| 照明の落ちた半地下のディスコは、水を打ったような静寂に支配された。 今し方まで、この狭い空間を占有していた熱気は、 恐怖におののく少年たちは、ライオンと同じ檻に放り込まれた兎のようだった。 彼らは身を寄せ合って震え、その男を 爆発を伴って現れた、スーツ姿の 赤く光る彼の 「ま、魔人……?帝都のど真ん中に!?」 体中の細胞が凍てつくような恐怖に、イルは 魔人は、人間を喰らって生きる地上最悪の肉食獣だ。 その天敵を前にして、彼女の生存本能は特大の 目の焦点は魔人のみを定めて微動だにせず、喉は空気を吸うことさえ忘れてカラカラに乾いた。 だが同時に、イルの冷静な部分が、ど派手に登場した魔人の暴挙に疑問符を浮かべていた。 いかに彼らが常識はずれの戦闘能力を備えていようと、組織立った人間のハンターには 魔人出現の通報を受ければ、極限の戦技を身に修めた狩人たちが、押っ取り刀で駆けつけてくる。特に帝国の首都であるここレムリアでは、厳重な警戒体制が敷かれ、中隊規模の戦力が10分以内には現場に投入された。 それだけの それ故、魔人はレムリアを鬼門として寄りつかなかった。 この人の楽園を血で汚した同胞が、いかなる運命をたどってきたか、彼らは だが、この男はそのセオリーを無視して、示威的な破壊行為に及んだ。 よほど己の力に自信があるのか、それとも何かの陽動なのか。 最強の戦闘生物である彼らに、基本的な戦術もわからぬ馬鹿はいない。なにかしらの意味があるはずだ。 「お前たち。よくも、私のかわいい娘に、汚い手で触れてくれたな」 人の姿をした怪物が、亀裂のような笑みを浮かべて およそこの世の者とは思えない、憎悪と 「うぅわあああ!!」 その叫びは、追いつめられた獣の 少年の一人が、やぶれかぶれになって懐から拳銃を抜く。 近年、低年齢層の犯罪は凶悪の一途をたどり、不良少年グループの抗争で密造銃が使われることも珍しくなかった。 ナイフやメリケンサックの延長として、銃器までもが ガン!ガン! 鼓膜を破るような轟音の二重奏と共に、マズルフラッシュが闇を切り裂く。 拳銃を握った少年の腕が、弾かれたように跳ね上がった。その強烈な反動からして、相当、大口径の拳銃のようである。 「そんな……!?」 だが、 魔人は銃撃されたにも 2発目の銃弾は、リコイル作用によって 鉛玉は紳士に直撃すると、まるで鋼鉄に激突したかのように火花を散らして跳ね返された。 これが、かの有名な魔法障壁の効果である。 魔力により構成された不可視の鎧で、魔人は全身を防御コーティングしているのだ。 「なにボサッとしてやがるんだ、おまえら!!数ならこっちが上だぞ、殺られる前に殺るんだ!」 絶望がその場を支配する直前、ジャックとかいう少年が、腕を振り上げ どうやら、彼がこの悪ガキどものリーダーであるらしい。 その一喝で、魔人に気圧されていたチンピラたちの 「お、おお!」 闇の中で、スライドを引き、弾丸を装填するオートマチック拳銃の操作音が連続する。 死を振りまく鋼の凶器が、四方八方から魔人に突きつけられた。 一人を取り囲んでの、一方的なリンチの構図。 だが、少年たちの握る拳銃は主の怯えを伝えて小刻みに震えている。 表面だけいくら強がって見せても、本能に根付いた天敵に対する恐怖はぬぐえない。 生命の危機に 「オモチャで遊ぶ気かね?」 その挑発が、口火役となった。 一斉に火を噴く銃口。 弾丸が灼熱のシャワーとなって、紳士に降り注ぐ。 (な、な!?) 計らずとも拘束から解放された形となったイルは、耳朶を塞いで床に伏せながら、その光景を目の当たりにする。 魔人の総身を纏って やがて、撃鉄が虚しい空振りの音を響かせるようになった。 弾切れである。 「に、逃げろ!しゃれんなってねぇぞ!!」 情けない悲鳴を上げて、少年たちは 弾薬が尽きれば、もはや彼らに魔人に対抗する手段はない。 天敵に対する知識は持っていても、その実体については何一つ知らなかったが故の蛮勇。群れて粋がった末の火遊びの代償は、あまりに大きかった。 「待ちたまえ」 穏やかな声音と共に、穏当ならざる一陣の烈風が、床面スレスレを薙いだ。 次の瞬間、出口に殺到していた少年たちは、一人の例外もなく床に突っ伏す。 「きゃああああああ!!」 少女たちの悲鳴が、血の噴水に花を添えた。 見えざる魔法の刃による斬撃。魔人が作り出した長大な刃状の力場平面が、彼らの足首を輪切りにしたのである。 少年たちは、地獄の底から響くような苦悶を上げた。 