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第一章 異世界の七人 「おい、まだ着かないのか? 遅れちまうぞ」 がたがたと不整地の道路を進むトラックの助手席で片桐が運転席の浅木に声をかけた。 「はあ、それが行けども行けどもこんな感じでして……」 「まったく。おまえ何回、日出生台に通ってんだよ」 苦笑いしつつぼやく。かれこれ二時間。こんな状況だ。片桐三曹以下、六名の隊員は日出生台演習場で使用する実弾の輸送に従事していた。 彼らの運転する二台の七三式トラックには大量の小銃弾、手榴弾、八十四ミリカールグスタフ無反動砲などが搭載されている。 片桐は今年二十七歳。一般曹候補士からたたき上げでやってきているいわば「職業軍人」だ。厳しさと部下に対する気遣いを持った下士官と評価が高い。 一見、そこいらにいそうな優男だが、部下にとっては部下思いだが雷が落ちるとおっかないことこの上ない。まさに理想的な三曹といえるだろう。 「三曹、どう考えてもおかしいですよ」 荷台から須本が声をかけた。 「いくら大分の山奥っていってもですよ。二時間も未舗装の道路を走っても人家ひとつないなんて……」 「だったら何だ? 狐にでも化かされて同じところをぐるぐる回ってるとでもいうのか?」 そうは言いつつも片桐もこの指摘には同意していた。たとえ迷子とは言え、何度か通ったことのある道だ。いくらなんでも見覚えのある場所が見えてきてもいいはずなんだが。 「三曹、登り坂が終わります。街が見えるんじゃないですか?」 運転席の浅木がハンドルを握りながら報告した。片桐は双眼鏡を取り出した。 「あれ?」 車列は小高い丘を登りつめたようだった。そしてそこで片桐たちが見たモノは、日本では北海道以外、まず見ることのできない地平線だった。延々と小高い丘が連なっている。そしてその大地は豊かな広葉樹で一面覆い尽くされているのだ。 「日田は? 由布岳は? 久住連山はどこだ?」 普段は部下の前では冷静沈着を心がけるところだが、思わずうろたえて双眼鏡であたりを見回した。太陽の向きを確認しつつ東方向を見ると、明らかに集落らしきモノが見て取れた。 「村だ。でもどこだ? 中津江まで出てきちまったのか……」 焦りながらひとりごちる片桐でもわかっていた。中津江なんかじゃない。そもそもその集落にはここから見る限り舗装された道路が通っていないのだ。 「とにかく、あそこまで行って道を聞くしかないな……」 予想もしなかった光景に運転席でぽかんと口を開けている浅木に発進するよう命じかけたときだった。横の茂みから何者かが飛び出してトラックの前に立ちふさがった。 「なんだ?」 片桐は目の前の人物を凝視した。そしてそのまま視線を動かすことができなくなった。 暗色の服と革製であろうブーツに身を包んだその人物は外国人に見えた。しかしその外見は世界のどの人種とも似通っていない。ちょっと高い鼻。緑色の髪の毛。そしてなにより、その身長の低さ。一メートルちょっとといったところだろうか。 「あ、あ、ああああ……」 浅木は物語の「七人のこびと」にも似た人物との遭遇で顎がはずれんばかりに口を開いている。後ろでがちゃがちゃと金属音が聞こえて片桐は我に返った。後ろを見てみると須本と中垣が自分の小銃に実弾を装填している。 「おい、須本、中垣。なにやってんだ?」 「三曹、おわかりでしょう? こりゃあ尋常なことじゃないですよ。身を守るモノが多いに越したことはないですよ」 普通だったら懲戒ものの規則違反だろうが、須本のこの言葉は少なくとも現在の状況を的確に表現しているに違いない。後続のトラックの高崎からも無線連絡が入る。片桐は目の前のこびとが七三式トラックの外観を好奇心にあふれた様子で、眺めているのを確認しながら高崎に答えた。 「高崎、斉藤と岡田に実弾を装填させろ」 「え?」 マイクの向こうで高崎は固まった。まさか、片桐三曹はなにを考えているんだ? いくらこんな状況だからといっても……。だが高崎の頭の中にはとてつもなくばかげてはいるが、今の状況を説明できる仮説が構築されていた。もしも、それが事実であったならば、彼のこの命令は妥当であると言えよう。 「いいな?」 再度の片桐の確認で高崎は考えることをやめた。自衛隊では上官の命令がまず優先される。高崎は斉藤と岡田にそれぞれの小銃に実弾を装填するよう命じた。 「三曹、完了です」 全隊員の準備が完了したのを確認して片桐はトラックのドアノブに手をかけた。彼の意図を察した浅木が思わず声をあげた。 「三曹、やばいっすよ」 「心配するな、武器は持ってないようだ。いざとなったら援護しろよ」 それだけ言って片桐はドアを開け放って外に飛び降りた。ドアの開く音に驚いたのかこびとは少し肩をびくっとさせたようにも見えた。片桐はまず、とりあえず笑顔を作ってみることにした。人類皆兄弟。笑顔は敵意のないことを示す共通語だ。 「や、やあ?」 若干ひきつった笑顔でこびとに話しかける。数秒の間を置いてこびとも彼に敵意がないことを悟ったらしい。その高い鼻を持つ顔をほころばせた。 「あんたたちの来るのを待っていたんだよ。俺はバストーっていうんだ。村では長老が待ってる」 言葉が通じることがあまりに意外で片桐は少しうろたえた。 「ば、ばすとぉ? って君の名前か?」 二度三度と生唾を飲み込んでからようやく片桐はバストーと名乗るこびとに言葉を返すことができた。 「そうさ、そんなに珍しい名前じゃないよ。あんたは?」 「自分は陸上自衛隊三等陸曹の片桐だ」 バストーはひょいと首を傾げた。 「あんた妙な名前だな。まあ、いいや。じゃあ、片桐、その大きなモノに俺も乗せてくれよ。村まで行こう」 そう言うとバストーはすたすたとトラックに歩み寄った。運転席ではびびりまくった浅木が八九式小銃をバストーに向けていた。 「こ、これ以上近寄るな!」 震える声で浅木はバストーに叫んだ。こびとはそれに動じるわけでもなくけらけらと笑った。 「あんた、おもしろいモノ持ってるな。それどうやって使うんだ?」 「銃を見たことないのか?」 手で浅木を制しながら片桐がバストーに尋ねた。世界中どこを探したって銃を知らないヤツなんていない。だったらここはいったいどこなんだ。もはやその自問が意味をなさないと知りつつもそう思わずにはいられなかった。 「ないね。パタントならいくらでも見たことあるんだけど」 「パタント?」 今度は片桐が聞き返す番だった。バストー曰く、どうやらそれは弓矢の一種のようだ。 「パタントはすごい。特にアンバッドの持つパタントは強力なんだ」 またわからない言葉が出てきた。アンバッド、話の流れから人種や国名のようだが、当然世界地図にはそんな名前の国は存在しない。 「アンバッドってのは森の悪魔なんだ。それで、俺たちガントル族とクアド族の村をいつも襲うんだよ」 バストーと会話するごとに片桐たちの知らない言葉が次々と飛び出してくる。運転席の浅木と助手席の片桐の間に座ってバストーは次々と語り始めた。 彼の話によると、バストーたちこびとはガントルと呼ばれているようだ。そしてクアドというのは、彼の話曰く、片桐たちに近い人種のようだった。そしてアンバッドとは鬼のような外見で森に潜み非常にどう猛で、常に村を荒らしている連中のようだった。 この世界はヌボルと呼ばれていて、バストーにもそれがどのくらいの大きさかは知らないそうだ。噂では歩いて百日の距離にクアド族が大勢住んでいる国があるそうだが、どの方向にあるのか村の人間は誰も知らないようだ。 村の周辺には転々と集落が存在し、そこではクアド族とガントル族が共存して生活している。 村々は独立し、互いに交流はしてるそうだが、ここのところのアンバッドの襲撃で村々の連絡は途絶えがちということだ。 「で、バストー、なんで君はそんな危険な森にいたんだ?」 がたがた道で徐行するトラックの中で片桐は問いかけた。バストーは少し考えてからこう言った。 「長老様がアンバッドの襲撃に困って伝説のロザールの魔法を使ったんだ。あ、ロザールってのは伝説の古代王国でね。いろんな魔法でヌボルを支配していたらしいんだけど、大昔に滅びちゃったんだって。でも、クアド族は彼らの魔法を少しずつ伝承していて、長老は村が受け継いだ魔法であんたたちを召還したらしいんだ」 片桐は考えた。じゃあ、俺たちは元の日本からどこかわからない、彼らのいうヌボルにワープでもしてきたというのか。 「バストー? なんで俺たちなんだ? 俺たちはただ普通に演習に向かう途中だったんだぞ! どこの誰だか知らない山賊退治になんでおれたちが?」 矢継ぎ早にまくしたてる片桐にバストーは目を白黒させながら聞いていたが、ぶっきらぼうに答えるだけだった。 「そんなこと、俺があんたたちを呼んだわけじゃないんだから……。長老に聞いてくれよな」 二十分前後で車列は村の外壁に到着した。 村は藁葺き、煉瓦や木で組み立てられた粗末な家々がならび、その周囲を外壁らしき土壁のようなモノが覆っているのだ。その外壁にも投げ槍らしきモノや焦げた跡があちこちに見られた。アンバッドとやらの襲撃の跡だろう。 「さあ、片桐、長老のところへ行こう」 バストーはトラックの到着にうろたえる村の人々に挨拶しながら片桐の手を引っ張った。トラックは村の外にひとまず停めて徒歩で村に入る。 「なあ、俺の部下もいっしょにいいか?」 「ああ、いいんじゃないの」 村の中心に片桐たちはバストーの案内で進んだ。村人はバストーのようなこびとと、自衛官たちと同じような人間たちで構成されていた。彼らがクアド族なんだろう。クアドは人間と同じ背格好だが、髪の毛の色や目の色が人類にはない色をしている。 たしかに黒髪や金髪も多いが、青、緑……いろいろな色の連中も少しいた。そしてみんな一様に美しい。男女問わず、まるで彫刻のようだ。 自衛隊員たちはヘルメットにチョッキのフル装備に実弾を装填した小銃で身を固めておずおずと村の道を歩いていった。村人に敵意はないようだが、不気味なことには変わりない。本来なら大分の山奥の演習場にいるはずが、 どういうわけかこんな未知の世界にいるわけだ。 「長老と聖女様が待ってる」 バストーが早足で歩きながら片桐に声をかけた。 「聖女様だって?」 またしてもなじみのない単語が出てきて多少うんざりしながらも、ため息交じりにバストーに聞き返す。 「クアドの中で神聖な存在の女性さ。古代ロザール人の血を引いてて、代々女性が聖女になって長老と一緒に村を治めていくんだ。そして聖女は伝説の神々と話をして、村の将来について神様の指示を仰ぐんだよ」 巫女さんと王女様の合いの子みたいなものだろう、と片桐は想像した。彼の頭には卑弥呼に近いイメージが浮かんでいた。 おそらく、この村は村人の衣服や建物の様式からして、現代日本とはかなりかけ離れた文化水準にあるようだ。みな、古代ローマやギリシア神話に出てくるような衣装を身に着けている。たいそうな薄着だが、温暖な気候なのだろう。問題ないようだ。防弾チョッキを身に着ける片桐も迷彩服の袖をまくるほど暖かい。 そして、彼らを統括する「聖女」とやらが卑弥呼のような存在で村を統括していてもさほどおかしくもなかろう。 「三曹、俺たちいったい……」 高崎がほかの部下に悟られないようにそっと片桐に尋ねた。 「きっと神隠しにあったのさ。油断するな」 片桐はぶっきらぼうにそれだけ言うとバストーに続いて足早に歩を進めた。高崎は片桐の言葉を聞いて先ほど、バストーと出会ったときに考えた自分の仮説が彼の考えと一致していることを知った。 それを知ったところでどうにかなるわけではないが、とりあえず隊長の片桐と同じ考えであることが彼をほっとさせたのだ。 村の中心、ひときわ大きな邸宅へバストーは片桐たちを案内した。トラックには万一に備え須本、浅木を残している。 「長老、異世界ボビルから召還したクアド族をお連れしました」 バストーが中庭とおぼしき場所で大きな声で報告した。邸宅は古代ローマを彷彿とさせる柱が強調された趣で片桐たちを迎えている。 と、そこへ柱の間からぬっと老人が現れた。彼が長老のようだ。 「バストー、ご苦労だった。ボビルから来た勇者よ。わしが長老のザンガーンだ」 「陸上自衛隊三等陸曹の片桐です。いろいろとお聞きしたいことがあります」 ザンガーンと名乗る長老は、早速質問攻めの気配を見せる片桐の言葉を手で制した。ちょっとむったした表情を浮かべたが、片桐は我慢してザンガーンの言葉を待った。 「ロザールから代々伝わる魔法で、そなたたちを呼び寄せるのは初めてではない。ボビルの戦士たちがこの村に来るのは九十年ぶりだ」 ザンガーンの言葉に片桐は絶句した。彼は年齢はいくつくらいなのだろうか。髪の毛とも髭ともつかない毛は白く、とても長い。 彼の年齢もさることながら、彼の発した言葉に片桐はまず疑問を呈した。 「九十年前……。いったい連中はなにをしたんですか?」 「だいたいのことはバストーから聞いているだろう……。この村を始め、村々はアンバッドの襲撃に絶えずさらされておる。普段は我々で何とか撃退できるのだが、九十年から百年に一度、奴らは決まって大規模な攻撃を仕掛けてくる。そのときに、我々はロザールから受け継いだ魔法を駆使してその苦難を乗り切ってきたのだ。この村が受け継いだ魔法とは。戦士の召還だった。九十年前もボビルの戦士、すなわち、我々とは異なる世界の戦士の力でこの村を守った。バストー、彼らの置きみやげをお見せしなさい」 長老の命令でバストーは柱の陰へ消えた。そしてすぐに何か抱えて中庭に戻ってきた。彼の持ってきた品物は片桐たちを驚かせるに十分だった。 「これが九十年前に呼び寄せたボビルの戦士の持ち物だ」 「こ、これは……!」 高崎が思わず声をあげた。彼に言われるまでもなく片桐もこれには間違いなく見覚えがあった。 大昔の記録映画にたびたび登場する。英軍が第二次大戦まで使っていたシルクハットのようなヘルメットだった。 「九十年前の記録によれば、そのとき召還されたボビルの戦士はおよそ二百名。彼らは自らがここに呼ばれた使命を果たすと、再び古代ロザールの魔法でこの世界から消えたとされている」 「使命ですって?」 片桐は学生の頃読んだ雑誌の内容を思い出していた。第一次世界大戦中。トルコの戦線で丘に突撃した英軍の兵士が二百名、霧の中に入ってそのまま消えてしまったという話だった。 「そう、使命だ。彼らのさらに百年前には赤い服を着たクアド族が煙の出る武器でアンバッドを退治したという記録もある。もっと昔には銀色の鎧を着たクアド族が見たこともない大きな動物にまたがり、大きな槍でアンバッドに突撃したという記録もある」 長老の言葉に高崎が真っ青な顔をして片桐に耳打ちしてきた。 「三曹、赤い服ってまさか、イギリス兵じゃないですよね? 十九世紀にアフリカで行方不明になった英軍の話。それに銀の鎧に槍って十字軍ですか? 行方しれずの十字軍の一団なんて話も聞いたことありますよ。まあ、雑誌の与太話ですがね」 まさか、神隠しといわれる謎の事象は彼らの伝承の魔法によるものなんじゃないのか。 「長老、ここに召還されたクアドたちはその使命を果たした後どうなったんですか?」 ここまで話を聞いて、片桐なりに推測した結果を分析すれば最大の疑問点はこれしかない。ザンガーンは顎に蓄えた白いひげをなでながら片桐に返した。 「神々と交信し、聖女の魔力を介在して戦士たちを召還する。戦士たちは聖女の望んだ使命を達成し、再び儀式を受ける。そしてこの世界から消えていくのだ。ボビルへ帰る儀式は村の裏の山にある神々の遺跡で行われるんだが、わしも帰りの儀式は見たことがないんだ……」 つまり片道切符の可能性も大いにあるってことか? 