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つながり

 俺は今、とあるビルの屋上にいる。
 どこにでもあるような灰色の雑居ビル、その屋上。高さはだいたい十五メートルくらい、下はアスファルトの歩道。落ちれば確実に死ねる高さだろう。
 その事実は俺にとってとても魅力的だった。
 幸い転落防止用のフェンスは手入れなど一切されておらず錆び放題、しかも人一人が通れる程度の穴があいていたから、簡単に通り抜ける事ができた。
 フェンスの外側、屋上の縁に出て立ち上がると途端に足が竦む。
 ここから死までは約三メートル弱ほど、あと軽く三歩前に進むだけでこの人生を終わらせる事ができる。
 両親は事故死、親戚もいない。学校ではみんなから無視される。誰ともつながりの無い、孤独で寂しい日々。
 唯一の話し相手である幼馴染とも、しばらく喋っていない。会うたびに「今急いでるから」「最近は忙しいの」と言い残し去っていく、たぶん避けられているのだろう。
 ポケットに入っている携帯電話のメモリには、誰の番号もアドレスも載っていない。
 俺は誰とも、何ともつながっていない。
 きっとこの先、俺はこのままダラダラと惰性で生きていく。
 まるで噛み終えたガムのような、味気なく単調でつまらない人生。
 同じ道を独りで延々と走る、終わり無きマラソンの様なものだ。
 それならいっその事、ここで終わらせる方が良くないか? 生きるのが苦痛なら無理せず逃げる方が楽なんじゃないのか?
 そうだ、俺なんかが生きていても良い事なんてあるはずがない。
 俺は一歩、屋上の縁に向かい進む。
 きっと絞首刑の階段を上る死刑囚も、こんな気持ちだったのだろうか?
 恐る恐る覗きこんだ先、すぐ下の歩道は人影もまばらで生温く気持ちの悪い風が吹き上がる。
 死にたい、でも恐い。
 俺の決意が揺らぐ、心臓が痛いくらい高鳴る。
 額から汗が流れ、膝が震える。
 そして、俺が二歩目を歩もうとした瞬間。
 突如、ポケットから騒音。
 俺は「うああぁぁ!」とマヌケな悲鳴を上げ、勢いよく尻餅をつく。
 勢いのあまりフェンスに激突してしまい、耳障りな金属音が響いた。
「クソッ、何だよこんな時に!」
 俺は悪態をつきながら、最初に通り抜けてきた穴でフェンスの外から内側に移動する。
 音を聞きつけた誰かにこの状況を見られれば、間違いなく警察に通報される。フェンスの外側にいれば尚更だ、内側に戻ってさえいればまだ言い訳もできる。
 まるで転がる様にフェンスを越えた俺は、急いでポケットをまさぐる。すると鳴るはずの無い携帯が騒がしく鳴動していた。
 俺は慌てて携帯のディスプレイを確認。そこには『非通知』の文字、そして電話の着信を知らせる文字も映っていた。
 一体誰が? 俺の番号を知ってる奴なんていないはずなのに? 
 怪訝に思いながらも、通話ボタンを押し耳に近づける。
「もしもし……」
 俺が恐る恐る声を出すと『え? 嘘、つながっちゃった?』と少し戸惑い気味の声。
「あの……」
『ごめんね、適当に番号押したらつながっちゃった』
 声しか聞こえないが、澄んだソプラノと言葉遣いから女性だと分かる。
 俺はさっさと切りたかったのだが『これも何かの縁だし、少し話さない?』と言われるまま、名も知らぬ女性と話すことになってしまった。
『ねぇ、貴方は今何してるの?』
「……あんたには関係ないだろ」
『関係ないけどさ、少しくらい教えてくれてもいいじゃない?』
 俺はため息をついた。なぜ見ず知らずの他人にそんな事を教えなければいけないのか。まぁ言ったとしても何も変わらないし、教えるくらいなら問題ないだろう。
「自殺だよ。ビルの上から飛び降り自殺」
 数拍の沈黙、電話越しに息を呑む音が聞こえた。
『それ、冗談だよね?』
「いや本当だよ、証明は出来ないけどな」
『……なんで自殺なんかするの?』
 彼女の声には疑問と詰問が混ざっていた。心底理解できない、そんな雰囲気が声だけも伝わる。
 言うのも面倒だ、でも遺言みたいなモノだと思えばいい。遺書自体は自宅に一通置いてきているが、俺が最後にもてる唯一のつながりだ、もう少し楽しもう。
「人生が嫌になったんだよ。親も死んだし、親戚もいない。いじめられてるから友達もいない。誰ともつながりが無いつまらない人生だ。だからもう終わりにするのさ」
『それ違うよ』
 彼女は即答した。その声はいままでのやり取りの中で一番はっきりとした声音。
 まるで切り捨てるかのような、凛然とした声だった。
 なぜ俺の意見を否定するんだ、何も知らない他人の癖に。
「何が違うんだよッ!?」
 疑問が怒りに変わり、俺の口から溢れ出す。
「一体何が違うんだ。俺は孤独なんだ。親も友もいない、いつも同じ事の繰り返し。人と会話することもほとんど無い。幼馴染さえ俺を避けるようになったんだぞ。誰ともつながっていない、単調で無機質な日々だ。この苦しさがあんたに分かるか? 俺の事も知らないくせに、何で俺を否定できる? 俺のどこが間違ってるんだよ!」
 気が付くと俺は考えるまま口に出していた。頭の中にある黒くドロドロした感情を吐き散らかす。
 そして少しの沈黙を経て、彼女の声が鼓膜を揺らした。

