レッドアイズ 2部   

第6話 奈落の底へ

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「ずいぶんと嫌われたものだな。だが、議論している余地はない」
 アルバトスは顔をしかめながら、娘の腕を掴む。
 嫌悪のあまり、イルは触られた箇所が汚染されたような気分になった。
「触るな!くそぉ!!」
 彼女は懸命に身をよじり、魔人の手から逃れようとする。だが、それは虚しいあがきでしかない。
 魔法の縛鎖ばくさは、意志ある大蛇のように身体に絡みつき、一切の自由を奪っていた。
「なに、嘆くことはない。あの娘は、今頃あの世で仲間と再会を喜んでいるはずだ」
 揶揄やゆするような響きをはらんだ、酷薄な声音。
 一瞬、その意味を計りかねる。
《この世界にはもうお前の居場所などない。私がすべて奪うのだからな》
 唐突に、脳裏にフィードバックされるアルバトスの凶笑。
 そのとたん疑問を氷解させる閃きが、雷光のごとく心を貫いた。
「まさか、まさか……アンタは!?」  
 狼狽ろうばいするイルの予感を肯定するように、アルバトスはうなずく。
「バスケルナ修道院とか言ったな、お前が育った施設は……実にくだらん、下劣な欲望に支配された所だった」
 魔人の紅い虹彩こうさいの奥で、暗い想念を宿した光が揺れる。
今宵こよい、私は自分の気持ちをとうとう抑えきれなくなり、お前を引き取りにそこへ向かった。だが、応対に出たシスターにお前の所在を尋ねても知らぬ存ぜぬの一点張り、私はおかしいと思ってその女の記憶を調べた。すると、なんと自立する年齢を迎えた孤児に就職を斡旋すると偽って、人身売買組織に売り渡していたと言うではないか!?」
 常に紳士然としていたアルバトスの顔が豹変ひょうへんした。
 剥き出しの憎悪のほとばしらせ、彼は激昂げっこうする。
「お前が売られると知った私は、陽動も兼ねて、あの目障りな教会を地上から消滅させた。無論、女の脳内から必要な情報を全部吸いだした後にな!」
 衝撃。
 イルは、己を取り巻く世界が激震するのを体感した。
「……消滅させた?」
 彼女の唇から感情の色に乏しい、平坦へいたんな声が漏れる。
 『消滅させた』の一言が、壊れた蓄音機のように脳内で繰り返される。
 今回だけでなく、クリフがずっと以前から人身売買という卑劣な犯罪に手を染め、私腹を肥やしてきたという事実はショックだった。食うや食わずの幼少期を生き抜き、希望を持って巣立っていこうとしていた孤児たちを、あの男は食い物にしてきたのだ。
「消滅させただとぉ!?」
 だがそれ以上に、アルバトスへの怒りがイルの中で爆発した。
 今夜、この場を席巻せっけんしたジェノサイドの嵐が、彼の言葉が誇張でも狂言でもないことを証明している。
 この男は、目障りだからと言う理由ですべてをご破算にしてしまったのだ。
 懸命に生き抜こうとしている無垢むくなる命の花を、己の裁量でぜんぶ摘み取ってしまったのだ。
「悪魔!殺してやる!絶対に殺してやるぞ!」
 のどが張り裂けんばかりに絶叫するイル。
 今すぐにでも、この男に制裁の拳をぶつけたかったが、光の鎖がそれを許さない。
 彼女は、目頭から熱い涙がこぼれるのを抑えることができなかった。
 理不尽に泣き、無力さに震えた。
「では、イルよ。我が家へ帰るとしよう。こんなところに長居は無用だ」
 アルバトスは自らを断罪する娘の声など聞こえないかのように、彼女を抱きかかえた。
 唐突に足から地面の感触が消え失せたイルは、蜘蛛くもに捕らえられたちょうのように足掻あがく。
 心を蹂躙じゅうりんする嫌悪と恐怖。
 彼の言う我が家とは、魔人たちが住む奈落アビスと呼ばれる異界のことに違いない。
 そんなところへ連れ去られれば、もう2度と日の目を拝むことは叶わないだろう。
「やめろ、放せ!はなぁせ!」
 だが、いくら暴れようとしても身体は微動だにしない。
 魔法という蜘蛛の糸に絡み取られた少女は、完全に抵抗する力を奪われていた。
 無力。ひたすらに無力。
 イルが絶望を噛みしめたその時……
 
 ガガガガガ!!

