脳は、その超感覚器官から送られてくる膨大な情報を処理できるようには作られていないの。それは本来、魔人にのみ許された究極の力ですもの。
 いわば、最新鋭器機を黎明期のコンピューターで制御しているようなものね。だから、聖眼保有者と呼ばれる人間たちは、幼い頃から、聖眼の能力を使いこなすための訓練を積むの。そして、何年もかけて、ようやくその特殊能力を一時的に使えるようになるのよ。
 いきなり、聖眼保有者になってしまった貴女は、おそらく脳が自己防衛のために、聖眼からの情報流入をシャットアウトしているのでしょうね」
「へぇ。くわしいんだ」
 立て板に水と注釈を加えるリゼリアに、イルは感心して頷いた。
 聖眼を得たときは無邪気に喜んだ彼女だが、正直、自分の身体に、理解不能の機関が増設されたという状況には不安を感じていた。聖眼に対する知識を得ることは、安心感に繋がる。
「まあね。私もこの世界の住人となってから、いろいろと勉強したから」
 ここではないどこか遠くを見るように、リゼリアは目をすぼめた。そういえば、彼女は人間から魔族へと転生した身であった。種族の壁を超え、異界の知識に身を浸すというのは、イルと同様かそれ以上のカルチャーショックであろう。この少女もそれなりに苦労をしてきたのかも知れない。
「それじゃ、さっそく本題にはいるけど。私が一番に知りたいのは、なんで、あなたが私に協力してくれる気になったのかってこと。ふつう血の繋がらない義理の娘のために、主人の意志に反してまで尽くしたりしないでしょう?」
 イルは、イニシアチブを取るように、強い口調で質問した。なにより、リゼリアの真意も知らずに彼女の協力を仰ぐわけにはいかない。
「そうね。まず、そこから話さなければならないわね」
 鷹揚おうように頷くリゼリア。
 と、そこへカートに乗った紅茶が届けられた。
 運んできたのは侍女ではなく、毛むくじゃらの巨体――猿のオラウータンだ。
(なんだ……?)
 そこにいたのは、紛れもなく猿だ。断じて着ぐるみでも、マリオネットでもない。
 常識と現実の齟齬そごが、イルの思考を侵す。
 呆気にとられる令嬢を尻目に、オラウータンは器用な手つきで、2人分のティーカップを並べる。
 馥郁ふくいくたる香りが、鼻腔をくすぐった。
 白い陶器から舞い上がるかすかな湯気が、緩やかな螺旋を描いて空中に解けていく。
「ご苦労様」
 リゼリアのねぎらいを受け、彼は一礼して去っていった。
「い、今のは何?」
「彼は、ティディ。私専従の召使いよ。なかなかハンサムな子でしょう?」
「はあ」
 リゼリアの動物趣味の奥深さに、イルはただただ感嘆するばかりだ。専属の調教師でも雇って躾ているのだろう。サーカスにでも出たら、いきなりスターになれるであろう知性の持ち主だ。
「彼もそうだけど、この部屋にいる動物たちは、みんな私が胎児の状態から手を加えて育てたコたちよ。魔法によって、脳に人間と同じ大脳新皮質を増設することに成功したの。だから、みんなとってもお利口さん。その上、運動能力や頑強さも強化してあるし……私の自慢の子供たちね」
 誇らしげに胸を張るリゼリアは、親バカ丸出しで、なんだかほほえましい。肉体改造の倫理問題は別として、彼女はここいる動物たちを心から愛しているようだ。
「さて、貴女に協力するつもりになった理由だけどね」
 紅茶の上品な薫香を楽しみながら、彼女は切り出した。
「私は、アルバトス様の事が好きなの。あの御方の愛を独占したいと考えているわ。だから、貴女が邪魔なの。一刻も早く、この城からいなくなってほしいの」
 さらりとした口調だったが、そこには明確な敵意が感じられた。底なし沼にも似た、暗く救いようのない感情。
「なるほどね。だったら、今ここで、私を殺した方が好都合なんじゃないの?そうすれば、あいつは私のことをあきらめざるを得なくなるわけだし」
 そこにイルは、ここぞとばかりに挑戦状を叩きつけた。垣間見えた相手の真意をえぐり出そうと試みる。
 その途端、室内の空気が一気に冷え込んだ。
 リゼリアの瞳に、氷刃にも似た憎悪が灯る。
「ええ、そうね。本当なら、いますぐ、貴女を抹殺したい心境だわ。」