『今、私とつながってるよ。お互い名前も顔も知らないけど、今この時間だけかもしれないけど、私と貴方はつながってるよ』

 彼女の声は、感情に任せ一方的に喚いた俺とは正反対だった。優しく静かな声。
 そして温かい。
『確かに私は貴方の親みたいに血がつながってるわけじゃないし、友達みたいに知り合いでもない。もちろん幼馴染みたいな長い付き合いもないよ。でもね電話越しでも、声だけでも、私と貴方はつながってる』 
「何だよ、その綺麗事」
 全然分かってない、やっぱり所詮は他人だ。誰にも相手にされない苦しみも悲しさも、分かってない。知りもしないくせに綺麗事ばっかりいってんじゃねーぞ。
「あんたは何も分かってない。誰も俺に見向きもしないんだぞ、分かるかこの辛さが! 誰も俺の苦しみなんて分かるはずないんだ!」
『なら、貴方は他の人の気持ちが分かるの?』
 今度は疑問より詰問の色合いが濃い、冷えた声。
「分かるはず無いだろ。みんな俺の事を――」
『無視してる?』
 彼女は俺の言葉に無理矢理被せるように、言葉を紡ぐ。
『それ違うよ。みんなが貴方を無視してるんじゃない、貴方がみんなを無視してるだけだよ』
「いや、ちがっ――」『違わない』
 俺の声が段々弱くなる、逆に彼女の口調はどんどん切れ味を増す。感情に任せた言葉を、まるで刀のような鋭さで斬っていく。
『貴方は自分からは何もしない癖に、その原因を他人に押し付けてる。そして救いすらも他人任せにしてる。それじゃ駄目だよ』
 俺は何も言えない。
 確かに両親が死んだ時、クラスメイトは励ましてくれなかったか?
 学校でも落ち込んでる俺に声をかけてくれていたはずなのに、俺は勝手に悲劇の主人公を気取って黙っていたんだ。
 そしてみんな段々俺から離れていったんじゃないのか?
 沈黙を肯定と受け取った彼女は、さらに言葉を重ねる。
『ほら、そうでしょ? だからさ、まずみんなと話してみようよ。最初は挨拶だけでもいいからさ、そこからつながりを取り戻していけば良いじゃない?』
 もう彼女の声からは、先ほどまでの鋭さや冷たさは身を潜め。陽だまりのような温かさが感じられた。
「あぁ、そうだな」
 俺の口から自然とそんな言葉が零れる。
 そして彼女は『だからさ、あと少しでいいから生きてみない? 生きてる限り幸せになれる可能性も権利もあるんだから。それに、もしかしたらいつか私とも会えるかもしれないよ』と少し照れくさそうに付け足した。
「確かに、そうかもな……」
 死ぬのはいつでもできる、だからあと少しだけ生きてみるってのもいいかもしれない。
 むしろ俺は彼女に会いたいと思った。声だけじゃなく、電話越しでもなく。直接会ってみたい。
 俺は彼女とのつながりを断ちたくないと思った。
 だって偶然つながった電話の相手にここまで言えるんだぜ。本当に自殺してるか分からないのに、ただの冗談かもしれないのに、こんな恥ずかしい事を言っちゃう奴なんだぜ。
 会いたい、会って話しをしたい。
 ありがとうって一言だけでもいいから、直接面と向かって言いたいんだ。
「あんた、名前は?」
『え? 教えなきゃいけないの?』
「嫌なのか?」
 彼女は軽く笑いながら『思いのほか熱いこと言っちゃったみたいだし、恥ずかしいなぁ〜って』と呟く。
 まぁ確かに、かなり恥ずかしいよな。でもそんなのは問題じゃないんだぜ。
「どうせ俺しか聞いてないんだ、気にするなよ。それにいつか会うとき、名前が分からないと不便だろ」
『う〜〜ん、確かにそうかも。それじゃ私の名前を教えるね。私の名前は凛音だよ』
「凛音か、良い名前だな。由来とかあるのか?」
『聞いたこと無いから分からないなぁ、後でお父さんに聞いてみるよ。名前付けたのお父さんだし』
 そして彼女が『それじゃ、いつかちゃんと見つけてよね』といった直後《ブッ》と通話が遮断され《ツーツー》と不通を知らせる電子音だけが流れる。
 どうやらバッテリーが切れたようだ。普段使わないから充電を怠っていたのが原因だろう。
 そして俺が少しの間呆然としていたら、突然屋上のドアが勢いよく開いた。
 現れたのは一人の女性、それは紛れも無く俺の幼馴染。
 きっと走ってきたのだろう、息が荒く、額に汗が滲んでいた。栗色をしたセミロングの髪も少し乱れている。そして手には紙切れが握られていた、それは俺が家に置いてきた遺書。
 そして彼女は俺に向かって駆け寄るとその勢いのまま抱き、俺と彼女はもつれるように、倒れた。
 いや、抱きつくなんて生易しいものではない。もはやショルダータックルのような勢いだったぞ。
 俺が文句の一つでも言ってやろうとした時、鼻先が触れ合うような至近距離で彼女が俺を睨む。
 彼女の瞳は、今にも涙が溢れそうなほど潤んでいた。そして遺書を握り締めた拳で俺の胸を叩く。
「勝手に死のうとしないでよ、何がつながりが無いよ。馬鹿じゃないの!」
 言葉自体は強気なのだが、今にも泣きそうな声では迫力など微塵もない。しかしその言葉も拳も、とても重く感じた。
「でも、最近まともに話てくれなかったじゃないか」
 俺がそう反論すると彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、顔を上げずに「生徒会長ってのは何かと忙しいの、そのくらい分かりなさいよ」と涙声で弱々しく怒鳴る。
 普段強気に振舞っているからか、俺に泣き顔を見せたくないのだろう。
 その後、彼女が泣き止むまで抱き合ったまま屋上にいた。
 ふと空を見上げると、綺麗に澄み渡った青空。
 きっと電話の彼女、凛音ともこの空を通してつながっているのだろう。
 俺は今この瞬間、少なくとも二人とはつながっている。誰かとつながっている限り、俺はこれからも生きていける。そう思った。



