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私には二歳下の弟がいる。
幼い頃の彼は、本当に泣き虫だった。喧嘩をした時など、怒り出すとまるで怪獣のように泣き叫び、私や両親を困らせる。そういう時はたいてい私の方が、「お姉ちゃんでしょ」と理不尽にたしなめられた。好きで先に生まれたわけじゃない。「お姉ちゃんなんてやだ」と言いながら、結局は私も泣きべそをかく羽目になる。すると弟が「おねいちゃん、泣かないで」なんて可愛い声で私を慰めに来るものだから、喧嘩の原因もすっかり忘れて、二人してワンワン泣いたものだ。 七五三の時、一張羅を着せられて写真を撮りに行く途中、彼はどぶ川に見事ハマった。怒られてシクシクと泣く彼が可哀想になって、「大丈夫?」と声をかけると、「おねいちゃん、おちなくて良かったね」と言ってくれた。その時ばかりは弟って可愛いなと思いながら、お姉さんぶって泥だらけになった膝を拭いてあげたものだ。 小学校に入ってからも、弟はやっぱり弱虫だった。早生まれのせいかもしれない。三月の後半に生まれた彼がランドセルを背負った姿は、本当にか弱く見えた。そのせいか、低学年の頃はひどく恥ずかしがり屋で、学校の友達とは遊ばずに、私の後ろをくっついて遊んでいた。近所に住む幼馴染み達と遊びに行く時も、ずっと私のそばを離れない。それが何となく鬱陶しくて、一度だけ置いて帰ったことがある。 真っ暗になっても家に戻らない彼に、とうとう心配になって、私は探しに行った。すると公園の片隅で、捨てられた犬のように「おねいちゃん、おねいちゃん」と泣いていた。 「一人で帰ってくればいいのに」と言ったら、プクプクとしたホッペタを真っ赤にしながら、「おねいちゃんがいないと、かえれない」とふたたび泣きじゃくった。その様子があまりにも哀れで、それから二度と彼を放置しなかった。 弟ははいつも、作文の宿題で私の話ばかり書いていた。「おねえちゃんとかいものに行った」「おねえちゃんといっしょにあそんだ」など、本当にどうでも良いことばかりだ。その上、「おねえちゃん」をいつも「おねいちゃん」と書くものだから、いつもそこに赤いペンでチェックを入れられ、持ち帰ってくる。まるで私自身に赤バツを付けられたような気分になって、私は何度も弟に文句を言った。なのに彼は、「だって、おねいちゃん、だもん」と反論し、中学年になるまでずっとその言葉を書き続けていた。 小学校の勉強なんて、普通に授業を聞いていれば、それほど悪い点数を貰うはずがない。なのに弟は六十点以上を取ったことがなく、なぜそんな点になるのか私はいつも不思議に思っていた。母親が先生から聞いた話によると、いつも窓の外を眺めながらボーッとしているという。ちゃんと授業を聞いていなさいと母が怒る。すると彼は、「おねいちゃんを見てた」と嘘だか本当だか分からない言い訳で誤魔化した。まるで私が悪いみたいで腹が立ち、「バーカ」と言うと、「おねいちゃん、足が遅い」と反撃される。「うるさい!」と怒れば、「ぼくも遅い」と言いながらニコリと笑った。 そう言えば小学校に入った頃から、弟とは喧嘩をしなくなった。たぶん気が強い私に比べ、彼がとても優しかったからだと思う。並べたコップにジュースを注ぐと、必ず「多いのがおねいちゃんでいいよ」と言ってくれたし、玩具を取り上げても、もう幼児の頃みたいに泣き叫ぶ事もなくなった。 お馬鹿だったが、何となく憎めない弟と何となく喋りづらくなったのは、彼が中学生になった頃だ。ちょっと悪そうな友達と連日遊び歩いている姿を見かけた時は、もう「おねいちゃん」と言われないだろうなぁとそんなことを思ったものだ。 そんな彼が補導されたのは、中二の時だった。友達が停めてあったバイクに悪戯をするのを横で眺めていて、一緒に見つかったという。公園ではなく警察に迎えに行った両親達を見て、相変わらず誰かの後を付いて歩く性格は直ってないらしいと呆れていた。 そんな仲間と一緒だったせいか、弟の成績は常に底辺を這っていた。私はどちらかというと上位にいたので、軽い優越感が無かったと言えば嘘になる。