片桐は部下に悟られないようにだが軽く舌打ちした。実際、神隠しにあった多くの兵士たちは記録上、元の世界に帰ってきてはいない。 「で、我々に課せられた使命とは?」 片桐の質問にザンガーンは黙ってうなずいた。そして柱の奥を振り返ると恭しく跪いた。いよいよ真打の登場か。 「ステラ様、戦士たちに使命をお伝えください」 ザンガーンの言葉に応えて聖女様と呼ばれる神聖な女とやらが姿を現した。その姿は片桐たち自衛隊員を驚かせた。 てっきり、年輩のおばさんか、ロリコン趣味の連中の喜びそうな少女が出てくるのかと思いきや、彼女は村で見かけたごく普通のクアド族とそう変わりはなかった。 年齢は二十歳前後。少し赤みかかった黒髪と古代ローマのようなシルクっぽい衣服。しかし、村で見かけたどの女性よりも気高く美しかった。日本人でも西洋人でもないが、純粋に美しいと思えるその姿は隊員たちを釘付けにした。 「よく来てくださいました。わたくしはステラ。この村の聖女です。まずはあなたがたを突然ヌボルに召還した無礼をお詫びしたいと思います」 なるほど、外見はともかく、その言動は神聖視されるにふさわしいものだ。片桐はこの世界の状況を知るために少しカマをかけてみることにした。 「ステラ様、私は陸上自衛隊三等陸曹の片桐と申します。こっちは高崎士長。副官みたいなモノですな」 「陸上自衛隊ですか。初めて聞きますね……」 ステラは片桐の自己紹介に明らかに嫌悪感を見せた。西洋系でもない東洋系でもない美しい顔を少ししかめている。このやりとりを聞いたザンガーンがあわてて片桐の前に立ちふさがった。 「待ちなさい。聖女の前では自分から話してはいかん!」 「え?」 「聖女との会話はわしを介してのみ許されているのだ。彼女に話しかけてよいのは神々以外には限られた人々だけなんじゃ」 思わず片桐がため息をついた。そのリアクションがさらに気にくわなかったのだろう。ステラはその顔にさらに嫌悪感をにじませた。 嫌悪感をあらわにするその顔にすら、自衛官たちは目を奪われていた。特に、若干二十七歳の若い指揮官は……。 だが、そんな世俗的な思いを振り切るように片桐は目の前の聖女と呼ばれる女を見つめた。ステラは嫌悪感の次は軽い戸惑いの表情を見せながらも、彼女のポジションにふさわしいであろう、冷静さを保ちながら言った。 「今日のところはかまいません。わたくしが神々に祈ったあなた方の使命とは、まもなく襲ってくるアンバッドを皆殺しにすることです。ゾードと呼ばれる赤い満月の出た次の日、彼らはやってきます。その攻撃からわたくしの村を守ってほしいのです」 「なるほど、よくわかりました。しかし、ステラ様にひとつ申し上げねばならないことがございます」 向こうの主張はわかりすぎるくらいわかった。要するに代理戦争の依頼だ。彼らは独力でアンバッドの襲撃を防げない。だから、わざわざ彼らの言うボビルから代わりに戦ってくれる連中を呼び寄せているわけだ。 片桐たちの前が、第一次大戦中のイギリス軍部隊、さらにその前にはマスケット兵、十字軍……ひょっとしたらもっと古代の戦士たちでさえも。 「私たちは武器は持っていますが、それを使用することは許されていません」 片桐のその言葉にステラは一瞬きょとんとした。 「それはどういう意味です?」 「言葉のままです。我々は武器を持っていますが、法律がそれを実際に使うことを許していないのです。残念ながらお力にはなれませんな」 彼女やザンガーンに憲法九条や自衛隊のあり方なんかを言ってもわかるはずもないことだ。彼なりにかいつまんでわかりやすく説明したつもりだった。しかしステラはいっこうに理解できないようだった。嫌悪感に加えていらだちすらその表情に浮かべながら言った。 「では、あなた方はその武器をいつ使うのです?」 「内閣総理大臣、あなた方で言うところの長老の許可がないとたとえ、我々が殺されても使えません」 自分で言っておいてとても理解できないであろうことを片桐は承知していたが、現在の自衛隊ではこれが規則であるのだから仕方がない。 「そんな、馬鹿な話が……」 ザンガーンもあまりのショックに言葉が続かないようだ。無理もない。頼みの綱が戦えないと言うのだから。 「片桐三曹!」 そのとき、トラックの浅木から無線が入った。 「どうした?」 うろたえるステラやザンガーンにかまうことなく、片桐は無線の受話器を取って答えた。高崎の背負う無線機から緊張感に満ちた声が聞こえてくる。 「変な連中が近づいてきます!」 片桐と浅木の無線越しのやりとりを不思議そうに見ていたステラが尋ねた。 「片桐三曹、いったい誰と話しているんです?」 「村の外に置いてあるトラックに残した部下とです。変な連中が近づいているそうですが、お心当たりは?」 片桐の皮肉めいた質問にステラはさっと顔を曇らせた。素早くザンガーンに向き直る。聖女の表情で事情を察した長老はあたりかまわず叫び始めた。 「アンバッドだ! アンバッドが来たぞ!」 ザンガーンはよろよろと邸宅の外に出てからも村人に大声で叫んだ。村人のうろたえ具合が邸宅の中の片桐にもよくわかった。 「片桐三曹、あなたとのおしゃべりはいったん打ちきりです。アンバッドの襲撃です。村の外の部下を中に入れてあげなさい。彼らのパタントは恐ろしい威力があります」 ステラの彫刻のような表情から発せられる無機質な言葉に、無言で頷いた片桐は無線機に再び叫んだ。 「浅木、村の中にトラックを入れろ!」 「その後は?」 「待機だ」 指揮官は浅木に短く指示を出すとステラに向き直った。彼女は毅然とした表情で片桐を見返している。 「力は貸してくださらないのね」 「先ほど申し上げたとおりですな……」 頼りにならない自衛官の返答を聞くとステラはきびすを返して柱の奥に消えた。会見はこれで終わりだった。 「三曹、いいんですか?」 指揮官と聖女のやり取りにはらはらしていた高崎が問いかけた。 「自衛隊は内閣の承認なしでは武力行使を禁止されている。ましてや海外での武力行使などもってのほかだ。わかってるだろう? さ、トラックに戻って待機だ」 自分でもこの返答には納得していないが、自衛官としては部下にこう指示するほかはなかった。 片桐たちがトラックを止めてある門の前に戻ってくるとその大きな扉は閉じられていた。外壁には奇妙な武器を抱えた村人が男女問わず張り付いて襲撃に備えている。 「あれがパタントか……」 パタントは長さ八十センチほどの棒が十字にくみ合わさったものだった。女たちは外壁の土にとがった棒を次々と刺していく。あれがどうやら矢のようだ。構造上大した飛距離も出ないだろう。 「高崎、トラックの陰に隠れて待機してろ」 片桐はトラックの助手席に乗り込んだ。見ると、バストーが中で頭を抱えて震えている。彼は片桐を見ると必死にしがみついてきた。 「片桐! 助けてくれないのか? このままじゃあ、俺たちはアンバッドに皆殺しにされちゃうよ!」 確かに、彼らの武器を見ればその貧弱さは見て取れる。しかし…… 「三曹、憲法九条を破る気ですか?」 二人の話に割って入ったのは荷台にいた岡田だった。前々から憲法だの日米安保だのとうるさいやつだった。大学では世界人類研究会とかいううさんくさいサークルで平和運動をやっていたと言うが、なんでこんなヤツが自衛隊に入隊したのかは、部隊の間でも謎だった。 「破る気はない。だが、人としての最低限の道は外さないつもりだ」 「それは武力行使の準備があるということなんですか?」 岡田が当たり障りのない片桐の言葉にかみついた。毎度のことだがこいつはこうなってからが長い。片桐はタバコをポケットから取り出して火をつけた。そういえば、ずいぶん吸っていなかったことに気がつく。 「積極的な武力行使はしない。だが、自衛のためならやむをえん」 「三曹は公僕の自衛官でありながら、国民の総意によって決められた憲法に違反して武力行使を行うんですね。軍国主義の復活ですよ!」 岡田は根本的な認識が欠落してる。ここは憲法とか法律とかが通用しないであろう場所だ。今近づいているアンバッドとやらが、日本の実状と憲法を尊重してくれるのか? あり得ないだろう。こんな得体の知れない国の連中が、 「私たちは憲法で戦闘行為はできません」 「はい、そうですか」 と見逃すわけがない。やり合わないに越したことはないが、最悪の事態も想定しておくのは常識だ。 片桐の説明にも岡田は納得しない。 「どの世界の人間だろうと話し合いをすれば解決できるんです」 この議論もここまでだった。アンバッドが村の外壁に到達したようだ。 「よし! 発射!」 村人が原始的な弓矢、パタントを次々と発射していく。外壁の外で聞いたこともない叫び声があがった。 「おいおい、なんだよあの声はよ……」 「少なくとも人間じゃないな」 トラックの陰で待機する中垣と斉藤が言葉を交わした。その瞬間、轟音とともに外壁に土煙があがった。 「なんだ?」 「迫撃砲みたいな音です!」 高崎の言葉に須本がトラックの陰から外壁の様子をうかがう。数人の村人が倒れている。須本は初めて見る死体におもわず胃の奥からこみ上げてくるモノを我慢できなかった。 「来るぞ!」 外壁に次々と着弾する未知の兵器で後退した村人は物干し竿のような槍や剣を構えて横一列に並んだ。その中にステラも混じっているのを片桐は見逃さなかった。 村を守るために男女問わず戦っている。その横隊に時々、例の炸裂する飛び道具が飛来してそのたびに数名が倒れた。 「奴らが外壁を越えたらパタントの一斉射撃だ!」 剣や槍を構える村人の前に数名のパタントを持ったクアド族の青年が歩み出た。次の瞬間、外壁によじ登ってきた生物は片桐たちが未だかつて見たことのない生物だった。 「あれがアンバッド……」 身長は二メートル近く。青みがかった肌にちりちりの黒髪が大きめの頭におまけのようにのっかっている。手には棍棒や斧らしき武器が握られ、衣服は腰巻きのようなモノだけ。その形相はまさに、鬼をイメージさせた。浅木が思わずその場にへたりこんだ。 「あ、あああ……」 トラックの中にこもっているバストーもシートにちぢこまっている。たしかに、見る者を威圧する。迫力は満点だ。 「三曹、やばくないですか?」 高崎に言われるまでもなかった。数こそ二十匹もいないが、体格といい、その動きといい、村人たちが白兵戦ではかなわないのは目に見えていた。しかも、奴らの中に奇妙な三日月型の棒を持った連中がいた。 そいつがその両端を持って、ちょうどベンチプレスのように前に突き出す と、目に見えない何かが発射されて爆発が起こるのだ。 バストーががたがた震えながらつぶやく。 「やばいぞ、パタントを持ったアンバッドが三人もいるよ。もうだめだ……」 アンバッドは自衛隊には目もくれずに村人の横隊に突撃した。目の前の獲物しか目に入っていないようだった。 片桐は思わずトラックを降り、少し離れたところで繰り広げられる白兵戦に目をやった。明らかに村人が押されている。その中で勇敢に、アンバッドのそれとは比べ物にならぬほど粗末なパタントで応戦しているステラを見つけた。 彼女は一瞬、片桐の方を振り返った。さっきまでのプライドにあふれた表情はない。彼に向けられた視線は間違いなく、恐怖する普通の女性の目だった。 なぜ、自分はあんないたいけな女性を助けることすら許されないのか。人間としての自分と、自衛官としての自分が激しくぶつかり合った。 「あっ!」 片桐がたまらず声をあげた。彼女が目をそらした隙をついてアンバッドが投げ槍を投げた。間一髪それは彼女をはずれたが右腕をかすったようだ。彼女はその場に腕を押さえて座り込んだ。 「三曹! 指示を!」 たまりかねた高崎が再び声を荒げながら片桐を呼ぶ。必死に戦う村人の後ろで子供や老人がひとかたまりになって震えているのが目に入った。 それは片桐自身がびっくりするくらいだった。彼は半分無意識に腰からシグザウエルを抜くと安全装置を解除しながら駆け出していた。 「片桐三曹?」 高崎のすっとんきょうな声を無視して瞬く間にパタントを操るアンバッドの前に躍り出た。ここでアンバッドは初めて片桐の存在に気がついたようだ。青い肌に醜い表情の顔を未知の自衛官に向けた。 たいした躊躇もなく、両手で構えて二発、片桐はアンバッドの顔に向けて発砲した。九ミリ弾はその音と同時にアンバッドの醜い顔に着弾してその顔をさらに醜くした。緑色の体液が着弾した部分から吹き出す。そしてそのまま仰向けに化け物は倒れた。 銃で殺せる。片桐は興奮しながらも分析した。 「中垣、須本! 三曹を援護するんだ!」 高崎もトラックの陰に伏せていた須本と中垣を連れて突進した。八九式の三連打を確実にアンバッドに撃ち込んでいく。弾薬を無駄に使うな、という片桐の教えを忠実に守った正確な射撃だった。 だが、胴体に次々と着弾するNATO弾を受けてもアンバッドはなかなか倒れない。すでに十発近く命中してもまだ立ったままのヤツもいる。 「ち、ちくしょう! 行くぞ!」 浅木と斉藤も彼らに数秒遅れて、ようやく覚悟を決めて射撃を開始した。 「おい、岡田!」 浅木はトラックの陰に隠れたままの岡田を呼んだ。彼は無表情のまま動こうとしない。憮然とした表情を浮かべるだけだ。 「岡田! 三曹たちを援護するんだよ!」 再び浅木が岡田に声をかける。彼はようやく浅木を見る。 「おまえたち、こんなことが許されると思ってるのか?」 「ばかやろう! 目の前で人間が死んでるんだぞ! 助けなくてどうする!」 撃ち尽くしたマガジンを交換しながら浅木が銃声に負けないように大声で叫ぶ。 「そんなこと問題じゃない! これは憲法違反だ!」 「くそ! 勝手にしろ!」 浅木は岡田との議論をしている暇はないと判断して射撃に集中した。 「ステラ様! あ、あれを!」 ザンガーンが隊列の後ろに後退したステラを呼んだ。片桐たち自衛隊員が見たこともない武器でアンバッドと戦っている。 彼らの武器から発せられる大きな音で彼女の耳は少し痛かった。 「頭だ! 頭を狙え!」 片桐は彼に追いついた高崎たちの後ろに下がってマガジンを交換した。すでに数体のアンバッドが無惨な死体をさらしていた。目の前の敵にしか興味のないアンバッドたちも仲間を一瞬にして肉塊にした新たな敵に闘志をむき出しにして突進するが、弾幕で動きを封じられ、弱点の頭部を撃たれて絶命していった。 最後の一匹が倒れたときには片桐はすでにマガジン四本を撃ち尽くしていた。 「やった! やったぞ!」 村人から歓声があがった。 「ボビルの戦士がやってくれた!!」 急造の担架で負傷者を家々に運ぶ村人たちは次々と隊員たちに感謝の言葉を贈りながら通り過ぎていった。片桐はトラックの弾薬箱から九ミリ弾のマガジンを取り出して装填した。苦笑いしながら隣の高崎士長に振り返る。 「高崎、やっちまったなあ……」 横で同じく小銃の弾薬をチョッキのマガジンポーチに補給する高崎はにやっと笑った。 「これで連中を見捨てていたら、俺はあなたを嫌いになるところでしたよ」 「片桐! すごいじゃないか!」 さっきまでトラックで震えていたバストーがぴょんぴょん飛び跳ねながらやってきた。この動作が彼らガントル族の喜びを示す表現らしい。 「九十年前の記録だとボビルの戦士のパタントはあんなにいっぱい発射できなかったそうだぞ! あんたたちにこんな秘密兵器があるなんてなあ!」 九十年前の英軍が使っていたエンフィールドライフルでやつらを止めるにはナポレオン時代の戦術しかあるまい。だが片桐たちには自動小銃がある。 「長老とステラ様に言ってくれ。人類の技術は常に進歩しているのですってな!」 初めての戦闘と、人々に心から感謝されることにいささか興奮した片桐が、高崎からすれば「珍しく」得意げに言った。 その夜、村はお祭り騒ぎだった。 