レッドアイズ 2部   

第8話 令嬢と従者

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「私はレスフォール・バミューダ。貴女様の身の回りのお世話と、身辺警護、ならびに教育係を命じられました者です。どうかお見知り置きください」
 腰を折り、絵に描いたような謹直きんちょくな挨拶をする青年。
 その洗練された挙措に舌を巻きながらも、イルは思い切り胡乱うろんげな視線を叩きつけた。
 『お前なんか信用できないと』何よりも雄弁に目で語ってみせる。
「……っ」
 レスフォールの深紅の虹彩こうさいに、かすかに困惑の色が走った。
 居室の中央で、イルは魔人と対峙する。
 初対面の相手に敵意を剥き出しにするような非常識なマネは、今回が初めてだ。いや、彼は人間ではないのだから、人間の礼節を当てはめて考える方が非常識か。
 だから、さきほどの非礼をびるつもりもない。
 危うく彼の人生をジ・エンドにするところだったが、魔人に謝罪するなど考えただけで虫酸むしずが走る。
 こいつは、仲間たちを虫けら同然に殺したあの男の配下なのだ。憎むべき敵なのだ。
「……お嬢様。なにか、お気に障ることでもありましたか?」
 暗い炎を胸中で燃焼させるイルに、レスフォールは悪気のない顔で尋ねる。
「無いとでも思ってのか!?」
 間髪入れぬ、怒声。
「こんな訳の分からないところに連れてきやがって誘拐魔!ライカはどうしたんだ!?いますぐ会わせろ!」
 噛みつかんばかりの勢いで、彼女は憤懣ふんまんを叩きつけた。
 唖然とする魔人。
 その顔がみるみる内に、まるで世界の終わりでも目撃したように青ざめる。
「お、お、お嬢様っ!仮にも淑女しゅくじょであらせられる貴女様が、なんて、なんて下品な言葉遣いを……!」
 大仰おおぎょうに頭を振った彼の目尻には、涙さえ浮かんでいた。
 呆気に取られるイルを無視してハンカチを取り出すと、目元をぬぐう。 
「貴女様の経歴はうかがっておりましたが……これはゆゆしき事態です。これからは、まず徹底して礼儀作法を学んでいただかなくては……私、心を鬼にして臨む所存です」
 レスフォールの赤い双眸そうぼうが、スパルタ教育に心血を注ぐ鬼教師じみた光を放った。
 ぞわりと、背中に言い知れぬ悪寒が走る。
「よ、よけいなお世話だよ!とにかく、私はライカを連れて帰るんだっ」
 だが、イルはひるんだ心を叱咤しったして、虚勢を張った。
 自我をしっかりと保ち、相手に気圧されまいとする。
「ぃつ!」
 ふいに、手元に鞭で打擲ちょうちゃくされたような痛みが走った。
 目にも止まらぬ早さでひるがえったレスフォールの手が、彼女の甲をしたたかに打ったのだ。
「お嬢様。どうか下品な言動はおつつしみ下さい」
 慇懃いんぎんながら有無を言わせぬ声が降ってきた。
 頭が瞬時に沸騰ふっとうする。
 熱くなって顔を上げるイルを、冷光に満ちた赤眼が迎撃した。
 中空で鍔迫つばぜり合い、火花を散らす視線。
 一歩も引くまいと彼女は気張るが、そんな意地は怒濤どとうの精神的重圧に瞬殺された。
 煉獄れんごくの底から噴出するような魔人の威圧が、彼女を叩きのめす。
「くっ……!」
 イルは思わず目を反らしてしまった。
「負けん気の強いお方ですね。お館様が手を焼かれるのもわかります」
 疲労をにじませた顔で、レスフォールは微苦笑する。
 そこには賛嘆さんたんの意もめられていたが、イルの神経を逆撫でするモノでしかなかった。
 屈辱が、沸々と彼女の身を焼く。
(アイツ〈アルバトス〉に対してすら一歩も引かなかった私が、こんな下っ端Aに気圧された……!)
 魔人と正面から相対すれば、生態系的弱者である人間は恐怖にすくまずにはいられない。そんなことは子供でも想像がつく。
 だが、ライカの救出と奈落からの脱出というアクロバット的二大目標を掲げるイルにとって、それは許し難い事実だった。 
「いいですかお嬢様。ここで生活してもうらうからには、ここのルールに従ってもらいます。わがままは許しませよ」
 そんなイルの内なる炎に、レスフォールは無造作に油を注いだ。
 屈辱の火炎は、怒りに転化されて爆発する。
「うるさい!知ったことか!!」 
 女らしさとは無縁の罵声と同時に、拳がほとばしる。
 こうなれば、実力行使だ。コイツを叩きのめして、ライカの居場所と帰り道を聞き出してやる!
「おや、力ずくですか」 
 穏やかな声と同時に、世界が傾ぎ、側頭部に火花が散った。
 魔人の放った電光石火の足払いが、一瞬にしてイルの軸足を刈り取ったのだ。
「良いですね。戦いは紳士のたしなみです、お嬢様も好まれますか?」
 床に転倒した彼女は、心をむしり取られたような恐懼きょうくに襲われる。
(なに……!?)
 法で守られた国の水面下にある、弱肉強食の無法地帯で育ったイルは、そこで生き抜くために独学で護身術を修得してきた。
 少女の児戯じぎと嘲笑うには値しない、実戦的なものだ。
 身につけた技術は、幾度も窮地から彼女を救い、その度に研鑽けんさんされていった。
 だからこそわかる。
 拳を交えた瞬間、相手の力量がどれほどのものなのか。一瞬にして感じ取ることができる。
「ちっ……!」
 舌打ちして、すばやく起きあがる。
 ドレスの裾が足に絡まるが、構ってはいられない。
 聖眼が張り巡らす感覚の網は、相手の攻撃のモーションを捕らえている。すばやく腹部をガードしなくては致命打………!
(……なっ!?)
 あまりの事に意識が付いて行けなかった。
 気づいたときには、身体が重力の束縛を振り切って浮いる。
 頭から股間まで、人体急所の正中線に沿って5つの衝撃を感じた。
 風よりも、音よりも早い、稲妻の如き連打。動体視力の限界を超えて繰り出されたレスフォールの拳は、イルに視認すら許さなかった。ただ、一陣の閃光が迸ったとしか……
 ゴージャスな調度品類をボーリングのピンのように弾き飛ばして、少女は壁に激突した。
 陶器やガラスが、盛大な破砕音を鳴りたてる。
 だが、イルの耳が命無き調度品類の断末魔を拾うことはなかった。なぜなら彼女の意識は、壁との熱烈なランデブーを果たした時点で、遠い彼方まで飛んでいってしまったのだから。
   


