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エバーラスト

 エバーラスト

 彼女は名前をスエファといった。「雪の花と書くの」と、彼女たちのあの美しい字――私の目には文字というより壊れやすい幾何学文様にみえる――を、黄ばんだ素描帳のはしに描いた。
 私の名はミハエル。ミシェル、あるいはマーク。私たちのサンクト・ペテルブルグ――このごろではさらに名を変えて〈レニングラード〉と呼ばれているが――そこで育った七歳まではミハエルと呼ばれ、母たちとパリに逃れてからは長くミシェルと呼ばれた。「マーク」と呼ばれるようになったのはわりあいに最近、合衆国の市民権を取得してからのことである。私は呼ばれ方を変えてばかりいる。私たちのなつかしい川辺の都のように。
 スエファは私を〈絵かきさん〉と呼んだ。マイ・ペインター。彼女は片言の英語を話した。仔猫がのどを鳴らすようなあのやわらかい訛りで彼女が発音する〈ペインター〉は、私の耳にはむしろ〈ペーテル〉に近く聞こえた。
 私と彼女との出会いにさほど語るべきことはない。
 あのころ、しがない新聞絵かきとして上海に渡ったばかり私は、絵入り新聞読者がたの植民地的異国趣味への奉仕――市場だの、中国風の庭園だの、船着場の荷運び苦力だのをおそろしく緻密に描く仕事にたちまち飽き飽きして、私個人の趣味をみたす美しい被写体をさがしていた。私は美しいものを好む。そして写実主義は好まない。「貧しくもたくましい生活感」を正確に写し残す特権は、よろこんで写真家連中にゆずりたい。私が欲するのはもっと作り物じみた美だ。白い貝殻細工や、あかるすぎてもの悲しい夏の午後の陽のような美だ。スエファはそんな私の嗜好によくあてはまるモデルだった。
 とはいえ、西欧的な基準に照らして彼女が美しいモデルだったかは……正直よく分からない。
 スエファは小柄で、細い目と幼く丸い顔をして、きめのこまかい淡黄色の皮膚と、つややかに青みがかった鏡のような黒髪をもっていた。丸い肩は小さく、肉付きが固く、肉感にとぼしい上半身は素裸でも少年めいているのに、腰骨と下肢だけは完全に女のかたちをしていた。そのアンバランスな裸身は私にクラナーハの処女象を思い出させた。幼く、白く、淫蕩な、なにか生き疲れた顔をした金髪の娘たちの画を。私には表情が読みにくいスエファの丸い顔には、幼さの中に、どことなくそんなところがあったのだ。