片桐はお祭り騒ぎの村の広場から離れた外壁の上に登った。てっぺんに座り込んで、村人からもらった例の強い酒を少し飲んでみた。強烈だが悪くない。 「お祭りはお嫌いですか?」 不意に後ろから声をかけられて片桐は思わず腰のシグに手をかけた。が、すぐに声の主に察しがついてその手を離した。 「今はそんな気分ではありませんな」 声の主、ステラは片桐の横に座った。 「あなたはなにを後悔しているのです?」 ステラの問いへの答えを片桐は少し考えた。岡田の理屈で言えば、いかに村人が危険であれ、自衛隊が武力行使するのは憲法違反であり、許されることではない。それは片桐自身わかっている。しかし、その結果、死ぬはずだった村人は生き残り、こうして楽しく夜を迎えている現実もある。 「あなたが昼間言った掟に違反したことですね……。わたくしにはその掟が理解できません。目の前で抵抗もできずに殺される者がいるのに助けてはいけないなんて。では武器は、戦士はなんのために存在するのでしょう」 「私は軍人です。軍人は最高司令官の命令なしに動いてはいけない。それがどんなに理不尽なことでも……。そう思ってきました。しかし、その最高司令官のいないこの世界では私が指揮官です。後悔はしていません」 ステラにとっては意味の分からない単語もあっただろうが、彼女はうなずいた。 「あなたの事情はどうあれ、この村を蛮人から守ってくれたことはみんな感謝しています」 片桐はステラの方を振り返った。彼女は初めて片桐に笑顔を見せていた。こうして土手のような外壁に座っているととても神聖な存在には見えない。しかし、彼女が片桐たちをこんな世界に呼び出した張本人なのだ。それを思うと自然に彼の心に壁ができていった。 「今夜はよく話をされますな。神聖なご存在にもかかわらず。我々を歓待して懐柔するおつもりですか? その大事な使命のために」 ステラにとってこの言葉は最大限の侮辱に値したのだろう。本来、聖女は長老を介して以外ほかの者と会話することはできないのだ。それを破ってまで片桐と会話しようとした彼女のプライドは傷ついたようだ。 「あなたには失望しました。たった六名の部下しかいなくて不安でしかたなかったんです。でも今日の戦いぶりで少し安心しましたが……、やっぱりあなたは信用できません!」 酒の勢いと今までの緊張から来る疲れといらだちも手伝って片桐も思わず声を荒げた。 「信用? 我々を勝手にこんなところに呼んでおいて、信用? あなたがどんな存在か知りませんが、直接話をしただけで我々に恩を着せるようなまねはやめてくれ! こんなところ、来たくて来た訳じゃないんだ……」 ここまで言って片桐は少し後悔した。ちょっと感情的すぎたと自分でも自覚していた。 「わかっています。それはわたくしもよくわかっています……」 片桐は彼女の言葉にあえて応えなかった。彼自身、今の状態におかれていることの責任すべてを彼女に求めるのはためらわれた。こんなか弱い女性がこの村の全員の命を預かっていることの辛さは、六名の部下を預かる彼としてもよく理解できたからだ。 「でも、でも、わたくしはどうすれば……、村を襲ってくるアンバッドはわたくしたちでは太刀打ちできない。ボビルの戦士の力を借りるしか道はないのです。わたくしだって怖いんです。でも村のみんなを守れるのはわたくしだけなんです」 昼間に見せていた気高さがまるで嘘のようだった。いや、むしろ今の彼女の方が年齢相応のようにすら思えた。軽くため息をついて彼女は続けた。 「あなたがたには本当に申し訳ないと思います。でも、わたくしにはこれしかないのです。わたくしだって、古代ロザールの血を引く聖女の家に生まれなかったらこんな苦しみは味あわなくてもよいのに……」 無理もないだろう、聖女として英才教育は受けているのだろうがまだ二十歳前後の女の子だ。そのほっそりとした肩に村人たちの命が掛かっているのだ。 「すみませんでした。ボビルから来たあなたにこんなことを言ってもしかたがありません。アンバッドたちはひとつだけこの村を救う条件を出しています。それはわたくしです。わたくしが彼らのモノになれば村を助けてやると言っています。あなたがたの力が望めない以上、わたくしはその要求に応えたいと思っています」 片桐の中である種の感情がふつふつと沸きあがっていた。決して酒のせいではない。初めてステラを見たときからの感情だった。 「ばかな! それはいけません! その要求の意味は……」 片桐の言葉をステラが大声で制した。 「わたくしも十九です! その意味くらいわかっています!」 少しの間沈黙が二人を包んだ。片桐は、ふと決心した。こんなナンセンスでばかげた発想は自分でも笑いが出るくらいだったが、そう思う彼自身、その感情は抑えることができそうになかった。 「ステラ様、いえ、ステラ」 無礼なのは承知だったが片桐はそう言わずにいられなかった。生まれて初めてそう呼ばれたのであろう、ステラは少しとまどいながら片桐の方に顔を向けた。 「実を言うと、私の気持ちは決まっています。ここで戦います。戦いたいのです」 「その理由は?」 ステラの真剣な表情が赤い月明かりに照らされている。そのせいか、彼女の元来の美しさにさらに磨きがかかり、ほとんど天使か女神のようだ。片桐は思わず正面を向き直った。 「個人的な理由です、それには部下をつきあわせられませんが、部下と明日相談します。時間を少しいただけますか?」 「それはけっこうですが、片桐三曹。わたくしはあなたの心変わりの理由を聞いているのです」 そこまで言わせるのか? と片桐はたじろいだ。気高く無邪気な聖女は片桐の答えを待っている。片桐はコップに残っていた酒を一気に飲み干した。 「理由はあなたです!」 「え?」 現代日本の女性ならすでにわかるはずの会話だったが、ここは残念ながら現代日本でも、会話の相手も都会の女性ではない。 「あなたがここにいるからです。それが理由ではいけませんか?」 片桐の言葉の意味がようやく理解できたようだ。ステラは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむいた。そしてすぐに昼間の表情に戻った。 「わたくしにはあなたの気持ちには答えられません……」 「なぜ?」 「なぜって……」 ステラは今までになくとまどっている。いろいろ言葉を探しているようだった。 「こんなこと、許されていないのです」 「私の国では、自分の気持ちを伝える自由はあります」 「でも……」 ステラはますますとまどいの表情を色濃くしながらそのまま、駆け出した。 「ステラ!」 思わず、走り去る彼女に声をかけた片桐だったが、その言葉に彼女が振り返ることはなく、そのまま邸宅に消えていった。 翌朝、片桐は隊員全員を集めた。今後の方針を話し合うためだ。命令すれば全員動く。しかし実戦では役に立たないケースも多々あることが予想される。それに片桐がもっとも気になるのは岡田の存在だった。 現在のところ、岡田の反戦思想に染まっている隊員はいないが、状況が緊迫するにつれて感化される隊員も出てくる可能性がある。 「いいでしょう、三曹についていきましょう」 状況を説明すると高崎が一番に賛同した。それを見た須本と斉藤、浅木も後に続いた。 「士長も行くなら俺たちも行きますよ。それにあいつら、いい連中だ」 「元の世界じゃ日陰者だった自衛隊だ。せめてこっちではヒーローになりたいですよ」 中垣は少し迷っていた。 「中垣、どうするよ?」 浅木の問いかけに中垣はうつむいていた顔をあげた。彼も決心を決めたようだ。 「命は惜しいですがね。やりましょう!」 岡田はそれを見ると軽く舌打ちしてその場を立ち去った。止めようとした高崎を片桐が制した。 「いいんですか?」 「ヤツも悩んでるんだ。がちがちに封じ込められ、けなされた自衛隊と、ここの人々の俺たちに対する感情のギャップにな」 その夜は満月だった。赤い月明かりが道を照らしている。翌朝はアンバッドがやってくる。しかもこの前よりももっと大勢。片桐は万全の体勢を考えていた。 外壁には門を挟んでカールグスタフ無反動砲にミニミ機関銃を配備した。屋根の上には須本。彼は五輪候補にもなった狙撃手だ。そして片桐は門の外で村人を神々の住む山に退避させる時間を稼ぐ。そのための仕掛けは万全だ。道路沿いに手榴弾をしかけた。安全ピンを抜いて石の下敷きにする。一気に大勢で外壁まで迫られるとカールグスタフの効果も薄い。時間を稼ぐ必要があったのだ。 「それにしても、いかにもうさんくさい感じだな」 片桐はあらかた仕掛けを終えて道を見渡した。手榴弾を仕掛けた場所には明らかに怪しい石が置かれている。これでは怪しまれても仕方がない。 「準備は終わりましたか?」 いつのまにか、村の門を出て来たステラが片桐に歩み寄ってきた。 「危ない! 道から離れて!」 思わず彼女の手をつかんで道の外にひっぱりだした。万が一、仕掛けの石を蹴っ飛ばされでもしたら一大事だ。しかし、そんな事情を知るはずもないステラは前夜の片桐の言葉に続く侮辱的な行為に怒りを露わにした。 「あなたがボビルの人間でなかったら今頃は死刑になっているところです」 「死刑? 多いに結構。でもせっかくの仕掛けを台無しにされたらたまりませんからね」 片桐は皮肉を込めて、道に置かれている石を指さした。ステラはそれを見て「あっ」とつぶやく。 「ごめんなさい」 と、人が変わったようにしおらしくなった。それを見た片桐は軽く微笑すると、彼女の手を取って安全な場所へ導いた。 「ところで……」 村の門に近い道ばたの倒木に座ってタバコに火をつけた片桐がステラに尋ねた。今考えたら最初に聞いておくべきことを聞き忘れていたことに気がついたのだ。 「この村の名前はなんというのです?」 「アムターラです。豊かな森という古代ロザール語だそうです」 ステラもそう言いながら片桐の横に腰を下ろしたが、片桐のタバコの煙に思わずせき込んだ。 「あ、火を消しましょう」 あわててタバコの火を消す片桐のあわてようにステラは思わず笑顔がこぼれた。 「あなたは不思議な人です。片桐三曹。部下には厳しくも優しくもあり、戦うことにはとまどいながらも、勇敢に戦い……、そしてわたくしに堂々と愛を語りながら今はとてもうろたえています」 「あなたこそ、不思議ですよ。ステラ。気高く、誇り高いが村人に優しく、常に村人のことを考えている。そして、村人のために俺たちを呼び寄せたのに、俺たちのことも常に考えています。そのくせ、中身は年頃の女の子だ。残念ながら俺はあなたに一目惚れしてしまった」 彼女のせりふをまねて返した片桐にステラはくすくすと笑った。赤い満月が彼女の少し赤い黒髪をさらに神秘的に照らしているのが目に入った。ストレートヘアを時々かきあげながら話す彼女はとても聖女様とあがめられる存在には見えない。そんな彼女が初めて、片桐たちの世界に関して質問を投げかけてきた。 「自由に愛を語る。あなたの国は不思議です。もしも身分の違う者同士が恋に落ちたらどうなるんですか?」 「我々の国には身分はありません。誰もが自由に暮らし、仕事を選び、意見を述べ、愛すのも自由です」 まあ、建前ではあるが片桐は日本の仕組みについて簡単に彼女に説明した。当然のことながら彼女の反応はとても信じられないといった感じだった。 「信じられません……。でも、戦うことだけはあなたはかたくなに拒みました。あなたの部下の、岡田もいまだに戦うことを拒んでいます。戦うことの自由はないのですか?愛する者や愛する土地を守るために戦う自由はあなたの国の人々には与えられていないのですか?」 片桐はこのステラが発する自分自身の境遇を重ね合わせた質問に答えることができなかった。 翌朝、片桐は村の外の道に立っていた。手には八九式小銃を構えてたった一人で。彼の周りにはアンバッドの突進を止めるための仕掛けが用意されていた。これは賭だった。アンバッドどもはステラを要求している。総攻撃の前になにかしらの交渉を求めてくるだろう。そのときにうまく、司令塔のアンバッドを殺すことができれば、戦いはかなり有利に進むはずだ。 「三曹、大丈夫かなぁ」 外壁の上でカールグスタフを構える浅木が思わずつぶやいた。高崎は同じくカールグスタフを構えながら浅木に言い放った。 「三曹は大丈夫だ。打ち合わせ通りにやるんだぞ」 そのとき、屋根の上の須本から合図が入った。どうやら現れたようだ。 片桐の目にもはっきりと見えていた。轍のない細い道を長い列を作ってアンバッドがやってくるのが。軽く深呼吸して生唾を飲み込むと八九式の安全装置を解除して「連発」に切り替えた。 蛮人たちの縦列は片桐に近づいてくるがやはり攻撃は仕掛けてこない。思った通りだ。後ろを振り返って高崎に合図する。 「第一段階は成功だ」 双眼鏡で片桐の様子を見ていた高崎が叫んだ。しかし、高崎には疑問があった。村の入り口から片桐のところまでおよそ三百メートル。仕掛けがうまくいったとして片桐が戻って来るにはちょっと距離があるかもしれない。このことは意見したが、 「どうにかなるさ」 で終わっていた。 たいして広くない道路に広がったアンバッドが片桐のすぐそばまでやってきた。と、そこで彼らは進軍をやめた。一匹のアンバッドが片桐に近寄ってきた。手にはひときわ大きなパタントが握られている。弦や矢は見えない。相手は鬼だ。魔法のたぐいであろうことはなんとなく片桐にもわかっていた。 「この距離で食らったらばらばらだな」 片桐とアンバッドの距離はもう四、五メートルも離れていなかった。と、歩み出てきた蛮人がいきなり雄叫びをあげた。地球上のどの動物とも似ていない、しかし不快な音であることだけは間違いなかった。 どうやらステラを渡せと言ってるようだ。雄叫びの中に彼女の名前が聞き取れたのを片桐は逃さなかった。ということは、今しゃべっているこいつが指揮をとっているなり、リーダーである可能性が高いわけだ。片桐は一呼吸おいて小銃を構えなおした。 アンバッドの雄叫びが終わった。いよいよ作戦開始だ。 蛮人たちは黙って片桐の反応を待っているようだ。緊張で額から汗が流れ落ちるが、それにかまうことなく八九式小銃をすばやくリーダー格の蛮人に向けた。そいつは一瞬、首を傾げたように思ったが、それを確認することはできなかった。フルオートで発射された五・五六ミリ弾が三十発。アンバッドの頭部はきれいに消し飛んだ。 「三曹がやったぞ!」 双眼鏡で確認した高崎がカールグスタフを構え直す。いよいよ始まりだ。 村の後方にある小高い丘のてっぺんに神々の遺跡があった。神々の遺跡はストーンヘンジのように巨石が円形のアーチを描いて築かれている。これが何に使われていたのかはわからない。しかし、ボビルから戦士を召還するときは必ずここで儀式が行われる。 召還の儀式を行うのは聖女だ。聖女は生涯に一度だけしかこの秘儀を使うことができない。ステラの祖母もこの秘儀でボビルと呼ばれる異世界から戦士を導いたという。 今、この儀式の場は負傷した村人や、老人子供であふれていた。ステラは村の方を見ながら考えていた。片桐たちはたった七名でアンバッドと戦おうとしている。決して戦ってはならぬと言う、ボビルの掟を破ってまで。 そして彼はステラのために戦うと言っていた。 やがて、片桐たちの持つ武器が発するあの独特な大きな音が丘まで聞こえてきた。戦いが始まったのだ。 ステラは自問していた。片桐たちに任せたままでよいのか。彼らもまたとまどい、恐れながら、この村のために戦う決心をしてくれたのではないのか? そして彼はこの戦いに生き残って再び自分の前に姿を現すのだろうか……。 そう思ったとき、彼女は無意識に自分のパタントを持って駆け出していた。 「ステラ様! いったいどちらへ!?」 