レッドアイズ 2部   

第2話 血塗られた再会

トップへ戻る

戻る    一覧に戻る    次へ


 

 照明の落ちた半地下のディスコは、水を打ったような静寂に支配された。
 今し方まで、この狭い空間を占有していた熱気は、微塵みじんも残っていない。
 恐怖におののく少年たちは、ライオンと同じ檻に放り込まれた兎のようだった。
 彼らは身を寄せ合って震え、その男を凝視ぎょうししている。
 爆発を伴って現れた、スーツ姿の闖入者ちんにゅうしゃ
 赤く光る彼の双眸そうぼうは、暗がりから獲物を狙う餓えた猛獣を彷彿ほうふつとさせた。
「ま、魔人……?帝都のど真ん中に!?」
 体中の細胞が凍てつくような恐怖に、イルはすくみ上がる。
 魔人は、人間を喰らって生きる地上最悪の肉食獣だ。
 その天敵を前にして、彼女の生存本能は特大の半鐘はんしょうを打ち鳴らす。
 目の焦点は魔人のみを定めて微動だにせず、喉は空気を吸うことさえ忘れてカラカラに乾いた。
 だが同時に、イルの冷静な部分が、ど派手に登場した魔人の暴挙に疑問符を浮かべていた。
 いかに彼らが常識はずれの戦闘能力を備えていようと、組織立った人間のハンターにはかなわない。
 魔人出現の通報を受ければ、極限の戦技を身に修めた狩人たちが、押っ取り刀で駆けつけてくる。特に帝国の首都であるここレムリアでは、厳重な警戒体制が敷かれ、中隊規模の戦力が10分以内には現場に投入された。
 それだけの魔人狩りデビルイーターに包囲されれば、例え魔貴族とて、殲滅させられるのは必定である。
 それ故、魔人はレムリアを鬼門として寄りつかなかった。
 この人の楽園を血で汚した同胞が、いかなる運命をたどってきたか、彼らは知悉ちしつしている。帝都の住人を喰らった魔人は、例外なく死体となって研究ラボ送りだ。
 だが、この男はそのセオリーを無視して、示威的な破壊行為に及んだ。
 よほど己の力に自信があるのか、それとも何かの陽動なのか。
 最強の戦闘生物である彼らに、基本的な戦術もわからぬ馬鹿はいない。なにかしらの意味があるはずだ。
「お前たち。よくも、私のかわいい娘に、汚い手で触れてくれたな」
 人の姿をした怪物が、亀裂のような笑みを浮かべて恫喝どうかつする。
 およそこの世の者とは思えない、憎悪と嗜虐しぎゃくに染まった笑顔。それが、限界まで張りつめた恐怖の均衡を崩す。
「うぅわあああ!!」
 その叫びは、追いつめられた獣の咆哮ほうこうを思わせた。
 少年の一人が、やぶれかぶれになって懐から拳銃を抜く。
 近年、低年齢層の犯罪は凶悪の一途をたどり、不良少年グループの抗争で密造銃が使われることも珍しくなかった。
 ナイフやメリケンサックの延長として、銃器までもが喧嘩けんかにもちこまれるとは、世も末である。 
 
 ガン!ガン!
 
