レッドアイズ 2部   

第7話 魔宮まきゅう

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「ん……」
 薄い光が網膜もうまくを刺激し、朝の到来を告げる。
 深い眠りの世界に沈んでいたイルは、瞬きしながら目を開けた。
 身体が重い。
 まるで、二日酔いでもしたような最悪の気分だ。
 全身に沈澱した微睡まどろみの倦怠けんたいを追い払うように、頭を振りながら身を起こす。
 早寝早起きの習慣が染みついているはずの自分は、朝には強いはずなのに……
「ここ……どこ?」
 重いまぶたが被さるイルの瞳は、水の底を眺めるように周囲の景色をぼかして映す。
 金銀の光沢を放つ見事な調度品類が並ぶ、シックな部屋。
 床には真紅の絨毯じゅうたんが敷き詰められ、天井には目が潰れるような豪華なシャンデリアが吊る下がっている。
 お伽噺ときばなしに出てくる王族の居室を彷彿ほうふつとさせる、贅の限りを尽くした内装だ。
(なんだ、夢か……)
 まだ自分が夢の中にいると結論づけたイルは、再び仰向けに倒れた。
 柔軟かつ弾力に富んだベットが、洗練された紳士のようにその身を優しく抱き留める。 
 ふかふかの羽毛が甘美なる心地よさをもって、彼女を安らかな眠りへとコーディネートする。
「てっ!んな場合じゃない!!」
 イルは、瞼が閉じる寸前のところで跳ね起きた。
 脳裏にフラッシュバックする惨劇の記憶。
 彼女は新たに獲得された超感覚器官で、周囲の状況を素早く調べた。
 空間の隅々にまで神経の網を張り巡らし、そこにあるすべての真実を白日の下にさらす。
 部屋の間取りから、自分以外の生物の有無、調度品類の種類と材質、気温、湿度、とにかくあらゆるデータが瞬時に掌握された。
 その結果、とりわけ周囲の環境に危険な要素はないことが分かった。
 イル以外の人間は誰もいないし、罠らしき仕掛けもない。
 だた、細かなレリーフが彫られた扉には外から鍵がかけられており、解放された窓の向こう側は高度何百メートルという断崖絶壁になっている。
「あんちくしょう!私を監禁するつもりか!?」
 肩を振るわせて、イルは悪態をつく。
 つかつかと窓枠に歩み寄った彼女は、外を眺めようとして……違和感に気が付いた。
 身体を包む柔らかな肌触り。シルキータッチのナイロンなどとは隔絶した、優しい感触。
 そういえば、室内の状況に気を取られて自分の格好までは気が回らなかった。
 驚いて身体を見下ろす彼女は、さらなる衝撃に襲われる。
 眼下に広がっていたのは安手の私服ではなく、情熱的な赤を基調とするフォーマルドレスだった。
 芸術的に織り込まれたプリーツが、鮮烈に目に映える。
「わぁ!わっ!?」
 イルは転がるように鏡台の前に立った。 
 豪奢ごうしゃな銀のフレームに飾られた、王侯貴族御用達といった貫禄を漂わせる逸品である。  
 そこに映る自分の姿。
「おっ……」          
 ドレスは肩を流れる金髪と見事に調和し、着用者の魅力を最大限に引き立てる。
 華美でありながらも清楚。情熱的でありながらも可憐。
 馬子まごにも衣装とは良く言ったものだが、その様は真紅の大輪が咲いたように麗しかった。
「ちょっと、これはいいかもね」
 知らず知らずにほほが緩む。
 幼いころから男顔負けの乱暴者で、孤児院内では『女殺人拳』の異名取っていた彼女だが、やはり女の子である。
 童話のプリンセスストーリーに心弾ませ、お姫様に憧れた時期もあった。
 イルは悪戯いたずら心をもよおして、鏡の前でいろいろポーズを取ってみる。
 1人ドレッサーショー。
 ……我ながらバッチリ決まっているような気がした。
 なんだか、感動。 
「……って。ナルシスト精神炸裂させて、遊んでる場合じゃなかった」
 イルはハッと我に返り、赤面しながら窓際に戻る。
 そもそも着せ替え人形よろしく勝手に更衣させられているということは、誰かに素肌を見られたということだ。あまり、愉快な事実ではない。