ザンガーンの問いかけに走りながら振り返ったステラは村人に直接呼びかけた。 「みんな! わたくしたちの村のために戦うボビルの戦士たちを助けるのです!」 リーダー格の蛮人は八九式の一連射であっさりと倒れた。ほかのアンバッドたちはあまりのことに状況が理解できないようだ。これはチャンスだ。片桐は撃ち尽くした銃を放り出して村に向けて走り出した。 蛮人たちは走り出した片桐を見てようやく状況を認識した。口々に叫び声をあげて彼めがけて走り出した。 「やっと動き出したか」 片桐は走りながら、村で彼の帰りを待つ高崎たちに合図した。 「よし! 発射!」 村で指揮官の帰りを待つ自衛官は一斉にカールグスタフを発射した。次々と着弾した八十五ミリ弾はアンバッドを一気に肉片に変えていく。それを切り抜けたアンバッドが数匹、片桐を追いかけてトラップエリアに入った。石を蹴飛ばすと信管を短くした手榴弾が次々と炸裂した。 後続のアンバッドは突然の爆発にその動きを再び止めた。そこへ、カールグスタフとミニミの連射が蛮人たちを襲った。 片桐は道のすみっこにある倒木に隠した九ミリ機関拳銃を取り出すと、弾幕をくぐって彼に追いすがろうとするアンバッドに連射を浴びせた。止まることはできない。撃ち尽くすとすぐさまそれを捨てて、また道ばたに隠した銃を拾って追いすがる連中を撃ち倒す。 四挺の機関拳銃を撃ち尽くしてやっと片桐は村の門をくぐってそれを閉じた。すでにアンバッドは近くまで迫っている。かなりの数を奇襲で殺したがまだ七、八十匹は残っているだろう。 「三曹、外壁に奴らが取っつきました!」 無事に戻ってきた指揮官を見てほっとする間も与えられなかった高崎が大声で叫んだ。 「よし、須本。援護しろ! みんなは散らばって各個撃破しろ!」 アンバッドの魔法で繰り出される強力なパタントは村の門を打ち破った。数体のアンバッドが斧を持って村に乱入してくる。門に近い民家の屋根の上で須本がそのうちの一匹をスコープにとらえた。 「くらえ!」 一撃で蛮人の眉間を撃ち抜くと須本は次々と村に入って来る連中を血祭りにあげていく。さすがは五輪候補に名前のあがった腕前だ。 「くそ!」 数匹撃ったところで須本が悪態をついた。銃が送弾不良を起こしたのだ。あわててスライドを引くがなかなかうまくいかない。ふと、須本は外壁を見た。すでに高崎たちは後退していた。一匹のアンバッドがパタントを構えている。 「やべえ!」 故障した小銃を投げて屋根から飛び降りようとした。しかしそれよりもほんの一瞬早く、アンバッドの放った見えない魔力の矢が須本に直撃した。 「須本がやられた!」 中垣は彼の最期を確認しながら民家の陰でカールグスタフに装填した。外壁の上でパタントを構えるアンバッドが数体見えた。須本の敵だ。吹っ飛ばしてやる。そう思ったときだった。中垣は背中に痛みを感じると同時にせき込んだ。 「ぐふっ」 咳と同時に血を吹き出したのが彼自身からも見えた。思わず後ろを振り返る。いつの間にか、三匹のアンバッドが彼の後ろに回って槍を背中に突き刺したのだ。屈強な蛮人はいったん槍を引き抜いた。よろめきながら、中垣は民家を背中にしてアンバッドに振り返った。 「ちっくしょおお!」 中垣は血を吐きながら叫ぶと目の前に迫ったアンバッドの腹めがけてカールグスタフを発射した。 アンバッドどもの強力なパタントの直撃をさけるため、トラックは民家の間に隠されていた。その中でさっきガントルの子供らしい影を見た岡田はまだ迷っていた。村のあちこちで銃声や爆発音が聞こえている。 「さっきの陰はなんだったんだよ?」 岡田は再び影が消えた民家を見て驚いた。彼にはそれが何であるかはわかっていたが、自分自身でそれを認めたとき、果たして自分の信条である「不戦」を守れるか自信がなかったのだ。 民家のドアのところ、間違いない。ガントル族の子供が不安そうな顔をしてたたずんでいるのが見えたのだ。 片桐は後悔していた。確かに、奇襲攻撃でかなりの数のアンバッドを倒したが、予想よりも村に乱入した敵の数が多い。幸い、民家は密集していて小柄なこっちは隠れながらやつらを襲うには有利だったが数が違いすぎる。 「浅木! 後ろをとられるな!」 「はい!」 浅木と民家の窓から目に入った蛮人どもを片っ端から撃っていく。後ろの窓から撃っている浅木が片桐に叫んだ。 「三曹! パタントです!」 「退避しろ!」 間一髪、裏の窓から飛び出したのと同時だった。さっきまで彼らがこもっていた民家がきれいに吹き飛んだ。 「浅木、無事か?」 ほこりまみれになりながら片桐は体を起こした。どうやら負傷はしていないようだ。あたりを見回す。と、さっきのアンバッドと目があった。向こうも片桐を認識して再びパタントを構えている。間に合うか……。 「くそっ!」 悪態をつきながら、八九式を連射で蛮人に浴びせて撃ち倒す。アンバッドは頭を粉々にされてぶっ倒れた。それを確認してマガジンを交換する片桐の耳に浅木の声が聞こえた。 「さ、三曹……」 吹き飛ばされた民家のがれきの下に浅木がいた。どうにか引っぱり出す。 「あ、足が折れたようです……」 痛みに顔をしかめながら浅木が報告する。片桐はその辺の木材で添え木を作って浅木を吹き飛ばされた隣の民家に運んだ。 「ここで待ってろ」 「で、でも……」 片桐の命令に浅木は納得しない。 「命令だ! 撃たずに隠れてろ」 そこへ高崎が民家に駆け込んできた。彼もまたあちこち追い回されたようだ。 「高崎、浅木は見ての通りだ。ここにアンバッドを近づけちゃまずい。派手に行くぞ!」 「了解!」 高崎は皆まで言わずとも片桐の意図を察した。そして言うが早いか、民家の窓から目に付いたアンバッドを連射で撃ち倒す。 だんだん銃声がトラックに近づいてくるのが岡田にもわかった。トラックの側の民家に隠れているガントルの子供はそれを察して完全に足がすくんでしまっているようだ。そこへ民家の影からアンバッドが一匹、子供を見つけて叫び声をあげた。 子供もそれに気がついたが足がすくんで動けないようだ。まだ、ヤツはトラックには気がついていない。 「くそ! くそ!」 誰にともなく叫びながら岡田は八九式小銃の薬室に弾丸を送り込むとトラックを飛び降りてそのアンバッドの前に立ちふさがった。無知な蛮人は子供と自分の間に立った岡田が、自分たちのリーダーを殺した片桐と同じ格好をしていることを確認すると、怒りの矛先を彼に向けた。何か叫び声をあげている。 「武器を捨てろ! 下がれ!」 岡田も負けずとアンバッドに叫ぶがそれが通じるはずもない。不意に血に飢えた蛮人が突進を始めた。 「来るなあああ!」 叫びながら岡田は引き金を引いていた。心地いい振動と共に確実に弾丸が発射されてアンバッドの顔面を打ち砕いた。全弾撃ち尽くして岡田は撃ってしまった衝撃とフルオートで発砲した反動でその場にへたりこんでしまった。 「やっちまった……」 そこへガントルの子供が泣きながら岡田に抱きついてきた。 「えぐ、えぐ……ありがとう……」 泣きながらやっとお礼を言ったその子供を岡田は強く抱きしめた。命を救った実感が彼の体に少しずつ広がっていく。だがその実感も長くは続かなかった。民家の影からさらに二匹のアンバッドが現れたのだ。 「つかまってろ!」 撃ち尽くした八九式を片手で、子供を残った片手で抱えると岡田は安全な場所を探して猛ダッシュを開始した。この子だけは俺が救ってみせる。そう心に誓いながら。 斉藤は中垣とはぐれてしまっていた。周りは銃声と時折聞こえる爆発音、そしてアンバッドの雄叫びばかりだった。密集した民家の通りで斉藤は完全に孤立してしまっているようだった。こんなことならミニミを持って来るんだった。激しく後悔した。 「早く三曹と合流しないとやばいぞ……」 斉藤はいつ、民家の影から現れるかしれない敵を警戒しながら銃声のする方へ進んだ。少なくとも銃を撃っているのは自衛隊員だ。 「うっ」 いきなり後ろから口をふさがれて斉藤は恐怖で頭が真っ白になった。ズボンの股間あたりがなま暖かくなるのが自分でもわかった。 「落ち着け。味方だよ」 おそるおそる振り返ると、斉藤の口をふさいだのは見覚えのあるクアド族の青年だった。 「ど、どうして?」 「あんたたちを助けるためさ」 その声に聞き覚えのある斉藤が視線を向けると、得意げにポーズを決めるバストーだった。陽気なこびとはまだ状況のつかめない斉藤に元気よく声をかけた。 「さあ、斉藤。片桐たちのところに行こう!」 「ありゃあ、岡田じゃないですか?」 民家の影でマガジンを交換している片桐に高崎が報告した。片桐が振り返ると、子供を抱えた岡田が二匹のアンバッドに追われながらこっちに走ってくるのが見えた。 「岡田! 急げ!」 高崎の言葉を耳にして岡田がさらにダッシュをかける。片桐は岡田を収容した後アンバッドどもを迎え撃つために八九式を構えた。だが、追いつけないと悟ったのか、アンバッドの一匹が腰蓑に下げたトマホークのような斧を岡田に向かって投げつけた。斧は彼のチョッキを貫通して背中に突き刺さった。 「ぐえっ!」 前のめりに岡田は倒れた。子供は無事なようだ。もう一匹のアンバッドが倒れた岡田に近づいてきた。片桐はそいつを慎重に標準を定めて撃った。精密な射撃にあまり自信のない片桐だったが、うまく一発でそいつを撃ち倒した。 「高崎士長!」 「わかってます!」 片桐の言葉よりも早く高崎が岡田を助けに走り出した。片桐はもう一匹のアンバッドに狙いを定めた。残った蛮人は仲間が撃たれたことにひどく腹を立てているようだ。地団駄を踏んで今にも突進を開始しようとしている。 「来い!」 片桐が引き金を絞ろうとしたそのとき、醜い蛮人の目に深々と粗末な木の矢が突き刺さった。大声をあげてアンバッドはその場に倒れた。いったい誰が? 民家の屋根が連なる方へ片桐が目をやった。 「あっ!」 高崎の素っ頓狂な声で片桐も思わず屋根の方に目をやった。 「どうだ片桐! やっつけたぞ!」 そこには得意げにパタントを構えるバストーがいた。 「斉藤と村のみんなで生き残ったアンバッドを追いつめたんだ! 早く!」 バストーが片桐をせかす。しかし、彼にはまだここでしなければいけないことがあった。指示を待つ高崎に目をやる。 「高崎士長! 斉藤の支援に急行しろ!」 「了解! バストー、案内してくれ!」 高崎とバストーは村の門に向かって走っていった。片桐は道に倒れている岡田に駆け寄った。 「岡田! しっかりしろ!」 声をかけると岡田が頭をゆっくりとあげた。彼の腕の中には怖がって震えているガントルの子供がいた。 「三曹、ガントル族の子供、救助完了です……」 それだけ言うと岡田の体からがっくりと力が抜けた。子供が力のなくなった彼の腕から這い出してきた。片桐はその子をぎゅっと抱きしめた。岡田が命を懸けて守った命だ。その体は間違いなく暖かく、しっかりと生きていることが確認できた。 「このおじさんが助けてくれたんだ」 その言葉に片桐は岡田の亡骸に視線を走らせた。そうか。子供を助けるために撃ったのか。片桐はようやく落ち着いた子供に優しく話しかけた。 「ぼうや、このおじさんの名前は岡田だ。君が、大人になるまでその名前を、忘れちゃいけないぞ……」 最後は半分涙声になってうまく伝わらなかったかもしれない、と思った。だが、彼自身、自分の目からこぼれる涙を止めることができなかった。 「おい! 斉藤、生きてたか?」 バストーと駆けつけた高崎が、村人と一緒にアンバッドを追いつめている斉藤に声をかけた。斉藤はその声でようやく生きた心地を取り戻した。彼は、村人と一緒にその辺をうろつくアンバッドを片っ端から襲い、どうにか外壁まで追いつめたのだ。 「高崎士長! こいつらが最後です!」 生き残った四匹の蛮人は外壁を背に追いつめられてもなお、村人を威嚇するように叫び声をあげている。すでに恐ろしい飛び道具であるパタントを持っている者は生き残っていないようだ。手には斧や槍が握られているだけだ。 高崎は、村人の中にステラとザンガーンを見つけた。 「長老、こいつらどうします? 降伏させますか?」 高崎の質問をザンガーンはステラに取り次ぐ。その間、高崎は少しいらいらしながら待たされる羽目になった。 「ステラ様はアンバッドの降伏は受けないと言っておられる」 えっと言う感じで高崎は気高い聖女を見た。彼女の表情は硬く、その決心は揺るぎないようだが、高崎はためらった。敵に降伏のチャンスを与えず殺してしまうとは。 「俺がやろう!」 片桐だった。彼は外壁の近くに落ちていたカールグスタフを拾いあげながら言った。そのまま、弾薬が装填されていることを確認するといまだに叫び声をあげているアンバッドに向けた。 「みんな! 耳をふさげ!」 高崎が村人たちに叫んだ。村人たちがこれから起こるであろうことを素早く予想し、高崎の指示に従ったことを確認すると、片桐は迷うことなく無反動砲を発射した。 「ぎゃふっ!」 激しい爆発音と爆風で生き残ったアンバッドは消し飛んだ。それを呆然と見ていた村人は再び奴らの叫びが聞こえなくなったことを確認すると歓声をあげた。 「勝った!」 「やったぞ!」 片桐はカールグスタフを力無く手放した。がしゃっという金属音が彼の耳に入ったが、それ以上に緊張感から解放されたことが先に感じられた。高崎が近寄ってきた。 「三曹、岡田は?」 高崎は片桐の悲しげな表情を見てそれ以上なにも言わなかった。 「片桐三曹! 高崎士長!」 村の青年たちに助けられた浅木が彼らのところへやってきた。浅木はこの場に自衛官がこれだけしかいないことを見ると、残りの仲間の運命を悟ったようだ。 「でも……でも、やったんですね。俺たち」 「ああ、やった。この村と、村のみんなを救ったんだ」 高崎士長が浅木にかける言葉もろくに耳に入らない様子で、片桐は喜びにわく村人の中にいるステラを見つめていた。ステラは片桐の視線に気がついて少しうつむくと、その場を離れて自分の邸宅に戻っていった。 夜、村は再びお祭り状態だった。片桐はまた、輪の中を抜け出して一人で外壁に座り込んでいた。彼は死んだ仲間を思い返していた。射撃の得意だった須本。臆病だが努力家の中垣、そして、岡田……。 俺は果たして正しい選択をしたのだろうか? いまさらながらそんな疑問すら浮かんでくる。 「相変わらずにぎやかなところは苦手でいらっしゃるのね」 声をかけたのはステラだった。片桐はなにも言わずに自分の横に座ることを勧めた。彼女もそれに無言で答えるかのように彼の横に腰を下ろした。 「明日、あなたがたを元の世界に帰す儀式を行います」 ステラは目の前に広がる暗い森を見つめたままで言った。 「でも、その前に言っておきたいことがあるのです」 今度はステラが片桐の方を見つめた。片桐も彼女を見つめた。月明かりの下で二人の視線が絡み合った。 「これは、この村の聖女として適切な発言かどうかわかりません……。あなたはわたくしのために、愛のために戦うと言われました。正直、うれしく思います。でもこの世界ではそれはわたくしと生涯いっしょにいなければいけないということ。つまり、明日元の世界に帰ってしまうあなたの愛を受け入れることはできないのです……」 ここまで一気にまくし立ててステラは頭を抱えた。ここまで面と向かって自分に愛を語ってくれた片桐を裏切るようで、そして彼の気持ちを知りながらお払い箱のように彼を元の世界に帰さなくてはいけない自分自身の立場が憎かったのだ。 そっか、そんな事情があったのか。彼女の事情を悟った片桐はそっと答える。 「俺も言っておきたいことがあります。俺は部下には戦えとは命令していません。彼らはみんな自分から志願したんです。彼らそれぞれに戦う理由はありました。そして俺自身にも」 片桐はそれだけ言うと立ち上がってその場を立ち去ろうとした。