「……やってくれたな!」
 覚醒かくせいしたイルは、戦いのテンションを維持したままだった。
 虹彩が焦点を結ぶと同時に飛び起きて、レスフォールの胸ぐらを掴む。  
「大変失礼いたしました。奥方様に重傷を負わせたというお嬢様の力をうかがいたく、ほんの小手調べのつもりだったのですが……」
 彼は両手を小さく上げて、もう敵意が無いことを示す。 
 その瞳には僅かな失望の色が浮かんでいた。
(えっ。もしかして、小手調べであっさり負けちゃった訳、私……?)
 意外な事実を突きつけられて、イルの怒りのボルテージは一気に最下点まで降下。逆に、限りなくうつになる。 
 聖眼を手に入れたとはいえ、やはり専門的な訓練を受けていない自分の力は魔人には通用しないのか?
「そういう訳でして。どうか、正当防衛ということでお許し願えないでしょうか?先に戦いを仕掛けてきたのは、お嬢様の方でもありますし」
 だが、丁寧ながらも図々しい懇願に、彼女の精神のベクトルはまたもや反転した。 
 さきほどの攻撃は、明らかに過剰防衛である。
 カートゥーンみたく壁にめり込んだ時など、一瞬、走馬燈が頭の中を駆け巡ったほどだ。
「なにが正当防衛だ!死ぬかと思ったぞぉ!!」
 ボリュームを最大にして、レスフォールの耳元で怒鳴る。彼は、耳鳴りでも起こしたようによろめいた。
 気を良くして、イルはさらにまくし立てようとしたが、やめておいた。
 レスフォールを倒して、情報を手に入れようとしたことを棚に上げての一方的な非難はフェアではない。主従関係になかったら、殺されても文句の言えない立場だ。
「……てっ、あれ。ちょっと、待ってよ」
 と、そこで彼女は自分の肉体の異変に気がついた。
「なんか、身体が全然痛くないんだけど?」
 興奮していて発見が遅れたが、嘘のように痛みを感じない。
 身に纏ったドレスは、ところどころ破けて惨憺さんたんたる有様だったが、その下の肉体は出血している様子もなく元気なものだ。
 骨に異常はないかと手足を動かしてみるも、全く支障なく意思に従ってくれる。
(……どうなんてんの?)
 頭がこんがらがった。
 あれだけ苛烈かれつな攻撃を喰らったのに、怪我をした様子がまるでない。
 まさか、さっきのアレは幻だったのかと疑ったが、壊れた調度品類の散在する部屋の惨状と、台無しになったドレスがそを否定する。
「イル様のお怪我は、私が治しました」
 控えめな声が、レスフォールの背後から発せられた。
 小柄な影が、蕭々しょうしょうと歩み出てくる。
「お初にお目にかかります。私は侍女長を預かっております、リリアと申します。」
 長身の魔人の陰に隠れていたのは、黒いドレスを纏った銀髪の少女だった。彼女は足を揃え、慇懃に一礼する。
 イルはその第一印象をまるで幽霊みたいだと感じた。
 蝋人形ろうにんぎょうのような白い顔は美しいが、感情の色に乏しく、どこか病的なものを感じさせた。
 ドレスから覗く四肢は、儚いまでにせていて、少し力籠めて握ったら折れてしまいそうだ。 
「……あっ。ご丁寧にどうも、イルです。よろしく」
 不躾ぶしつけな視線をリリアに送っていたイルは、変な間が空いてしまって慌てて挨拶した。
 見るからに弱々しい娘だが、人間の、それも同年代くらいの少女の登場に、思わず心が緩む。
