レッドアイズ

第4話 覚醒   

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 砕け散った建材の瓦礫に混じり、チェルシーは大地に向けて舞い落ちる。
 三階の高さから墜落する形となった彼女は、はっと我に返った。
 このまま階下に衝突すれば、死なないまでも全身打撲に骨折は免れないだろう。
 いや、そんなことより……
「父様が!?」
 チェルシーの超感覚器官は、彼女同様、建物の崩壊に巻き込まれた父の姿をとらえていた。
 意識を失った彼は、木偶でく人形のように頭を地上に向け、自由落下に身を任せている。
 いくら身体を鍛えているとはいえ、頭部から瓦礫の上に叩きつけられれば、冥途めいど行きは確実だろう。
 氷柱を押しつけられたかのように、チェルシーの全身から血の気が引いた。 
 鳥ならぬ身の彼女に万有引力の魔の手から、父を救う術などありはしない。
 テレポート能力を使おうにも、落下途中の物体と合流できるような緻密な座標計算は、コンピューターでもない人間の演算能力では不可能だ。
 彼の落下予想地点に先じて転移したとしても、倒壊してきた瓦礫に挟まれて圧死するのは確実。そもそも、死力を出し尽くしたチェルシーに、特殊能力を行使できるような余力は一切残されていない。
 絶望の二文字が、彼女の脳裏に明滅する。
 せっかく魔貴族ベイオルドを倒したというのに、こんな残酷な結末で終わるというのか?
 これではあの時と同じだ。
 不意に発動した御しきれぬ力で、幼馴染みのリリナを殺してしまったときと一緒だ。
 この非常識な破壊現象の原因が自分にあることだけは、チェルシーにも理解できた。
 聖眼を貫いた鋭い痛みと共に、レストランは崩壊したのだ。疑問は残るが、その因果関係は明らかだろう。
 彼女は再び、自らに宿った不相応な力で大切な人間を死の淵に追いやろうとしているのだ。
(また、わたしのせいで……?)
 その疑惑は急速に確信に変わり、絶望という暗黒の濁流だくりゅうとなって少女を呑み込む。
 リリナに続き、父まで……かけがえのない人を、彼女は逆に殺めようとしていた。
 それは愛する者への最大の裏切り、ゆるされざる極めつけの背信行為。
 殺意の有無など関係ない、一生をかけても償うことのできない罪業を、チェルシーはまた一つ背負おうとしていた。
 彼女は、なす術無く落下する父の姿を聖眼に焼き付け……
(そんなの絶対にイヤ!!!)
 最後の気力を爆発させ、諦観ていかんを振り払った。
 再び、あの時のような悲劇が繰り返されるのを、ただ指をくわえて眺めているなど耐えられない。
 なにがなんでも、阻止するのだ。
(……っ!?)
 その時、彼女の頭を天啓のごとく貫く閃きがあった。
 突発的で、いままで考えもしなかった可能性。
 そうだ、魔人狩りデビルイーターの卵でしかない自分が、最強クラスの魔人を殺傷した力は……アレは一体何だったのか?建物を瓦解させた破壊力は、どこから生まれたのか?
 それを成したのはテレポート能力ではない何か、未知の力。
 もしかするとこれは……
 いや、そうに違いない。
「奇跡よ、もう一度!」 
 わらにもすがる思いでチェルシーは念じる。全身の神経を傾注させ、枯渇こかつ寸前の力を掻き集め、隠された聖眼の潜在能力を呼び起こす。
 未知の領域に踏み込こまんとフル稼働する思考が、神経系を焼き、脳を沸騰ふっとうせんばかりに加熱させた。
 血圧が異常上昇し、左目の奥で毛細血管が破裂する。
 聖眼から溢れ出す血の涙。
 その痛みは、秘められた能力を完全に己のものにするための産痛だった。  

 ゴガァアアアアン!!!