これ以上未練がましい行動をすることが自分自身でもいやだったのだ。彼女はこの村の聖女様だ。そしてその上で御法度である愛について見解を示してくれた。それで十分だ。 「待って! 片桐三曹」 ステラが片桐を呼び止めた。彼女に背を向けたままで片桐は立ち止まった。 「あなたがわたくしを愛したというあかしをください。わたくしはあなたの愛に応えられない。でもあなたの気持ちは受け止め続けたいのです」 これが普通の世界なら、なんて都合のいい受け答えだろうと思うんだろう。だが、ここは普通の世界ではない。 「……わかりました」 昨日とはうって変わって美しい月明かりが照らす外壁の上でステラは立ちすくんでいた。片桐は彼女に歩み寄った。 「目を閉じてください」 彼女は言われるままに目を閉じた。続けて片桐は確認するように問いかける。 「俺の世界のやりかたでいいんですか?」 一瞬、躊躇するように顔をしかめたが、ステラは目を閉じたままうなずいた。月明かりが、不安と期待で微妙な表情を浮かべるステラを照らしている。彼女は彫刻のように美しかった。片桐はその彫刻のように美しく、あたたかい唇にそっと口づけした。 翌朝、神々の遺跡の前に村人、片桐、高崎、浅木に斉藤が集まった。ステラは遺跡の端に置かれた大きな石の上に立って呼吸を整えた。そしてザンガーンに無言で頷くと村に伝わる伝承の言葉を語り始めた。 村人は固唾をのんで見守っている。高崎も思わず片桐に語りかけた。 「ホントに大丈夫なんすかねぇ」 「彼女を信じろ……」 片桐はそれだけしか言う言葉がなかった。いや、たとえどんな結果になろうと彼女を信じる。その気持ちだけが片桐を支配していた。それに答えるかのようにステラは呪文を唱え続けた。 古代ロザール語なのだろう。自衛官にはまったく意味のわからない言葉の連続だった。 「あっ」 バストーが思わず声をあげた。遺跡の巨石が、ちょうど神社の鳥居のような形状を作っている部分の空気が揺れた。まるで水面の波紋のように空間が揺れ始めた。その中心からまるでホログラムのようにこの世界とは別の光景が映り始めた。 「あ、あれは……」 斉藤がそれを見て叫んだ。そこに映ったのは福岡ドームだった。ストーンヘンジの中心に福岡ドームや福岡タワーが見えているのだ。高さ二メートルほどの鳥居の内側の部分に大きく福岡市内の光景が映ったところでステラが呪文を終えた。 「あそこに見えるのはあなた方の世界ですか?」 「これがボビルの世界……」 ザンガーンが驚嘆をこめてつぶやいた。 「さあ、高崎、斉藤。浅木を抱えてやれ」 片桐は高崎の肩をぽんぽんと叩いた。バストーが高崎に大声で呼びかけた。 「ありがとう!」 次々と村人が声をかける。 「ありがとう!」 「さよなら!」 高崎はザンガーンを見た。髭の長老ザンガーンも笑顔で頷いている。 「斉藤、行くぞ」 三人がおずおずと鳥居に近づく。高崎が右手を差し出した。すうっとその手は福岡の映っている方へ消えた。再び彼はザンガーンを振り返る。 「成功のようだ。さあ、行きなさい」 高崎は浅木を抱える斉藤と一緒に向こうへ飛び出した。一瞬、視界が真っ黒になったが次の瞬間彼がいたのは、ももち浜だった。博多湾を望む砂浜に三人は立っている。周りではサーファーや水着のギャルがきょとんとして突如現れた迷彩服姿の高崎たちを見ている。 「帰ってきたんだな……」 高崎は後ろを振り返った。高さ二メートルほどの長方形の空間がまったく別の光景を映していた。さっきまで自分たちがいた世界だ。 その向こうには片桐や、バストー、ザンガーンが見える。 「さあ、三曹も早く!」 高崎は片桐を呼んだ。 片桐は高崎に続いて元の世界へ踏みだそうとした。しかし、その足が止まった。思わず、ステラの方を振り返った。彼女は無表情でこっちを見ている。しかし、よく見るとその顔がひきつっているのがわかった。 「ああ、くそ……」 「どうしたんだよ、片桐。元の世界に帰れるんだぞ!」 バストーが様子のおかしい片桐に叫ぶ。彼はバストーを手で制して、巨石の上のステラに歩み寄った。片桐が近づくごとに彼女の顔に浮かぶ動揺が広がっていくのがわかった。 「片桐三曹、どうしたのです。元の世界への扉は開いたのですよ」 震える声でステラが片桐に語りかける。 ステラは早く終わらせたかったのだ。自分への愛を命がけで示した男がこの場から消えてしまう儀式を。 なかなかやってこない片桐に高崎も声をかける。 「三曹、早く!」 高崎も大声で片桐を呼んだ。片桐は向こうで少しとまどっていたが、意を決したようにに呼びかけた。 「高崎、すまん! 俺はこっちに残る!」 「え、ええ?」 浅木も斉藤も我が耳を疑った。今を逃せば元の世界に戻るチャンスはないかもしれない。それをわかった上で残ろうというのか? 「三曹、冗談はよしてください!」 「いや、冗談じゃないんだ……」 片桐は淡々と高崎に言った。ザンガーンもうろたえている。村人もざわついている。そして、もっとも冷静に受け止めなければならぬであろう人物、聖女であるステラは冷静とは程遠い心理状態だった。 片桐は自分のために残ろうとしている。彼女自身、片桐を愛していることはわかっていた。しかし聖女としてこの結末を知っていたからこそ、彼の愛の告白は受けることができなかったのだから。 「片桐三曹、早く行きなさい!」 動揺から彼女が発することができたのはそれだけだった。向こうの世界の人々がうろたえるのを見た高崎はすべてを察した。 「三曹、うまくやってください! こっちもうまくやりますから!」 高崎は向こうの片桐に敬礼した。片桐はそれを見て笑顔で敬礼を返す。高崎は最高の士長だ。高崎に続いて浅木も斉藤も片桐に敬礼を捧げる。 お互いの世界を隔てて敬礼を交わして数秒後、世界を隔てる境界が波打ち始めた。再び、二つの世界をつなげる境が閉じられるのだ。それを雰囲気で察した高崎も片桐も敬礼を交わしたままだった。 「片桐! 扉が閉じてしまうぞ!」 ザンガーンが叫んだ瞬間、石で作られた鳥居の中で開かれた別世界への扉は閉じられた。高崎や浅木、斉藤の姿も、バックの福岡ドームも消えて、後は神々の遺跡しか見えなくなった。 唖然とするステラに代わって長老が叫んだ。 「もう後戻りは出来ないぞ! この世界とボビルとの扉は完全に閉じられたんだぞ! 召還の魔法は一生に一度しか使えぬ究極の儀式なのだ。なんてことを……」 ザンガーンが片桐に大声で怒鳴るが、片桐は気にしない。彼はまっすぐに巨石の上で彼を見つめるステラに歩み寄った。 「ステラ、あなたを愛するには生涯、いっしょにいなければならないんでしたね?」 片桐は笑顔でステラに問いかけた。彼女への愛を貫くには彼女と共にいなくてはいけない。かんたんなことだった。彼がここに残ればいいだけの話だ。 ステラは片桐の行動のあまりの唐突さに固まっていたが、この言葉の意味を察すると今まで押し殺していた感情を一気に放出するかのように片桐に抱きついた。 片桐もたくましい胸で彼女をしっかりと抱きとめた。 一部始終を見守った村人から新たに歓声があがった……。 第二章 異世界の千年帝国 ゾードと呼ばれている赤い満月の夜が来ても、アンバッドは襲撃してはこなかった。あの襲撃から半月たっていた。村人ともに粗末な外壁の上で見張りに立つ片桐はまっすぐ正面を見据えていた。 村人は手に八九式小銃を持っている。高崎士長たちが元の世界に帰った後に残されたトラックには大量の武器弾薬が積まれていた。片桐は彼らに武器の使い方を教えてこの村を自衛できるようにしたのだ。 片桐は残り少なくなったタバコに火をつけた。もうすぐこの味ともお別れだ。 「俺、我ながら大胆なことをやったもんだ……」 片桐にとってステラとの出会いは運命的であった。片桐とて女性との交際経験はないわけではない。しかし、彼が今までに出会ったどの女性よりもステラは美しく、純粋だった。 だからといって、彼女との生活のためにこの世界に残るということは高崎士長の言う通り、「正気の沙汰ではない」ことだった。冷静な指揮官として隊内での評価の高かった片桐らしくない行動だった。 だが彼自身それは後悔していない。 「片桐……」 アムターラ村の聖女ステラが片桐に声をかけた。 「ステラ、どうしたんです? こんな遅くに」 「あなたに相談があって来ました……」 村人たちの前で堂々と愛を語った片桐だったが、ステラとの関係は現代日本からしてみればかなりプラトニックなものだった。 そもそもこの世界に結婚という概念はなく、男女はいわば夫婦ではなく、パートナーとしてともに生活するのだ。そのかわり、カップルはお互いの愛を表明した後少なくとも三年は、その愛に偽りがないことを証明するために純潔を守る。つまり、片桐はあと二年十一ヶ月、彼女に「手をつける」ことはできないわけだ。 「相談、ですか?」 「はい、あなたにしかできない相談です」 ステラはこの世界のことも含めた話を片桐に始めた。 「と、とんでもないです!」 村の長老ザンガーンはステラの申し出を聞いて仰天した。腰をぬかさんばかりの驚きとはこのときの彼を言うのだろう。 「危険すぎます!」 「いえ、わたくしは決めたのです」 ステラも一歩も譲らない。聖女と言われているがこんな時には、二十歳前の女の子をかいま見せる。 「この世界に安寧をもたらすためにもわたくしは行くのです!」 片桐への彼女の相談とは、このことだった。 長老と聖女の言い合いを他所に、片桐は村の外壁でステラが語ったことを思い出していた。 この世界はかつてロザールと呼ばれる国が支配し、平和に満ちていた。人々はロザールのもたらす魔法文明で繁栄を謳歌していた。しかし、突然謎の滅亡を遂げたロザール。 世界は一変した。それまで押さえ込んでいた蛮人アンバッドが森を跋扈し、人々は村落にこもって生活するようになった。時代が流れ、ロザールの魔法の知識も徐々に失われると村落にまでアンバッドが侵入してくるようになった。かろうじて保たれていた他の村々との交流も途絶えがちになり、このままではアンバッドが完全にこの森を支配することになる。 「遙か遠くに、ロザールの都だった聖地があると聞きました。そこに行って、かつてこの世界に安寧をもたらした古代魔法の秘儀を修得し、世界を再び平和にしたいのです。古代ロザールの血を引く聖女として生まれてきたわたくしは、村人だけでなく、世界の人々の平和を望んでいるのです」 片桐はステラの純粋な気持ちに心打たれた。世界を支配できる魔法を会得しながら、それを支配ではなく平和共存のために使う。単純だが純粋な気持ちだと思った。元の世界の大統領たちに聞かせてやりたいせりふだった。 「わかりました……。そこまで言うならわしも止められますまい……」 片桐が夕べのことを思い出している間に結論が出たようだ。ザンガーンがとうとう折れた。 「片桐、ステラ様のことをくれぐれも頼むぞ。それから、ステラ様の願いだ。おまえにひとつ力を授けよう」 「力?」 ザンガーンは片桐に歩み寄った。彼の額に手を当てる。 「今、話したい相手のことを想像しろ」 「誰でもいいのか?」 「誰でもよい」 片桐は考えた。高崎は無事に帰ってどうしているだろう? その瞬間、片桐の視界が真っ暗になった。 「その相手に話しかけてみろ」 ザンガーンの声だけが聞こえた。とりあえず、言われたとおりに話しかけてみる。 「高崎、高崎!」 「ん……?」 暗闇の中かから声が聞こえてくる。聞き覚えのある高崎の声だ。寝ていてベッドから飛び起きたということまでなぜかわかった。 「三曹? 片桐三曹ですか?」 「そうだ、俺だ」 「夢じゃないですよねえ?」 「たぶん夢じゃない……」 声だけしか聞こえない世界だが、片桐はうろたえる高崎を落ち着かせてこれまでのいきさつを説明した。 「こっちも大変でしたよ。結局我々は土砂崩れに巻き込まれて、三曹を含め四名死亡ってことになりました。自衛隊が公式に、神隠しを認めるわけにはいきませんからな。しかし、三曹も大変ですな。三年も蛇の生殺しとは……」 高崎がくすくすと笑うのがなぜかわかった。照れ隠しに軽く咳払いする。 「それは言うな……。また何かあったら連絡する」 「了解、お元気で」 会話が終わったところで不意に視界が戻った。ザンガーンの顔が目の前に見えた。 「今のはいったい?」 「古代ロザールの魔法のひとつだ。目を閉じ、話したい相手を想像するんだ。精神と精神がお互いにつながれば話ができる。つまり、知らない人間には使えぬということだ。おまえはポルの量が多い。いろいろ修得するとよい」 「ポル?」 ザンガーンの話によれば、ポルとは簡単に言えば精神力だ。すべての魔法はポルを使い発生させる。魔法の種類に応じてポルを消費するが、消費されたポルは休息することで補うことができる。 「それから……」 ザンガーンは一枚の紙を片桐に手渡した。紙には大きな大陸が描かれている。地図のようだった。 「大昔に命知らずが書いたとされるヌボルの地図だ。どこまで正確かはわからんがね」 大陸はオーストラリア大陸を逆さまにしたような形だった。ちょうどキャンベラのあたりだろうか、この村の位置が記されている。そのまわりにいくつかの村があるようだが、他の地域は白紙だ。距離感もあいまいっぽい。まったく頼りない地図だ。 ザンガーンは何か詰まった袋を片桐に手渡した。 「持っていけ。この村では使うことはないが、よその村で何か使うときに役に立つだろう。九百サマある」 「いけません! それはザンガーンがこつこつ貯めていたものではありませんか!」 ステラが大声をあげる。どうやら通貨の一種らしいことが片桐にもわかった。 「よいのです、ステラ様。どうぞお使いください」 美しいステラは髭のザンガーンを抱きしめた。 「ありがとう、ザンガーン。わたくしを許して。でもこの世界でこれ以上、わたくしのような境遇の者を作ってはいけないのです……」 ステラの両親はアンバッドとの戦いで死んでいた。このために、若い彼女が村の聖女としてのプレッシャーに耐えながらこの村を率いてきたのだ。 両親の死以来、ザンガーンのところで彼女は育った。半分彼女の親代わりであったんだろう、ザンガーンは彼女を優しく抱きしめた。 「さあ、ステラ様、お行きなさい。村人一同、あなたと片桐の無事を神に祈っておりますぞ……」 翌朝、村の門の周りに村人たちが集まっていた。片桐とステラを見送るためだ。みな、一様に寂しそうな顔をしている。 「片桐、無事で帰ってこいよ」 村人を代表してガントル族のバストーがいつになく神妙に片桐に話しかけた。片桐は笑って彼の肩を叩いた。 「おまえこそ、しっかり村を守るんだぞ!」 そう言って片桐は、数名の村人に手を借りてトラックの奥から偵察用のオートバイを降ろした。こいつがあったのは幸運だ。確かめるようにエンジンキーを回した。心地よいエンジン音があたりに響く。 「うわあ!」 村人は初めて聞くバイクのエンジン音に驚いて後ずさった。これでどこまで走れるかわからないが、少なくとも荷物を担いて歩く手間は当分考えなくていいようだ。 荷物はざっと見積もってもかなりあった。水、食料はもちろん、八九式小銃。護身用のシグザウエル。それらの弾薬、手榴弾はバックパックに詰められるだけ詰め込んだ。これらをバイクの両側にバランスよくつり下げた。 「さあ、でかけましょう」 片桐はバイクにまたがってステラに声をかけた。彼女はおずおずと彼の後ろに乗り込んだ。 「俺の腰に手を回して、で、これをかぶってください」 片桐は自分のヘルメットを彼女にかぶせた。バイクの腕には自信があるが、万が一のことを考えてだ。 「銃は教えたとおりに使うんだぞ! 弾は今あるだけしかない。無駄に使っちゃいけないぞ!」 片桐に銃の操作を習った村人が手を挙げてそれに応じた。