なぜなら私の父は古いタイプの人間で、「跡取りだから」といつも弟の方を優遇していた。母に言わせると、「あんたより優しいからよ」という事らしいが、そんなのが理由になっているとはちっとも思わなかった。なので、姉弟で差別されてるように感じていた私は、弟の悪さが自分を引き立てるなどと、そんな馬鹿なことを考えていた。 工場を経営していた両親は、仕事が忙しくなると暗くなるまで帰ってこないことがあった。そんな時は店屋物を頼み、二人だけの夕食となる。おそば屋さんに電話する役目はいつも私で、弟は恥ずかしいからと絶対に受話器を触らなかった。幾つになってもその性格は変わらない。「男のくせに」と文句を言うと、「関係ない」と頑なに拒絶した。 長子になんてなるもんじゃない。何でもかんでも押しつけられて、下の面倒をさせられる。私の場合は「女の子」という付加価値まであって本当に嫌だった。「男のくせに」は悪口なのに、どうして「女の子のくせに」は何かの理由になるのだろう。家事手伝いはいつも私の仕事だ。弟は暢気に部屋でテレビを見ていた。そんな姿を見ていたら、何だか腹が立ってたまらなかったのは、私もまた幼かったせいだろうか? 喧嘩もしないが、口もきかないという日々が続いたそんな頃、突然、弟が私の部屋に入ってきて、「勉強を教えてくれ」と頼んできた。 やっぱり高校には行きたいという。「姉貴ならいつでも教えてもらえる」と、幼い頃と変わらない笑顔で言われ、馬鹿な優越感を持っていた自分が何となく恥ずかしくなった。 弟の努力か、それとも私の教え方が良かったのか、弟はみごと高校に合格した。もっともやっと引っかかった程度だが、中学時代はいつも行進のかけ声みたいな成績だった彼にしては、良くやったと思う。 氷河期だった姉弟仲がゆるゆる溶けると、一番近くにいる同志のような関係になった。弟の部屋にあったゲームで夜遅くまで対戦した。ビデオもよく一緒に見たし、買い物にも出かけたことがある。その頃から小さかった弟の背がぐんぐんと伸び、やがて私を追い越した。なので姉から見てもなかなかいい男に育っていた彼と一緒に出歩くと、ちょっとだけ周囲の視線が気になった。 そういえば彼が髭を剃り始めたのもその頃だ。アイドル写真を壁に貼り、ベッドの下には雑誌を数冊隠していた。それでもピザの注文が出来ないのは相変わらずで、弟のそんな姿を見て、私は背中にこそばゆい物を感じていた。 高校を卒業する頃、弟は勉強が嫌いだからという理由で、工場を継ぐことを両親に告げた。父は複雑な顔をしていたが、母は泣いて喜んだ。私は何となく蚊帳の外にいて、そんな話を聞いていた。所詮、私は女だから、ここを出て行かなければならないだろう。家族という枠組みから取り残されたような気分だった。 けれどその枠組みを自ら進んで外したのも私の方だった。反対する両親を無視し、私は男と同棲を開始した。私が二十二歳、弟が二十歳の春だった。 何となく実家に戻れず、弟とも連絡を絶って一年を過ごし、やがて失恋をした。彼氏が居なくなった部屋は何とも殺風景で、私は一晩中泣いていた。 朝になり、ふと思いついて弟の携帯に電話をすると、彼は変わらない声で「もしかしたら別れた?」と戯けて言った。返事に困っていると、「俺が一緒に謝ってあげるからさ」と言われ、私は止まらなくなった涙を悟られないように、口を塞いで嗚咽を繰り返した。 両親に叱られていた弟を、一度たりとも庇ったことがない私にそんな資格があるだろうか? 彼はいつだって優しかったが、私はいつだって辛辣だった。 「おねいちゃん、帰ってこいよ」と最後に言った彼に、私は小さく返事をした。 実家に帰った私を、弟は本当に庇ってくれた。引っ越しの手伝いもしてくれて、引っ越しソバまで頼んでくれた。「出戻りでソバは変よ」と文句をいう私を尻目に、彼はさっさとソバの注文を済ませていた。その姿が何とも逞しく、落ち込んでいてばかりでは姉としての威厳が保てないなどと、そんなことを考えた。やっぱり私は「おねいちゃん」なんだからと。 それからすぐ、私と弟は車の免許を取ることにした。