 闇をけたたましい閃光が撹拌かくはんした。
 アルバトスの背中で弾ける、無数の火花。跳弾ちょうだんの残光。
「くっ!ハイエナどもめ、もうここをぎつけたか」
 つんのめりながら、魔人は舌打ちする。
 同時にホール内へ、武装した男たちが整然と突入してきた。
魔人狩りデビルイーター!」
 いくら半地下とはいえ、帝都のど真ん中で魔人が魔法を連発したのだ。近隣の人間が気づいて、通報を入れない訳がない。
 思わぬ救いの手に、イルは喝采かっさいを上げる。
 彼らは魔人殲滅のために組織された教会の特殊部隊だった。
 その構成員は全員が聖眼保有者であり、幼少から言語を絶する訓練を受けてきた魔人をも凌駕りょうがする戦鬼である。
 しかも、人間工学の粋を凝らしたインターセプター・ボディ・アーマーと感熱式兵器照準機(TWS)付き短距離制圧火器という鬼に金の重武装。各隊員が装着する集中光学バイザーは、総合型ヘルメット・アッセンブリー・サブシステム(IHAS)によって相互にリンクされ、指揮所からの指示を瞬時に受信、情報を余すこと無く共有することを可能にしている。
「むっ?魔人に捕らわれている少女は……お仲間(聖眼保有者)か!」
 隊員の1人が、驚きに声を上擦うわずらせた。
 戦士であることを強要される聖眼保有者は、魔人の恐ろしさを骨の髄まで知り尽くしている。そんな彼らの中に、1人で魔人に立ち向かうような愚か者など、まずいない。
「武装もせずに単独で魔人に挑むとは、勇敢というか無謀な娘だな。よし、無鉄砲ヒロインの救出としゃれこむか。各員、牽制しつつ、零距離戦闘モータルコンバットに持ち込め!」
 部隊長らしき男の指示を受けて、隊員たちが散開する。
 全く無駄のない一糸乱れぬ動きは、さながら団体でスズメバチに挑むミツバチの群を連想させた。
「邪魔をするな!」
 アルバトスの一喝と共に、周囲の空気が急激な熱量を帯びる。
 彼を中心にドーナツ型の爆炎が弾け、熱と衝撃の鉄槌てっついを隊員たちに加えた。
「ちっ!」
 だが、宙に投げ出された彼らは、見事な受け身を取ってダメージを逃がし、素早く起き上がる。 
 魔法による高熱も、ボディアーマーの耐火機能がシャットアウトしてしまったらしく、彼らの動きに遅滞はない。
「おら、お嬢ちゃん。ちょいと辛抱していな!」
「きゃっ、ひゃ!?」
 アサルト・ライフルの銃口が十字炎を吐きだし、アルバトスを穿うがつ。
 牽制と言いつつも、まるで遠慮のない集中砲火に、イルは生きた心地がしなかった。
 魔人狩り部隊が装備するTWSは、敵生命体の体温を感知して火器の照準を自動補正するという画期的なウェポン・サブシステムだ。素人の射手をベテランスナイパーに変身させてしまう魔法のような電子デバイスである。
 それを戦闘のプロ集団が操っているのだから、心配無用と思うが……

 ガガガガガガ!!

 否応なくイルは恐怖の虜にされた。    
 顔面のすぐ脇で弾ける火花。乱舞する閃光。
 魔法障壁を突破できずに跳ね返される弾丸、弾丸、弾丸の嵐!

 GOOOO!