彼らの返事を確認した片桐はバイクのエンジンを思いっきり吹かした。 「さあ、出発しますよ」 「はい……」 初めて乗るバイクに緊張して軽くうなずくステラを見て片桐はバイクを発進させた。それを村人たちの後ろで見守っていたザンガーンが小さくつぶやいた。 「いにしえのロザールの神々、森の神々よ、彼らを守りたまえ……」 バイクは快調に不整地の道を走っている。ステラは片桐にぎゅっと捕まっていた。片桐は彼女の豊かな胸の感触が彼の防弾チョッキのせいでほとんど感じられないのを少し残念に思った。 「ステラ、大丈夫ですか?」 自分に浮かんだよこしまな感情を打ち消すように彼女に質問した。ヘルメットをかぶったステラはそれからはみ出した長い少し赤みのある黒髪を風でなびかせながら答えた。 「大丈夫! わたくしたち、風を追い抜いて走っていますわ!」 「とりあえず。海に出ましょう!」 「海?」 エンジン音に負けない大声でステラが質問を返した。確かに、地図上はこのまま左――すなわち地図上では西、に進めば程なく海に達する。しかし彼女は村からほとんど出たことがない。海の存在を知らないわけだ。 「巨大な湖ですね。行ってください! そこにわたくしの村と友好関係のある村があるはずです!」 片桐はバイクのスピードを少し上げた。ヌボルに来て初めてアムターラ村以外の集落を目にするのだ。好奇心が沸いてくるのを押さえられない。 「片桐、怖いわ! もっとゆっくり走ってください!」 とたんに後ろのステラから抗議の声があがった。片桐は苦笑しながら聖女様に答えた。 「免許は持ってますからご心配なく!」 三時間ほど走ると片桐たちは森を抜けた。土地はほとんど平坦で走るのにさほどの技術も要しなかった。ようやく森を抜け、片桐はバイクを止めた。 「ステラ、あれが海ですよ!」 彼らの眼前には大きな広い砂浜が広がっていた。ゴミ一つない美しい砂浜だ。そしてその海は遙か水平線が見えた。 「片桐、あそこ!」 ステラが指さした。片桐は首に下げた双眼鏡で彼女の指さした方向を見つめた。男が見たこともない怪物に襲われている。大きさはおよそ三メートル。ワニのように見えるが、その頭には角が生えている。 「それはクブリルです。急がないと!」 ステラの言葉を聞いて片桐は素早くバイクを発進させた。男は砂に足を取られながら必死にクブリルから逃げているが、クブリルは四足歩行で着実に彼を追いつめているように見えた。そして、片桐のバイクの発する奇妙な音を聞きつけるとその注意を彼に向けた。 クブリルはその凶暴な顔を片桐たちに向けると、およそ心地よくない叫び声を発した。片桐はクブリルから二十メートルほど離れたところでバイクを止めると八九式を構えた。それと同時に驚くほどの早さでクブリルは片桐たちに突進してきた。 未知の怪物が彼に突撃を開始するのとほとんど同時に、自衛官は引き金を絞っていた。右肩に衝撃が伝わってくる。 確実に銃弾はクブリルの脳を直撃したはずだった。しかしクブリルはその頭から青い血を吹き出し、大声をあげただけだ。怒りの雄叫びということは初めて見た片桐にもわかった。 「くそっ!」 もう一連射はクブリルに浴びせた。それでもクブリルは青い血を流しながら片桐たちに突進を再び開始した。 「来るわ!」 ステラがバイクの後ろで大声をあげた。片桐は八九式のセレクターをフルオートに切り替えた。 しかし、次の瞬間、クブリルはぴたっと動きを止めた。そしてそのままぐったりと倒れて動かなくなった。 「いったい、どういうことでしょう……」 動かなくなった化け物を見てステラが不思議そうに言った。 「おそらく、ヤツの脳が自分の死を体に伝達するのに時間がかかったんでしょうね」 間一髪のところを救われた男は口をぽかんと開けて一部始終を見ていた。片桐はバイクを降りてその男の元へと歩み寄った。 「あ、あなたはいったい……?」 男の問いかけに片桐は少しとまどった。まさか、異世界の日本国から来たとは言っても信じてはくれまい。 「アムターラ村から来た。片桐だ」 聞き覚えのある言葉を聞いて男は顔を明るくした。男は三十歳前後、やはり古代ローマ風の服装をして黒髪だ。 「アムターラ村から? よく来られましたな! さあ、村はこっちです」 男の案内で村に赴くことにした。片桐はバイクを押して男の後に続いた。 村は海沿いの岩場の上に作られていた。アムターラ村と同じく、周りを岩で作った外壁で囲んである。やはり外敵の脅威はここでも大きいようだ。 「ここはシュミリ村です」 タボクというあの男が説明してくれた。ステラは片桐にこの村はアムターラ村との友好関係がある村と教えてくれた。彼女が目指そうとしていた村のようだ。アムターラ村と同じく、長老がいた。タムロットという長老はステラを見て感激の涙を流した。 「ようこそおいでくださいました。ステラ様、こんなにご立派になられて……」 ステラが言うには、子供の頃両親と訪れたことがあるらしい。どんな用事だったかまでは覚えていないと言うが。タムロットの感激ぶりから推測するにかなり重要な訪問だったことは見て取れた。 「で、こちらの方は?」 長老がステラに質問した。片桐の格好を見て不思議な顔をしている。無理もない。彼は迷彩服に防弾チョッキを着込んで、ゆったりとした古代ローマ風のこの世界の一般的な服装とはかけ離れているのだ。 「彼は片桐です。わたくしの村を救うために異世界から来ていただいたのです」 ステラの答えにタムロットは思い出したように目を大きく開いた。 「おおお! そういえばステラ様が以前来られたときにご両親が召還された異世界人の置きみやげがございます!」 そう言って長老は片桐たちを村のはずれに案内した。 「これは……」 その「置きみやげ」を見せられてまず驚いたのは片桐だった。見覚えのある長い足、美しいたてがみ。タムロットの言う「置きみやげ」とは二頭の美しい若い馬だった。 「十五年前に召還した異世界人の乗っていた動物です。今はその子供たちが二頭います」 片桐は納得した。ステラの両親がこの村に赴いた理由は、異世界人の召還のためだったのだ。そして、この馬の親にあたる馬に乗った人物を召還し、元の世界か別の世界へ送り出した。そのとき残された馬が出産してこの馬たちがいるわけだ。 「長老、この馬を貸していただけないでしょうか?」 片桐は不意にタムロットにお願いした。バイクも捨てがたいが、残りの燃料を考えたらそう長く乗ることはできないだろう。 「それは結構ですが、これに乗れるのですか?」 「ええ、そのための道具さえあれば」 片桐の言葉に長老は世話をしている村人に何か命じた。村人は近くの小屋から鞍を持ってきた。 「異世界人がこれを使って乗っておりました。我々は使い方を知らないのでしまっておいたのです」 片桐はその言葉を聞くが速いか、ステラの手を取った。 「さあ、こいつの乗り方を教えましょう!」 ステラは要領がよかった。すぐに乗馬をマスターしてしまった。 二頭の馬にはそれぞれ名前を付けることにした。ステラが気に入った馬にはローズ。片桐が乗る馬にはセピアと名付けた。 「ここから歩いて五日ほどのところに大きな都市があります。最近大きくなった都市です。あなたがたの旅の目的にかなうかわかりませんが、参考までにお教えします」 旅立ちの前に、タムロットが教えてくれた。 「感謝します。みなさんもお元気で」 ステラがタムロットに挨拶を返した。村人に見送られ片桐たちは出発した。長い長い砂浜を軽快に二頭の馬は進んでいく。 「まったく幸運でした」 「どうしてバイクをあそこに残したんです?」 「正直、ガソリンが心細かったのです」 片桐の言葉に馬上のステラは首を傾げた。 「ガソリンとは……、バイクを動かすポルのようなものです。それがなくなるとあのバイクは動かなくなるのです」 「よくわかりました。それにしてもこの動物はかわいらしい。わたくしすっかり気に入りました」 ステラはローズの首を優しくなでた。彼女がご機嫌なのを見て片桐は一つ提案してみようと思った。 「これから我々は見たこともない世界に足を踏み入れます。そのためにはあなたを縛る掟が時に重大な危険を及ぼすこともあるでしょう」 ステラは片桐の言葉を誤解して顔を紅潮させた。 「わ、わたくしはそんなふしだらな女ではありません! まだあなたと愛を交わして一月もたっていないというのに!」 「いえいえ。そのことではなく、長老格以外と話をしてはいけないという掟です。もし、俺に万一のことがあればあなたは天涯孤独の身となる。今のうちに他人とコミュニケーションをとる練習をしておいた方がよいのではないのですか」 自分が片桐の言葉を多いに誤解していたことを気がつくと彼女はますます顔を紅潮させた。 「あ、そ、そのことですか……。もちろんです」 それっきり彼女は黙ってしまった。片桐は軽く苦笑いするとしばらく聖女様の機嫌が収まるまで黙っておくことにした。 シュミリ村を出て二日は海岸沿いに進んで平穏な旅路だった。幸い、あのどう猛なクブリルにも遭遇することなく、全くの平穏な旅路だった。三日目、ステラが永遠に続くと思われた砂浜の先に何かを見つけた。 「都市のようですね」 片桐は双眼鏡をのぞいた。なるほど、海沿いに大きな都市が見えた。周囲は煉瓦のような城壁で囲まれてその内側は今まで見た村の建物よりも大きい、二階三階建ての建物が見える。片桐がこの世界に来て初めて目にする巨大な都市だ。 「すごいわ……。あんな大きな都市は初めて見ました」 ステラが感激したように言う。片桐は双眼鏡で都市の様子を眺めていた。そのときだった。 「何者だ!」 誰何の声で片桐は思わず肩に下げた銃に手をかけた。声を発したのは砂浜の切れ目の森から出てきた一団だった。今まで出会った人々が着ているローマ風の衣服と違い、黒い革製の鎧のようなものを身につけている。手にはパタントではく、ライフルそっくりの武器を持っていた。その武器を持った兵士が四名。指揮官はそれとは違って黒いピストルのようなものを持っている。 「どこから来た?」 指揮官が片桐に質問した。その威圧的な言い回しから明らかに敵かどうか疑っているのがわかった。 「アムターラ村から来た。こちらは聖女のステラ様だ」 片桐が代わりに答える。その言葉を聞いて一団は少しうろたえた。北の森の聖女というそうだが、この肩書きはこの世界の人間にはある程度、尊敬をもって通じるようだ。 「こ、これは失礼しました。てっきりガルマーニへ侵入するゲリラかと思いまして」 隊長らしき人物が丁重に頭を下げた。 「では、ガルマーニにご案内します。外部からの客人にはヘラー自らお会いになる決まりなのです」 一団は初めて見る馬におっかなびっくりしながら片桐たちを先導し始めた。その先には巨大なローマ風の都市が見えている。 「ステラ、油断してはいけませんよ」 片桐はステラに近づいてそっと耳打ちした。片桐は警戒していた。明らかに今までの村とはその雰囲気が違ったからだ。彼女も初めて見る大きな都市に気持ちは同じようだった。彫刻のように美しい顔を緊張でこわばらせながら答える。 「わかっています」 ガルマーニは巨大な都市だった、まず門には片桐たちを誰何したのと同じ格好をした衛兵が詰めていた。外壁は高さ十メートル近く、その上には四、五十メートルおきに衛兵のいる詰め所が見て取れた。 都市は今でも拡大しているようで、あちこちで工事が行われている。片桐とステラは乗馬を門の外につなげた。 「日に二、三度草を食わせてやってくれ」 衛兵にそう頼むと、隊長に付き添われて都市の中に足を踏み入れた。ガルマーニ市内は片桐の想像以上に巨大だった。人々はせわしなく歩き、兵士たちの列が時折行進していった。兵士は、ライフルのような武器を持って、腰には長剣を下げている。指揮官はピストルのような武器を持ち、同じように長剣を下げている。一糸乱れぬ行進で街を徘徊している。 「すばらしいですわ……」 ステラがその光景に感動したようにつぶやいた。たしかに、片桐もその光景にある種の関心はあった。だが、彼の直感に近い部分で警告を発している気がした。それが何かは彼自身よくわからなかったのだが……。 「さあ、こちらです」 隊長が片桐たちを案内した。大きな通りで彼は歩くのをやめた。彼らの目の前には大きな通りが走っていて、その向こう側にも多くの市民が同じように止まっている。 「いったいこれは?」 ステラが隊長に質問しようとしたときだった。通りの向こうから巨大な箱が走ってきた。片桐にはそれがバスのようなものであるとわかった。しかし、彼の知っているバスとは違い、ディーゼルの臭いガスもうるさいエンジン音もなく、その窓には多くの市民が乗っているのが見えた。 「ポルを使った公共交通機関です。おかげで我々は街の端から端まで自由に動くことができます」 魔法を動力にした自動車だった。隊長はバスが通り過ぎると片桐たちを促した。 「さあ、ヘラーがお待ちです」 隊長が案内したのは街の中心にある巨大な神殿風の建物だった。その中は豪華な彫刻や絵画で彩られ、多くの黒い服の軍人が行き来している。宮殿と言うよりは軍の司令部のようだ。 「さあ、こちらです」 隊長はその宮殿の三階のドアをノックした。中から入るように促す声が聞こえて隊長はかしこまってドアを開けた。 「アムターラ村の聖女様ご一行をお連れしました!」 ドアの向こうはヨーロッパ風の広間だった。その中心に据えられた長テーブルで数名の人物が食事をとっているのが見えた。テーブルの中心に座った人物が口を開いた。 年齢は五十代くらい。少しむっくりとした体系に鋭い目つき。どこかで見た人物だな、と片桐は思った。 「ごくろう。彼らを残して下がれ」 「はっ!」 隊長はすばやく後ずさるとドアを閉めた。残されたのは片桐とステラだけだった。 「さあ、遠慮しないでどうぞ……」 テーブルに座っていた一人が立ちあがって片桐たちに座るように促した。片桐はこの一見友好的な会談にも一抹の不安を抱いていた。しかし、今彼が持っているのは腰のシグザウエルだけだ。 促されて二人は長く、いくつも席が設けてあるテーブルの真ん中あたりのイスに腰掛けた。片桐の隣の人物は背が高く、端正な顔立ちをしている。 「ようこそ、アムターラの聖女。さあ、とりあえずはどうぞ」 中心に座っている人物が言うと、目の前のグラスになみなみとワインらしき赤い液体が注がれた。それを合図にして一斉に座っていた面々がグラスを手に立ちあがった。 「勝利のために、ジーク・ハイル!」 一同は一気にグラスを空けた。片桐は異世界で聞いた聞き覚えのあるフレーズに軽いショックを覚えた。間違いなく、今のはドイツ語だ。 「さて、聖女様の付き添いである君の名前を聞いていなかったな」 中心の人物が問いかけた。片桐は極力驚きを表面に出さないように努めて答えた。 「自分は日本国陸上自衛隊の片桐三曹です」 質問者の目が驚いたように大きく見開かれた。その周りの人物も一様に驚いた表情を浮かべた。 「日本……、かつての同盟国だな。私はボルマン。マルティン・ボルマンだ」 片桐は驚愕した。目の前にいる初老の人物がボルマンと名乗っている。六十年前に死んだとされるナチの幹部を名乗っているのだ。その動揺を見越したようにボルマンと名乗った人物は笑った。 「驚くのも無理もなかろう。ここにいるのはすべてドイツ人だ。君は何年生まれかね?」 「一九七七年です」 「ほお、あの年から三十二年後に生まれたのか……」 ボルマンは感慨深げな表情をした。片桐は落ち着こうとグラスのワインを飲み干した。 「あなたがボルマンとしても、どうしてそんなに若いのです? 本物のボルマンだったら百歳をとうに越えているはずだ」 片桐の質問にボルマン以下、部下たちは大声で笑った。ドイツ人特有の低く大きな笑い声だった。 「それは君たちの飲んだワインだ。