弟は仕事に必要で、私は再就職の為だ。一緒に通う私たちの姿を見て、「仲がよいご姉弟ね」と近所のおばさんが笑っていった。 でも一緒だったのは行き帰りだけで、弟が先に免許を取った。負けた悔しさにぶつぶつ言うと、「姉貴は昔から負けず嫌いだからなぁ」と返されて、それから、「ジュースだって諦めてたんだぜ」と追撃を受けた。そう言われても仕方がない。確かに良い姉でなかった事は確かなのだ。 免許が取れてから何度か、二人でドライブをした。方向音痴だと言うことが判明した私は、いつも道を間違える。そのうちすっかり信用が無くなって、交差点にくるたびに、弟は右だの左だのと指示をし始める。いつの間にか私より偉そうになったもんだと思いながら、私はそんな彼の命令に素直に従っていた。 それから三年が経ち、私は結婚して再び家を後にした。今度はちゃんと両親も認めた相手だ。実家から車で二時間ほどの場所に居を構え、やがて娘が生まれ、そこそこの幸せを手に入れた。 それは蒸し暑い夏の朝のことだ。 その電話に叩き起こされ私は、文句を言いながら受話器を取った。 「昨夜ね……」 そう言って電話の向こうで泣き崩れる母の声を聞き、何故か私の心臓は飛び出さんばかりに動き出した。 前の晩の深夜、風呂から出てきた弟が突然倒れたという。すぐに救急車を呼び、たらい回し気味で辿り着いた病院の医師に脳梗塞だと告げられたという。 「だって、まだ二十四歳なのに……」と絶句した私に、母は「若くてもなる人がいると言われたよ」と力なく教えてくれた。 握り締めていた受話器がガタガタと耳を打ち続けた。 嘘だ、これは夢なんだ。そう自分に言い聞かせても、後ろで泣く娘の声が、私を現実に引き戻す。歯の根すら合わなくなっていた。恐る恐る「助かるのか」と尋ねたら、母は力なく「たぶん」と答えた。 数分後、まだ寝ていた主人に娘を預け、私は車に飛び乗って病院へと向かっていた。オーディオはオフにする。聞こえてくる外音が、私を必死に現実世界につなぎ止めてくれていた。頭の中は真っ白で、その白い空間にニコニコと笑う弟の顔が浮かんでは消えた。 「どうしてどうしてどうして」とハンドルに向かって尋ね続ける。信号で停車するたびに、答えをくれないそれを何度も握り拳で叩いていた。 ICUのベッドで寝ていた弟は、本当に痛々しかった。ガラス越しに見える姿が辛くて、その場から逃げ出したくなるのを必死に耐えていると、隣にいた父が「意識はあるんだ」と教えてくれた。言われてみれば薄めが開いている。僅かに左手が動いた気がした。 もしも意識があるのならば、弟は自分の状況が分かっているのだろうか。もしも分かっているとしたら、どんなに苦しいだろう。むしろ混沌とした中で眠っていて欲しいと思いながら、私は弟の左手を見つめ続けた。 医者の説明によれば、脳梗塞に効果的な薬を一応投与したという。しかし倒れてから三時間以内でなければ余り効果ないそれを、弟の体内に入れたのは倒れてから三時間を少し過ぎていたとの事だった。 左脳の損傷が激しいと言われた。なので、右半身の麻痺と、言語障害は免れないだろうと。それを聞きながら、両親は嗚咽を上げていた。 私はぐっと奥歯に力を込めて、必死に現実を受け止めようとした。 小さな待合室に案内された私たちは、崩れるように椅子に座った。本当は横になりたいぐらいに気分が悪い。私がこんななのだから、母はもっと苦しいだろう。母親として、きっと弟を抱きしめてあげたいに違いない。差別されていると文句を言った馬鹿な私だって、もう親という立場にいるのだ。 それからどれくらい経ったことか。私たちしかいなかった待合室に、一人の女性が現れた。年は私よりいくつか下だろう。長い髪を横でしばり、口紅すら付けてないその顔は蒼白で、今にも倒れそうなほどふらついた足取りで私たちの方へと近付いてきた。 「美和ちゃん」と母が言った。それから私に弟の彼女だと説明する。内緒にしていたけど 来年の春に弟と結婚する予定だったと教えてくれた。 両親が弟の病状を説明している間、私はそっと彼女を見つめていた。 なんて可哀想な弟だろう。