レッドアイズ 2部   

第1話 出来損ないの娘

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 天井をつたのようにうネオンが、勝手気ままにまたたく。
 何色もの光線が、幾重いくえにも絡み合い、シックな室内を極彩色に染めていた。
 目障りな光の乱舞。
 長時間こんな場所にいたら、色彩感覚がおかしくなってしまうだろう。
 偏頭痛をもよおすような、悪趣味な部屋である。
 イルは左目を固くつぶって、カラー光線を視界から閉め出した。
 それでも網膜もうまくに焼き付いた光の残滓ざんしが、未練がましくチカチカと点滅する。
「うぇ。神父様、趣味悪いよこの店」
「あっ?」
 彼女は親代わりの引率者に、むくれ面で抗議するが、室内に反響するサウンドに掻き消されてしまう。
 血のたぎりをぶつけるかのような、激しいエレキギターの旋律。猛る魂を宿した情熱的なシャウト。
 濁流のごとき強烈な音のうねりが、アーティストたちの絶技によって、クライマックスへと高まっていく。
 最近、ルーティルトで人気急上昇中のロックバンドの演奏である。
 もちろん、生演奏ではない。
 備え付けられた巨大アンプとスピーカーが、それに近い上質の音色を最大ボリュームで再生しているのだ。
「もう頭がおかしくなりそうだよ。別の所に行こうよ」
 イルは怒鳴るような声を、顔を乗り出してきた養父――クリフ神父の耳朶じだに叩きつけた。
 音楽自体は、それなりに楽しめるのだが、いかせんそれに合わせて踊り狂っている連中が恐ろしい。
 彼女は、店の中央のダンスホールをちらりと盗み見る。
 そこにいるは、思い思いに髪を染め、故意に破いたようなボロの服装をした少年たちだった。彼らは、腕や足、顔にまで一生消えないタトゥーを刻み、暴力的な演奏に身を任せている。
 公共良俗から逸脱いつだつした、典型的なチンピラスタイル。まともな格好をした人間は、一人もいない。
 ここはいわゆる、不良のたまり場という奴ではないだろうか?
「馬鹿を言うな。ここは、私の知り合いの店だ。だから、特別に2割引にしてもらえるんだぞ」
 クリフは、イルの訴えをにべもなく一蹴いっしゅうする。
 脂ぎった丸い顔に、黒豆みたいな小さい瞳。
 服装はよれよれのワイシャツに、色落ち始めたズボンというセンスの無さ。
 無精髭ぶしょうひげを生やした彼の風貌ふうぼうは、できれば他人のフリをしたくなるくらい、だらしがなかった。聖職者ではなく、路上生活者と偽っても通用するだろう。
 それもそのはず、クリフは賭博にのめり込みんだツケで多額の負債ふさいを抱え、ギリギリの生活を余儀なくされているのだ。
 これが世間からは人格者と尊ばれる孤児院の責任者だというのだから、情けなくて涙が出てくる。
「今日は、私たちの巣立ちを祝うためのパーティーでしょ?そんなケチ臭いこと言わないでよ」
 イルは、唇を尖らせて反駁はんばくした。
 今夜は、孤児院より独り立ちの時期を迎えた、彼女たち3人の祝賀会である。
 その主役が楽しめなくて、なんのための宴会なのか?そもそも祝賀会の費用は、半分がイルたちの自腹である。
 イルの両隣に座った2人の少女も、ムスッとした様子でつまみを食べていた。
 癖のある赤毛のジェシカと、鮮やかな黒髪のライカ。イルと一つ屋根の下で暮らしてきた、血の通わぬ家族である。
「ケチ臭いだと?上から支給される少ない予算で、私はお前たちを養育しているんだぞ。文句を言うな」
 クリフは、不機嫌そうに鼻を鳴らして娘たちを睨み付ける。
 借金で身を持ち崩し、孤児院の経営を破綻寸前まで追い込んだ男の台詞とは、思えぬ暴言だ。
 彼の目は傲慢ごうまんに濁り、罪悪感の一片もうかがえない。
 己の不祥事ふしょうじが、孤児たちにさらなる清貧を強要していることなど何とも思っていないらしい。
「それより、しゃくをしろ。もう、コップの酒が無いじゃないか」
 酒臭い息を吐きながら、神父は居丈高いたけだかに要求してくる。
(くそ、この生臭坊主!)