 スエファの本業は女給仕だった。主に西欧人が出入りする共同租界のカフェでわりあい熱心に働いていた。「お金をためてアメリカに行くの」と、口ぐせのようにいっていたものだ。黄浦江から船にのってわたしはアメリカに行くの。「アメリカが好きなのかい」とたずねると、彼女はひどくきまじめな顔で「どこでもいいの」と答えた。アメリカでもパリでも東京でもいいの。ここでなければいいの。その三つが彼女の知る国外地名のすべてだったようだ。私がじっさいに知っていたのはその中ではパリだけである。長い夜、素描帳に幾枚も彼女をスケッチしながら、私はよくあの街の話をした。私が少年時代を過ごした街――そこで大戦と故郷の革命の知らせを聞き、母が死に、父の死を伝え聞いた街の話を。
 私の父は帝政期の貴族のはしくれだった。二百の農奴を所有して安楽椅子に埋もれながら、なにか美しい夢のように人民主義を唱えていた。私と母を逃したあとにも故郷に残った点で、彼はその夢に殉じたことになるのかもしれない。はたして満足だったかは私には分からないが。彼はたしかに夢想家だったが、同時に現実主義者でもあった。生前の彼が多少の資産をスイスの銀行に移していたために、私はさして不足なく育つことができた。「食べるための苦労」というものがもしも私にあったら……と、ときおり考えることがある。もしそれが私にあったら、今ごろ私の性格もずいぶんちがっていたかもしれない。
 「あなたには暇がありすぎるのです」と、私に言ったのはホンだった。あなたには暇がありすぎる。だからよけいなことを考える。彼は文語的なロシア語でそんな風に言い、「そこが面白いのですが」とよくひびく声で笑った。
 共産主義に傾倒していた若い医学生のホンは、私とスエファに共通する唯一の知人といえた。友人……とまでは言えないかもしれない。だが私は彼が好きだった。なにしろ母語で話ができる数少ない知己である。友情を、あるいは恋愛感情をはぐくむ上で母語が通じるというのはかなり大きなことだ。私とスエファのあいだでは片言の英語しか通じなかった。私たちの感情のやりとりは、はじめからたがいの乏しい語彙の範囲に封じこめられていたのだ。もっとも、私はそのことをさしてもどかしくは思わなかったが。
 私にとってスエファの感情はそれほど重要ではなかった。私は彼女の顔立ちを愛し、たどたどしく単純な言葉使いや、クラナーハの処女象のような風変りな裸体を愛した。彼女はあまり忍耐強いモデルではなく、小一時間もするとすぐに飽きては、あの街で私が住んでいた部屋――旧市街の近くにある、ごく狭い二間つづきの集合住宅の三階だった――を、油断ならない仔猫のようにきょろきょろと見まわしはじめたものだ。そして言葉を増やしたがった。「これはなんというもの?」と、妙に真剣な顔できく彼女の声を、いったいいくど聞いたことだろう! 乱雑な小さい部屋にあるありとあらゆるものが彼女の質問の対象になった。コーヒーポット。仔山羊皮の手袋。古びた黒い旅行鞄。アーミン毛皮の外套。素描を消すパンのかけらから、むかし母にゆずられた彫金細工の十字架に至るまで、私は頭をしぼってはどうにか英語名を思い出した。
 たずねられてもっとも困ったのは、窓のわきにかかったムギワラギクの乾燥花を指さされたときだったろうか。紫と黄色のその乾いた花の束は部屋を借りたときからすでにかかっていた。うっすらとほこりをかぶった何の変哲もない花である。「これはなんというもの? この死んだ花」スエファはそんな風にたずねた。私の英語の知識は主に韻文に由来する。ムギワラギクはいったい何と呼ぶものかとひとしきり頭をひねったあげく、「たしか〈エバーラスティング〉だ」と私はどうにか答えた。
「エバーラスティング?」
 はだかの胸に敷布をかきよせながら、スエファは首をかしげた。
「さびしいね。ずっと終わっているの」
「いや、この〈ラスト〉は動詞だから意味は〈つづく〉だと思う。エバーラスティング。〈ずっとつづいているもの〉だ」
 学校通いの子どものように私はまじめに説明した。「ずっとつづいているもの」とスエファもきまじめに繰りかえし、そのあとでふいに笑った。
「おもしろいね。死んだ花は〈ずっとつづいているもの〉なのね」

 死んだ花はずっとつづいているもの。

 いかにも無邪気に発されたスエファの言葉は、あのとき、私の心にとつぜん母の死を思い出させた。エバーラスティング。ずっとつづいているもの。母の死は自殺ではなかった――「自殺」という言葉が、自発的な意志によって計画された死を意味するのならば。彼女に死の意志はなかったと思う。ただ生の意志を失っていただけで。
 大戦のさなか、私が十三になってすぐの三月に、母は故国の革命の知らせを聞いた。父のいるペテルブルグ――あのころはほんの短い間ペトログラードと呼ばれていた――で大規模な暴動がおこり、各地の軍隊が加わって、皇帝一家が捕らえられてあっけなく退位したという。母は父が死んだと信じた。あるいはどこかからそう聞いたのかもしれない。短くあかるいひと夏を喪服すがたで過ごしたあとで、街路樹の葉が色づきはじめるころ、彼女は再婚の決意を固めた。私たち母子がパリに逃れてすでに六年になっていた。淡すぎる金色の髪をしたものさびしげな母にはつねに保護者のような求愛者がいたのだ。
 あなたのためなのです――と、彼女は繰りかえした。ミシェル、あなたのためなのです。生まれにふさわしい教育をあなたには与えなければ。問われてもいない非難からひっしに言い逃れるように彼女は繰りかえして、フィリポ・リッピの聖母のようなもの思わしげな花嫁になった。そして同じ年の暮れに父が本当に死んだと聞いた。
 間の悪いことに――まったく間の悪いことに、彼女が喪服を脱いだときには父はまだ生きていたのだ! 脆弱すぎる彼女の心はその知らせに耐えられなかった。彼女は蒼ざめ、眠らなくなり、真夏の花が枯れるように少しずつやせ細っていった。そうしてある秋の朝、睡眠薬のびんをそばにして眠りこむように死んでいた。
 母の死に顔を思うとき、私の心にはいつも、色あせないまま枯れた背の高い花のさまが浮かぶ。エバーラスティング。ずっとつづいているもの。枯れたまま色をとどめる乾燥花をあらわすには、たしかにふさわしい呼び名だ。