 鼓膜を破るような轟音の二重奏と共に、マズルフラッシュが闇を切り裂く。
 拳銃を握った少年の腕が、弾かれたように跳ね上がった。その強烈な反動からして、相当、大口径の拳銃のようである。 
「そんな……!?」
 だが、窮鼠猫きゅうそねこを噛む反撃は、絶望を広げただけで終わった。
 魔人は銃撃されたにもかかわらず、平然と立っている。
 2発目の銃弾は、リコイル作用によって明後日あさっての方向に飛んだようだが、少年の放った最初の弾丸は確実に命中していた。当っていたが、効かなかったのだ。
 鉛玉は紳士に直撃すると、まるで鋼鉄に激突したかのように火花を散らして跳ね返された。
 これが、かの有名な魔法障壁の効果である。
 魔力により構成された不可視の鎧で、魔人は全身を防御コーティングしているのだ。
「なにボサッとしてやがるんだ、おまえら!!数ならこっちが上だぞ、殺られる前に殺るんだ!」
 絶望がその場を支配する直前、ジャックとかいう少年が、腕を振り上げげきを飛ばした。
 どうやら、彼がこの悪ガキどものリーダーであるらしい。
 その一喝で、魔人に気圧されていたチンピラたちの面貌めんぼうに、獰猛どうもうな色が蘇った。
「お、おお!」
 闇の中で、スライドを引き、弾丸を装填するオートマチック拳銃の操作音が連続する。
 死を振りまく鋼の凶器が、四方八方から魔人に突きつけられた。
 一人を取り囲んでの、一方的なリンチの構図。
 だが、少年たちの握る拳銃は主の怯えを伝えて小刻みに震えている。
 表面だけいくら強がって見せても、本能に根付いた天敵に対する恐怖はぬぐえない。
 生命の危機にさらされているのは、魔人ではなく彼らなのだ。
「オモチャで遊ぶ気かね?」
 その挑発が、口火役となった。
 一斉に火を噴く銃口。
 弾丸が灼熱のシャワーとなって、紳士に降り注ぐ。
 狭隘きょうあいな空間に幾重にも反響する銃声が、凄まじい轟音となって聴覚を直撃した。
(な、な!?)
 計らずとも拘束から解放された形となったイルは、耳朶を塞いで床に伏せながら、その光景を目の当たりにする。
 魔人の総身を纏って繚乱りょうらんと咲く、跳弾の火花。
 怒濤どとうの猛攻は、一発たりとも怪物の身体に届いていなかった。スーツに穴すら穿うがつことなく、銃弾はすべて魔法障壁に弾かれている。
 やがて、撃鉄が虚しい空振りの音を響かせるようになった。
 弾切れである。           
「に、逃げろ!しゃれんなってねぇぞ!!」
 情けない悲鳴を上げて、少年たちは蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出した。
 弾薬が尽きれば、もはや彼らに魔人に対抗する手段はない。
 天敵に対する知識は持っていても、その実体については何一つ知らなかったが故の蛮勇。群れて粋がった末の火遊びの代償は、あまりに大きかった。
「待ちたまえ」
 穏やかな声音と共に、穏当ならざる一陣の烈風が、床面スレスレを薙いだ。
 次の瞬間、出口に殺到していた少年たちは、一人の例外もなく床に突っ伏す。   
「きゃああああああ!!」
 少女たちの悲鳴が、血の噴水に花を添えた。
 見えざる魔法の刃による斬撃。魔人が作り出した長大な刃状の力場平面が、彼らの足首を輪切りにしたのである。 
 少年たちは、地獄の底から響くような苦悶を上げた。
 鉄錆びた芳香ほうこうを上げる鮮血の濁流が、凄まじい勢いで床をめていく。 
「い、いてぇええ!?」
「勝手に退場してもらっては困るな。まだ返礼が済んでいない」
 自らの血の海で跳ね回る少年たちに、魔人は陰惨いんさん嘲笑ちょうしょうを向ける。
 その右腕が、突如、チューブのように膨張した。ブランドもののスーツの袖が、内側からの圧力によって張り裂ける。
「お前たちには究極の苦痛と恐怖を味わってもらおう。生きながら喰われるのだ」
 細胞の異常増殖によって巨大化する、魔人の腕。
 やがて、それは腕としての形状を逸脱し、異常極まる器官へと変貌していく。
 盛り上がる筋肉が、キチン質の皮膚に覆われ、五指が肉の内側に埋没する。掌だった箇所に大きく裂け目が入り、鋭利な牙が覗く顎を形成した。   
 魔法による自己改造。捕食のための形態変化。
 紳士の肩から先が、人間の腕とは似ても似つかぬ竜の頭に取って代わる。
 それは魔人が食事のために形成した、第2の口だった。
 空想を現実世界に転化することのできる魔人は、肉体という概念に囚われることなく、自由な姿に変身できた。身体の一部を、用途に応じて別の器官に変えることなど、朝飯前である。 

 GOOOOOO!!