このワインはガントル族の住んでいた森で見つけたブドウに似た実から作ったのだ。ドイツワインが恋しくなってね。ところが、その実には思わぬ効能があったのだ。さて、片桐君、ガントル族の寿命を知っているかね?」 「だいたい、百から百五十年と言われています」 ただならぬ片桐の様子に警戒しながらステラが代わって答えた。ボルマンは模範的な回答をした生徒をほめるような目でステラを見た。 「その通り。だが、この実があった地域のガントル族の寿命を調べると、続々と三百歳、六百歳という連中が出て来るではないか。調査の結果、その原因がこの実にあることがわかった。君たちが飲んだグラスで寿命が三十年は延びたはずだ。その間の老化も遅くなるはずだ……。もっとも不老不死ではい。老化が遅くなるというだけのものだがね」 「片桐、この人物を知っているんですか?」 ステラがそっと片桐に質問した。先ほどからの彼の態度がおかしいことに 彼女も気がついていたのだ。 彼女の声が聞こえたのだろう。ボルマンが高らかに笑った。 「アムターラの聖女よ。私もこの片桐三曹と同じ世界から来たのだよ。もっとも私の方が遙か前にたどり着いたのだがね……」 ボルマンは語り始めた。一九四五年四月三十日。ベルリンから脱出したボルマンは一握りの親衛隊員とまだドイツ軍が占領していたデンマークへ向かった。コペンハーゲンから二隻のUボートで大西洋に抜けた。目的地はアルゼンチンだった。 「Uボートには私の財産と、武器弾薬が満載されていた。しかし、大西洋に出てすぐに、英軍の駆逐艦に見つかったのだ」 爆雷が次々と投下されて二隻はほとんど沈没寸前だった。しかし、ソナー手が大西洋上ではあり得ない場所に陸地を発見し、ボルマンたちは生き残りをかけてそこに上陸した。 「それがこの都市、ゲルマニアのある場所だ。現地人は聞き違えてガルマーニと呼んでいるがね」 ボルマンたちは乗組員四十名と親衛隊員五十名だけだった。海の近くにあった村に食料を分けてもらいに訪ねると、そこはアンバッドに襲撃されている最中だった。歴戦の親衛隊員はそれをあっという間に撃退し、村人は狂喜乱舞した。親衛隊の中には技術者や科学者も混じっていた。 村人に城壁の建築や、武器の作り方を教え、アンバッドを完全に村の周囲から追い払った。村人の求めでボルマンが村の指導者になったのは半年もたたないうちだった。 「私たちは、このワインを飲み不老の体を手に入れた。その永遠にも近い時間を使ってこの都市を建築し、現地のクアド族たちに教育を施した。そして彼らにも扱える強力な武器を開発し、彼らに与えた。噂を聞きつけた、周囲のクアドたちが続々とゲルマニアに訪れ都市は大きくなった。その技術の結集がこれだ!」 ボルマンは衛兵を呼んだ。黒い服の衛兵がドイツ式敬礼をして入室してきた。手には例のライフルがある。 「客人にゲベールの威力をお見せしろ!」 「はっ! マインヘラー!」 衛兵は窓を開けて指をさした。彼の指し示す方には三十メートルほど先に塔が見えた。その先端に人間の頭ほどの丸い石が見えた。衛兵はライフルの要領でそれを構えると引き金を引いた。 「かしゅっ!」と、せき込むような音が聞こえた。そしてその音が聞こえると同時に、塔の上の石が砕けた。 「クアド族の持つポルを使ったライフルだ。ドイツ式でゲベールと呼ばせているがね。火薬の代わりにポルを推進薬にして鉄片を飛ばすのだ。銃よりは威力は落ちるがこの世界では十分な破壊力だ。それからまもなく戦車も開発が完了する。君も見ただろう、公共交通機関を。あれの応用だ」 「すごい……、なんて兵器なんでしょう」 ステラが素直に感嘆の表情を浮かべる。その彼女をボルマンがなめ回すような目で見ているのを片桐は見逃さなかった。 「で、こんな兵器をそろえる目的は? とても自衛のためとは思えませんな」 ボルマンは再び席に着いた。片桐たちにも促す。席に着いた片桐はワインをすすった。 彼がこの都市に入る前に感じた違和感ともつかない警戒感はまだぬぐいきれていない。 「我々はまもなく進撃を開始するのだ。かつて古代ロザール人が支配していた土地を、蛮人どもから奪い返すのだ。クアド族の生存権を確立して平和な社会を作るのだよ。そうだ……」 ボルマンは言葉を途中で止めると、視線をステラに向けた。 「今夜、片桐君と一緒にコロセウムにおいでなさい。アムターラの聖女も喜ぶであろう、すばらしいものをお見せしよう……」 ステラは片桐に視線を向けた。判断に迷っているようだ。片桐もむげに彼の申し出を断る理由もなかった。ここに長居する気もなかったが、ボルマンの心証をあえて悪くする必要もないだろう。 「わかりました」 ステラの答えにボルマンは満足げに頷いて、傍らのドイツ人を呼んだ。 「ハルスマン! この客人をゲストハウスにお送りしろ!」 「はっ、マインフューラー!」 ハルスマンと呼ばれた背の高いドイツ人は片桐たちに頭を下げた。 「それでは少し外でお待ちください。準備して参ります」 片桐とステラはボルマンに食事の礼を述べると外に出た。側近だけが部屋に残っている状態になったボルマンはハルスマンを近くに呼んで耳打ちした。 「あの女。聖女とか言っておったな」 「はっ、北の森の聖女は古代ロザールの血を引き、まさに聖なる存在と呼ばれております」 ボルマンはワインを一気に飲み干していやらしい笑いをうかべた。 「わが世継ぎを産むにはうってつけの女だ……」 ハルスマンはちょっと顔をしかめた。あの美しい女とボルマンの取り合わせはさすがの彼も違和感を感じたのだ。 「あの女が日本人を見る目は愛し合う者の目だ。いずれじゃまになる」 「では、殺しますか……?」 「かつての同盟国人だ。手に余れば拘禁してキャンプに送ってもよかろう」 今はもうハルスマンはさっまでの表情を浮かべてはいなかった。任務に忠実なドイツ人の顔に戻っていた。 「はっ! マインフューラー!」 ハルスマンに案内されて片桐たちは外に出た。ドイツ将校は近くの士官に命じて車を回すように言った。 「自動車まで開発したんですか?」 思わず片桐が質問した。ハルスマンは笑いながら答えた。 「はい、フォルクスワーゲンとまでは行きませんが」 見ると、確かに自動車に近い形の物体がこっちに向かって来るのが見えた。木のホイールでタイヤは皮で覆われていた。ボディは薄い鉄板で簡単に装甲が施されている。エンジン音は先ほどのバス同様ほとんどなかった。運転兵が後部のドアを開けて片桐とステラを乗せた。ハルスマンは助手席に座った。静かに車は発進した。 「いくらポルが強くてもこんな大きなものを動かすことは相当難しいはずです」 ステラが車窓を興味深く見ながら言った。ハルスマンは助手席から後ろを振り返りながら言った。 「ステラ様、アクサリーという石のことを聞かれたことはありませんか?」 「あります。古代ロザールの発展を助けた魔法の石ですわ」 「そうです。この都市の郊外の山からそれを産出することに成功しました。その場所と精錬方法は極秘なのでお教えはできませんが……」 アクサリーとは簡単に言えばポルを増幅させる媒体であるようだ。普通のクアド族の持つポルではあまり大きな物質を動かすことなどはできない。しかし、ポルをアクサリーに経由させて物質に働きかけることでその力は増大するのだ。 車はハルスマンの説明が終わる頃にちょうどゲストハウスに到着した。ゲストハウスは三階建ての木造。北欧建築の特徴が色濃い様式だった。 「片桐軍曹、拳銃はフロントに預けていただけますか?」 「三曹だ!」 片桐は不承不承、拳銃をフロントに預けた。ハルスマンはそれを見届けると二人を三階のもっとも豪華であろう部屋に案内した。 「では七時にお迎えにあがります」 うやうやしくステラにお辞儀するとハルスマンはドアを閉めた。なるほど、部屋はたしかに豪華だった。ボルマンの趣味だろうか、完全なヨーロッパ様式のスウィートだった。 片桐はとりあえず、ふかふかのベッドに身を投げ出した。アムターラ村を出発してからほとんど野宿に等しい宿泊だったので、ベッドの心地は懐かしいものだった。 片桐はさっきまでのボルマンとの会見を思い出していた。歴史の教科書に出てきていた人物との会談はおよそ奇妙だったが、彼の語りはこの都市の繁栄ぶりを見るに間違いなく事実であろうことが想像に安かった。そして今夜、自分たちに何にを見せるのか? 「片桐、夜までどうやって……」 ステラが片桐に歩み寄ってきた。彼はすばやく彼女を抱き寄せるとベッドに横たえて熱いキスを浴びせた。 「これは掟に違反していますか?」 抱きしめながら片桐が問いかけた。ステラはほほえみながら彼の肩に体を預けた。 「ここまでなら許容範囲ですわ」 「では、一緒に夜まで優雅にシェスタとしゃれこみましょう」 「同感です。わたくしもくたくたですわ」 二人は豪華な部屋でしばしの仮眠を楽しむことにした。 コロセウムはローマのそれを彷彿とさせた。今、この客席には数千の市民が集まって、真っ暗な中心部を見つめている。そこへ一筋のサーチライトらしき明かりがともされ、中心のステージ脇に立っているラッパ手に向けられた。 ラッパ手は口にラッパをくわえると荘厳なソロを奏でた。それにかぶせるようにドラムの単調なリズムが聞こえてくる。 「ごらんください」 片桐とステラに随行するハルスマンが暗闇を指さした。そこからはたいまつを抱えた数百の黒服の兵士が一糸乱れぬ行進で中心部に向かって進んでくる。その後方には旗を手にした部隊が続く。無数のサーチライトがこの部隊を照らし出した。彼ら兵士の持つ旗は見間違う事なき、ハーケンクロイツである。 「ジーク・ハイル! ジーク・ハイル!」 片桐とステラの周りの市民がその旗を見るや大声で歓呼し始めた。ライトが中心部の舞台を照らした。壇上にはボルマンがナチ党の正装で彼ら兵士たちを敬礼で迎えている。 ボルマンの姿が照らし出されるや、市民の歓呼は最高潮に達した。 「すごい……」 初めて見る光景にステラはただただ驚きの声をあげた。それを見てハルスマンは満足げな表情を浮かべている。 行進は旗を持った部隊に続き、ゲベールと呼ばれるライフル部隊が続く。 「いよいよ今夜の主役のおでましです」 ハルスマンが二人に耳打ちする。出てきたのは数台の戦車だった。 「まだ量産はできていませんがこれだけで相当な戦力になります」 戦車は、本場の戦車に比べて貧弱に見えた。木のホイールに皮のキャタピラ。薄い鉄板の装甲はオリジナルとはほど遠かったが、この世界の攻撃には十分な防御力を持っているように見えた。そして、主砲も五十ミリ砲くらいの大きさに見えたが、昼間見せられたゲベールの威力から考えると十分な脅威だった。 たいまつの部隊はボルマンを中心として左右に展開し、一糸乱れぬ動きで大きなハーケンクロイツを映し出していた。戦車がボルマンの正面に停車すると音楽も、部隊の動きも止まった。 とたんに市民の歓呼も収まり、数千の人々で埋まったコロセウムは水を打ったような静けさに包まれた。 「諸君!」 ボルマンが第一声をあげた。 「我らクアド族のたゆみない努力が今日、ついに実を結んだ! 戦車がついに完成したのだ! これはアンバッドなどのいかなる野蛮な攻撃も通用しない!」 「ジーク・ハイル!」 客席の市民が歓呼の声をあげた。その声が収まるのをボルマンは待った。 「古代ロザールが滅亡して長きにわたった、我々クアド族の苦境は今日この日を持って終結する! 我々は生存権を確立し、この地に君臨する! 古代ロザールの偉人に代わり、この世界に安寧と平和をもたらす偉大なる生存戦争に乗り出すのだ!」 「ジーク・ハイル!」 ほとんど絶叫に近い市民たちの歓呼の声がコロセウムを包んだ。それを満足げに見たボルマンはさっと、別の方を指さした。サーチライトが彼の指先のものを照らし出した。 それに気がついたステラは驚きの声をあげた。 「あ、あれは!」 ライトに照らされたのは柱に縛り付けられた数名のガントル族だった。それを見た市民が口々に罵声をあびせる。それをボルマンは余裕綽々と言った感じで制した。 「奴らガントル族はその矮小な肉体を利用し、我ら勤勉なクアド族の生産した食料を無駄に消費し、あまつさえ、アンバッドの野蛮な侵略行為に荷担した。この劣等な人種さえいなければ我らの苦境は半減したはずだ! 諸君! 今こそ狼煙をあげるときだ! 我らクアド族が民族の生存と繁栄のための戦いを開始するための狼煙をだ!」 ボルマンが合図を送った。戦車の砲塔が彼ら無抵抗の哀れなガントルに向けられた。彼らは足をばたつかせ悪態をついているのが見て取れた。 「見ちゃいけません!」 片桐はこれから起こるであろう悲劇を推測してステラを抱き寄せた。 「ファイア!」 大きな咳払いのような音が立て続けに響いて、それと同時に縛り付けられたガントルたちは土煙で見えなくなった。それを見た観衆はよりいっそうの歓声をあげた。 「諸君! 子を軍に送りだした母親よ! 父を送り出した息子たちよ! 夫を送り出した妻たちよ! 今こそ、誇りに思うのだ! クアド族は最強の武器で劣等民族を排除し、高等民族たる我々の手で真の理想郷を作り上げるのだ! 我らの勇敢な兵士に輝ける勝利を! ジーク・ハイル!」 観衆のボルテージは最高潮に達した。口々に「ジーク・ハイル」と叫び、隣の者と抱き合い。感涙をこぼす者さえいる。ボルマンは行進する黒の兵士に敬礼を捧げて見送っている。その後ろには数十名のドイツ親衛隊の制服に身を包んだドイツ人が見えた。 ハルスマンに送られて二人はゲストハウスに戻った。片桐はもはやここに一分でもとどまりたくなかった。 「わたくしも同感です」 ステラと意見の一致を見た片桐はフロントに降りた。 「俺の銃を出してくれ」 フロントのクアドは首を縦に振らなかった。 「それはハルスマン様の許可がないと……」 片桐はフロントの首根っこをつかんだ。指をのどに食い込ませて再び質問した。 「出してくれるかな?」 フロントは顔面蒼白になりながら首を縦に振った。シグザウエルを受け取って街に出た片桐は簡単にナチスのことをステラに話した。それを聞いたステラは明らかにショックを受けているようだった。 「まさか、クアド族をまとめるためにガントル族を敵にして殺すなんて……」 「やつらの常道手段です。俺もうかつでした。この街に入ったときに気がつくべきでした。街の中にガントル族が一人もいないことにね……」 片桐がこの都市に来て本能の部分で感じた警戒感はそこだったのだ。 二人は街の入り口に向かって進んだ。街路には人がほとんどいない。 「止まれ」 人気のない街路の真ん中に人影が見えた。片桐は腰のホルスターに手を伸ばした。 「無駄だ、君は四方から狙われている」 声の主はハルスマンだった。見るといつの間にか、長剣やゲベールを構えた兵士に囲まれている。片桐はステラを自分の後ろにやって後退した。 「聖女ステラ様、フューラーがお待ちです。ご同行願います」 ハルスマンが手にワルサーを構えながら言った。ステラはドイツ人の申し出を拒否するように片桐にしがみついた。もはや二人の後ろには建物の壁が迫っていて逃げ場はない。 「片桐、わたくしを撃ってください。あんな男に捕らわれるくらいなら」 片桐はその言葉にショックを受けた。そんなことできるわけがない。しかし、彼女の言うとおり、ボルマンの手に落ちるくらいなら、彼女の望み通り愛する者の手で運命を決めるのも彼女の権利なのかもしれない。 「それはいよいよの時だけにしましょう」 そう言って振り返ったときだった。すでにステラの姿は片桐の後方にはなかった。建物の陰に隠れていた兵士に口を押さえられてハルスマンのところへ引っ張られていく最中だった。 「ステラ!」 思わず叫んだ片桐の後頭部に強烈な衝撃が走った。