レッドアイズ

第3話 離別  

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「フォースアウトだと?」
 クリードがオウム返しに尋ねる。
 その身体がわずかに震えているのは、武者震いではあるまい。
 フォースアウトとは、闇の女王の近衛を預かる公爵家の家名だ。魔法によって生み出された亜空間『奈落ならく』に居住することを許された魔貴族たちの筆頭である。
「そう。ボクはフォースアウト公爵家の御曹司おんぞうしってわけ」
 隻腕せきわんの大男の反応を楽しむかのように、魔人ベイオルドは満面の笑みをたたえる。
 その様には、万人を畏怖いふせしめる最強の魔族としての貫禄など微塵もない。イタズラをして喜ぶ、無邪気な子供のような印象さえ受ける。
 だが、チェルシーは『何を馬鹿な』と、彼の言葉を一蹴いっしゅうする気にはなれなかった。
 先ほどの手合せと頭部の再生で、ベイオルドの力がずば抜けたものであることを彼女は痛感していたのだ。
「なんだってそんなお偉い魔人様が、こんなところにいるんだ?」
 クリードが帯電するような緊張感を漲らせながら、魔人の隙を窺う。
 壊れた聖眼の力を強引に使っている彼は、おそらく目眩がするほどの苦痛にさいなまれているに違いない。聖眼に宿った奇跡の力を発動させることは、その代償に身体に大きな負荷を要求する。
 勇ましく吠える父の足下が、微妙にぐらついているのをチェルシーは見逃さなかった。
 そんな状態で、彼は、なおこんな化け物と闘うというのか?
「ボクだってたまには羽目を外して、遊びたくなるのさ。『奈落』の城にいつまでも籠もりっぱなしじゃ、女の子と知り合う機会もないしね」
 おどけた口調で応えて、ベイオルドはチェルシーにウインクを送った。
 さきほどの心情とはうって変わって、彼女はそれに言い知れぬ恐怖と嫌悪感を抱く。
 つまるところ彼は、こちら側の世界にガールハントに来たのであって、自分に特別な興味や感情を寄せた訳ではなかったのだ。
「ふざけやがって…。おい、チェル。なにやってんだ、とっと行け!」
 クリードが、ベイオルドを射殺さんばかりに睥睨へいげいしながら叫んだ。
 ただでさえ威圧感のある無骨な顔が、憤激に赤黒く染まっている。
「で、でも…」
 父の威迫いはくに身をすくませながらも、チェルシーは彼の側を離れようとしなかった。
 相手がフォースアウト公爵家の子息であれば、クリードには万が一にも勝ち目はない。
 魔人の社会は強さを至上価値とする縦型の構造をしており、上位の魔貴族は並の魔人が束になっても敵わないような戦闘能力を有している。
 ベイオルドはその頂点に立とうとしている男だ。
 そんな人外の怪物に喧嘩けんかを売れば、待ち受けているのは死でしかない。
 ここはテレポート能力を使って、どこまでも逃げるべきではないのか?
 チェルシーは、敵愾心てきがいしん剥き出しの父とは対照的に遁走とんそうを考えていた。
 それにあたって問題なのは、現在の体調である。
 戦車との格闘で体力を使い果たし、いまや満身創痍まんしんそういの彼女にとっても、これ以上の特殊能力の行使は大変な苦行だった。
 現状をわきまえず、さらに瞬間移動を連続で行えば、肉体のダメージを回復不能なまでに深める危険性がある。
 だが、背に腹は替えられない。
 チェルシーのテレポートできる最大距離は、聖眼の探査範囲と同じほぼ一キロ。力の続く限り、限界距離の瞬間移動を繰り返せば、例え最強の魔人といえど振りきれるはずだ。
「ああ、残念ながらそれは無理な相談だよチェルシー・レナードくん。ボクら魔人は独特の嗅覚で、獲物がどこに逃げても必ず見つけだせる」
 ベイオルドが、したり顔で講釈を挟んだ。
 心の中を見透かされたようなその発言に、チェルシーは心臓が飛び出るほど驚く。
 彼は今、教えてもいないのに自分のフルネームを言わなかったか?
「ボクはキミのことが本当に気に入ったんだ。正妻というのは冗談にしても、めかけとしてキミは城に連れて帰ることに決めたからね。逃げても無駄さ」
 場違いとも言える鷹揚おうようさで、ベイオルドは自己中心的な口舌を振るう。
 自分の欲望は満たされるためにこそあるのだという、子供じみた驕慢きょうまんがそこにあった。
 娘を奪われようとしている父親や彼女の心情など、彼の眼中にはないらしい。
「ふざけるな!」
 殺意に沸騰した一喝いっかつと共に、クリードがモルタルの床を蹴立てて強襲に出た。
 一挙に詰まる魔人との間合い。
 一本しかない剛腕が唸りを上げて、美丈夫びじょうふの腹部に叩き込まれる。
 それは単なる力任せの打撃ではない。インパクトと同時に念動力を相手の体内に直接注ぎ込み、内臓を破壊し尽くす彼の奥の手だ。
 だが。
「馬鹿だね」
 余裕に満ちたベイオルドの嘲弄ちょうろうと共に、勇ましく突貫した巨漢に異変が起きた。
 クリードはまるで腓返こむらがえりでも起こしたかのように、バランスを崩す。
「父様!?」
 凶悪な力を宿した鉄拳は、あさっての方向に振りぬかれた。
 狙いを外したクリードは、力尽きたかのごとく身体を前につんのめらせる。
 チェルシーは愕然と目を剥いた。
 迎撃されたわけでもないのに、父は自ら崩れ落ちていく。
 緩慢かんまんなその動きを、彼女は引き延ばされた時間の中で凝視し……