 完成された竜頭が、喜悦に満ちた産声を上げた。
 その様は、まるで魔人の身体に寄生した別個の生き物のようだ。
「ひっ!?」
 さすがのイルも、そのおぞましい変容に悲鳴を漏らす。
 人間を喰らうための捕食器官。醜悪なそれは、見る者の生理的嫌悪感を刺激せずにはいられない。
「来るななああ!!」
 魔人はことさら恐怖をあおるような、ゆっくりとした歩調で少年たちに歩み寄っていった。
 恥も外聞もなく取り乱した少年たちは、手でいずってまでも出口を目指す。    
 儚くも必死の抵抗だった。
 悠然と彼らに追いついた魔人は、竜頭で少年の一人に喰らいつく。
 獰猛な牙がその身体を噛み潰し、引き裂いた動脈から熱い血潮ちしおをしぶかせた。
 長々と尾を引く悲鳴が、地獄の旋律となって流れる。
「うわぁああああ!?」
 開演する血の宴。
 魔人はいささかの手心も加えず、次々に獲物を頬張っていった。
 気が狂ったように泣き叫ぶ少年たちが、竜の口の中に消えていく。
 噴き上がる血飛沫。
 散華さんげする命が開花させる鮮血の花が、崩落したディスコを艶やかに彩る。
「ふむ、若くて歯ごたえがあるが、処女肉に比べたら、やはり味が劣るな」  
 酸鼻な虐殺劇の主役が、つまらなそうにうそぶいた。
 外食で出されたディナーに寸評を加えるような、気負いのない態度。
 己の右腕に貪り食われる人間の嘆きなど、彼にとっては食事中のBGMでしかないのであろう。
「た、助けてぇえ……」
 両足を失った少年の一人が、毒々しいレタリングの文字が踊る出入り口の扉にたどり着く。
 彼がドアノブに手をかけた途端、扉は外側からの衝撃に突き破られた。
 飛び込んでくる、黒い疾風。
 巨大質量を備えたそれは、進行上にあった少年の身体に激突し、木っ端微塵に粉砕した。
 バラバラになった人体のパーツが、血の海の上にぶちまけられる。
「捕らえてきたか」
 魔人の頬が緩む。
 惨劇の現場に乱入してきたのは、漆黒の体毛で全身を覆った、巨大な犬だった。
 いや、これは犬ではない……
 犬に似て異なる異形の怪物。
 耳まで裂けた凶暴な口に中年男性をくわえたこの生き物は、額に一角獣のような角を生やしていた。
 ねじくれ歪んだ禍々しい角。殺意に餓えた、燃えるような赤い炯眼けいがん。隆起した、鋼のごとき筋肉。
 狼すら可愛く思えてくるほどの、魔獣である。
「神父様!?」
 失禁しそうになるのを懸命に堪えていたイルは、素っ頓狂すっとんきょうな声を上げる。
 怪物に捕らえられているのは、彼女たちを金で売ったクリフだった。
「あ、あぅ……」
 口から泡を吹く背徳者は、意味不明のあえぎ声を漏らしている。
 どうやら恐怖で、おかしくなっているらしい。
「目障りだ。始末しろ」  
 魔人が、唾棄だきするかのような下知げちを下す。

 ゴシャ!

 同時に、僅かなタイムラグもなく、クリフの身体が原型を失った。
 絶妙な力加減で彼の襟首を掴んでいた魔獣の顎が、その身を挟んで閉じられたのである。
 鮮血が、果汁のように歯肉の間から漏れて滴る。
 骨を砕き、肉を貫く咀嚼音そしゃくおんが、薄闇を満たす。
 殺したいほど憎んだ男の呆気ない最後を、イルは呆然と見つめた。
 なんだか、悪夢の中にいるような現実味のない光景である。
(…しんぷ、様?)
 どんな非道な男であろうとも、クリフはイルの育ての親だ。当たり前に見慣れた顔が、これから永久に見られなくなったのだと知ったとき、彼女の心に空虚な風が吹いた。 
 全身の力が抜け、イルはへなへなとその場にへたり込む。キュロットスカートの裾が血で汚れたが、頓着しなかった。
「イル以外のゴミには用はない。カルキ、綺麗に平らげて良いぞ」
 クリフを胃袋に収めた魔獣は、主人とおぼしき魔人の言葉に嬉しそうに喉を鳴らした。そして、己の本能のおもむくままに、這いずり回る少年たちに襲いかかる。
 阿鼻叫喚あびきょうかんの狂宴の第2ステージが幕を開けた。
「さあ、やっと……やっと、会えたなイル」
 暴虐の限りを尽くす魔人が、放心状態のイルの元に歩み寄ってくる。
 彼の面相からは険が取れ、慈父じふのような笑みをたたえていた。

 


  トップへ戻る

                         戻る    一覧に戻る    次へ