レッドアイズ 2部   

第4話 無明むみょうの炎

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 「……私が聖眼保有者!?」
 イルは興奮に上擦った声を上げた。
 天上世界とのチャンネルを開き、神の力を降臨させるという超感覚器官『聖眼』。
 それは造物主が人類に与えてくださった、猛悪なる魔人に対抗するための切り札である。
 1パーセントにも満たない極少の出生率で生まれてくる聖眼保有者は、魔を追う狩人として超人的な能力を享有きょうゆうする。
 魔法によって再生したイルの右目は、可視光を捕らえるばかりでなく、多元的な情報を収集していた。
 尋常な眼球でないことは、瞭然りょうぜんである。
 これが、世に言う聖眼でなくてなんなのか?
 イルは黎明れいめいが差したように、目の前が明るくなるのを感じた
 自分は《出来損ない》などではない。聖戦士と崇められる魔の狩人、聖眼保有者オッド・アイなのだ。
 その実感が確かなものになるにつれ、彼女の心をせきを切ったような歓喜が席巻せっけんする。
「すごい……すごいぞ、これは!!」
 己の置かれている状況も忘れ、イルは興奮にわなないた。
「聖眼!イルちゃんの右目が、本当に!?」
「すごい……!」
 息を呑んで、イルを見つめる2人の少女。唐突な出来事に動揺しているのが、ありありとうかがえる。
 思わぬ幸運の女神の思し召しに、イルは嬌声きょうせいを上げて酔いしれた。
 だが、その時……
「まあ。それは、それは、本当にどうもおめでとう。ですが……」
 どこからともなく、峻烈しゅんれつな悪意をはらんだ少女の声が響く。
 いままで気配すら窺わせなかった、第三者の声音。
 浮かれたイルの心は、一気に氷点下に冷却される。
「だ、誰だ!?」
 彼女は驚いて周囲の空間をサーチした。
 世界の隅々にまで己の神経を張り巡らせるような、感覚。
 この超感覚の前では、いかなる擬態ぎたい隠蔽いんぺいも無意味だ。それこそ魔法による不可視迷彩でも行わない限り、聖眼を欺くことはできない。
 だが、室内にそれとおぼしき娘の姿は皆無だった。
 スピーカーやマイクの類も、さきほどの天井の崩落で破壊の洗礼を受けてしまっている。
 特定不能の音源。
 まさか幽霊の訳がないし、そうなると可能性としてあるのは……
 思考が最悪の結論を弾き出すのと同時に、聖眼が密度を増す闇の粒子をとらえた。
「危ないライカ!そこから、離れて!」
 燃えるような焦燥しょうそうに、イルは警告を発する。
 キョトンとするライカ。
 その背後にわだかまる闇が、無の存在であることを放棄して、形を成した。
 闇を突き破り、白磁のような腕が伸びる。それは獲物にからみつく大蛇のごとく、ライカの首に巻き付いた。
「あまりはしゃぎすぎると、惨めです。貴女はしょせん、醜いアヒルの子から醜い白鳥の子に生まれ変わったのにすぎないのですから」
 波打つかのようなプラチナブロンドが閃き、暗黒の中より典雅てんがな少女の面貌が現れる。
 イルはその身に宿った超感覚で、その一部始終を見届けた。
 なにもない空間から――影の中から、少女の身体が生えてくるという異常現象を。
「な、なんだ、お前は!?」
 イルは色めき立って、激しい誰何すいかを発する。
 聖眼というリーサルウェポンを得て生まれ変わった興奮など、残らず消し飛んでしまった。
 魔に属する者たちが、理解の範疇はんちゅうを超えた怪物であることは知悉ちしつしているが、知っているのと体感するのとでは全く違う。少女の魔法を目の当たりにしたイルは、その荒唐無稽ぶりに改めて身震いした。
「なんだお前は……ですって?下品な娘ね。私はリゼリア・イングライム。アルバトス様の伴侶はんりょにして、仮にも貴女の義理の母にあたる者なのですよ」   
 口調こそ丁寧だが、リゼリアの言葉の端々には滴るような猛毒が含まれている。
 初対面であるはずなのに、彼女はイルに底知れぬ敵意を放っていた。
「リゼリア、一足先に帰ったのではなかったのか?傷は大丈夫なのかね?」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、アルバトス様にお仕えするのが妻である私の務めであり、喜び。貴方様が、この娘をご所望であるとおっしゃるのなら……及ばずながら全力でお手伝いさせていただきます」
 怪訝けげんそうな主人の質問に対して、リゼリアは花がほころぶように微笑する。同姓であるイルすら思わず見惚れてしまうような、天使のような笑顔……
 だが、イルに向き直ったリゼリアの瞳は、刺々しい光を秘めて決して笑っていない。
 その静かな威迫いはくに、彼女はかつてない脅威を覚えて後退った。
 全身の毛穴が収縮し、鳥肌が立つ。
「では、まず魔力の補填ほてんを行わなくては。怪我の治療に、力をかけすぎてしまいましたので」
 リゼリアは、イルの反応を楽しむかのように薄く笑う。美しい顔が、酷薄に歪んだ。
「なっ!?」
 ずぶっと粘土に手を突き入れるように、リゼリアの白い指がライカの首に埋る。ライカは黒瞳を大きく見開き、激痛にかすれたあえぎ声を漏らした。
「フフフ……この娘、どうやら処女のようですね。血に生気が充ち満ちている」
 魔女の指が不自然に蠕動ぜんどうし、少女の身体が感電したように痙攣けいれんする。
 魔法によって吸血器官に形態変化したリゼリアの指が、ライカの大動脈から血を吸い上げているのだ。こともあろうに、この背信者はライカを糧にしようとしている!
「や、やめろ!!」
 その事実を引き金として、イルの中で何かが弾けた。
 怒りの炎が胸の奥で乱舞し、目の前が真っ白になる。
 イルは怒号と共に、床を蹴立ててリゼリアに突進した。
 灼熱する彼女の激情に応え、全身の筋肉が驚異的な瞬発力を発揮する。
 一挙に目前に迫るリゼリア。
 頭に血が上ったイルは、相手がどんな生き物であるかも失念していた。
 彼女は渾身の力を込めて拳を振るう。