 これ以上、アルバトスやレスフォールのような顔が良いだけの非常識な戦闘狂に出てこられたのでは、たまったものではない。
(あ、でも、この娘。どうやって私の傷を治したんだろ?)
 だが、自分の受けた怪我は、応急手当で完治できるほどヤワなものでは無かったはずだ。見たところ彼女は、医療器具も持ってないようだし……
 そこで唐突に気づく。
「魔女!?」
 リリアは能面のような無表情のまま、わずかに頷いた。
 では、この少女もあのリゼリア同様、魔人の伴侶はんりょとなった人類の裏切り者だというのか?
「彼女は、この城の侍女の中では一番の古株でしてね。未成熟な子供(魔人の)などより、はるかに強力な魔力を備えています。とりわけ、治癒能力には目を見張るものがあり、重宝がられておるのです」
 得意そうにリリアを紹介するレスフォールを無視して、イルは彼女を凝視ぎょうしする。
 魔人の精を受け入れた娘は、魔的な作用によってホルモンの分泌異常を起こし、肉体に変質をきたす。筋肉、骨、神経、感覚器が、より高性能な機能を獲得し、さらに人間には無いいくつかの臓器が増設される。
 魔法が使えるような身体に生まれ変わるのだ。
 そして、それは人間であることの終演も意味する。
 魔人と契りを結んだ娘は魔女と呼ばれ、もはや法的にも生物学的にも人間ではなくなる。
 魔人同様、血と殺戮さつりくを好み、人の肉を喰らって生きるおぞましい怪物となのだ。                 
「そっか……ありがとう」
 イルは警戒心をはらんだ、上辺だけの感謝を告げる。
 目の前にいるのは、後天的に生まれた魔人の女性。許されざる背信者にして、人類の天敵である。
 イルは魔女にだけは絶対になるなと、繰り返し教育されてきた。もし、魔人に強姦されそうになったら、舌を噛みきってでも自害するのが女として当然なのだと。
「いえ、当然のことでございます」
 優雅に腰を折るリリア。
「イル様。ご用の時は、なんなりと遠慮無く申しつけてください」
 恭しいその態度は、まさに侍女の鏡だ。
「ではリリア。続けてこの部屋の掃除と、調度品類の修繕もお願いできますか?」
「承知いたしました」
 首肯するリリア。  
 白するぎるその手が、床に落ちた陶器に欠片に触れた。すると、まるで時を逆戻したかのように、周辺に散らばった欠片が集結してきて、継ぎ目1つ無い花瓶が組み立てられる。
 マジシャンもビックリの手際。もちろん、種も仕掛けもない。
 手で軽く触れるだけで、次々に形を失った調度品類を再生するリリアの奇跡を、イルは唖然と見つめた。 
「ではお嬢様。城の中をご案内いたします。まずは新しいお召し物を用意いたしますので、ここは彼女に任せて行くとしましょう」 
  レスフォールが、敬意を籠めた非の打ち所のない所作でイルの手を取った。  
「城の案内?面白そうだけど、そのまえに……」   
 彼女は乱暴に彼の手を振りほどいて、あっけらかんと告げた。
「お腹空いた。ご飯食べさせて」
 失笑と、拳骨げんこつが同時に降ってきた。       

 


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