 どん

 筋肉質な巨躯きょくが、コンクリートの上に乾いた音を響かせて突っ伏した。
「父様、どうしたんですか!?」 
 悲鳴じみた叫びを上げて、チェルシーは飛び出す。
 猛悪な魔人の存在さえ失念し、彼女は背中を無防備にさらした状態でクリードの脇にすがり付いた。
 かつて、屈指の魔人狩り(デビルイーター)として名を轟かせた父は、プライドの塊のような男だ。
 現役時代の蛮勇ぶりを今でも戦友たちから、からかわれるような彼が、仇敵を前にしてこうも簡単に膝を折るなど考えられない。
 もしや、立て続けに行使した聖眼の力が、彼を取り返しのつかない事態へと追い込でしまったのか?
 不安に胸を焦がす少女に、ベイオルドは酷薄こくはくな冷笑を送る。
「無駄だよ、チェルシー。キミのお父さんの精神は壊させてもらった。今の彼は、ただの廃人。思考能力を失った植物人間さ」
 その宣言は、落雷のようにチェルシーを叩きのめした。
 視界が黒く塗りつぶされたような錯覚の中、彼女の脳裏に繰り返し習った知識がフィードバックされる。 
 魔人は、心の中で念じた空想を現実に引き起こす悪魔の秘技――『魔法』の力を持つ。未来が知りたいと思えば、未来が見え、炎を出現させたいと思えば、可燃物もないのに天を焼く火柱がの者の前にそそり立つ。
 無論、あまりに荒唐無稽こうとうむけいなことは実現不可能だが、空想を具現化する魔法の力は階級の上昇と共に強力なものとなり、魔人を統べる闇の女王ともなると死者を生き返らせることも可能だという。
 魔公爵の血を引くベイオルドが、人の精神を壊すことができたとしても不思議ではなかった。 
「うそ!!」
 だが彼女は、金切り声を上げてそれを否定した。そして、うつ伏せのクリードを懸命に揺り動かす。
「父様、大丈夫ですか!?動けますか?」
 しかし、再三に渡る呼びかけにもかかわらず、瞑目めいもくした父からの反応は一切ない。全身の筋肉を弛緩させた彼は、まるで重い彫像だ。
 絶望が、ジワジワとチェルシーの心を蝕んでいく。
 こんな馬鹿げたことがあっていいだろうか?彼はつい先刻まで、あんなに元気だったではないか!?
「ボクって、生まれつき精神干渉の魔法が異様に得意でね。他人の心を自由に覗き、操ることができるんだよ」
 魔の貴公子は、悲嘆に暮れる少女をもてあそぶかのように述懐じゅっかいする。
「今回たまたま人間の心を覗いていたら、この遊園地が武器密売組織の隠れ蓑だってことに気づいてね。それで、こんな余興を考えたのさ。
 実はここの園長、耐用年数を超過して軍から不正に払い下げられた兵器を、シンジケート相手に転売してたんだよ。夢を売る職業の人間が、裏では悪夢を振りまいていたなんて、最高の皮肉だよね」
 ベイオルドは、肩を振るわせて嬉しそうに笑う。人としての良心が欠落した、まさに悪魔の笑顔だ。
「さっきキミは、ボクに言い知れぬ好意を抱いたでしょう?それもボクの術中にはまっていたから起きたこと。でも今は、憎しみしかないようだね……」   
 彼が指摘したように、チェルシーの胸中では暴風のような怒りが吹き荒れていた。
 未だかつて、誰かをここまで憎んだことはない。
 この男は、たわむれで遊園地を破壊し、父を奪ったのだ……
 一番大切な人を、こうも無残に無意味に奪われた。
 その絶望が、底知れぬを憎悪を呼び起こす。
「わぁ!」
 地を蹴り、彼女はベイオルドに向けて乾坤一擲けんこんいってきの貫手を放つ。
 だが、それは敵の残像を抉ったにすぎない。
 魔人は嘲笑ちょうしょうを貼り付けたまま、半身になってチェルシーの攻撃をかわしていた。
「まだ実力の差がわからないのかい?」
「うるさい!」  
 殺意の塊と化した少女は、傷だらけの身体も顧みず、遮二無二しゃにむにに拳を振るう。