 ガギ!

 飛散する紅。
 何もない空間に堰き止められた拳が、血と肉片を散らした。防御力場に抉ぐられた指が、内に秘めた鮮烈な白を晒す。 
「他人の食事の邪魔をするなんて、失礼にも程があります。まったく、どういう教育を受けてきたのかしら?」
 涼しい顔をしたリゼリアが、陰惨いんさんな喜びを込めて言い放つ。   
 彼女は鉄壁の魔法障壁を周囲に張り巡らせ、イルの攻撃を完全にシャットアウトしていた。
(つううっ!?)
 疾走する痛みが、イルの意識を塗りつぶす。
 だが、彼女の胸中で荒れ狂う炎はいささかも衰えない。それどころか、さらに勢いを増した。
「た、たす……け」
 魔女の生け贄にされるライカが、かすれた声で訴える。
 瑞々しい彼女の肌は艶を失い、死人のごとく青ざめていた。ふくよかな四肢が、見る見るうちにガリガリに痩せていく。ライカという少女が、壊れていく。
「くそぉおおおお!ライカを放せぇえ!!」
 イルは残った左腕を振り上げる。
 吹き飛ぶ理性。
 怒りと焦燥しょうそうに、頭が破裂しそうだった。
「お馬鹿さん。あなたの非力な力で、私の魔法障壁が破れると思って?」
 リゼリアは、狂犬のようなイルの闘志に憫笑びんしょうを漏らす。
 魔人の花嫁になるという人類最大の禁忌を犯した少女は、無様を晒すイルをせせら笑った。
 
 ドォオ!!

 イルはライカを助けたい一念で、魔女に左拳を撃ち込む。
 脳髄を焼く、熾烈しれつな激痛。
 魔法障壁に激突した拳は、力場の反作用によって砕かれ、血に染まった。
 それでも彼女は力を緩めずに、拳を押し込こむ。
 ここで退くわけにはいかない、退けばライカの命は露と消える!
 だが、その時……
 ふいにイルの全身が重くなり、視界がぼやけた。
 貧血でも起こしたかのように、頭が朦朧もうろうとする。
 熱くみなぎる気力に反して、体中から力が抜け落ちていく。
(……なんだっ?) 
 だが、霞がかる意識の中で、左拳だけが鮮烈なまでに熱い。灼熱を宿して猛っている。
「なっ!?そ、そんな……バカな!」
 リゼリアの美貌が、驚愕に染まった。
 彼女を守る不可視の壁に、亀裂が生じ始めている。それは、あっという間に蜘蛛くもの巣状に広がり、圧力に耐えかねて砕け散った。

 ギュオオオオオオ!!!!

