レッドアイズ 2部

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 夜空に光柱となって林立する摩天楼まてんろう
 色とりどりのネオンが開花させる光の花々が、地上を埋め尽くす。
 過剰な電飾は、月を天に頂く街を、昼さながらにライトアップしていた。
 星々すらかすませる人工の光。
 光の洪水。
 ここは、夜という自然の営みを拒絶する不夜城。
 合理化を推進し、利便化を志向し、ゆとりと無駄を捨てた勤勉の街。
 困窮こんきゅうを憎み、差別を呪い、資本主義によって旧体制を形骸化けいがいかせしめた人の楽園。
 ルーティルト帝国の帝都レムリア。
 人類史上かつてない繁栄はんえいを遂げた大都市である。
「まったく最近の人間の街というのは、どうしてこう自虐的なのか」
 その呟きは、行き交う車の騒音に掻き消され、闇の中に霧散むさんした。
 言葉を発したのは、糊の利いたスーツの上に、漆黒のインバネスを羽織った壮年の男性である。
 年の頃は、30半ばくらい。
 豊かな顎髭を蓄えた、堀深い端正な顔立ち。
 洗練された物腰はエレガントで、何人にも犯しがたい気品を備えている。 
 繚乱りょうらんと咲くイルミネーションの下を、悠然と歩くその姿は孤高の狼を思わせた。
 そんな完璧に調和のとれた容姿に、ただ一つだけ他人に違和感を覚えさせる要素が混入している。
 高い鼻梁びりょうの上を横切る、黒い太線――サングラスである。
 太陽光から目を保護するミラーシェードを、男は宵闇よいやみを過ぎた後までかけていた。
(不自然の巣窟そうくつだな、ここは)
 雑踏を行く彼の目には、レムリアが哀れをもよおすほど愚劣な街に映る。
 ここで生活している人間たちは、徹底して闇を放逐ほうちくし、光のみを追い求めることが、栄華の階段を昇ることだと思いこんでいる。
 それによって生じた矛盾むじゅんや不合理が、自分たちの心をむしばみ、社会問題として噴出しても決してかえりみることはない。
 強迫的なまでに豊かさを求めて、周囲の環境を自然の摂理せつりから逸脱いつだつさせていく。
「やはり、こんなところに、あの娘を預けておくことなどできん」
 彼は裏路地の一角まできたところで、足を止めた。
 死にかけたアーク灯の目障りな明滅の下で、彼の長身の影が踊る。
 表通りの熱気とは無縁の、冷たい静寂せいじゃくに満ちた路地。
 人通りは皆無。
 居るのは、ポリバケツをひっくり返して残飯をあさっている野良犬だけだ。
 耳障りな街の騒音も、ここでは鳴りを潜めている。
「やっと……」
 万感を込めた呟きと共に、彼は顔の上半分を隠すサングラスに手をかける。
 色眼鏡を外しながら、目前の建物を仰いだ。
 次の瞬間。
 闇の中に、き火のような赤い両目が映える。
 ノーブルな男の面貌めんぼうに灯る、赤き異形の瞳。
 それは、地上のいかなる民族も持ち合わせることのない、人外の虹彩色こうさいしょく
 あまねく人の心に恐怖を喚起かんきする、魔なる者の証《レッドアイ》。
 そう、彼は人間ではなかった。
 人を食料とする、知性を備えた最強最悪の肉食獣――魔人。
 魔法という絶対権力を振りかざして生態系の頂点に君臨する、猛悪なる人類の天敵である。
 魔人の唇が、ほころんだ。
 まるで憑き物が落ちたような愉悦ゆえつが、彼の心を満たす。
「迎えに来たぞ、イル」  
 魔人が見上げるのは、こぢんまりとした教会だった。
 都会の片隅に、申し訳なさそうに立つ煉瓦れんが造りの古い建物。
 シスターたちの手による清掃が行き届いているのか、小綺麗な印象があるが、外観は相当傷んでいた。
 pHペーハー6を下回る酸性雨に打たれ続けた壁は無残に腐食し、屋根はひび割れている。
 その有様は、成す術無く朽ちゆく重病人を思わせた。
「お待ち下さい、アルバトス様!」
 教会の扉をノックしようとした魔人を、ふいに切迫した少女の声が呼び止める。
 音源無きソプラノ。周囲に、彼以外の人影は無い。
 同時に、街灯が生み出す魔人の影に異変が生じた。
 アスファルトに張り付いていた人型の闇が、下から突き上げられたように盛り上がる。
 影は急速に膨張、確かな質量を備えた3次元の存在に変わっていく。
「リゼリア。何をしに来たのかね?」
 忌々しそうに眉間みけんしわを寄せながら、魔人は自らの影に向き直った。
 影は、肌色を宿し、繊維による衣類を纏い、少女の姿に変貌する。
 これは、手品でも幻でもない。
 影を媒介ばいかいにした空間転移である。
 魔人とその眷属けんぞくは、妄想を現実世界に具現化させる超常の異能――魔法の力を持つ。