 建物の断末魔が轟く。
 地を揺さぶる激震。
 完全に形を失った建築物は、噴煙を上げて地面に突っ伏す。
 宙を飛翔したチェルシーは、その惨状を凝然ぎょうぜんと見下ろしていた。
 その両手は、思考能力を失った巨漢を――クリードをしっかりと抱き留めている。
(そうか。やっぱり、そうだったんだ……!)
 気を抜けば薄れそうになる意識と格闘しながら、チェルシーは確信する。
 手を触れずにベイオルドの肉体を抉った不可視の刃、彼の身体ごと建物を崩壊に導いた謎の破壊力。
 そして、父と共に空にジャンプしている今の自分……
 幼い頃受けた能力識別検査で『テレポート能力』の判定を受けてから、チェルシーも周りの人間も、彼女のことをテレポート能力者と見なしてきた。
 その誤認を疑いもせず、彼女は生きてきた。
 だが、それは大きな、致命的なまでの勘違いであった。
 チェルシーは無意識の内に空間に干渉し、その在り方を変異させることによって、魔貴族ベイオルドを倒したのだ。
 瞬間移動などという陳腐ちんぷなものではなく、彼女の聖眼の力は『空間そのものを操作する』前代未聞の異能だったのである。
 現在彼女は、足下のほんの小さな空間を圧縮し、空間が元に戻ろうとする際の爆発的気圧変動を利用して、空を飛んでいる。いや、跳んでいる。
 レストランがつぶれるまでの刹那の時間、チェルシーは空間圧縮によって生じる反発力で身体を推進させてクリードに近づき、その身を抱えて再度天に跳んだのだ。
 やがて、上向きのベクトルが重力によってうち消され、少女と巨漢は再び落下を開始する。
 だがチェルシーの心に、もはや怯えの色はない。
 足下の僅かな空間を潰すことなど、人一人を別空間に転移させる労力に比べたら、屁でもない。あと数回くらい、気合いでなんとかなる。
 地面と激突する寸前、彼女は空間圧縮による反動でブレーキをかけ、落下速度を減殺した。
 軽い靴音を響かせて、チェルシーは恙無つつがなく着地に成功する。
 着地の衝撃は、まるで大地が身体をやさしく受け止めてくれたかのように慎ましかった。
 だが、力の抜けた下半身からは、己の体重と巨漢の身体を支えるほどの強靱さは失われている。
「助かった……」
 安堵あんどに身を浸しながら、彼女は父に折り重ってその場に倒れる。
 ボロボロの身体は、しばらく言うことを聞いてくれそうにない。
 慈悲深い暗闇が意識を覆うのを、チェルシーは満足感と共に迎え……
 ふと、陽光をさえぎった影に気づいて顔を上げる。
「ずいぶんと派手にやってくれたじゃないか?」
 そこには、不敵な笑みを投げかける全裸の美丈夫びじょうふが立っていた。
 腰まである金髪を風にそよがせるその姿は、世俗的ないやらしさを超越した神々しいまでの美を備えている。
 混濁する彼女の意識は、男を目の当たりにしたとたん、殴られたように鮮明化した。
「ベイオルド!?」
 絶望に染まった驚愕の叫び。
 無駄のないバレーダンサーのようなスリムな肉体を見上げ、チェルシーは全身総毛立った。
(そんな馬鹿な!?)
 あり得ないことだった。
 彼女は確かに、眼前の貴公子が原型も留めぬ程に破壊されたのを目撃している。
 いかに魔法の力を振るおうと、いかに常識はずれの生命力を誇ろうと、全身を粉砕されて生きていられる筈がない。
「まさか、空間を歪ませて範囲内にある物質を木っ端微塵こっぱみじんにするとはね……正直驚いたよ。こんな芸当、魔法ですら実現させるのは困難だ」
 低く押し殺した声で賞賛しながら、ベイオルドは地べたをつくばる少女の手をつかんだ。
 相変わらず飄々ひょうひょうとした薄ら笑いを貼り付けているが、彼が内心穏やかならぬ炎を燃やしているのは明白だった。
「いっ!」
 右手を圧搾あっさくする怪力に、チェルシーは苦痛の声を上げる。
「おっと、これは失礼。痛かったかな?」
 口では白々しいことを言いながらも、魔人は少女の様子になど頓着とんちゃくしない。彼は強引に、しかしダンスパートナーに対するような優雅な仕草で、彼女の身体を立ち上がらせた。
 吊されるように引っ張り上げられたチェルシーは、目と鼻の先に、ベイオルドの美貌を見る。
 思わず跳ね上がる心臓の鼓動。
(反撃を!) 