そしてなんて可哀想な彼女なのか。 もしかしたら結婚は取り止めになるかもしれない。半身不随になった弟を一生支えるには、彼女の手はあまりにも華奢だった。 しかし「じゃあ、助かるんですね」と少し嬉しそうに言った彼女の、その化粧気のない顔は私に僅かな期待を持たせてくれる何かがあった。 弟の病状は少しずつ安定していった。もちろん医者が言ったとおり右手と右足が動かなかったが、これ以上悪くならないと分かっただけでも嬉しかった。 言語障害はかなり厳しいらしい。一週間経っても、彼は「あ」という単語しか発せられなかった。その代わり、私たちの言っていることは、それなりに分かるようだ。ゆっくりと話しかければ、首を上下、または左右に動かして意思表示をしてくれる。初めはそんなことだけでも本当に嬉しかった。 私には子供がいるので、さすがに毎日は病院には行くことが出来ない。代わりに連日電話をして、母から弟の容態を聞いていた。 今日は母を見て「かあ」言っただの、今日は右足が少し動いただのと教えてくれたが、その回復が余りにも遅く、聞くたびに私の気分は暗くなっていった。 回復していると分かっているけど、元気だった頃の彼を思い出すと、辛くて辛くて仕方がない。もう二度と「姉貴」とも「おねいちゃん」とも呼ばれないかもしれない。そう考えると、まるで砂を噛むような気持ちが心の奥から生まれ、それを忘れようと無理やり奥の方へと押し込めた。 リハビリは、病状が安定し始めた数日後には始められていた。遅くなればなるほど後遺症が残ると言うことらしい。初めは右手のマッサージだけだったが、二週間後には言語訓練が開始されていた。 やがて退院を許され、自宅からの通院に切り替わる。杖を使えば歩くことも出来るようになっていたが、さすがに一人では無理だった。 なので父が二日に一度連れて行っているようだ。階段すら登れなくなった弟の世話に追われ、両親は本当に大変そうだった。 「私も行って手伝うから」と言うと、電話口の母は「子供がいるでしょう」とたしなめた。そんなのは大丈夫だと言いかけて、そばにいたはずの娘がいないことにふと気がつく。慌てて探すと、歩き始めていた彼女がちょうどダイニングテーブルから醤油差しを落とそうと試みているところだった。 やっぱり手伝いにはならないかもしれないと思いながら、慌てて醤油差しを移動していると、「それにね」と母が言葉を繋いだ。 弟は最近、人と会うことをとてもに嫌がるようになったという。この病気の人が必ずなるという鬱状態で、私ですら会いたくないと首を横に振るらしい。 「美和ちゃんは?」と私が尋ねると、母は消え入るような声で「最近は病院にも来なくなった」とぽつりと呟いた。 やっぱりそうか。それを聞いた私の、最初の感想がそれだった。 想像であればいいなと願っていたけれど、人の気持ちを変えるほどに神様は力がないことぐらい、この年になれば知っている。まだ二十前半の彼女に、過酷な運命から逃げた罰を与えたいとも全く思わなかった。 それから三週間、実家からは何の連絡もなかった。一度だけ電話をしたら、こちらからかけ直すと言われ、そのまま音信不通の状態が続いていた。 私はイライラしながら連絡を待っていると、ある日突然、母から頼みがあるという電話があった。付けっぱなしのテレビから、大型の台風がやって来るかもしれないというニュースが流れていた日だ。 父のぎっくり腰が再発してしまったという。連日の疲れが出てきてしまったのだろう。明日は言語訓練の大切な日だから、どうしても連れていきたいと母は言った。一日でも休めばそれだけ回復が遅れるので、娘は預かるから、出来れば車で弟を病院に連れて行って欲しいと。 「でも私が行ってもいいの?」と私が尋ねる。すると、ふふふと意味深に笑いながら「やっと元気が戻ってきた」と言った母の声も、本当に元気が戻っていた。 私はもちろん一も二もなく引き受けた。ようやく自分が役に立つのかと思うと、台風だろうとかまわない。娘だって久しぶりにジジババに会えるのだから喜ぶだろう。 天気予報通り、ゆっくりと北上していた台風が、明け方に上陸を果たしていた。 