 イルは、偉そうにふんぞり返った養父に内心歯噛みした。
 この男ほど、社会に流布るふされる聖職者のイメージから、かけ離れた神父はいないだろう。
 地位と給料を保証してくれる相手に対しては、必要以上にびへつらうが、肝心の子供たちに対しては無関心。 
 上から命令された仕事だから仕方なくガキの面倒を見ているだけ、そんな本音がクリフの言動の端々に見え隠れしていた。
 彼がイルたちに注ぐのは愛情ではなく、怠惰と悪意。賭博に負けた憂さ晴らしに殴られることなど、日常茶飯事だった。
 こんな男の支配する孤児院など、彼女にとっては牢獄も同然である。
 イルは一日でも早く、この生活から抜け出すことを夢見て生きてきた。そして、その日は確かな現実となって、もう目前まで迫ってきている。
 今年で彼女は16才になった。法律では、大人と同義で扱われ、就職もできる年齢である。
 イルは今、職業相談所に通って就職の斡旋あっせんをしてもらっている。職さえ決まれば、こんなクソ親父などとは、すぐにでもおさらばだ。
「はい、はい。注げばいいでしょ?注げば……!」
 イルは、引ったくるように卓上のビール瓶を取ると、黄金に泡立つ液体を養父のコップに注ぎ込む。
 怒りのもった酌を終えると、彼女は勢いよくテーブルの上に瓶底を叩きつけた。
「ちっ。出来損ないの小娘が」
 その様子がカンに障ったのか、クリフは顔をしかめて舌打ちする。
「な、なんだとぉ〜?」
 イルの脳内血管が、怒りにぶち切れた。
《出来損ない》という言葉は、彼女の身体コンプレックスを直撃する禁句である。
 イルは己の身体の欠損を、物心ついたときから恨めしく思って育ってきた。
「イルちゃん、押さえて、押さえて」
「忍耐よ、忍耐」
 握りしめた拳を震わせる彼女を、両隣に座ったジェシカとライカが懸命になだめすかす。
 短気なイルのブレーキ役を、この2人はいつも買って出ていた。
 友人たちの制止を振り切ってまで、育ての親に手を挙げるのは、さすがにためらわれる。
 殺意を含んだ視線でクリフを射抜きながら、イルは己の激情と道徳の間で激しく葛藤かっとうする。
「……ああ、ごめん。大丈夫だよ、2人とも」
 彼女はマグマのごとく噴出しかけた怒りを、なんとか腹の底に引っ込めた。
「ふん」
 そして、もう口もきくものかと、鼻を鳴らして腕を組む。
 イルの容姿は、ある一点を除けば誰もがうらやむくらい整っていた。
 モデルと言っても通用しそうな、すらりと伸びたスレンダーな長身。
 清流のように肩をこぼれる金髪は、月華げっかのごとき艶を放ち。引き結ばれた唇は、薔薇ばらつぼみのよう。
 しかし、典雅てんがな顔立ちに穿うがたれた致命的な傷が、彼女の美貌を台無しにしていた。
 イルには右目が無いのである。
 右の眼球が、まぶたごと、まるで抉られたように存在していなかった。
 なまじ、緑色の虹彩こうさいを宿した切れ長の左目があるだけに、落ちくぼんだ眼窩がんか醜悪しゅうあくさが一層際立つ。 
 あってしかるべきパーツが欠損したイルの顔は、異形のものである。いかにその他の要素が、他の少女より魅力的であっても、その致命的な差は覆せない。 
 それ故、孤児院の中では男の子たちから《出来損ない》《化け物》と呼ばれてからかわれた。近所の大人たちからは、哀れみとさげすみ目を向けられた。
 無論、そのような心ない男連中には、しかるべき鉄拳の制裁を加え、見下すような態度を取ってくる大人は徹底的に無視してきた。