 上下左右に散らす閃光のごときジャブ。上半身に攻撃を集中させてからの、不意をついた足払い……
 あらゆる攻撃が、まるで幻影を相手にしているかのようにことごとく空振りに終わる。
 だが、チェルシーは諦めない。
 英才教育で身に付かされた徒手格闘術のすべてを駆使して、彼女は魔人に立ち向かった。
(殺す!)
 酷使を強要される肉体からの悲鳴など、彼女には一切届かない。
 業火のように燃えさかる憎しみが、痛覚を麻痺させ、四肢ししを限界以上までに駆動させる。
 一陣の暴風に身を変じ、チェルシーはさながら獲物に食らいつく餓狼がろう執拗しつようさで、魔人に迫撃する。       
(殺す!殺す、殺す!!)
 まだだ。まだ足りない。この男を討つには、まだ力が足りない!
「ほらほら。どうしたの?そんなじゃ、ボクのダンスの相手はつとまらないよ」
 その気になれば、目前の小娘など小指一つ動かさずに葬れるというのに、ベイオルドはまるで踊りに興じるかのように、軽やかなステップで攻撃をさばくだけだ。
 彼にとって人間との戦いなど、どこまでいってもゲームにすぎないのである。
 人間を苦しめ、その慟哭どうこく怨嗟えんさの叫びを音楽のように楽しむことが、魔人にとって最高の娯楽だ。
 さながら、小さな子供が虫の手足をもいで遊ぶかのように、満腹の狼が戯れに羊を襲うかのように……彼らは強者として弱者たる人間をなぶることに愉悦ゆえつを見いだす。
 魔人は、この星最強の生物だ。食物連鎖のピラミッドの頂点に君臨し、下層の動物を欲望を満たすための生け贄にする自然界の絶対権力者である。
 聖眼を持つだけの小娘など、どう足掻いたところで、ベイオルドの生命を脅かす存在ではない。
(せめて、せめて一太刀!!)
 だが、チェルシーは搾取さくしゅされる弱者としての運命に懸命に逆らった。
 彼女は、大きく踏み込むや、全霊を込めた拳を放つ。
 相手の堅いガードをかいくぐり、深く肉体を撃ち抜く瞬間を脳裏に描きながら……
「ぐぅ!?」
 常に涼しい余裕を湛えていたベイオルドの相貌そうぼうが、苦痛に歪んだ。
 見ればその腹部に大穴が穿うがたれ、鮮血をしぶかせているではないか!?
 意外な出来事に、チェルシーは喫驚きっきょうした。なにしろ、敵の身体を貫いた感触がなかったのだ。彼女が繰り出した右拳は、虚しく空に飲まれたにすぎない。
(そんなことより、今がチャンス!)
 いぶかしんでいる暇など無かった。
 千載一遇せんざいいちぐうの好機に賭けるべく、チェルシーはさらなる攻撃を放つ。
 今度は顔面だ。
(あの傲慢ごうまんに濁った美貌を、醜い肉塊に変えてやる!)
 だが、激情に駆られるまま撃ち込んだ彼女のフックは、またもやベイオルドの残影をいだにすぎなかった。
 奇術師めいた身のこなしで、魔人はチェルシーの体側に回り込む。
「くっ!」
 反撃を恐れた彼女は、慌てて身をひるがえらそうとする。
 手傷を負わされたベイオルドの表情は、獰猛どうもうな色に染まっていた。
 弱者として見下す人間に、一度ならず二度までも肉体を傷つけられたのだ。側面から浴びせられる貴公子の殺気は、非力な『オッド・アイ』の少女を凍りつかせた。
(やられる……!?)
 恐怖に支配された時の中、彼女は果実が潰れたような異様な音を聞いた。同時に肩に浴びせられる熱い血潮。
 魔人に向き直ったチェルシーは、あまりのことに瞠目どうもくする。
 なんと、ベイオルドの顔が、彼女が望んだ通り醜悪しゅうあくに潰れていたのだ。
「まさか……」
 内側に埋没した唇から、魔人は驚愕の声を絞り出した。大きくくぼんだ顔面は、まるで巨大な鉄球をぶつけられたような無残な有様をさらしている。
 しかし、チェルシーに皆まで言わせるつもりはない。
 怨嗟えんさに凝った声で喉を振るわせながら、彼女は敵の肉体を両断すべく手刀を振り下ろした。

