レッドアイズ 2部   

第9話 魔女の密約

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 「うわぁあ♪」
 黒檀のテーブルの上で、かぐわしい芳香を放つ料理の数々に、イルは感嘆の声を上げた。
 季節魚のミルフィーユ仕立て、ハーブ風味のローストビーフ、カプチーノ風きのこポタージュ、若鶏のクリーム煮、海老とルッコラのサラダ……エトセトラ。
 贅を尽くした食材と熟練の職人芸によって創作された芸術品とも呼べる正餐。空腹の虫さえもショックで、泣くのを忘れてしまう。
 ここは、城主の一族専用の食卓である。サッカーでもできそうなだだっ広い空間に、30人は座れそうな特大テーブルが鎮座している。広間を支える大理石柱群には極細の発光繊維が埋め込まれ、食卓をほのかな光で満たしていた。まるで妖精郷にでも迷い込んだかのような幻想的イルミネーションだ。
「お気に召していただけましたか、お嬢様?では、さっそく簡単なマナーのレクチャーをさせていただきます」
 かたわらのレスフォールがなにかしゃべっているが、イルの鼓膜には届かない。彼女の意識は、初めて見る豪勢な料理に釘付けになっていた。料理以外のモノは何であろうと目に映らない。
「ねぇ、これ、本当に食べていいの?」
 食欲に骨の髄まで浸食されたイルは、喜色満面で尋ねる。さきほどの一戦でドレスを台無しにされた彼女は、薄いシフォンを重ねた純白のシフトドレスを身にまとっていた。その様は白百合の妖精のごとき愛らしさがあり、外見だけなら深窓の令嬢と言えた。
「もちろんです。そのためにご用意したのですから」
 うやうやしく一礼すると、レスフォールはイルのために食卓の椅子を引いた。
 イルは口元が緩んでくるのを押さえられない。まさにお姫様気分だ。
「それじゃ、いただきます!」
 飛び乗るように椅子に腰掛けるや、彼女は押さえに押さえていた食欲を爆発させた。
 ナイフとフォークを手に取ると、飢えた野獣のような勢いで、料理を口に突っ込む。その食感、喉ごしを味わい、とろけそうな美味に舌鼓を打つ。一口ごとに、彼女の意識は極楽へと吹っ飛び、幸福感でいっぱいになる。
「な、なんと不作法な!」
 直後、この世の終わりでも目撃したような大音声が轟いた。
「うっ!?」
 驚いたイルは鶏肉の塊を喉に詰まらせた。その拍子に取り落としたナイフとフォークが、大理石の床の上でワルツを奏でる。
「お嬢様、あなたは獣ですか……?そもそも、お召し上がりになる前にマナーのレクチャーをすると言った私の言葉を聞いておられなかったのですか?」
 レスフォールの声音は慇懃いんぎんだが、隠しようのない怒気と落胆が漂っていた。
「あ、うぃあ……あ」
 イルは何か言い返そうとしたが、息が苦しくて言葉が発せられない。彼女は喉元を連打し、コップ一杯の水を流し込んでようやく落ち着いた。
「ぶはっ、死ぬかと思った……て、いきなりびっくりするじゃない!?」
 だが、執事たる青年は、彼女の抗議を歯牙にもかけずにを受け流す。
「お嬢様。今後、そのような不作法なマネをしたら、容赦なく私の打擲ちょうちゃくを受けていただきます。あなたには、一日も早く一人前のレディになっていただかなくてはならないのですからね」
 それは令嬢に対する教育というより、捕虜に対する拷問そのものに聞こえた。
「んな、バカな!?」
 16年もスラムで暮らしてきた自分に、いきなり上流階級のテーブルマナーを仕込むなんて無理がある。イルは、まだ野生動物に芸を仕込む方が簡単だろうと思った。
「冗談でしょう?なんでそんなモノにならなくちゃいけないのよ!」
 イルは鼻息も荒く、レスフォールの脅迫をはね除ける。
「お嬢様。いまだご自覚がないようですが、あなたは仮にも貴族の子女なのですよ。そのような態度では、臣下に示しがつきません。それに、郷に入れば郷に従えという言葉をご存じありませんか?貴女が非協力的な態度を取れば、お友達にも累が及びかねません」
 レスフォールは表情も変えずに冷然と、事実を突きつけた。籠の鳥はおとなしくするようにと、その赤い双眸そうぼうが静かに威圧してくる。 