                    ※

 話が反れてしまった。私はスエファとの思い出を書きとめているのだった。それにしてもいったいだれに向けて? 自分でも分からない。「マーク」と呼ばれるようになって以来、私は私の〈雪の花〉との思い出をだれにも話していない。この国の知人に聞かせるにはあまりにも『マダム・バタフライ』じみた思い出という気がする。あのろくでもない海軍士官を私は嗤うことができない。もちろん私には本国も妻もなかったが……だがそれでも、スエファに対する私の心はまったくピンカートンと変わるところがなかったのだから。
 私はスエファの外観を愛し、彼女に心があることはめったに思い出さなかった。その事実をまざまざと思い知ったのは、私が彼女を失ったまさにそのときといえた。今でも日付は思い出せる。1931年9月21日。遠く満州地方でおこった鉄道爆破事件をきっかけに日本軍があの国に侵攻をはじめたちょうど三日後のことである。私の雇い主たる絵入り新聞社からは「早いところ引きあげて来い」とあわてふためいた電信がとどいていた。満州と上海とのあいだはロシアとイタリアほども離れているのだが……彼らはあの国をよほど狭いと考えていたらしい。
「ちかぢか発つことになりそうだ。その前に仕上げないとね」
 私はそのころちょうど、スエファが座ったすがたを油彩で描きはじめていた。絵筆を手にした私を見あげて、彼女は目をしばたかせた。
「発ってどこに行くの」
「たぶんパリだと思う。そのあとは……分からないな」
「そう」
 スエファはひどく硬い声でいい、ふいに立ちあがると、乱暴な手つきで服を身につけはじめた。
「どうしたの? 気分がのらない?」
 私はまったく何の気なしにたずねた。髪を束ねる手をとめてスエファがこちらをみた。歪んだガラス窓から射す西日が彼女を琥珀色に染めていた。さびしい色だった。だがとても美しい。この画の背景は黄と朱赤にしようと私は思いついた。
「動かないで」
「?」
「その色を作るから。そう……そのまま顔を横にしていて」
 スエファは言葉のままに首をそむけたが、すぐにまた戻し、泣きだす寸前の子どものようにくしゃりと顔をゆがめた。
「マイ・ペインター。わたしね、わたしも行くかもしれないの」
「行くって、ここを離れて?」
「そう。店によく来る金持ちがいるの。貿易商で、香港に店をもっていって、わたしを連れて行きたいのだって」
「それは……求婚されたということ?」
 スエファは一瞬だけ目を見張り、「二番目の妻にね」と答えた。〈二番目の妻〉がどちらを意味するのか――再婚相手であるのか、それとも文字通りの意味か、私には分からなかった。それをデリケートにたずねられるほど私たちの語彙は広くなかった。私は返事に窮したまま指の先で絵筆をもてあそんだ。こつこつと硬い秒針の音がむしょうに耳につき、ストーヴの上で真鍮のやかんがごく細い蒸気をあげていた。やがて陽が動き、スエファの横顔が青い影に沈んだ。彼女がふいにいった。
「ペインター。わたし、アメリカに行きたい」
「アメリカに?」
「そう。アメリカに。黄浦江から船にのってアメリカに行きたい」
 いいながらスエファは細い目でじっと私を見ていた。私も彼女を見ていた。丸く小さな風変わりな顔や、つややかな髪や、少年のように肉付きの固いなだらかな肩の影を。その顔から表情は読みとれなかったが、彼女が私に何をいって欲しいのかはさすがに理解できた。そして私は……私は筆をおいて笑った。
「そのうちきっと行けるよ」