 ザン!

 薄紙を裂くように軽やかに、少女の繊手せんしゅは魔人の身体を突き抜けた。
 盛大にしぶいた血が、チェルシーの総身に滝のように降りかかる。二つに分断されたベイオルドの身体は、引力に従い、自ら生み出した血の海に没した。
 だが、まだ安心できない。相手は不滅の悪魔の化身だ。
 肉の一片、骨のひとかけらも残さず、徹底的にその身を破壊し尽くさなければ、何度でも蘇ってくるだろう。
「わあああああ!!」
 獣のような咆哮ほうこうとともに、チェルシーはこぼれ落ちた魔人の臓腑ぞうふに足を振り下ろす。
 愛する者を理不尽に奪われた憎悪。
 捕食者と闘う根元的な恐怖。
 抑圧していた力を全開で発揮する開放感……
 それらが、ドス黒い攻撃衝動に転化され少女の思考を埋め尽くす。

 どん!!

 魂が焼き切れるような激情に、チェルシーの聖眼は秘められたポテンシャルを発揮した。
 眼球の奥に刺すような痛みが走ったと同時に、彼女の足下が粉砕される。
「……!?」
 まさに『魔法』のような、条理を超えた破壊現象。
 見えない巨人に踏み砕かれたかのように、モルタル建材で組まれたレストランは、一瞬にして瓦解した。
 苛烈かれつな破壊の洗礼は建築物のみならず、無敵とさえ思われた魔人の肉体さえも細切れにして霧散させる。
 足場を失ったチェルシーは、当然のごとく宙に投げ出された。
 正体不明の圧倒的な破壊エネルギーの奔流……
 落下する彼女は、ただ唖然とするばかりで、自らが引き起こした現象をまるで理解していなかった。

 


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