 イルの左手が、炎のような紅を帯びて輝いた。それは魔力の光輝、宇宙の法則を破壊して組み替える、反逆の光。
 魔人より受けついだ、紅き右目が起こす奇跡。
「――っ!!」
 障壁をぶち破ったイルの拳が、リゼリアの顎に炸裂した。
 インパクトと同時に、拳に込めらたエネルギーが魔女の体内に侵攻する。
 よろめくリゼリアの身体が膨れあがり、総身で小爆発が起こった。
 熱で膨張した血液が、血管を破って体外に噴出したのである。
 煮えたぎる鮮血は瞬時に蒸発し、異臭を放つ水蒸気となって大気を汚す。
 リゼリアはライカを放し、狂ったように悶絶もんぜつした。
「いやぁあああああ!?」
 絶叫を上げる魔女の皮膚が、泡立ってただれ落ちる。
 目の覚めるような白い肌が、灼熱の赤に蹂躙じゅうりんされていく。
 イルの聖眼の特殊能力は、炎のように身体の外面を焼くのではなく、対象を内部から加熱する熱攻撃タイプのものだった。一度決まったが最後、対象者は脳をも瞬間沸騰させられ、灼熱地獄の中でのたうちながら神の御許へと召される。
「リゼリア!?」
 妻の窮地きゅうちにアルバトスが動いた。
 彼がリゼリアを抱き留めると、彼女の身を焼く無明の炎は急速に鎮火に向かう。
 魔人の魔法がイルの力を中和し、消し去ったのだ。
「あぁ、ばとす…」
 体中の血液を沸騰させられながらも、魔女は辛うじて生きていた。熱で声帯か言語中枢がいかれたらしく、彼女は呂律の回らない言葉を紡ぐ。
 月の女神もかくやの美貌は、熱で醜く爛れ、抜群のプロポーションを誇る身体は穴だらけの肉塊と化していた。
 直視に耐えぬ、グロテスクな惨状である。
「やった……」
 精根尽きたイルは、その場に膝を折った。
 両手は骨を外気に晒し、とめどなく溢れる鮮血にテラテラと光っている。
 聖眼の特殊能力を使った反動であろうか、身体はフルマラソンをやり終えた後のように疲弊ひへいしていた。今すぐにでも、横になって眠りたい衝動に駆られる。 
           だが、彼女はまだ休むわけにはいかなかった。
「まさか、不完全な魔眼の力でリゼリアに致命傷を与えるとは……なんともすばらしい潜在能力だ。さすがは、私の娘」
 妻を胸に抱きながら、アルバトスは誇らしげにイルを見つめる。
 だが、イルは魔人の視線を歯牙にもかけずに受け流し、気絶したライカの様子を調べた。
「ライカ、大丈夫?……な、わけないか」
 体液のほとんどを吸い出された少女は、ミイラのようにせ細った危険な状態だった。脈はあるようだが、早急な輸血が必要であることは明白である。
 イルは、憤懣ふんまんとやるせなさに肩を震わせた。
 罪もない彼女が、なぜこんな仕打ちを受けねばならないのか?
 理不尽な暴力をさも当然のように振るう魔族に、彼女は初めて個人的な憎しみを抱く。
「さあイル、こっちにおいで。その手を治してあげよう。なに、遠慮は要らない。私たちは親子だ。」
 アルバトスは鷹揚おうような笑みを浮かべ、迎え入れるように片手を差し出した。
「あんたは……!」
 イルは顎がきしむほど奥歯を噛みしめながら、魔人を睨み付ける。
「どういうつもりなんだよ?ライカをこんな目にあわせて!この娘は私の家族も同然なんだぞ、ひどいじゃないか!?」
罠にはまった自分たちを救い、右目を治してくれたアルバトスに対して、イルはわずかながらも親愛の情を芽吹かせていた。
 自分の父親が魔人だと知ったときはショックだったが、人類の怨敵である彼らにも、肉親に対する情があると悟った。
 それだけに、彼が妻の凶行を黙って見過ごしたことに対する怒りと失望は強かった。
「家族?バカなことを。曲がりなりにも誇り高き魔貴族の血を受け継ぐお前と、その小娘が同類だとでも言うのか?」
 アルバトスは吐き捨てるように言い放つ。
 重体のライカを一瞥いちべつした彼の目は、汚物でも見るような露骨ろこつ侮蔑ぶべつを宿していた。

 


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