| 砕け散った建材の瓦礫に混じり、チェルシーは大地に向けて舞い落ちる。 三階の高さから墜落する形となった彼女は、はっと我に返った。 このまま階下に衝突すれば、死なないまでも全身打撲に骨折は免れないだろう。 いや、そんなことより…… 「父様が!?」 チェルシーの超感覚器官は、彼女同様、建物の崩壊に巻き込まれた父の姿を 意識を失った彼は、 いくら身体を鍛えているとはいえ、頭部から瓦礫の上に叩きつけられれば、 氷柱を押しつけられたかのように、チェルシーの全身から血の気が引いた。 鳥ならぬ身の彼女に万有引力の魔の手から、父を救う術などありはしない。 テレポート能力を使おうにも、落下途中の物体と合流できるような緻密な座標計算は、コンピューターでもない人間の演算能力では不可能だ。 彼の落下予想地点に先じて転移したとしても、倒壊してきた瓦礫に挟まれて圧死するのは確実。そもそも、死力を出し尽くしたチェルシーに、特殊能力を行使できるような余力は一切残されていない。 絶望の二文字が、彼女の脳裏に明滅する。 せっかく魔貴族ベイオルドを倒したというのに、こんな残酷な結末で終わるというのか? これではあの時と同じだ。 不意に発動した御しきれぬ力で、幼馴染みのリリナを殺してしまったときと一緒だ。 この非常識な破壊現象の原因が自分にあることだけは、チェルシーにも理解できた。 聖眼を貫いた鋭い痛みと共に、レストランは崩壊したのだ。疑問は残るが、その因果関係は明らかだろう。 彼女は再び、自らに宿った不相応な力で大切な人間を死の淵に追いやろうとしているのだ。 (また、わたしのせいで……?) その疑惑は急速に確信に変わり、絶望という暗黒の リリナに続き、父まで……かけがえのない人を、彼女は逆に殺めようとしていた。 それは愛する者への最大の裏切り、 殺意の有無など関係ない、一生をかけても償うことのできない罪業を、チェルシーはまた一つ背負おうとしていた。 彼女は、なす術無く落下する父の姿を聖眼に焼き付け…… (そんなの絶対にイヤ!!!) 最後の気力を爆発させ、 再び、あの時のような悲劇が繰り返されるのを、ただ指をくわえて眺めているなど耐えられない。 なにがなんでも、阻止するのだ。 (……っ!?) その時、彼女の頭を天啓のごとく貫く閃きがあった。 突発的で、いままで考えもしなかった可能性。 そうだ、 それを成したのはテレポート能力ではない何か、未知の力。 もしかするとこれは…… いや、そうに違いない。 「奇跡よ、もう一度!」 未知の領域に踏み込こまんとフル稼働する思考が、神経系を焼き、脳を 血圧が異常上昇し、左目の奥で毛細血管が破裂する。 聖眼から溢れ出す血の涙。 その痛みは、秘められた能力を完全に己のものにするための産痛だった。 ゴガァアアアアン!!! 建物の断末魔が轟く。 地を揺さぶる激震。 完全に形を失った建築物は、噴煙を上げて地面に突っ伏す。 宙を飛翔したチェルシーは、その惨状を その両手は、思考能力を失った巨漢を――クリードをしっかりと抱き留めている。 (そうか。やっぱり、そうだったんだ……!) 気を抜けば薄れそうになる意識と格闘しながら、チェルシーは確信する。 手を触れずにベイオルドの肉体を抉った不可視の刃、彼の身体ごと建物を崩壊に導いた謎の破壊力。 そして、父と共に空にジャンプしている今の自分…… 幼い頃受けた能力識別検査で『テレポート能力』の判定を受けてから、チェルシーも周りの人間も、彼女のことをテレポート能力者と見なしてきた。 その誤認を疑いもせず、彼女は生きてきた。 だが、それは大きな、致命的なまでの勘違いであった。 