 主の窮地に魔獣カルキが、怒りに燃える目を剥いた。
 百獣の王さえ怯ませるような雄叫び共に、魔獣は隊員たちい襲いかかるも……
「ほう、こりゃ可愛いワンちゃんだ」
 灼熱の鉛の豪雨が、彼を熱烈に歓迎する。
 鋼のような四肢に無数の穴が穿たれ、巨躯が瞬く間に解体された。
 魔獣は、ミンチ肉と化して床に激突する。
「……目障りな!」
 圧倒的物量の攻撃に、さしものアルバトスも気圧され身を引く。
 人海戦術による集中打は、単純ではあるが対魔人戦において最も効果的な戦法である。
 ふいに、イルの視界の端で銀光が閃いた。
 弾幕を隠れ蓑に肉薄した隊員の1人が、魔人の首筋に単分子カッターを振り下ろしたのだ。
 聖眼さえもあざむく、意識的死角を突いた迅雷じんらいの斬撃。
 
 どぉ!

 骨肉をえぐる生々しい音が響く。
 痙攣けいれんする隊員の背中から、アルバトスの右腕が生えていた。
 人間の常識をはるかに超越する反応速度が可能にした、神速の迎撃。
 刹那の交錯の勝者が、唇をほころばせる。
 魔人の名にふさわしい、獰猛どうもう愉悦ゆえつの笑み。
 そのとたん、魔法よって生み出された猛火が男の全身を包んだ。
「ケイン!?」
 人間松明が、室内を煌々こうこうと照らす。
 無惨な戦友の最期に、魔人狩りたちの間に赫怒かくどの波が走った。
「リゼリア、何をしている退散するぞ!」
 燃え崩れる亡骸をゴミのように投げ捨て、アルバトスが妻を叱咤しったする。
「は、はい……」
 それに応え、リゼリアは生まれたての子馬のようにヨロヨロと立った。
 どうやら応急措置が功を奏したようだが、全身大火傷の彼女は、生きているのさえ不思議な状態である。
「野郎、よくもケインをっ……!隊長、殲滅戦の許可を!俺の聖眼の力でヤツを切り刻んでやる!!」
「今の戦闘から、ヤツは最低でも男爵級以上の魔貴族だと推定されます。人質に構っていては、我々の方が危険です!」
 色めき立ち、怒号のような提案を上げる隊員たち。
 不穏当なその発言に、イルは血の気が引くのを感じた。
 魔人狩りの任務は、あくまで魔人の殲滅にある。人質の救出や怪我人の保護などは、二の次。それどころか聖務遂行のためならば、いかなる超法規的行動も看過かんかされることが条約で規定されていた。
「やむを得ん、殲滅戦に移行だ。各員の火器、聖眼の使用制限および、人質への配慮は解除する。まずは、そこの魔女から仕留めろ!」
 底冷えするような険を宿した隊長の下知。 
 それは、魔人への死刑宣告であると同時にイルへの殉教命令でもあった。聖眼の力を全開にして戦えば、闘いの余波は間違いなく彼女の身をも滅ぼすだろう。
「すまんな、お嬢ちゃん。救出は無しだ。アンタも聖眼保有者なら、世のため人のため、いつでも命を投げ出す覚悟はできているだろ?」
「冗談でしょ!?」
 インスタント聖眼保有者であるイルに、殉教の精神など無い。
 彼女は必死で抗議の声を上げるが、隊員たちは無慈悲にそれを黙殺する。
 彼らは『弱者から切り崩す』という冷徹れいてつな戦いのセオリーにならい、虫の息のリゼリアを睨み付け……     
 刹那、無数の殺意が具現化した猛威となって、少女に襲いかかった。
 見えざる刃が、不可視の打撃が、迸る稲妻が、灼熱の熱波が、極低温の粒子が――聖眼の喚起かんきする破壊の嵐がリゼリアに降り注ぐ。
「……ぐっ!」
 リゼリアは歯を食いしばって魔法障壁を展開するが、3秒と持たない。
 弾ける肢体。
 噴上がる血が、少女を凄惨せいさんな赤で染め上げる。
 だが、超常の猛攻が彼女の肉体を蹂躙し尽くす前に……   
 
 ゴォオオオ!!!
 