 焦慮しょうりょに駆られた彼女は、左膝に意識を集中する。 
 膝頭に空間を湾曲させる力場を発生させ、チェルシーは必殺の膝蹴りをベイオルドの腹筋に撃ち込んだ。
 防御不能の破壊現象が、優美に微笑する美丈夫の身体に炸裂……しなかった。
「つれないね、話し合いの余地なしかい?」
 スカートの下より伸び上がった少女の膝を、魔人はこともなげに手で押さえている。
 チェルシーが無理に無理を重ねて発生させた破滅の力場は、ベイオルドのしなやかな手に吸い込まれるように霧散していた。
「魔法の力!?」
「ご名答。さっきは驚かされたけど、タネが解ればボクに防御できない攻撃なんて無い」
 頭で考えた絵空事を、現実世界に顕現けんげんさせる魔人の反則技は、チェルシーの異能を完全に凌駕りょうがし、封じ込んでいた。      
「さてチェルシー、これが最後通達だ。ボクと一緒に来る気はないかい?」
 実力の差を改めて見せつけたベイオルドは、再びチェルシーにアプローチをかける。その声音は、略奪者の残酷な喜びに熟れていた。 
 屈辱とやるせなさに胸を裂かれながら、チェルシーは彼を睨みつける。
 ここで彼女がどう答えたところで、彼女を待っている運命は変わらない。
 全力でこの男を拒んだところで、精神を乗っ取られればそれまでだ。
「お断りです!」
 だが、簡単に魂を売り渡せるほどチェルシーの心は脆弱ぜいじゃくではなかった。
 例え、この男の操り人形にされるにしても最後の瞬間まで、自分は自分でいたい。そう思い、彼女は貴公子の求愛を気丈に突っぱねる。
「なにっ?」
 チェルシーの断固とした拒絶に、ベイオルドは不意打ち食らったような呆けた顔を見せた。
 その顔色がみるみる豹変ひょうへんしていく。
 初めは憤激の赤に、そして屈辱の青に……  
「いや、驚いた。ますます、キミのことが気に入ったよ!」
 最後にこれ以上ない喜色をその麗貌に宿しながら、彼は哄笑こうしょうを上げた。
 意外な反応に、制裁を覚悟していたチェルシーは毒気を抜かれる。 
「ずっと退屈してたんだ。こんなのは、初めてだよ。キミとのアヴァンチュールはきっとボクを熱くさせてくれる」
 熱に浮かされたような甘い声でささやくと、ベイオルドは彼女の身体を抱き寄せ、そのほほに口づけをした。
 抵抗する間もない、一瞬の出来事。
(へ……!?)