 それを応用すれば、遠く隔たった空間同士を媒介を通して直結させ、瞬時に飛び越えるような芸当も可能だった。
 まさに神の創造した世界の法則を勝手に改竄かいざんする、悪魔の秘技。物理法則に縛られる人間を嘲笑あざわらうかのような、馬鹿馬鹿しいほど強力な能力である。
「アルバトス様、どうか御自重下さい。おきてを破ってまで、出来損ないに執着するなど……もし、こんなことが女王陛下のお耳に知れたら!」
 影より現れた娘は、悲痛な面相で訴える。
 薄闇の中でも映える、白磁はくじのように白い肌。背中を流れ落ちる、木漏れ日を宿したような美しい金髪。
 ノースリーブのドレスに包まれた肢体したいは、女性の願望そのままの完璧なラインを描いている。
 目の覚めるような美貌を持った少女である。
「出来損ない?」
 少女――リゼリアの言葉を反芻はんすうするアルバトスの声は、氷点下に凍えていた。
 一度捨てたといえ、自分の娘を《出来損ない》呼ばわりされたのだ。
 沸騰ふっとうするかのような激情が、彼の脳天を貫く。
 己の顔が般若はんにゃの形相に変わっていくのが、自覚できた。
「あ……も、申し訳ありません」
 氷刃めいた主の声に己の失言を悟のか、リゼリアは蒼白となって謝罪する。
 だが、紫水晶のような瞳に宿った意思の光は、いささかのかげりも見せなかった。固く堅持した不退転の決意が、縮こまった少女の総身より静かに漏れている。
「リゼリア。いくらキミでも、言って良いことと悪いことがある」 
 アルバトスは肩の力を抜いて、なんとか憤激ふんげきを沈めた。
 リゼリアは、決して間違ったことは言っていない。
 この星最強の生物である魔人族は、生態系のバランスを保つためか、生殖能力に重大な欠陥があった。
 女王の直系を除いて、種族に男性しか存在しないのである。
 そのため彼らは、人間の娘を見初めて伴侶はんりょとし、子を受胎じゅたいさせる。
 だが、異種間交配は、常に危険が伴った。時にそれは次代を担う後継者ではなく、災いの種となりかねない奇形児を生み出してしまうこともある。 
 16年前にアルバトスと彼の前妻との間で生まれた娘――イルは、悲惨ひさんなことにまさにその《出来損ない》。人間でも魔人でもない、怪物としてこの世に遣わされた。
出来損ないの奇形児は、分娩ぶんべんしてすぐに処分するのが太古からの慣例である。
 だが、彼には自分の娘を呪われた存在と割り切って始末することなど、到底できなかった。
 苦悩したアルバトスは、イルの奇形部分だけを除去して、地上に捨てた。
 魔人の世界で生きられないのならば、せめて人間としての生を全うさせてやろうと温情をかけたのだ。
 無論、それは表沙汰おもてざたになれば厳罰の対象となる重罪である。
 その過去の汚点とも言うべき娘を、アルバトスはいまさらになって手元に引き取ろうというのだ。正気の沙汰ではない。
 リゼリアはアルバトスの伴侶(妻)として、道を踏み外そうとしている彼をいさめているのである。
「とにかく、城に戻りなさい。私もすぐに帰る」
 アルバトスは慈しみを込めて彼女をさとす。
 リゼリアは、前妻に代わって契りを結んだ彼の伴侶だ。よほどのことが無い限り、寛容かんように接しなければならない。
「わかりません。アルバトス様、どうしてそこまであの娘にこだわるのですか?」
 だが、リゼリアは唇をきつく噛みながら主に食い下がった。
 その身体は、嫉妬しっとという魔物に取り憑かれ、小刻みに震えている。
 アルバトスが、前妻との娘を迎えに行くと決意したその日から、リゼリアは狂おしいまでのジェラシーにわなないていた。
 例え実の娘とはいえ、別の女に主人の寵愛ちょうあいを奪われることが彼女には耐えられないらしい。
 そんな執念深いリゼリアに、アルバトスはほとほと閉口していた。
「くどいぞ、リゼリア。私が決めたことが不服なのか」
「どうか思い止まってください!お家の名誉に傷が付くだけでは、すまされません」
 悲壮なまでの大音声を上げて、リゼリアは彼に詰め寄る。
 彼女の視線が、矢のように彼を射抜いた。
「……今は、イルのことが最優先だ。上手く立ち回れば問題ない」
 アルバトスは、すげなく言い放って教会の扉に向かう。
 これ以上、妻の悋気りんき(嫉妬)につき合っていたら、せっかく固めた決心がぐらつく。何より不愉快だ。
 魔人と血盟を結び、伴侶という名の召使いになった女が、主の意思に逆らうなど本来許されざることである。
「ダメです!どうかご再考を」
「しつこいぞ」
 口調の穏やかさとは裏腹に、彼が放った裏拳は鋼鉄をも粉砕する威力を秘めていた。
 それは駆け寄ってきたリゼリアの鳩尾みぞおちに、正確に決まる。
 まるでカタパルトから射出されたかのごとく、少女は吹っ飛んだ。