 それに今は、自分が置かれている状況が具体的にどなっているのか、突き止めることこそ焦眉しょうびの問題だ。
 彼女は浮ついた心を鎮め、外を調べるべく窓枠から首を出した。
 とたんに吹きすさぶ突風が、イルの長い金髪を激流のように波立たせる。
「おっと!」
 暴れる髪を押さえつけ、外界に目を凝らした。
 ……目を凝らした。
 ………
 唖然。
 思考がブッツリ途切れ、頭が真っ白になる。
 視神経を通して伝えられた情報を、脳が現実として認識するには数秒の時を要した。
 血塗られたように紅い空。
 抜けるような青い空。
 星々の瞬く闇の空。
 昼と夕と夜が渾然一体こんぜんいったいとなった異形の天空――想像と理解を超えたアンビリーバボーな世界が、そこに広がっていた。
「……ぁぁっ」
 絶句。あまりの驚きに、言葉が出ない。
 空には2つの太陽があった。
 いや、その内の片方を太陽と呼んで良いかどうか……
 強い輝きを放って自己主張する太陽と、無明の闇をき散らして自己顕示けんじする黒い太陽――天を暗黒に染め、夜を生み出す理解不能な天体がある。
「な、なんだよ、これ……」
 空に君臨する2つの天体は、相剋そうこくするかのごとく光と闇をぶつけ合う。
 対極する2つの粒子はお互いを貪るように解け合い、空の中央で中間属性である夕焼けを現出していた。
 奇妙キテレツ。
 夢の中でしか存在を許されないような、それは狂気の産物だった。
 イルはめまいを覚えて、よろよろと後退する。
(ここは魔人たちの世界、奈落(アビス)だ!そうとしか考えられない!)
 気絶する以前の記憶と、外の景色を照合しょうごうして、彼女はそう確信した。
 学者たちの研究によると、魔人は通常世界とは位相を事にする異世界に居を構えているらしかった。
 らしかったと断定しないのは、聖天使宮殿の地下牢に投獄した魔人を拷問して吐かせた情報で裏付けしただけであり、誰もその異世界に足を踏み入れたことが無かったからだ。
「人類初の秘境踏破とうはてね……なはははっ」
 空虚に笑うと、全身の血が抜け落ちたような虚脱感が襲ってきた。
 イルはおぼつかない足取りでベットに戻り、悄然しょうぜんと腰掛ける。
「……どうしよ?」
 彼女の現状は、オオカミの大群が生息する絶海の孤島に放り込まれたに等しい。
 アルバトスに害意が無くても、それで命の危険がない訳ではない。
 それにもう一つ、非常に憂慮ゆうりょすべき問題に思い至った。
 あの時、リゼリアの生み出した異形の闇にライカも呑み込まれていた。 
 とすれば、彼女もこの世界に連れ込まれた可能性が高い。
 だが、自分と違ってライカは聖眼保有者でもなければ、魔人の血族でもない普通の人間。しかも、重傷を負っていて危険な状態だった。
「こうしちゃいられないわ!」
 魔人に喰われる友人の姿を想像したイルは、焦燥しょうそうに立ち上がった。
 恐怖や絶望といったネガティブな感情が、胸の奥でたぎる熱い塊に払拭ふっしょくされていく。
 どうせ、この部屋でアレコレ悩んでいても未来への展望はないのだ。
 ならば、行動あるのみ。
「よし!」
 イルは気持ちを切り替えるべく、自らの頬を叩いて喝を入れると、施錠せじょうされた扉を睨み付けた。
 頑丈そうだが、聖眼の力を得てパワーアップした今の自分になら壊せそうな気がする。
 彼女は扉の前に仁王立ちすると、静かに息を吐いた。
 一撃に満身の力を傾注するための、緊張をはらんだ精神統一。
「せぁ!」
 イルの渾身の蹴りが、扉に炸裂……しなかった。
 火花を散らして回転する視界。
 扉に刻まれた意味不明な紋様の表面を、光がなぞるように疾走したかと思った瞬間。彼女は不可視の衝撃波に見舞われ、背中から壁に叩きつけられていた。
「……っ!」
 激突のショックに肺腑はいふが圧迫され、一瞬呼吸が止まる。背骨がきしむ音を聞いたような気がした。
 床に転がったイルは、激しくせ返りながら、激痛にうめく。