激しい風が街路樹を引き抜こうと暴れ回り、大粒の雨が街中の建物を横殴りしている頃、娘を連れた私は実家まで車を走らせた。 到着後、娘と入れ替えに、弟を車内まで連れてくる。風に煽られ倒れそうになる弟を、私は何度も支えてあげた。それでも彼の顔色は病院で会った時よりずっと良く、本当に元気を取り戻したんだと心から納得した。いや、鬱だったと言うことも信じられないぐらいだ。 運転していて分かったことだが、半身麻痺に失語症という障害が残っても、弟の性格は全く変わらないと言うことだ。少しでもアクセルを踏み込むと、「あ・め」と眉を潜めながら文句を言った。きっと台風だから気をつけろと言いたいのだろう。「大丈夫よ、私だって運転技術が上がったんだから」と言えば、「だ・め」と本当に駄目出しをされてしまった。「弱虫ね、男のくせに」と笑いながらも、私は法定速度よりずっと遅くして車を走らせた。 実家から病院までの道のりは、片道で三十分ぐらいだ。車にはナビが付いているから、方向音痴な私でもちゃんと行くことが出来るはずだった。なのに弟は全く信用していないようで、交差点に来るたびに、左手で右や左を指さして、いちいち指図する。 「どんだけ信用ないのよ、私は。言っておくけどね、あんたを連れていくぐらい私だって出来るんだからね。そうよ、どこにだって連れてってあげるわ」 すると弟はニコニコと笑いながら小さく首を振った。 病院に着く頃には風も殆ど止み、雨だけがパラパラと残っている程度になっていた。台風は少しずつ北西へと移動しているとラジオで言っていた。 確かに、永遠に続く風雨なんてあるわけがない。それに台風の後は晴れが来る。 駐車場に車を止め、車から降りた弟に私は傘を差しだした。すると彼は「な・い」と言いながら、正面玄関の方へ杖をのばす。 東の空から少しだけ薄日が差し始めていた。その光に溶けるように、美和ちゃんが私たちの方へと駆け寄ってくる。その姿を私は目を細めて眺めた。 「お久しぶりです、お姉さん」と言いながら、彼女は弟の上に傘を差した。私も挨拶をしながら、自分の傘を開いてみる。彼女のと違い、私の傘はちょっと小さかった。 「どこで待ってようか?」 リハビリは四時間ほどあるという。駐車場で待ってるか、それとも病院内で待っていた方が良いだろうかと思いながら、横を行く二人に尋ねる。すると弟が、空を見上げながら「あ・め・な・い」と言った。 雨が上がったと言いたいのか。上がったから何なんだろうと思っていると、美和ちゃんが「雨が上がったら、今日は電車で一緒に帰ろうって約束していたんです」と教えてくれた。 「え、でも……」 引きずるように歩く弟の右足に、チラリと目がいく。その視線を感じたのか、彼女は「それもリハビリの一つだって、この間、先生が言ってました」と言って微笑んだ。 そうか。そこまで回復しているんだ。そう思うと、少し嬉しくもあり、少し心配でもあった。 「じゃあ、帰っていいの?」 確認のため美和ちゃんに尋ねると、彼女が答える前に弟が、「ま・た・あ・め」と言った。 意味が全く分からない。困り果て、助け船を求めて美和ちゃんを見ると、彼女は少し考えてから、「また雨が降ったら来てと言ってると思う」と解説してくれた。 「えー、雨なんてもう降らないよ、台風行っちゃったから」 そう言った私に向かって、弟は違うというように首を振る。それから何かを考えるように眉間にシワを寄せた。 たぶん言葉が出てこないのだろう。 私と美和ちゃんは、彼が思い出すまでその場に立って静かに待った。 すると何かを思い出したのか、弟の顔が明るく輝き、一句一句を確かめながら「た・い」と発音した。 「たいって、もしかして台風がきたら、また来いってこと?」 うんうんと頷いた弟の顔は、幼い頃の表情と全く同じだ。 「分かったわよ。雨でも風でもどんと来いだわ。次は二人とも乗せればいいんでしょ?」 「はい」と素直に頷く美和ちゃんを見て、私は本当に安心した。 弟が今度はもっとはっきりとした声で、「あ・り……、お・ね・い」と私に言う。 しかしいくら待っても、「ちゃん」の言葉は出てこなかった。 |