レッドアイズ

第一話 聖眼せいがんの少女 

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 地上のすべてを慈しむかのように降り注ぐ陽光の下、陽気な喧噪けんそうがさざめく。
 眼下を行き交う人々は、退屈な日々の営みを忘れ、非日常の世界を満喫まんきつしていた。
 ここは都会の中のワンダーランド。子供が無垢むくな本能を充足させ、大人が童心に返る場所。
 親子連れでにぎわう遊園地は、本日も大盛況だいせいきょうだった。
 だが…
「あぁ…」
 ゴンドラの窓に額を押しつけて、チェルシー・レナードは力無くうめいた。
 清楚な純白のワンピースに身を包んだ、13,4才ほどの小柄な少女である。
 肌は新雪のように白く、ポニーテールに結ったエメラルドグリーンの髪を背中に流す様は、まるで雪の妖精のように愛らしい。
 誰もが認めるであろう美少女だが、あえて容姿の欠点を上げるとすれば、可憐な顔立ちに巻かれた無粋ぶすいな黒帯だろうか。
 湖面のように澄んだ碧眼へきがんの片方は、しゃれっ気のない眼帯に覆われていた。
「……」
 大好きな父と一緒に観覧車に乗っているというのに、チェルシーの心は陰々滅々として晴れない。
 その脳裏に明滅するのは、八年の時を共有してきた親友の顔…
「まったく。せっかく、遊びに連れてきたってのに辛気くさい面しやがって」
 チェルシーの父であるクリードが、無精髭ぶしょうひげを生やした顔をしかめる。
 彼女と向かい合わせに座った彼は、筋骨たくましい熊と見紛みまがうような巨漢である。その無骨な顔で凄まれれば、街のチンピラなど一発で腰を抜かしてしまうに違いない。
「…すみません」
 父に向き直り、チェルシーは消え入りそうな声で応えた。
「すまないと思うなら、せめて子供らしく笑ってろ。お前のふさぎ込んだ顔を見ていると、こっちまで気が滅入ってくら」
 クリードは、鼻を鳴らして顎をしゃくる。横柄おうへいな態度であるが、これが明け透けな父の愛情表現であることをチェルシーは知悉ちしつしていた。
「…はい」
 だが、笑えと言われて簡単に笑えるものではない。
 口をついて出た彼女の返事は、相変わらず暗く沈んでいた。
「ちっ。しょうがねえな…」
 肩をすくめたクリードは、そのまま黙りを決め込む。
 鬱々うつうつとした気分を持てあます娘を、無理に明るくしようと試みても詮無いことと思ったのだろう。
 納めるべき右腕を欠いた彼のジャケットの袖が、窓の隙間より入り込んだ風にかすかに揺れた。
 彼は無くなった腕のことを名誉の負傷などと称しているが、チェルシーは父の痛々しい姿を見るたびに、身を切られるような悲哀と恐怖を感じる。
「…父様。私…訓練施設から脱走したいんですけど、手伝っていただけませんか?」
「はぁ?」
 くぐもった口調での娘の依頼に、クリードは面食らったように眉根を寄せた。
 さもありなん、彼女が漏らした言葉は、教会関係者に聞かれれば即、宗教裁判にかけられるほどの背信行為だった。
「私もう…嫌なんです」
 繊弱せんじゃくながらも決然と、チェルシーは父に訴える。
「嫌なんですって…。まあ、オレも経験者だからお前の心情はわかるが…」
 真っ向から自分の顔を見つめてくる娘に、クリードは言いよどんだ。彼女の言動が、単に訓練が厳しいから逃げ出したいという、安直な感情に起因したものではないことを感じ取ったのだろう。
 両者の間に黙然とした重苦しい空気が流れる。

 ドォオオオオ!!