 がんっ

 さらに追い打ちとばかりに、壁に掲げられていた絵画が墜落してきて後頭部を直撃する。情けなさメーターが、一気にイエローレベルまで振り切れた。
「ぐっぅううう……!くそうぅ、なんだよ!?」
 彼女は恨めしげに扉を睨み付けるも、扉は何事もなかったように沈黙していた。
 そこはかとなく、馬鹿にされている気分である……
 イルは聖眼のサーチ能力で再び扉の細部を調べてみるも、圧縮空気を撃ち出すような機械的な仕掛けは見受けられない。
 ただ、眼球の奥をチリチリと灼くような奇妙な違和感を感じる。
 おそらく、人間の知る物理法則とは理を異にする力によって構築された、魔人ならではのトラップが施されているのだろう。
「魔法のセキュリティシステムって、ところか」
 イルは歯噛みしながら立ち上がる。
 魔法によって閉鎖された扉を開ける方法など、彼女は知るよしもない。
 万事休すか。
 いや……
「ふんっ!おもしろいじゃない。扉の分際で、この私に楯突たてつくとどうなるか思い知らせてやるっ」
 イルは扉相手に、敵愾心てきがいしんを燃焼させた。
 鼻息も荒く、彼女は手近にあったソファを担ぎ上げる。
 創意工夫、小細工一切なしの堂々たる強行突破策。
 意外な重さに足下がふらつくが、イルはそれすら利用して転がるように扉に突貫する。
 だが、それに対し意思無きはずの扉は、再び自己防衛行動をった。
 流麗な軌跡を描いて光が走り、表面に刻まれた紋様が浮かび上がる。
「ぶっ!?」
 見えざる巨人の手に殴られたような衝撃。
 弾き飛ばされたイルは、またしても同じ壁に潰れたカエルのように張り付いた。
 その隣に激突したソファが、詰め込まれたクッション材を吐き出しながら床に転がる。
「と、扉の分際で……!」
 重力に従い、床とペッティングしたイルは屈辱にわなないた。
 魔人から友人を取り返そうと意気込む者が、たかが扉ごときに後れを取るとは笑止千万である。情けなさ爆発だ。
 痛みを意識の埒外らちがいに押しのけ、彼女は憤然と立ち上がる。   
「こうなったら最後の手段よっ」
 イルはまなじりを決すると、腰を落として身構えた。
 瞑目めいもくし、呼吸を整える。
 炎のような心とは対照的に、徐々に冷たく冴っていく頭。
 激情を御し、先鋭化された意識でもって奇跡を生む右目にアクセスする。
 両目を開く。 
 聖眼より溢れ出す熱い奔流が、右腕に収斂しゅうれんされていく感じ。
 この世ならざる不可視の力が――無明の炎が弓弦に引かれる矢のように、腕の中でたわめられる。
 やがてそれはイメージ的な感覚の枠を超え、紅の光を放った。
『電磁パイロキネシス』を発動する際に生まれる、副産物的な光輝だ。
「つっ……」
 右目に針で刺すような痛みが走り、全身が軋む。聖眼の特殊能力を使うための対価、力の反動。
 その苦痛を無視し、イルは行く手を阻む小憎らしい魔法扉を睨み据える。
 彼女の脳裏に浮かぶのは、リゼリアの魔法障壁を突き破り、魔女を骨髄液まで沸騰ふっとうさせた時の光景だ。
 あの時のように扉に仕掛けられた魔法を、聖眼の力によって撃ちやぶることができれば、ここを突破することができるだろう。
「はぁあああ!!」
 イルは裂帛れっぱくの気合いとともに、紅く輝く掌底を扉に叩きつけ……
 空を切る感触。
 予想外の事態に対応できず、身体は慣性に従って前につんのめる。
 なんとインパクトの寸前に、扉が外側に向けて開かれたのだ。
(まず……!)
 イルの眼前に立つのは、ラウンジスーツを隙無く着こなした青年。
 鋭い目元、薄い唇、整った鼻梁びりょう――怜悧れいりな顔立ちが出し抜けの驚きに染まる。
 彼女は慌てて聖眼の力をしずめようとするも、間に合わない。
 青年の胸元に、破滅の力が織り込まれた右腕が成す術無く吸い込まれ……
 永遠にも感じられるような、瞬き一瞬の交錯。
 イルは一陣の風が体側をすり抜けるのを感じた。
「おっと、危ない」
 脇から伸ばされた手に腰を抱えられ、身体が止まる。
  !!!
 有り得ない動きだった。
 回避不能なタイミングでの必滅の衝突を、青年は難なくスルーしてしまった。しかも、イルを支えるという、紳士的配慮のオマケ付きで。
 まるで身に降りかかる災難を、よめ見越していたかのように……
「よかった。お目覚めになられたのですね、お嬢様。」
 硬直したイルの耳元に、春風のようにさわやかな声が届けられた。

 


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