 そう告げた瞬間のスエファの顔を、今も忘れがたく覚えている。彼女はあっけにとられたように薄く唇を開いて、なにか言おうと動かし、またすぐに閉じた。それからのろのろとショールをかけ、縁なしの円い布帽子をかぶってゆっくりと出ていった。琥珀色の日射しはすでに部屋になく、私はその色をどう出すかぼんやりと考えつづけていた。
 そうしながら私が感じていたのはつかみどころのない失望感だった。私の小さな愛らしいスエファ――作り物じみて美しいクラナーハの処女象が、ふいに当たり前の生身の女になりかわってしまった気がしていた。正直にいおう。私は彼女の人生になど何の関心もなかったのだ。緻密な細工物を愛するように私はスエファを愛していた。細工物に心はいらない。彼女が――生身の彼女が私をどう思っていようと、私には関心のないことだったのだ。
 そのとききり、スエファは部屋をたずねてこなくなった。
 私のささやかな失望に関わりなく、世の中は激しく動きつづけていた。年が明け、満州の騒動がついに南部にもおよんで、引き上げをうながす電信がいっそ懇願じみて、上海市内での騒動がじりじりと現実味をおびてくるころ、私はついに重い腰をあげ、あの街を発つ心を固めた。心残りといえば――描きかけたスエファの座像が仕上がっていないことばかりだったろうか。最後に一目見ておこうと、出立の前日、私は久しぶりに彼女のカフェをおとずれた。
 よく晴れた冷たい午後だった。雲間から白んだ冬の陽が射し、水気の少ない軽い雪が、光の帯の中を、思い出したようにちらちらと舞い落ちていた。石畳が黒く濡れ、触れては溶ける雪の白さがひどく眩しかった。外灘沿いの大通りに出ると、カーキ色のマントをつけた軍人のすがたがしきりと目に入った。ぜんまい仕掛けの人形のような小さな軍人たち。あの色を着るのは日本人らしいが、私の目にはちがいがよく分からない。おそらく彼らの目からすれば、私も同じことだったのだろう。
 雪はしだいに激しくなり、降りしきる冬の花のようにあたりを舞いはじめていた。吐く息が凝ってみえる。外套のえりを立てて私は道をいそいだ。租界にのこる欧州人はもうだいぶ少なくなっていた。カフェにも人が少なく、店先に並んだ籐の椅子にうっすらと雪が積もっていた。
 閑散とした店内に一人、二人ちらばる客のなかに私はホンのすがたを見とめた。ひじをつき、短い紙巻きタバコをくわえて、広げた書物の頁に視線を落としている。
「スエファはいるかな」
 私の声を聞くなり、若い医学生は顔をあげた。ぽつりと赤い火の先から細い煙が揺らいでいた。陶器の灰皿にぐいともみ消して、彼は口を開いた。
「死にましたよ」
「……え?」
「死にましたといったのです。雪花は死にました。自分で自分を殺したのです。思い及ばなかったのですか」
 ホンはこわばりきった声でいい、ふいに立ちあがると私の胸ぐらをつかんだ。人種のわりに私は小柄である。人種のわりに大柄なホンとはほとんど同じ背丈をしていた。爪の黒ずんだ強い手で彼は私の首をゆさぶり、蔑みきった声でつづけた。
「雪花は本当にあなたを好きだったのです。あなたも同じだとわたしは思っていました。あなたは欧州人です。ちがうと思っていたけれど、やはり欧州人です。この国で見ていることをあなたがたは夢だと思っている。けれどわたしたちは夢ではない。あなたの夢ではない……!」
 そう叫ぶホンの唇はいいようもなく震えていた。彼のすぐわきで、消えそこねた煙がうずを描いてほそぼそと立ちのぼっていた。私は夢の中で聞くように――あるいは、夢の中の女の死を覚めてから聞かされるように、ぼんやりと彼の言葉を聞いた。