 唐突とうとつに襲ったその柔らかい感触に、チェルシーの総身の筋肉が強張る。
 ついで体内を巡るありったけの血が顔に逆流した。頬が火傷しそうなくらい熱くなる。一瞬思考が宇宙の彼方までぶっ飛んだ。
「ははは、キミは純情だね。たかがキスくらいで」
 狼狽ろうばいしまくる少女から離れ、ベイオルドはからかうように笑った。
「こ、この!ふざけないで!?」
 アスファルトの上にへたり込みながら、チェルシーは抗議の声を上げる。
「いやいや、ボクは本気さ。本気でキミが欲しくなった」
 すさまじく乙女心をくすぐる台詞を、魔人は真顔で吐く。
 だが、その感慨かんがいはすぐさま憎悪に塗りつぶされた。
 この男は、どこまで人をなぶり者にすれば気が済むのか?ほんの一時でものぼせ上がった自分が、許せなかった。
「うるさい!ベイオルド・フォースアウト、あなたは父様の仇よ!」
 殺意をたぎらせてチェルシーは激昂げっこうする。
 握りしめた拳が、奇妙な形に歪んだ。
 触れた物質を完膚無かんぷなきまでに粉砕する空間湾曲の力場が、彼女の怒りに呼応して発生したのだ。
「おや、まだ戦うつもりかい?その闘志は、男顔負けだね」
 いまだ屈服しようとしない人間の娘に、魔人は呆れたような声をかける。
 その赤き双眸そうぼうには、どこか微笑ましいものでも眺めるような穏やかな光が宿っていた。
 チェルシーの力を無力化することに成功した彼は、己の圧倒的優位を疑いもしない。
 だが。 
 その時、天空から空気を叩く僅かな異音が響いてきた。
 空を振り仰げば、晴れ渡った蒼穹そうきゅうに大きな黒点が穿うがたれている。
 それは、遊園地に急行するローターブレードを備えた鉄の巨鳥のだった。
「教会の魔人狩りデビルイーター部隊!」
 頼もしい援軍の到来に、チェルシーが快哉かいさいを叫ぶ。
 高精度センサー顔負けの情報収集能力を有する少女は、はるか彼方から飛来する人員輸送ヘリの姿を鮮明に観ていた。
 胴長のヘリコプターは、打ち下ろされるスレッジハンマー――『神の鉄槌』のシンボルマークを両脇にペイントされている。
 神の鉄槌は、神に仕える戦士の象徴。
 人類を魔人の猛威から守護する超国家的軍事組織『バルシアン聖教会』の紋章である。  
「どうやらお遊びが過ぎたらしい」
 ベイオルドが、天を仰ぎながら舌打ち混じりに呟く。
 さすがにこの傲慢ごうまんな魔貴族も、魔人を倒すために組織された精鋭たちの到来に不利を感じたようだ。彼が首尾一貫としてまとっていた悠然とした気配が、このとき僅かにかげる。
「魔力も使いすぎたし……まあ、いい今回はこれでおいとましよう」
 そして、驚愕の現象が起きた。
 べイオルドが、空気に溶けるように透明化を開始したのだ。
(うそ……!?)
 聖眼から送られてきた情報は、悪夢としか思えなかった。
 なんとベイオルドの身体が、肉体から気体に変質しているのである。
 腕が、足が―――数億の細胞によって編まれた血肉が、無色透明の気体となって空気中に散っていく。
 有機物が、何の脈絡もなく無機物に変わっていく……
 畏怖いふが、少女の身体を電流のように駆け抜けた。
 『奈落』ならくに住む魔貴族たちには人間の常識など一切通用しない。
 神の生み出した宇宙の法則を、彼らは鼻で笑って無視し、好き勝手に作り替える。物理法則、ユークリッド幾何学――彼らの前ではなんの意味を持たない虚しい言葉だ。
 すべての認識が、理解の範疇はんちゅうの外にある極めて邪悪で異質な存在、それが魔人の支配層たる『魔貴族』である。
「待て!逃げるつもりなの卑怯ひきょう者!?」
 だが、恐怖を上回る怒りと焦燥しょうそうが、チェルシーをたけらせた。 ベイオルドの、企図きとは明白だった。彼は、追っ手を巻くために空気に化けて退散しようとしているのだ。
「うれしいね。ボクとの別れを惜しんでくれるのかい?」
 大気と同一化しながら、ベイオルドは的はずれな見解を熱っぽく語る。すでにその身は、首以外を残して空気中に拡散していた。
「待て!!」
 ここで逃がしたら報復のチャンスと、父を回復させるための手段の両方を失うことになる。
 魔人によってかけられた呪いを解くためには、術者本人か、術者より高位の力を持った者でなければ不可能だ。
「じゃあね、チェルシー。また、会おう」
 だが、切なるチェルシーの叫びは、無人の空間に虚しく突き刺さる。
 最後に残されたベイオルドの朗らかな声が、彼女の鼓膜こまくにいつまでも残響していた。

 


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