 鼓膜こまくをつんざく爆音が轟いた。
 血染めの床から噴き上がった炎が、地獄の業火のように隊員たちを呑み込む。
 標的からハズされ、精神集中の時間を稼いだアルバトスが、魔法を撃ったのだ。
 炎は怪物のように荒れ狂い、半地下の酸素を貪欲に消費する。
「こんな程度で、我々がひるむとでも……!?」
 初めは余裕の表情を見せた隊員たちだが、すぐに顔色が変った。
 炎の熱がボディーアーマーの耐久限界を超え、彼らの肉体に侵攻したのだ。
「……グリルにかけられた魚の気分は、どうかしら?」
 ふらつきながらも、傲然ごうぜんとリゼリアは天敵たちを冷笑する。
 苦しみ足掻く隊員たちは、手にした火器をメチャクチャに発砲した。
 炎は人間の原初の恐怖を喚起する。それは、ハイテク兵器に身を固めた兵士とて例外ではない。
 頼みの綱であるボディーアーマーを呆気なく破られた彼らは、ショックで理性が吹っ飛び、パニックを起こしてしまった。
「退け!魔法の効果圏外まで退避するんだ!」
 鋼の精神を失わなかった隊長が、声を張り上げて転進する。
 数名の隊員が、脇目もふらずその後に続いた。
「待ちたまえ。テイクアウトの品を忘れているぞ」
 アルバトスは、慌てて帰ろうとする客人を引き留めるかのように右手をかかげた。
 そのてのひらに、剣呑けんのんな光が収束する。
 球状に膨れあがったそれは、紫電を散らすプラズマだった。
「ぐぁ!?」
 弾丸の勢いで投擲とうてきされた雷球が、遁走とんそうする隊員の背中に大穴を穿つ。
 死の光球は、自ら意志を持つかのように彼らを追尾し、次々に体当たりを喰らわせた。
 散弾銃の直撃すら跳ね返すハイテク防護服を紙ぺら同然に突き破り、それは屍の山を築く。
「そ、想定外の事態だ!おそらく、奴は中位以上の位階を持つ……!」
 恐怖で染め抜かれた隊長の声が、半ばにして途切れる。
 音速で飛来したホーミング雷球が、彼の頭部を消し炭にしてしまったのだ。
「た、隊長!?」
 交錯する悲鳴と怒号。
 そして、断末魔。
 魔人狩りたちは統制を失い、壊滅状態に陥った。             
「相手が悪かったわね。お馬鹿さんたち」
 リゼリアが、昏倒こんとうするライカの首を掴んで引き寄せる。
 そのとたん、盾にされた少女の右肩が弾け、大きく抉れた。
 炎に沈みながらも反撃を試みた隊員の炸裂弾頭が、ライカの肩を血肉の花火に変えてしまったのだ。
 飛散した赤が、焼けただれたリゼリアの肌に新たなまだらを作る。
「ぐそぉお……!」
 一矢報いることができなかった隊員は、冥土の奥から響くような無念の叫びを残して業火に没した。
「見事な囮役おとりやくだったなリゼリア。その分だと影移動にも、支障はないな?」
「はい、問題ありません……」
 苦痛を微笑の下に隠して、少女は気丈に告げる。
 やせ我慢しているのは明白だったが、アルバトスはさして頓着とんちゃくしなかった。      
「では、おいとましよう」
 魔人の声が、かすれゆくイルの意識に届く。
 荒れ狂う炎は周囲を酸欠状態にし、彼女の視界を闇へと追いやっていた。
(くそ、くそぅ……)
 重力が無くなったような奇妙な浮遊感。
 魔人の足下にわだかまる闇が濃度を増し、まるで底なし沼のように彼の身体を呑み込んでいく。
 リゼリアの操る、影を媒介にした空間転移である。
 徐々に影の中へと埋没していく4人。
 やがてイルは、自らの心身が完全に闇に溶けるのを感じた。        

 


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