チェルシーは無意識の内に空間に干渉し、その在り方を変異させることによって、魔貴族ベイオルドを倒したのだ。 瞬間移動などという 現在彼女は、足下のほんの小さな空間を圧縮し、空間が元に戻ろうとする際の爆発的気圧変動を利用して、空を飛んでいる。いや、跳んでいる。 レストランが やがて、上向きのベクトルが重力によってうち消され、少女と巨漢は再び落下を開始する。 だがチェルシーの心に、もはや怯えの色はない。 足下の僅かな空間を潰すことなど、人一人を別空間に転移させる労力に比べたら、屁でもない。あと数回くらい、気合いでなんとかなる。 地面と激突する寸前、彼女は空間圧縮による反動でブレーキをかけ、落下速度を減殺した。 軽い靴音を響かせて、チェルシーは 着地の衝撃は、まるで大地が身体をやさしく受け止めてくれたかのように慎ましかった。 だが、力の抜けた下半身からは、己の体重と巨漢の身体を支えるほどの強靱さは失われている。 「助かった……」 ボロボロの身体は、しばらく言うことを聞いてくれそうにない。 慈悲深い暗闇が意識を覆うのを、チェルシーは満足感と共に迎え…… ふと、陽光を 「ずいぶんと派手にやってくれたじゃないか?」 そこには、不敵な笑みを投げかける全裸の 腰まである金髪を風にそよがせるその姿は、世俗的ないやらしさを超越した神々しいまでの美を備えている。 混濁する彼女の意識は、男を目の当たりにしたとたん、殴られたように鮮明化した。 「ベイオルド!?」 絶望に染まった驚愕の叫び。 無駄のないバレーダンサーのようなスリムな肉体を見上げ、チェルシーは全身総毛立った。 (そんな馬鹿な!?) あり得ないことだった。 彼女は確かに、眼前の貴公子が原型も留めぬ程に破壊されたのを目撃している。 いかに魔法の力を振るおうと、いかに常識はずれの生命力を誇ろうと、全身を粉砕されて生きていられる筈がない。 「まさか、空間を歪ませて範囲内にある物質を 低く押し殺した声で賞賛しながら、ベイオルドは地べたを 相変わらず 「いっ!」 右手を 「おっと、これは失礼。痛かったかな?」 口では白々しいことを言いながらも、魔人は少女の様子になど 吊されるように引っ張り上げられたチェルシーは、目と鼻の先に、ベイオルドの美貌を見る。 思わず跳ね上がる心臓の鼓動。 (反撃を!) 膝頭に空間を湾曲させる力場を発生させ、チェルシーは必殺の膝蹴りをベイオルドの腹筋に撃ち込んだ。 防御不能の破壊現象が、優美に微笑する美丈夫の身体に炸裂……しなかった。 「つれないね、話し合いの余地なしかい?」 スカートの下より伸び上がった少女の膝を、魔人はこともなげに手で押さえている。 チェルシーが無理に無理を重ねて発生させた破滅の力場は、ベイオルドのしなやかな手に吸い込まれるように霧散していた。 「魔法の力!?」 「ご名答。さっきは驚かされたけど、タネが解ればボクに防御できない攻撃なんて無い」 頭で考えた絵空事を、現実世界に 「さてチェルシー、これが最後通達だ。ボクと一緒に来る気はないかい?」 実力の差を改めて見せつけたベイオルドは、再びチェルシーにアプローチをかける。その声音は、略奪者の残酷な喜びに熟れていた。 屈辱とやるせなさに胸を裂かれながら、チェルシーは彼を睨みつける。 ここで彼女がどう答えたところで、彼女を待っている運命は変わらない。 全力でこの男を拒んだところで、精神を乗っ取られればそれまでだ。 「お断りです!」 だが、簡単に魂を売り渡せるほどチェルシーの心は 例え、この男の操り人形にされるにしても最後の瞬間まで、自分は自分でいたい。そう思い、彼女は貴公子の求愛を気丈に突っぱねる。 「なにっ?」 チェルシーの断固とした拒絶に、ベイオルドは不意打ち食らったような呆けた顔を見せた。 