鉄錆びた 「い、いてぇええ!?」 「勝手に退場してもらっては困るな。まだ返礼が済んでいない」 自らの血の海で跳ね回る少年たちに、魔人は その右腕が、突如、チューブのように膨張した。ブランドもののスーツの袖が、内側からの圧力によって張り裂ける。 「お前たちには究極の苦痛と恐怖を味わってもらおう。生きながら喰われるのだ」 細胞の異常増殖によって巨大化する、魔人の腕。 やがて、それは腕としての形状を逸脱し、異常極まる器官へと変貌していく。 盛り上がる筋肉が、キチン質の皮膚に覆われ、五指が肉の内側に埋没する。掌だった箇所に大きく裂け目が入り、鋭利な牙が覗く顎を形成した。 魔法による自己改造。捕食のための形態変化。 紳士の肩から先が、人間の腕とは似ても似つかぬ竜の頭に取って代わる。 それは魔人が食事のために形成した、第2の口だった。 空想を現実世界に転化することのできる魔人は、肉体という概念に囚われることなく、自由な姿に変身できた。身体の一部を、用途に応じて別の器官に変えることなど、朝飯前である。 GOOOOOO!! 完成された竜頭が、喜悦に満ちた産声を上げた。 その様は、まるで魔人の身体に寄生した別個の生き物のようだ。 「ひっ!?」 さすがのイルも、そのおぞましい変容に悲鳴を漏らす。 人間を喰らうための捕食器官。醜悪なそれは、見る者の生理的嫌悪感を刺激せずにはいられない。 「来るななああ!!」 魔人はことさら恐怖を 恥も外聞もなく取り乱した少年たちは、手で 儚くも必死の抵抗だった。 悠然と彼らに追いついた魔人は、竜頭で少年の一人に喰らいつく。 獰猛な牙がその身体を噛み潰し、引き裂いた動脈から熱い 長々と尾を引く悲鳴が、地獄の旋律となって流れる。 「うわぁああああ!?」 開演する血の宴。 魔人はいささかの手心も加えず、次々に獲物を頬張っていった。 気が狂ったように泣き叫ぶ少年たちが、竜の口の中に消えていく。 噴き上がる血飛沫。 「ふむ、若くて歯ごたえがあるが、処女肉に比べたら、やはり味が劣るな」 酸鼻な虐殺劇の主役が、つまらなそうに 外食で出されたディナーに寸評を加えるような、気負いのない態度。 己の右腕に貪り食われる人間の嘆きなど、彼にとっては食事中のBGMでしかないのであろう。 「た、助けてぇえ……」 両足を失った少年の一人が、毒々しいレタリングの文字が踊る出入り口の扉にたどり着く。 彼がドアノブに手をかけた途端、扉は外側からの衝撃に突き破られた。 飛び込んでくる、黒い疾風。 巨大質量を備えたそれは、進行上にあった少年の身体に激突し、木っ端微塵に粉砕した。 バラバラになった人体のパーツが、血の海の上にぶちまけられる。 「捕らえてきたか」 魔人の頬が緩む。 惨劇の現場に乱入してきたのは、漆黒の体毛で全身を覆った、巨大な犬だった。 いや、これは犬ではない…… 犬に似て異なる異形の怪物。 耳まで裂けた凶暴な口に中年男性をくわえたこの生き物は、額に一角獣のような角を生やしていた。 ねじくれ歪んだ禍々しい角。殺意に餓えた、燃えるような赤い 狼すら可愛く思えてくるほどの、魔獣である。 「神父様!?」 失禁しそうになるのを懸命に堪えていたイルは、 怪物に捕らえられているのは、彼女たちを金で売ったクリフだった。 「あ、あぅ……」 口から泡を吹く背徳者は、意味不明の どうやら恐怖で、おかしくなっているらしい。 「目障りだ。始末しろ」 魔人が、 ゴシャ! 同時に、僅かなタイムラグもなく、クリフの身体が原型を失った。 絶妙な力加減で彼の襟首を掴んでいた魔獣の顎が、その身を挟んで閉じられたのである。 鮮血が、果汁のように歯肉の間から漏れて滴る。 骨を砕き、肉を貫く 殺したいほど憎んだ男の呆気ない最後を、イルは呆然と見つめた。 なんだか、悪夢の中にいるような現実味のない光景である。 (…しんぷ、様?) どんな非道な男であろうとも、クリフはイルの育ての親だ。当たり前に見慣れた顔が、これから永久に見られなくなったのだと知ったとき、彼女の心に空虚な風が吹いた。 全身の力が抜け、イルはへなへなとその場にへたり込む。キュロットスカートの裾が血で汚れたが、頓着しなかった。 「イル以外のゴミには用はない。カルキ、綺麗に平らげて良いぞ」 クリフを胃袋に収めた魔獣は、主人とおぼしき魔人の言葉に嬉しそうに喉を鳴らした。そして、己の本能の 「さあ、やっと……やっと、会えたなイル」 暴虐の限りを尽くす魔人が、放心状態のイルの元に歩み寄ってくる。 彼の面相からは険が取れ、 |