                  ※

 夢の中の女の死。私にとってスエファの死はまさしくその通りだった。衝撃というには淡すぎる定まらない気分のまま、黄浦江から船に乗って私は上海を発った。少年時代を過ごした街――大戦と故郷の革命の知らせを聞き、母が死に、父の死を伝え聞いた街へと。
 「帰る」という表現を、私はどこの土地に対しても使うことができない。ふしぎなものである。やたらと呼び名を変えられるあの川辺の都で過ごしたのは、人生のほんのはじめの七年にすぎないというのに。あの都の細かな思い出を私はほとんど残していない。繰りかえし名を思うたびに、記憶はむやみと美しくなり、おぼろに、淡く明るくなって、真夏の午後の日射しのように心を琥珀色にみたす。それは現実とはちがうものだ。あの場所は記憶の中にしかない。そして私の記憶は、現実よりもはるかに美しくなってしまった。万が一本当に帰る日が来たら、私の心はおそらく失望するのだろう。あの日、スエファの感情にああして失望したように。
 私はスエファを死なせたことをさして悔いてはいなかった。少なくとも、悔いていないつもりだった。悲しみはあとからゆっくりと来た。はじめにそれを感じたのは、マルセイユからパリに向かう列車の中のことだった。春らしい霧雨がけむる夜の列車の席でうとうとと眠っていた私は、ふいの揺れに覚まされてぼんやりと顔をあげた。そして息を呑んだ。
 黒く湿った窓の向こうに蒼ざめた母の顔を見つけたのだ。ふいに目覚めたためもあってか、私ははじめ本当にそこに母がいるのだと思った。だがしばらく眺めているうちに、それが私自身の顔だと気づいた。気づいたあとにもしばらく、私は他人をみる絵かきの目で窓の顔をながめた。なめらかな黒いガラス板に痩せた男の顔が映っていた。蒼ざめて、ほほがこけ、なにも映さない呆けた目をただぼんやりと開いていた。なんと醜い顔だろう……と、私はふいに思った。これほど醜い生き物をほかに見たことがないと。
 冷たく歪んだガラス板の向こうに雨のしずくが凝っていた。それらはしだいに集まり、揺らぎ、大きな粒を結んでは涙のように流れていった。痩せこけた男の顔を透かして遠い家々の明るみがみえた。板に男の顔だけを残して見る間ににじみ、遠ざかってゆく。私は思わず腕を伸ばして灯の筋に触れようとした。指先が冷たいガラスに触れ、男の顔がびくりとゆがんだ。私はまばたきをした。男もまばたきをした。列車に人は少なかった。背もたれの板のうしろからかすかないびきが聞こえる。私は身体がおしつぶされるような激しい孤独を感じた。私だけを残して世界が遠ざかってゆく。私はそれに触れられない。どれほど腕を伸ばしてもけっして触れることができない。
「スエファ」
 われ知らず私は呟いていた。ガラス板の男の顔がしだいに私自身になり、枯れはてた花の残像の上に、ぱっと彼女の顔が浮かんだ。スエファ。かわいそうなスエファ。私は彼女を愛さなかった。彼女に心があることをついに思い浮かべなかった。明日の朝が来たら私を指して世界が叫びだす気がした。手足を丸め、きつく両目を閉じながら、私はあのときはじめて、心からスエファにすまないと思った。