その顔色がみるみる 初めは憤激の赤に、そして屈辱の青に…… 「いや、驚いた。ますます、キミのことが気に入ったよ!」 最後にこれ以上ない喜色をその麗貌に宿しながら、彼は 意外な反応に、制裁を覚悟していたチェルシーは毒気を抜かれる。 「ずっと退屈してたんだ。こんなのは、初めてだよ。キミとのアヴァンチュールはきっとボクを熱くさせてくれる」 熱に浮かされたような甘い声で 抵抗する間もない、一瞬の出来事。 (へ……!?) ついで体内を巡るありったけの血が顔に逆流した。頬が火傷しそうなくらい熱くなる。一瞬思考が宇宙の彼方までぶっ飛んだ。 「ははは、キミは純情だね。たかがキスくらいで」 「こ、この!ふざけないで!?」 アスファルトの上にへたり込みながら、チェルシーは抗議の声を上げる。 「いやいや、ボクは本気さ。本気でキミが欲しくなった」 すさまじく乙女心をくすぐる台詞を、魔人は真顔で吐く。 だが、その この男は、どこまで人をなぶり者にすれば気が済むのか?ほんの一時でものぼせ上がった自分が、許せなかった。 「うるさい!ベイオルド・フォースアウト、あなたは父様の仇よ!」 殺意を 握りしめた拳が、奇妙な形に歪んだ。 触れた物質を 「おや、まだ戦うつもりかい?その闘志は、男顔負けだね」 いまだ屈服しようとしない人間の娘に、魔人は呆れたような声をかける。 その赤き チェルシーの力を無力化することに成功した彼は、己の圧倒的優位を疑いもしない。 だが。 その時、天空から空気を叩く僅かな異音が響いてきた。 空を振り仰げば、晴れ渡った それは、遊園地に急行するローターブレードを備えた鉄の巨鳥のだった。 「教会の 頼もしい援軍の到来に、チェルシーが 高精度センサー顔負けの情報収集能力を有する少女は、はるか彼方から飛来する人員輸送ヘリの姿を鮮明に観ていた。 胴長のヘリコプターは、打ち下ろされるスレッジハンマー――『神の鉄槌』のシンボルマークを両脇にペイントされている。 神の鉄槌は、神に仕える戦士の象徴。 人類を魔人の猛威から守護する超国家的軍事組織『バルシアン聖教会』の紋章である。 「どうやらお遊びが過ぎたらしい」 ベイオルドが、天を仰ぎながら舌打ち混じりに呟く。 さすがにこの 「魔力も使いすぎたし……まあ、いい今回はこれでお そして、驚愕の現象が起きた。 べイオルドが、空気に溶けるように透明化を開始したのだ。 (うそ……!?) 聖眼から送られてきた情報は、悪夢としか思えなかった。 なんとベイオルドの身体が、肉体から気体に変質しているのである。 腕が、足が―――数億の細胞によって編まれた血肉が、無色透明の気体となって空気中に散っていく。 有機物が、何の脈絡もなく無機物に変わっていく…… 神の生み出した宇宙の法則を、彼らは鼻で笑って無視し、好き勝手に作り替える。物理法則、ユークリッド幾何学――彼らの前ではなんの意味を持たない虚しい言葉だ。 すべての認識が、理解の 「待て!逃げるつもりなの だが、恐怖を上回る怒りと 「うれしいね。ボクとの別れを惜しんでくれるのかい?」 大気と同一化しながら、ベイオルドは的はずれな見解を熱っぽく語る。すでにその身は、首以外を残して空気中に拡散していた。 「待て!!」 ここで逃がしたら報復のチャンスと、父を回復させるための手段の両方を失うことになる。 魔人によってかけられた呪いを解くためには、術者本人か、術者より高位の力を持った者でなければ不可能だ。 「じゃあね、チェルシー。また、会おう」 だが、切なるチェルシーの叫びは、無人の空間に虚しく突き刺さる。 最後に残されたベイオルドの朗らかな声が、彼女の |