 だが、そんな強硬な姿勢で己を取り繕っても、事実は変えようがない。 
 だから、イルは絶望していた。そして開き直っていた。
「よう、神父さん。その娘たちかい?」
 リズムに乗って身体を揺らしていたチンピラの一人が、踊るのをやめて近づいてきた。
 知性のかけらも見受けられない野卑やひな顔に、小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを浮かべている。
「おお、ジャック。そうだ、注文通りの若い娘たちだろう?」
 神父は立ち上がって、いかにも親しげに若者と握手を交わす。
 その様子に、イルは不吉なものを覚えた。
「神父様。誰だよその人?まさか、その人までに酌をしろって言うんじゃないだろうね?」
 威圧するよな低い声で、彼女は問う。もし、想像通りだとしたらあまりにも自分たちを馬鹿にしている。
 巣立ちの祝いだなんて偽って連れ出しておいて、ホステスのまねごとをさせるつもりか。
「気に入ったぜ、じゃ、これは約束の金だ」
「おお!」
 イルを無視して、彼らは金の受け渡しをする。
 チンピラがふところより魔法のように取り出した札束に、神父の目が釘付けになった。
「奮発してくれたな。これからもよろしく頼むぞ。まだウチには、9匹ほどストックがあるんだ」
 クリフは、金銭欲丸出しの下品な笑みを浮かべて、紙束を鞄の中にねじ込む。
 そして、そのままいそいそとその場から退散しようとした。
「ちょっと待てよ」
 うなじの毛がそそり立つような危機感に、イルは慌ててクリフを呼び止める。
 なにか取り返しのつかない事態が、進行しているような気がした。
 いつの間にか、不良少年たちが粘着ねばつくような視線を向けながら、こちらに集まってきている。音楽も止み、照明もつつましやかな電灯の明かりに変わっていた。
「すまんな、イル。おまえら、もうすぐ院を出ていくだろう?だから、最後に育ての恩を返してもらうことにしたんだ」
 背中を丸めたクリフが振り向きもせずに、弁明めいたことを言った。
(なに?……って、まさか)
 彼の言葉の意味に気づいたとき、イルの全身から血の気が引いた。
 考えられない。考えたくもない最悪のシナリオが、彼女を打ちのめす。
「おまえら、かわいそうだな。育ての親に売られるなんてよ」
 クリフに金を渡した少年が、腹を抱えて哄笑こうしょうを上げた。
 それを皮切りに、チンピラたちは爆笑の渦に包まれる。
 欲情し、薄汚い嗜虐心しぎゃくしんを剥きだしにした下卑げびた笑い。
「ひっ……!」
 少年たちの猛毒のような悪意にさらされたジェシカとライカは、その場にすくみ上がってしまう。
 イルは絶望の中で、目眩めまいがするほどの怒りに襲われた。
 いかに金策にあえいでいるとはいえ、孤児院を任される聖職者が育ての娘を人身売買にかけるとは……
「てめぇ!ふざけるな!!」
 憎悪の塊となった彼女は、テーブルを蹴ってクリフに突撃する。
 こいつはほんとに人間か?この男のはらわたを引き裂いて、流れている血が本当に赤いか確かめたい心境だった。
 だが、クリフに一矢報いるより先に、彼女は少年の一人に腕を掴まれる。
「へ〜、片目の潰れた出来損ないがいるとは聞いていたが、案外、いけてるじゃないか」
 その男は、ヤニ臭い口臭を吐き散らしながら、イルの顔を覗き込んだ。
 間髪入れず、彼女は劣情に染まった相手の顔面に頭突きを食らわす。         
 虚を突かれた少年は、鼻から血の噴水を上げてうめいた。