 さすがにイルは鼻白んだ。彼の言うお友達というのは、ライカのことを指しているのだろう。おそらく、イルを手懐ける手段としてアルバトスは彼女を人質に取ったのだ。
 爆発する怒りの精神ベクトルを、彼女は理性の鎖を総動員して押さえ込む。
「わ、わかったわよ」
 イルは断腸の思いで、頷いた。悔しさのあまり握りしめた拳が、紙のような色に染まる。彼女は、反撃や脱出のチャンスをうかがうためにも、表面上は従順なフリをしておくべきだと、必死で自分を納得させる。
「ご無礼をお許しくださいお嬢様。しかし、これはすべて貴女様のためであります。貴女様にお仕えし、その身をお守りするのが我が使命。いかに魔貴族の血を引いていようと、貴女様は1つしか魔眼を持たない魔人のなりそこない。お館様の臣下でありながら、貴女様をこころよく思わない不逞の輩は大勢いるのです。そんな者たちの反感を煽るような言動は慎んでいただかなくてはなりません。ご理解いただけますね?」
 謹直に謝辞を述べるレスフォール。彼の話の筋は通っているし、小娘をなぶってやろうなどという悪意も感じられない。イルの身を案じてのことだという言葉に虚偽はないようだ。彼女は、不承不承応じるしかなかった。
 そして……地獄のお食事タイムが始まった。
 イルが少しでもマナーに反した行いをすれば、すぐさまレスフォールの叱責が飛んできた。
 慌てて指示通り直すも、3秒もしない間に、頭を小突かれる。
 イルにとって、レスフォールの押しつけてくることは異世界の価値観そのものだ。
 テーブルマナーなどとは無縁の生活を送ってきた彼女にとって、なぜ、そんな食べづらい方法で食事を摂らなくてはならないのか理解できない。思考回路は、押し寄せる解析不能情報に早々にショートし、すでに白旗を揚げて役目を放棄している。
 初めはあんなにおしかった料理の味覚は、しだいに落ちていった。今ではまるで、砂を噛んでるように味気ない。このままではストレスのドリルで今すぐにでも胃に穴が開きそうだ。
「もういい、食べたくない……」
 ナイフとフォークを置いたイルは、ゲッソリやつれていた。栄養を補給したというより、栄養を浪費したという気分だ。 
「おや、もうよろしいのですか?まだ少ししか召し上がっていないではありませんか?」
「いいの。食べたくないったら、食べたくないの!それよりライカに会わせてちょうだい。あの娘もこの城にいるんでしょう?」
 イルは、柳眉りゅうびを逆立ててレスフォールに食ってかかった。八つ当たり気味の言動だったが、ライカの無事をこの目で確認しておきたいのは本当だ。
「……お嬢様。やれやれ瓜二つなのは外見だけで、母君――キャロル様とはまるで正反対の性格ですね。貴女様は」
 レスフォールは、心底疲れたように慨嘆がいたんした。
 イルの怒りのボルテージはさらに上昇しかけ……母という単語によって冷却される。
「キャロルって、私のお母さん?」
 父がいるのであれば、母もいてしかりである。父親とは最悪の対面を果たしたイルであったが、まだ見ぬ母に対しての幻想は未だ壊れていなかった。会えば、満面の笑顔で自分を迎え入れてくれるのではないかという都合のいい夢想が、一瞬胸中をかすめる。
「そうです。キャロル様は、元々、良家の子女だったらしく、とても奥ゆかしい人でした。ただ、お館様に一方的に見初められ、拉致同然に連れてこられたせいか、いつも浮かない顔をしておられましたが……」
「な!?」
 衝撃が脳髄を貫く。瞬間、イルの頭は激情に白く漂白された。
「なによ、なによ、それ!?あいつ、私のお母さんにそんなことしたの!?」
「はい。我々、魔人はパートナー選びに対しては、あくまで慎重、紳士的な態度を心がけておりますが……お館様はプロセスを飛ばして、いきなり婚姻という結果を求めました。それだけ、キャロル様に対してご執心だったのでしょう」
 レスフォールの声音は深沈とした悲哀を孕んでいたが、激昂するイルはまったく気づかなかった。つまり、父と母の契りは、あまやか恋愛婚などではなく、ただの強姦ではないか!?