 私は開いていた携帯をパタンと閉じて、そのままベッドに倒れこむ。
 まさか適当にボタン押してつながるとは思わなかった、しかも相手が自殺するとか言ってたから、何か色々恥ずかしいことを口走った気もするし。
 最後は突然電話が切れたけど、たぶん向こうのバッテリーが無くなったんだと思う……にしてもあの人大丈夫かなぁ。少し不安。
 そういえばあの人、私の名前の由来が何か聞いてきたっけ。まぁ私も気になるし、今日はお父さん会社が休みだからね。少し聞いてみようかな。
 私は自分の部屋からでると、お父さんとお母さんが居間でコーヒー飲んでるところに乱入し、夫婦の仲睦まじい会話に割り込む。
「ねぇ、お父さん。何で私を凛音って名前にしたの?」
 私の質問を聞いたお父さんは「突然どうした?」と言いながらも、コーヒーの入ったマグカップを置くと、少し嬉しそうな顔で喋りだした。
「高校生の時にちょっと色々あってな、自殺を考えた時期があったんだよ。いや、あの頃は若かった」
「……お父さん、それと私の名前ってどう関係あるの?」
 そんな事をカミングアウトされても、娘として対応に困るんですけど。
 お父さんは苦笑しながら「ここからが重要なんだよ」と話を続ける。
「その時に偶然電話がかかってきたんだ、凛音って人からね。それで説教されたり励まされたり、色々言われて自殺を思いとどまったのさ。まぁ、命の恩人と言っても過言じゃないな。でもそれから何度かけなおしても通じなかったから、どんな人なのかは分からないが」
 そんな調子でお父さんが色々とエピソードを披露したあと「あの凛音さんみたいに、優しくてしっかりした子に育って欲しくて《凛音》って名前をつけたのさ」と締めくくった。
 その間お母さんは「あの時は本当に大変だったわ。あなたが行きそうな場所を走って探したんだから、まったく人騒がせもいいところよ」ってお父さんに文句言ってたっけ。
 それにしても、お父さんの話を聞くと何だかかなりデジャブってる気がする……まさかね。
「お父さん、念のために聞いておくけど。その話って何年前?」
「高校二年の時だから、確か二十一年前だったはずだけど。それがどうかしたか?」
 私は「いや、ただ聞いただけだよ。ありがと」と言い残し、部屋に戻った。
 二十一年前、私が生まれる四年前か……まさかそんな事ないよね。
 携帯を開き、さっきの番号にリダイヤルしてみてもやはりつながらない。向こうのバッテリーが切れてるから当然なんだけどね。
 ふと窓越しに空を見上げると、綺麗に澄み渡った青空。
 電話はつながらないけど、きっと彼ともこの空を通してつながってるんだと、そう思った。


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