「汚い手で、触れるなぁ!」
 イルは、相手をぶっ飛ばして気炎きえんを吐く。
 頭を真っ白に埋め尽くす怒りで、恐怖を追い払う。
「このアマ!」
 脳天を襲った衝撃に、目の奥で火花が散った。
 イルは自分が何か鈍器のような物で、後ろから殴られたのだと悟る。
「この……!」
 一瞬遠のいた意識を懸命につなぎ止め、彼女は肘鉄ひじてつを背後に見舞う。
 人体に仕込まれた凶器とも言える肘。例え女の細腕であったとしても、使いようによっては十分に男を倒せる奥の手となる。
 肉を断つ、確かな手応え。
 卑劣にも背後からイルを狙った少年は、膝を折って崩れる。
 だが、彼女の奮闘ふんとうもここまでだった。
 女だてらに護身術を習っていたのが幸いして善戦できたが、男女の筋力差は歴然。しかも多勢に無勢と来ている。
 次の瞬間、怒濤どとうとなって押し寄せた少年たちに、彼女は呆気なく床に組み伏せられた。         
「舐めたマネしやがって、てめぇはただ犯すだけじゃすまねぇぞ!」
 怒気をみなぎらせたチンピラの一人が、イルの頭を踏みつける。
 床と靴底に圧搾あっさくされて、彼女は痛みにもだえた。
 耳をつんざく、少女の悲鳴。
 見れば、少年たちがジェシカとライカに餓えたピラニアのように殺到している。
「助けて、イルちゃん!たすけぇてぇええ!!」
 うごめく彼らの間から、衣類を引き裂く、耳障りな音が響いてきた。 
「ジェシカ、ライカ!ちくしょぉおおおお!!」
 押し寄せる理不尽な運命に、イルは絶叫を上げる。
 全身の血液が、怒りと屈辱に沸騰ふっとうするかのようだった。
 欲情に狂った獣たちは、彼女の身体も毒牙にかけようと、その胸元に手を伸ばす。
 その時……       

 ごぉおおおん!!

 大砲の弾でも降ってきたかのような轟音。
 亀裂が走ったと同時に、ネオンだらけの天井が崩落ほうらくする。
 床に激突する瓦礫は、少年たちを容赦なく圧殺し、鮮血による大輪だいりんの花を咲かせた。
 「いてぇええ!」
 乱痴気騒らんちきさわぎの場は、濃霧のような噴煙に包まれ、一瞬にして苦痛と悲鳴が蔓延まんえんする地獄と化した。
 苦悶くもんする者、愕然がくぜんとする者、動かぬ者。突然の惨事に、少年たちは大混乱に陥る。
「い、一体なんだ……?」
 呆然と、イルは呟く。
 仰天ぎょうてんした少年たちは、彼女の拘束を緩めている。今こそ、逃げ出す絶好のチャンスだ。
 イルは冷静にそのことを判断していたが、なぜか身体が動かなかい。 
 まるで心臓を鷲掴わしづかみにされたような言い知れぬ恐怖が、彼女を束縛する。
 本能が。
 遺伝子の奥に刻まれた捕食者への恐れが、降ってきた物の正体を見るより先に理解していた。
「こんばんわ。そして、さようなら、虫けらの諸君」
 場違いなまでに落ち着き払ったバリトン(男性の中音域)が響く。
 それは、まるで冥府の底から流れるような、冷たい殺意を孕んでいた。
 崩落の中央より歩み出る長身の影。
 夜より暗い漆黒の衣装を纏った壮年の紳士が、噴煙の中より現れる。
「あ、ああ!」
 少年の一人が、失禁しながら彼を指さす。
 紳士の整った面貌の中で、地獄の業火のように燃える赤い瞳が燐光を放っていた。  
 「魔人!?」
 少年たちの声音に、いままでの威勢は露ほども無かった。

 


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