 少女は、奥歯が噛み砕けんばかりに歯ぎしりする。彼女のアルバトスに対する想いは、強固な殺意へと収束した。やはりあの男は、父親などではなく、憎むべき敵だ。
「それで、それで……お母さんは、いまどこに……!?」
 イルは、アルバトスから母の行く末を聞いていたが、そう尋ねなければいられなかった。
 もし本当に自分の意志とは無関係に魔人の妻にされた上に、人間に殺されたのだとしたら、母があまりにも哀れではないか。
「アルバトス様に聞かされていなかったの?彼女は、死んだわ。そうでなければ、再婚相手など求めないでしょう?」
 その問いに答えたのは、目前の青年ではなく、鈴降るような美しいソプラノだった。
 はっとして振り返れば、いつの間に現れたのかノースリーブの黒いドレスを身にまとった少女が婉然とほほえんでいる。世俗離れした気品を漂わせる彼女は、まるで闇の精霊だ。
 イルは思わず少女に見惚れ、一瞬後、そのアメジストの瞳に恐怖を喚起された。
「リ、リゼリア……!」
「ごきげんよう。すっかり回復したようね。さすがは高貴なる魔貴族の血引く娘といったところかしら」
 リゼリアは義娘の元気な様子を極上の笑顔で言祝ことほぐ。
「これは奥方様。体調の方は、もうよろしいのですか?」
「気遣いありがとう、レスフォール。でも平気よ。上質の生娘を3人ばかり口に入れたから」
 生娘を3人ばかり口に入れた――その意味するところを知ったイルは、後ずさって身構える。魔族どもにとって、処女の血肉はなによりの精力剤だ。眼前の魔女は、年端もいかぬ娘たちの血肉を食らうことによって、瀕死の重傷から持ち直したのである。
 そのおぞましさに、イルは吐き気すら覚える。
「あら、イル。なにを身構えているの?怖がらなくてもいいのよ。私たちは、家族でしょう」
 そんな彼女にリゼリアは友好の印か、黒手袋に包まれた繊手を差し出す。慈母のごとき微笑をたたえた彼女からは、あの半地下で相対した時感じた、おどろおどろしいまでの憎悪は微塵も感じられない。
 その時に、イルははっと気が付いた。
 木漏れ日を束ねたがごとき金髪、小柄な背丈……リゼリアの容姿は、鏡に映したかのように自分によく似ている。隣り合って、家族だと主張すれば、誰も疑わないだろう。
(それだけ、キャロル様に対してご執心だったのでしょう)
 さきほどのレスフォールの声が、イルの脳内で再生される。
 もしかして、アルバトスは……あの男は、母への未練から、母によく似たリゼリアを第二の妻としたのだろうか?
「まあ、おびえるのも無理はないけど。私たちは、殺し合ったわけだしね。でもね、イル。こうやって1つ屋根の下で暮らすんだから、あなたとは仲良くやっていきたいのよ。わかるでしょう?」
 握手を無言で拒絶されながらも、リゼリアの微笑は少しも揺るがない。まるで、すねた妹をたしなめる姉に似た根気の良さで、義娘の説得をこころみる。
 だが、彼女の不気味なまでの豹変ぶりは、逆にイルを不安にさせた。この少女は、アルバトスから迷惑千万な寵愛を受ける自分を痛烈に嫌悪しているように思えたのだが……
 なんにせよ、リゼリアは人間を餌ぐらいにしか思っていない真性の魔女だ。彼女の本性を一言で言い表せば、天使の姿をした怪物。美しい外見を餌に獲物を狙う食虫植物である。それに、イルはリゼリアたちが、ライカに……姉妹同然の仲間たちに行った仕打ちを忘れていない。
「冗談でしょ。なんで私が、お前なんかと……!どうしても仲良くしてもらいたかったら、ライカを今すぐ返せ!」
「お嬢様、奥方様になんてことを!?」
 令嬢の不遜な態度に、レスフォールは色を失った。
 だが、イルは彼を一顧だにせず、白熱した鋼のような敵意をリゼリアにぶつける。わざわざ自ら友好を求めてきた城主の奥方を敵に回すことは愚行以外のなにものでもなかったが……ジェシカを殺し、ライカさえ奪った魔族に尻尾を振るなど、不器用なイルにはとうていできない相談だった。
「ああ、良いのよレスフォール。それがふつうの反応ですもの。人間に育てられ、人間として暮らしてきた貴女が、私たちといきなり家族の契りを結ぶなんて無理な相談だわ」
 しかし、リゼリアは気分を害した風もなく、鷹揚おうようにうなずいた。
「え?」
 さすがにイルは面食らう。人間の小娘にここまで噛みつかれて、なおも友好姿勢を崩さないとは、どういう風の吹き回しだろうか?
「それに……」
 リゼリアは軽い足取りで、家族と宣言した娘に歩み寄り、その耳元にそっと秘め事をささやいた。
「返してあげるわ。貴女のお友達も。貴女自身も、もとの世界にね」

 


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