 その思いはかなり長くつづき、パリについたあとにも、私はしばしば夜中に起きては鏡に母の顔を見つけたものだが、さいわい私の心は母ほどに脆弱ではなかった。――あるいは、罪の意識で死ねるほど善良ではなかった、というべきか。ともあれ私は生きつづけ、花かごや果物やふくよかなご婦人がたを感傷的な筆で描いては悪くない値段で売った。絵かきとしての私の名がそれなりに高まりはじめて、「人間は描かない」というわがままがどうにか通りはじめたころ、世の中が二度目の大戦を迎えた。
 1939年九月。私が上海を発ってから七年目の秋のことである。街路に溢れる三色旗とドイツ・ファシズムへの罵倒は私には縁のない熱狂だった。私の絵の愛好者はなぜかアメリカ人に多い。昂ぶる熱気と「共和国万歳!」の叫びを横耳に、私はすっかり慣れた手で黒皮の旅行鞄をつめて、大西洋航路が安全なうちにとニューヨーク行きの切符を手に入れた。
 遠く以前の革命のときも、一度目の大戦のときも、世の中は私に関わりなく激しく動きつづけていた。私は関わるつもりはなかったし、じっさい関わりようもなかっただろう。なにしろ国籍がないのだから。私の唯一の身分証明は、長いこと、すでにない帝国政府が発行した古ぼけた旅券ひとつだった。今はない国の旅券を手にして私は大西洋を渡った。
 船がブリストルをはなれて、いよいよ大洋に進みだしたときのことは、おぼろながら今も思い出せる。ロシアはあまりにも東西に長い。パリにいようと上海にいようと、北にはつねに私の故郷があった。だがそれもついになくなる。心に残りつづけるものは……彼女たちの残影だけになるのだ。
 失ったスエファの思い出を私は宝物のように抱いていた。美化でもしなければやっていられなかったのだろう。だがそれは死んだ花だ。どれほど美しく思い出そうとしても、追想は必ず、立ち枯れた花のさまとあの醜い生き物の顔で終わるのだった。私はゆっくりと緩慢な死をつねに生きている気がしていた。そのために美しいものばかりを描いた。
 アメリカでの私の絵に対する世評はわりあいに的を射ていたと思う。「感傷的な古典趣味。筆先の技術への盲信。完全なまでに前衛心を欠いた前時代の遺物」。おそらく悪評なのだろうが……私としてはもっとも納得いった批評のひとつである。「亡命貴族の血統」という彼ら好みの生い立ち――合衆国市民という人種はおそらくこの世のだれよりも旧貴族を愛してくれる――とあいなって、私の絵はこの土地ではおそろしくよく売れた。これはひとえにわが親愛なるジョーンズ氏の功績でもある。氏はパリ時代からの私の絵の愛好者で、才覚ある画商として徹底的に喧伝につとめてくれた。
 「いやなら人付き合いをしなくてもいい。きらいな肖像も描かなくていい。英語を堪能にしなくてもいい。好きなだけ偏屈でいたまえ」――とは、氏が私に言い含めた「売り出し戦略」の一部である。「亡命貴族の芸術家」は扱いにくいほど人気が高まるのだそうだ。私はありがたく彼の忠告を受け入れ、世の中の動きは気にかけず絵ばかりを描きつづけた。
 偏屈をつらぬく「芸術家」が気にかけようとかけまいと、世の中が動くことに変わりはない。私が発った翌年の初夏にドイツ軍がパリを占領し、あの街に住む知己たちと連絡が取りにくくなった。つぎの年の六月にはペテルブルグの――あるいは〈レニングラード〉の包囲戦がはじまった。数十万のドイツ軍による長い長い兵糧攻めである。ラジオごしに繰りかえされる以前の故郷の惨状――三百万の市民たちが果敢に飢えに耐えているとの知らせを、私はたいてい朝食をとりながら聞いた。
 翌年の暮れには合衆国もついに戦線に加わった。文字通りの世界大戦である。「ここはひとつ、第二の〈ゲルニカ〉でも描いてみてはどうかね? 大評判になるぞ」と、軽口めかした率直さでジョーンズ氏はすすめ、私は彼にいわれるまま、切れ切れに浮かぶ故郷の記憶をカンバスに写しとってみた。朽ちた大聖堂の広場にさまざまな年代の人々の影が重なりながらただよっている。たがいにたがいを透かして、けっして交わることなく。その上を鳩とカラスが飛び、広場の前を流れる川が日暮の色に染まっている。タイトルは――『死者たちの祭り』。私がつけたわけではない。いつのまにかそう呼ばれていたのだ。
 まさしく〈ゲルニカ〉の焼き直しだとさんざんに酷評されながらも、この絵はたしかに高い評判をとった。私にとってのマスターピースはおそらくあれということになるのだろう。氏はこの路線でもっと描けとねっしんに主張したが、写実的に心象を写しとる作業は私には荷が勝ちすぎ、けっきょくまた以前どおりの画風に戻った。いわゆる抽象絵画の描き手たちに私は心からの敬意を感じる。彼らは彼ら自身の心の恥部をオブラートなしに眺めつくす。私の心は弱すぎてその厳しさに耐えきれない。感傷的で、古典的で、完全に前衛心を欠いた小型の具象画を描いているほかない。
 それらは本当によく売れた。何を生みだすわけでもなく、以前に描いた自分の構図をたんねんに写しとっているだけで、同じ賛辞と悪評があいさつのように繰りかえされては、「売約済み」の赤い札がつぎつぎと張り付けられていった。二度目の大戦が終わるころには、美を描くことの歓びを私はほとんど忘れはじめていた。私にとっての世界は広大な廃墟と似ている。そこはあかるく、白く乾き、死者たちが見えない影のように音もなくただよっている。美はそこに射すひと筋の光だ。深い雲間から唐突に射しては、触れがたい淡い影たちに瞬間だけ色を取りもどさせる。その一瞬の歓びのために私は描きはじめたのだろうに……