 ガァアン!

 リゼリアは廃ビルの壁に激突し、はりつけにされたようにめり込む。
 肉が砕け、弾け飛んだ血糊が、砕かれたモルタルの破片と共に闇に舞った。
「ぐは!?」
 人間なら確実に絶命していただろう。ビルに縫いつけられた少女は、ハエ叩きで打たれた虫のように潰れる。
 だが、魔貴族アルバトスの力を受け継いだ魔女であるリゼリアは気を失うこともなかった。
 彼女は、美貌を激痛で歪めながら、すがるような目で主人を見つめる。
 アルバトスの打擲ちょうちゃくを受けた胸部は、大口径の重火器に撃たれたかのような大穴が開いていた。
「先に帰って、治療を受けてなさい」
 しかし、アルバトスはそんな彼女を最早一顧いっこだにしなかった。
 抑揚よくようのない冷たい声を背中越しに投げかけ、教会の扉を叩く。
 妻への冷遇とは正反対の気持ちが、彼の心臓を高鳴らせた。
 早く本物のイルに会いたい。
 長い間、家臣たちを狂奔きょうほんさせて、ついにこの広い地上から娘の消息を突き止めたのだ。
 親のいないイルは、絶望と冒涜ぼうとくにまみれた人間の世界で、さぞかしつらい思いをしてきただろう。
 だが、そも今日までだ。
 アルバトスは、渇望かつぼうしてやまなかった娘との対面を思い描いて胸躍らせる。
 愛する前妻を亡くしてから、ずっと悲しみに蝕まれていた心が、今は弾むような歓喜に染まっていた。
 疲労した蝶番ちょうつがいの軋み声と共に、神の家の扉が開く。
 だが、それは彼の希望する未来への門ではなく、無慈悲な現実への入り口だった。

 


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