 そこに秘められた怨念は、イルの想像をはるかに凌駕していた。
「貴女の存在を知ってからというもの、あの御方は私を見てくださらなくなった。まだ世継ぎも身籠もっていないというのに、夜の営みも途切れたわ。すべてを捨てて手に入れたはずの私の幸せは、たった1人の娘の出現で、すべて台なしになったのよ」  
 脂汗が、額をぬらす。心の防壁は、あっという間に崩れ去った。イルは湧き上がる寒気を喉元で抑えて、リゼリアの瞳をにらみ返す。それは、痛みをよすがに意識を繋げる縛囚にも似た、儚い抵抗だった。
 すぐそばの「絶望」に心が押しつぶされる。 
「……でも、安心して、貴女を助けるって言ったでしょう?貴女も私も幸せになる、最善の道を選択したいって私は言っているのよ」
「あ、ああ……」
 なんとか、意地を張り通したもの、喉はガラガラに渇いてしまった。
 イルは理解した。今のリゼリアは愛を原動力にした凶暴な独占欲に突き動かされている。その理性と憎悪の均衡はいつ崩れてもおかしくない。そうなれば、この娘こそ、自分にとって最凶最悪の難敵となるだろう。
「でも、ますますわからないね。それだけ憎んでいる私にどうして荷担しようとするの?」
 おそらく、このリゼリアにとって、イルに手を貸すなどという行為は、全身の血が逆流するほどの拒絶反応を催すものに違いない。
 それを押さえ込むほどのメリットが、果たして彼女にあるのであろうか?
「わからない?じゃあ、もし、今ここで私が貴女を殺したしたらどうなると思う?私の気持ちは晴れるでしょうけど、そんなことをしたらアルバトス様の愛を取り戻すという究極目標は、永遠に果たせなくなるわ。
 なぜなら……今のあの御方の目には、貴女しか映っていないから。貴女を殺した下手人を、あの御方は絶対に許したりしない。それが例え、妻であろうとも、怒りの衝動に駆られるままに誅殺してしまうでしょうね」
 紅茶を口に運びながら、リゼリアは淡々と自らの考えを吐露する。
「それならば貴女を逃がし、貴女を諦めるようにし向けた方が、得策ということよ。今回、アルバトス様は届け出も出さずにユークリッド空間(人間の世界)におもむき、そこで16年前に抹殺したはずの《出来損ないの娘》を保護して帰るという禁忌を犯したわ。このことが、おおやけになれば、あの御方は罰として女王陛下より百年単位の蟄居ちっきょ(謹慎)を命じられるでしょうね。
 そうなれば、アルバトス様は、貴女を諦めざるをえなくなる。そのために、すでに監察官に情報をリークしてあるわ。今頃、あの御方は女王陛下に必死に申し開きをしているでしょうね。仮にも栄誉あるイングライム伯爵家の当主が、禁忌を犯したのですもの。監察官たちは、血眼になって真相解明しようとするわ」
 自らの策略に自信があるのだろう、少女は毒花にも似た凄艶な笑みをこぼした。
 イルはその大胆な手腕に舌を巻くが、わからないことが2つある。
「禁忌って何?娘を保護して帰るって事が、そんなに重罪なの?それに殺したはずのって……それとさ、その方法で行くと下手をしたら私まで、その監査官?に捕まっちゃう可能性があるんじゃないの?」
「それは大丈夫よ。監査官たちは、確たる証拠が無い以上、貴族の居城を強制捜査することなんてできないわ。だから、彼らが乗り込んでくるまでには相当、時間がかかるハズ。
 そもそも、事件現場がユークリッド空間における都市部だから、捜査は難航するはずよ。16年前に行われた貴女の――嬰児殺しの裏付け調査も必要だし。下手をすると5年、10年かかるわね。その間に、貴女を逃がしてしまえば、監査官にマークされいるアルバトス様はもう手出しできないという寸法よ」
 なるほど、それなら安心かも知れない。イルはほっと、胸をなで下ろした。
「で、ここが重要なんだけど、禁忌が禁忌であるゆえんはね……」
 その時、ノックとともに切迫した声が室内に届けられた。
「奥方様いらっしゃいますか?お館様がご帰還になられました!」  

 


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