 溶き油の臭いがたちこめる音のない作業部屋で、私は描きつづけた。気にせずその場所に入ってくるのは、いつのまにかジョーンズ氏一人になっていた。彼はふしぎな人物である。赤ら顔で声が大きく、ありていにいって相当場所ふさぎな体格をしているというのに、ごく近くに座っていられてもなぜか気にならない。筆をとる私のうしろで、彼はよく、私の古い素描帳をおもしろげにめくり眺めていた。
 完成した作品を手ばなすことにはほとんど痛痒を感じないのに、鉛筆描きの素描だけは私は捨てることができない。それらの古びた紙の群れの中には、もちろん彼女を描いたものもあった。氏がその一枚を指して、「見たことのある顔だ」といったのは、私が大洋を渡ってからちょうど八年目にあたる九月のことだった。私にとっての転機は、なぜかこの月によくおとずれるようだ。
「マーク、このモデルは上海時代のかね? 東洋人はみな同じに見えるとはいえ……どうもこの顔を見たことがある気がするんだが」
「どこでです」
「ここでだよ。いや、ちがう。たしか西海岸だ。十年近く前だったかな? とにかく、まだ君がこっちにこないころに、君の――いっちゃ悪いが、まだ無名に毛が生えた程度の君の習作を値切りたおして買い占めたチャイニーズがいてね。愛人だが娘だか知らんが、あの客が連れていた女が、じつにこの顔に似ていた覚えがある。香港渡りのミリオンダラーだよ。チャイナタウンの大立て者だ」
 それまでまったく何の気なしに彼の言葉を聞いていた私は、「香港」という地名を耳にしてはっと筆をとめた。
「心当たりがあるかい?」
 氏が興味深そうにたずねた。私はつとめて驚きを無視し、「気のせいでしょう」とだけ答えた。気のせい――そう、気のせいに決まっている。まさしく氏の言葉どおり、東洋人の顔などみな同じに見えるに決まっている。そもそも私の素描はけっして写実的ではない。あれらの中にいるのは私の夢の女だ。彼女であるはずがない。
 彼女であるはずはないのだ。そう思いながらも、私は氏に告げられた言葉を忘れることができなかった。そして翌月のはじめ、ひさしぶりに荷をつめて駅舎へと向かったのだった。