 だが、深沈しんちんとした時は、突如鳴り響いた轟雷のような爆音に吹き飛ばされた。
 同時に、突き上げるような衝撃がゴンドラを襲う。
 座席から投げ出されたチェルシーは、鈍痛にあえぎながらも、床かが異様な角度に傾斜していることに気づく。
 支柱がかしぐほどの、なにか重大なトラブルが観覧車に発生したらしい。
「な、んな?」
 そんな中、片腕の大男は卓越たくえつしたバランス感覚で両足で立ち、地上を眺望ちょうぼうしていた。
 ひび割れたガラス越しに外界に注がれる視線は、驚愕きょうがくに染まっている。
「…どうしたんですか、父様?」
「こいつは何の冗談でぇ?」
 チェルシーの質問は、呆れたような父の呻吟しんぎんに迎えられた。
 ことの真相を確かめようと、彼女は下半身に力込めて立ち上がろうとする。
「立つな、伏せ…!」
 再度、耳をつんざくような轟音が世界を振るわせた。
 同時に視界が反転し、身体が天上に引っ張られたように浮き上がる。
 不快な浮遊感にさらされたチェルシーは、己が地上に向けて落下していることを悟った。
 その証拠に、窓から見える景色が流星のように尾を引いて流れている。
「ちくしょう!」
 唐突とうとつな事態の推移すいいに呆然とする彼女は、父の罵声ばせいをどこか冷めた心境で聞いていた。
 このままでは二人とも確実に死ぬ。
 自分一人なら天罰としてあきらめられるが、父まで死出の旅の道連れにする訳にはいかない。
 できることなら休暇中は…父とともにいるときは普通の少女でいたかったが、最近はどうも疫病神にでも好かれているらしい。
 チェルシーは覚悟を決めて、左目を覆う眼帯を引きちぎる。
 その瞬間、左の眼球を通して、熱くたぎるエネルギーの奔流ほんりゅうが少女の身体に流れ込んできた。
 シャットアウトされていた絶大な力が、彼女の肉体の隅々にまで行き渡り、躍動する。
 チェルシーの左目――俗に言う『聖眼』は、天上世界とのチャンネルを開き、所有者に神の力を授ける超感覚器官である。    
「父様、飛びます!」
 チェルシーはクリードの身体に抱きつく。
 同時に、あらゆる外界情報を収集するセンサーとしての聖眼の機能を発動。即座に半径一キロ以内の空間の状況が、映像や数値となって余すことなく彼女の頭に浮かび上がる。
 人間の頭脳では処理が追いつかぬほどの情報の洪水をしぼり、チェルシーはアトラクションのために用意された池の光景のみを脳裏に転写した。
(アーメン……)
 彼女は胸中で小さく十字を切る。
 それは、主が創造した世界の法則を歪めることに対する懺悔ざんげ……
 身体にかかる一瞬の負荷。
 肢体したい圧搾あっさくされるような錯覚を覚えたチェルシーは、次の瞬間、父と共に、落ち行く棺桶かんおけと化したゴンドラから、きらめく水面の上に瞬間移動していた。
 落下中の密室から、アトラクション用の人工池まで、300メートル近い空間を一瞬にして飛び越えたのである。
「おぉ!?」
 娘にしがみつかれたクリードが、すっとんきょうな声を上げる。自分のいる場所が瞬く間に入れ替わるという体験は、慣れていない者にとってはショッキングな出来事だろう。
 『テレポーテーション』。
 離れた場所に瞬時に移動できるその力こそ、チェルシーの聖眼に宿った特殊能力だった。聖眼の所持者は、五感をはるかに超える第六感としての情報収集能力と、人体の構造を逸脱した反射神経と膂力りょりょく、そして個人によって異なる特殊能力…その3つの力を享有きょうゆうする。
 盛大な水柱が人工池にそそり立った。
 その直下で気泡に揉まれながら、チェルシーは無事に2人分の瞬間移動を成功させたことに安堵する。
「おい、チェル。確か以前は、転移を始める前にじっくり精神集中をやってなかったか?」
 冷たい水中から首を突き出した彼女に、クリードが感嘆かんたんの声をかけた。
 ずぶ濡れの彼の顔の中で、片方しかない黒瞳が瞬いている。
「いえ…」
 謙遜けんそんする様に呟いて、チェルシーは修羅場しゅらばと化した遊園地を見つめた。
 そこに展開されていた光景は、一見すると過剰なノリのアトラクションのように思えた。 
 なにしろ、ずんぐりした鋼の怪物が、遊園地を縦横無尽に蹂躙じゅうりんしているのだから…
 スマートに突き出した砲台が火を噴き、メリーゴーランドが木っ端微塵に吹っ飛ばされる。巻き上げあられた瓦礫がれきと人体の部品が、悲鳴と怒号の中を悪夢のように降り注いだ。
 問答無用な破壊の嵐。
 それを生み出しているのは、一台の戦争兵器――戦車である。
 不整地走行用のキャタピラがアスファルトを噛みつぶして疾駆しっくし、咆哮ほうこうする機関銃が逃げまどう人々をなぎ倒す。
 脳味噌をかき回されるような非現実的な光景に、チェルシーは生唾を飲み込んだ。
(あれは…)
 彼女の超感覚器官が、暴走戦車の多面的な情報を収集し、脳裏にデジタル画面のように投射する。
 搭載とうさいされた兵器、その残弾、装甲素材からネジの一本に至るまで、戦車の状態が、彼女には手に取るようにわかった。
 帝国陸軍御用達の主力戦車『ティーガー3』。
 人里離れた演習場でしかお目にかかれない筈の重装甲戦車は、自らの存在理由レゾンデートルを示すかのように喜々として暴虐ぼうぎゃくに興じている。
「それより、あれを止めないと」
 ホロコーストの現場を硬く凝視ぎょうししながら、チェルシーは決然と拳を握った。  
 一体誰が何の目的で、こんなことをしているのか?そもそも、あんな目立つ大型戦闘車両をどうやって都会の真ん中に運んだのか?いくつもの疑問が彼女の頭で閃いたが、今はそんなことを詮索している場合ではない。
「は?何言ってんだ?俺たちは今、丸腰だぞ」
 呆れたようにクリードが忠言する。いかに彼らが人並みなずれた戦闘能力を持っていようとも、戦車に武器も無しに立ち向かうのは、自殺行為でしかない。
「大丈夫です。父様は、ここで待っていてください」
 だが、父の言葉をやんわりと退け、チェルシーはテレポートの座標を脳裏に描く。
 その自信の籠もった言動は、恐れを知らぬ蛮勇からではない。彼我の戦力を考慮した上で、彼女は戦車相手に勝てると判断していた。
 腐っても彼女は神に選ばれた戦士『オッド・アイ』。
 人命を護ることを至上価値とするよう刷り込まれた、生粋きっすいの武人だった。    
「チェル、待て!」
 追いすがる制止の声も聞かず、チェルシーは再び物理法則をねじ曲げ、空間を飛び越えた。 

 


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