                    ※

 汽車での旅は本当にひさしぶりだった。長い距離をああして旅するのは大洋を渡って以来といえた。広大すぎる大陸を数日かけて横ぎる単調な陸旅をつづけるあいだ、私の心はしきりと幼いころの記憶を浮かべた。あの遠いはじめの旅――母と二人でパリに向かったはじめての旅の記憶を。
 あの年、私は七歳だった。列車は春を追いかけるように平原を南に進んでいた。林檎の花が白く咲き、空はあおあおと晴れて、なだらかな丘地や川や尾根が、車窓の向こうに現われては遠く過ぎさっていった。七歳の私ははしゃいでいた。過ぎてゆくものがみな美しく、こらえがたいほど鮮やかに見えて、窓ガラスに鼻を押しつけてむちゅうで外を眺めていた。お母さま、お母さま、お日さまが追いかけてきます……! あのころ見た色合いの鮮やかさを私は思い出したかった。けれどどんなに思い出そうとしても、それらは黄ばんだ素描のようにおぼろな琥珀色を帯びているのだった。
 そうして記憶を追うあいだにも、現実の列車は進みつづけ、やがて西海岸最大の駅舎についた。サン・フランシスコ。聖フランチェスコの街。アッシジのやさしい聖人の名を冠するにはあまりにも活力にあふれた都市である。ジョーンズ氏から教えられた十年前の手がかりをたよりに、私はもとめるミリオンダラーどのの居所をさがした。だがけっきょく上手くはいかなかった。なにしろ十年前である。住人の移動が活発な西海岸では、ほとんど前世紀と同義といえる。二日にわたる不器用な探索のあげく、私は早々にあきらめてしまった。
 じっさいのところ、本当に確かめるつもりなど私にはなかったのかもしれない。すでに二十年近くが経って、罪の意識はそれ自体が甘美な追憶になりはてていた。痛まない傷痕を繰りかえし撫でさするように、私はそれを愛してさえいたのだから。
 十月もなかばを過ぎるというのに、聖人の名をもつ南の街はまだひどく暖かだった。場違いな薄い外套すがたで私はプラットホームに立ち、じきに来る汽笛のひびきをぼんやりと待ち受けていた。細かな震えと轟音のあとで汽笛は高く鳴りひびいた。蒸気をふきだす鉄の箱車がホームへと近づいてくる。長い列車がつづき、いくらかずれた位置に止まると、晩夏のような軽装の乗客たちがつぎつぎと降り立ってきた。私はかばんを取り上げて降りる人が終わるのを待った。長距離列車のプラットホームは世界のどこでも同じだ。出迎えたちが声をあげ、人の群れに視線を凝らしては、帰りついた家族のために惜しみなく腕を広げる。
 乗客の大半がホームにおり、いっせいに横手へ流れはじめたころ、一人の小さな老人がよろよろと車をおりるのが見えた。東洋人である。仕立ての良い背広をつけている。人のうしろにもうひとつのすがたがつづいた。くすんだ千鳥格子のスーツをつけ、羽つきの茶色の帽子をかぶったその女のすがたを見るなり、私はまばたきをした。小柄な女である。身体つきは丸く、肩の線もなだらかに丸い。
 女が老人の右手をとってていねいにホームにおろした。帽子のふちがかたむき、肉付きのよい小さな手が広いつばを押さえた。顔がななめに傾げられ、細い目がこちらに向いた。これも東洋人だ。あまり若くはない。私がまたまばたきをしたとき、
「ペインター」
 彼女の声がいった。仔猫がのどを鳴らすようなあのなつかしい訛り。その声が耳に届くなり、たんねんに化粧をほどこした目の前の女の顔が、ふいに彼女に変わった。かたわらの老人が胡乱そうに私をみたが、私には分からない言葉で彼女がひと言、二言告げると、あごだけで浅くうなずいて先に歩いていった。私はようやく口を開いた。
「死んだと聞いていた」
「そうね」彼女は短く答えて、ついと目を反らした。「そうだと思う。もし来たらそう伝えてと頼んであったから」
「どうして」
 かろうじてそれだけ訊ねた私を、彼女は目を細めてみあげた。ものを知らない子どもをみる母親のような目だった。その目でじっと私をみながら、彼女はぽつりといった。
「エバーラスティング」
「エバーラスティング?」
「そう。悲しいね。〈ずっとつづいているもの〉に、とてもなりたかったのに」
 それだけを口早にいったあとで、彼女はくるりと背をそむけて老人のあとを追いはじめた。アーチ型の高い梁のすき間からいく筋か光が射していた。白い光の帯の中でほこりの粒がきらきらと舞い、彼女の背中の半分だけを鮮やかに浮かび上がらせた。私は若者のように叫んだ。
「――――スエファ……!」
 彼女が振りかえった。首をかしげ、目を細めて、まぶしげにこちらを見ている。なつかしいその顔を見つめるうちに、私の心でなにかが震え、光を散らして砕けた。雪の花。私の雪の花だ。降りしきる白い花びらが目の前に見える気がした。光の中を花がふる。夏の雪のようにふりしきる。立ち枯れた茎が水を吸い、ゆっくりと花弁を震わせてゆく……!
「生きていてうれしい! 本当にうれしい!」
 まるであのころに戻ったような単純すぎる私の叫びに、スエファは目だけで笑った。そして丸い手で帽子のふちを押さえ、足早に歩き去っていった。出発の汽笛が鳴りひびいていた。あわててかばんを取りなおし、東へ向かう鉄の箱にそそくさと乗りこみながら、私はつぎに描く肖像の色合いをむちゅうで考えはじめていた。

                                         了


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