がっくりひざを突いてそのまま倒れ込む。片桐が意識を失う前に見たのは必死に抵抗するがハルスマンの手に落ちたステラの姿だった。 どれくらい眠っただろうか……。片桐は目を覚ました。背中の感触でどうやら粗末だがベッドに横たわっているのはわかった。 「目が覚めたか、日本人」 その言葉に頭をあげる。周囲を見回すと、そこは巨大な牢獄だった。壁は大きな岩でびっしりと覆われ、わずかに数カ所の窓には格子がつけられている。中にいるのは皆人間のようだった。その中で片桐の一番近くにいた人物が声をかけた。 「私はハルス大尉。ドイツ海軍U―七七四の艦長だった」 金髪に白髪混じりの男だった。少々汚れているがドイツ海軍の軍服を着ていることがわかった。 「自分は陸上自衛隊三等陸曹、片桐です。ここはいったい……」 改めて周囲を見回すと、そこには大勢のドイツ軍の軍服を着た兵士がいた。ほとんどは海軍の制服だが、数名、親衛隊の制服の者も混じっていた。 「ここは政治犯の収容所だ。それと同時に絶滅収容所でもある……」 ハルスが力無くつぶやいた。そして窓に片桐を案内した。彼はその光景に絶句した。 大勢のガントル族が強制労働に従事している。しかもその労働内容といったらまったく意味があるとは思えなかった。一団のガントルはひたすら穴を掘るだけだ。別の一団は彼らが掘ったであろう穴を埋め戻している。時折、力つきたガントルは巡回する兵士のゲベールで容赦なく射殺されていった。 「なんてことだ……」 思わず片桐が目を背けた。ハルスは片桐の肩に手をやった。 「幸い我々には強制労働は課されていない。そのかわり、永遠に似た苦痛を与えられているのだよ」 そう言ってハルスはテーブルのポットを持った。コップを片桐に渡すとポットの中身を注いだ。それは赤い液体だった。片桐がボルマンとの会食で見たあのワインだった。 「水分はこれ以外与えられない。我々は不老の体を維持しながらここで思想を転向するまで閉じこめられるのだ」 ある意味、死よりもつらい拷問といえた。 「だが我々もじっと閉じこめられているだけではない」 ハルスは牢獄の中央にあるテーブルを動かすように命じた。数名の海軍兵士がそれをどかした。そこには二枚の板が敷かれている。 「中はトンネルだ。二十五年かけて掘り進めた。君は運がいい。明日、外のレジスタンスと呼応して脱走する計画があるのだ」 片桐はこのハルスの言葉に希望を見いだした。そして希望を持ったと同時に気になることもあった。 「自分と一緒にいた女性のことは何か聞いていますか?」 ハルスはそれを聞くと悲しげな顔をして首を横に振った。 「君と一緒にいた北の森の聖女のことは知っている。しかし、彼女はボルマンのところに連行されたようだ」 片桐はハルスの言葉に絶句した。あの会食で見せたボルマンのステラに対するいやらしい視線を思い出した。ボルマンが彼女を獲得したならば、その目的はひとつしかない。 しかし、ボルマンがその目的を達成する前に誇り高い聖女で、いとおしい片桐の恋人は自ら死を選ぶであろう。もはや一刻の猶予もないように思えた。片桐の絶望感を察したハルスは彼をひとまずは安心させる情報を教えてくれた。 「ボルマンは新鋭の戦車隊と出征した。今、彼女はヤツの司令部に幽閉されているだけのはずだ。焦らずにまずはここから抜け出してレジスタンスと合流するんだ……」 ここではこれ以上どうしようもないとわかっている片桐はハルスの意見に従うことにした。それと同時に心に誓った。必ずステラを助け出すと。 「まずは夜を待て。ここの警備は本場ほど厳しくはない。夜までゆっくり休むんだ」 片桐はハルスの忠告に従うことにした。ワインを飲んで粗末だがパンを食べて腹を満たした。その間、ハルスはここに幽閉されているドイツ兵の運命を話してくれた。 「ボルマンが指導者になり、ゲルマニアを建設してからしばらくしてからだ。彼は自らをフューラーであると宣言した。現地のクアド族がヘラーと言ってるのを聞いただろ? そして、自らの権威を大きく確実なものにするためにボルマンは、ガントル族の弾圧を始めたのだ。共通の敵を作ってしまえばクアド族は団結し、ボルマンの権力を支持するからな。我々海軍兵士の多くはその政策に反対して投獄された。ここにいる親衛隊員はボルマン自らがフューラーを名乗ることに反対したため投獄されたのだ。ヒトラーの遺言では今でもフューラーはデーニッツだからな。だが今は彼らも同じ志を持つに至った。フランツ中尉!」 ハルスは親衛隊の士官を呼んだ。フランツはこれまたがっしりした金髪のドイツ人だった。 「フランツだ。よろしく。ボルマンは自分の利益だけのためにこの世界を混乱に陥れている。第三帝国なき今、我々はこの世界の人々と共存していくしかない。外のレジスタンスと協力してクーデターを起こす計画がある。ぜひ、協力して欲しい」 どのみち、ステラを救出するにはボルマンの本拠地に乗り込む他はない。それには味方も武器も必要だ。彼らの計画に乗ってみるのも一計だ。片桐は快諾した。 赤い満月、ゾードが南中した。格子の入った窓から片桐はその赤い月明かりを眺めていた。この月明かりの下で黒い髪をなびかせていたステラを思い出した。たった二日離れているだけでこんなにも寂しく感じるとは……。 ふと、片桐は出発前にザンガーンに教えられたあの力を試してみる気になった。目を閉じてステラのことを思い浮かべてみる。 「片桐? 片桐ですか?」 ごくかすかだが、遠いかなたに彼女の声が聞こえる。まだまだ不慣れでポルの力が一定でないようだ。電波の悪い携帯電話のようだった。 「ステラ……、必ずあなたを助けます。けっしてあきらめてはいけません」 「いけません、わたくしのことは構わず逃げてください……」 片桐は心揺らいだ。彼女の気持ちが痛いくらい伝わったからだ。それは自己犠牲の精神だった。そのせいか、ただでさえ不安定だったポルがますます不安定になったのか、ステラの声がますます小さくなった。 「必ず! 必ず、迎えに行きます!」 「……!」 最後の声は聞き取ることができなかった。片桐は目を開けた。少なくとも彼女が生きていることだけは確認できた。それだけで戦う気力が沸いてきた。この牢獄を脱し、レジスタンスと合流して、ボルマンの司令部に潜入しステラを救い出す。たったこれだけのことじゃないか、とすら思えた。 「さあ、時間だ」 フランツが言った。広大な収容所の隅っこから鳥のような鳴き声が聞こえた。レジスタンスの迎えの合図だった。窓を見張っていた海軍兵士が合図した。歩哨がいないことを示す合図だった。 「行くぞ!」 ハルスが床板をはずしてトンネルに潜り込んだ。フランツに続いて片桐も潜り込む。 その後ろに海軍兵士が続々と後に続いた。 トンネルはさすが二十五年かけて掘られたものだった。しっかりと天井にも板が張られ、崩壊の心配を感じさせる要素はなかった。四つん這いになって数十メートル進むと突き当たりに出た。ハルスが土がむき出しになった天井に手をやった。そのまま素手で土をほじくり返す。すぐにハルスの手が地上に出た。 「成功だ!」 ハルスが周囲を警戒しながら外へ出た。フランツに続いて片桐も地上に飛び出した。 「こっちだ……」 少し先の茂みから声が聞こえた。トンネルの出口は収容所を囲む柵のすぐそばだった。二十メートルほど離れた場所でクアド族の歩哨がゲベールを提げて立っている。片桐は体を低くして声の聞こえた茂みに駆け込んだ。 「よく脱出できましたな」 片桐を迎えたのはガントル族の一団だった。手にはワルサーやゲベールがあり、よく訓練されていた。リーダーのサクートが片桐と握手を交わした。その間にも続々とトンネルからはドイツ兵が踊り出てくる。牢獄にいた二十名ほどの兵士が全員脱走するのにそう時間は要しなかった。 「ではアジトに行きましょう……」 サクートの先導で脱走者たちはおぞましい収容所に別れを告げた。 アジトはガルマーニの外壁工事が行われているすぐそばの洞窟だった。そこはかなり大きな洞窟で多くのレジスタンスが待機していた。皆手にはゲベールやドイツ製の銃器があった。潜水艦から運び出した武器を一部ここに隠したらしい。ドイツ兵は洞窟の奥から大きな木箱をいくつか運び出してきた。 「片桐三曹、君にはこれを貸そう。使えるかね?」 フランツが片桐に手渡したのはサイレンサー付きのステンSMGだった。以前英軍の輸送船を拿捕したときに押収した武器だった。 「ボルマンは昼間に戦車と千名の兵士を連れて出陣しました。目的は東の森にあるガントル族の村です」 サクートがハルスに報告した。彼の報告では司令部には数十名の兵士と数人のドイツ人が残っているだけだ。完全に油断していることが見て取れた。 「よし、司令部を攻撃して市内を掌握しよう。できるだけ戦闘はさけて転向をうながせ。ドイツ人に指揮されている部隊は例外だ。容赦するな!」 ガントル族、クアド族、ドイツ人の混成部隊は二手に分かれて市内に潜入を開始した。 「フランツ中尉、自分は司令部に潜入したいんですが……」 「片桐三曹、だったら俺と一緒に来るんだ」 フランツは数名の部下を連れて市内の裏道に入った。深夜の街路は静まり返っていて誰もいない。その中を片桐たちは素早く駆け抜けた。フランツが通りの角から次の通りを確認して動きを止めた。街路に警備の兵士が立っているのだ。 「まかせろ」 フランツは背後からそっと兵士に忍び寄るとMP−四〇の銃床で兵士の頭を殴りつけた。一撃で兵士は昏倒した。 「縛ってその辺に隠しとけ」 フランツは部下に命じた。片桐とフランツは安全を確認した角を曲がった。その先はボルマンの司令部がある。大きな司令部の周囲には歩哨はほとんどいないようだった。 周囲には二メートルに満たない塀があるだけだ。片桐たちは造作もなくそれを乗り越えると司令部内に侵入した。 「別働隊も反対側から侵入しているはずだ。片桐、君は目的を果たしてこい。集合場所は正面ロビーだ。聖女様によろしくな……」 フランツが陽気に笑いながら片桐の肩をぽんと叩いた。片桐もフランツの肩を叩き返して行動を開始した。外壁の出っ張りを利用して二階のテラスに登った。 テラスは端から端まで続いていて窓の多くからは明かりがこぼれている。兵士たちが大勢いるということだ。その窓を一つ一つ確認しながら片桐は進んだ。一番端の開け放たれた窓から女性の叫び声が聞こえた。 直感で確信した。間違いない、彼女だ。片桐は駆け出したい衝動を抑えながら窓の下にとりついた。そっと中を覗いてみる。 「やめなさい!」 「騒ぐんじゃない!」 背の高いドイツ人がソファーにステラを押し倒している。必死に抵抗する彼女の細い腕が見えた。そのドイツ人がハルスマンということは一目でわかった。 「静かにしろ!」 ハルスマンはステラの頬を平手で叩いた。そしてぐったりしたステラの上に覆い被さった。このドイツ人がこれからしようとしていることを瞬時に理解した片桐は怒りで顔を紅潮させた。 さっと、音も立てずに室内に侵入すると、ステンの銃床で思い切りハルスマンの後頭部を殴りつけた。 「あっ!」 怒りのあまり手元が狂ったのか、ハルスマンは間一髪でそれをかわして片桐に飛びかかった。手に持っていたステンが床に転がった。もつれ合って床を転がった後、片桐はハルスマンの腹を足で押して彼から離れた。二人のちょうど中間あたりにステンが転がっているのが見えた。 それに飛びついたのは同時のようだったが、一瞬ハルスマンが速かった。間に合わないと悟った片桐はブーツを彼の顎めがけて振りあげた。ハルスマンはそれを両手で受け止めて再び片桐を床に押し倒した。それと同時に太い腕を片桐ののどに押しつけた。 「日本人か、まさか強制収容所から抜け出してくるとはな……」 獲物にとどめを刺すような獣のように興奮で目をぎらぎらさせながら、ハルスマンは腕に力を込めた。片桐も必死で彼の脇腹にパンチを食らわせるがびくともしない。 「久しぶりに人間を絞め殺すんだ。楽しませて……」 がしゃん! という音ともにハルスマンの頭から血が流れ出た。腕の力がゆるんだ。片桐はそれを確認して一気に起きあがって、反対にハルスマンの首を締めあげた。ハルスマンはしばらくの間、足をばたつかせていたが、やがてぴくぴくと痙攣してそのまま動かなくなった。 「初めて人間を殺しちまった……」 肩で息をしながら、動かなくなったハルスマンを見つめる。と、自衛官は彼を救った原因を探して視線を泳がせた。 ステラが割れたワインボトルを手に立ちつくしていた。彼女の一撃の助けがないと片桐はハルスマンに絞め殺されていたのは確実だった。ハルスマンだった死体から手を離して、そばに落ちていたステンを拾いあげた。 「片桐……」 片桐の無事な姿を確認したステラはその胸に飛び込んできた。片桐もまた彼女をしっかりと抱き留めた。肩が震えているのがわかった。無理して気丈に振る舞っていたのがすぐにわかった。 「どうしてもっと早く来てくださらなかったのです? 本当に怖かったのですよ!」 「ステラ、今こうして来たではありませんか……」 片桐はきつく彼女を抱きしめた。しかし、その再開の余韻に長く浸っているわけにはいかなかった。すでに司令部のあちこちで銃声が響いていた。レジスタンスが戦闘を開始したことを意味していた。 「さあ、ここから逃げましょう!」 片桐がドアを開けようとしたとき、そのドアが外から開かれた。開けたのはボルマンとの会見でゲベールを撃った衛兵だった。そいつは片桐の持っているステンの一連射で後ろに吹っ飛んだ。ステラはその衛兵からゲベールとベルトに装備された弾薬箱を持ち出した。 「わたくしになら使えるはずです」 片桐はそう言う彼女からゲベールを受け取って構造を調べてみた。ごく簡単な構造だった。 弾丸は銃身の後ろから込め、ボルトを締める。激鉄の先にはアクサリーと呼ばれるほんの小さな石がついている。トリガーを引くとその激鉄が下りて、増幅されたポルの力で弾丸が発射される構造だ。 「本当に大丈夫ですか?」 片桐の問いかけに答えずにステラは、柱の向こうから現れた抜き身の長剣を持った兵士に向けてゲベールを発射した。せき込むような音と同時にその兵士は肩から血を吹き出してうずくまった。 「大丈夫なようですね」 新たな弾丸を込めながらステラが笑顔で答えた。片桐は若干彼女の適応力に閉口しながらも彼女の手を取った。 「待ってください!」 さらに勇敢な聖女様はハルスマンの死体から小さなカギを取り出すと部屋の中にある書棚のような家具の扉を開けた。中には片桐の八九式小銃と防弾チョッキ、ホルスターがしまわれていた。 「他の装備はローズとセピアと一緒に外の小屋にあります。衛兵がよく調べていないようでまだ見つかってはいません」 「あなたは優秀な自衛官になれそうですよ」 使い慣れた装備を身につけながら片桐はただ感嘆するばかりだった。 正面ロビーに達するにはいくつかの難関を越えねばならなかった。ドイツ人に指揮された敵兵はいくつかの場所にバリケードを作って抵抗していた。多くの部隊はレジスタンスに降伏したようだ。 今、片桐とステラの目前にも、廊下一面にバリケードを作ってレジスタンスに応戦している一団がいた。 「突破するしかありませんな」 連中の背後にある部屋から様子を見ながら片桐はつぶやいた。三名のドイツ人と数名のクアド族の兵士がバリケードに隠れてレジスタンスに発砲している。片桐たちには気がついていないようだ。セレクターをフルオートにして片桐は深呼吸した。そして呼吸を整えると意を決して柱の影から飛び出した。 「日本人だ!」 ドイツ人の一人が気がついて振り向きざまにワルサーを発砲した。弾丸は片桐の耳元をかすめたが、それにかまわず彼はトリガーを引いた。発砲したドイツ人ごと敵は全員撃ち倒された。本来ならスリーバーストショットで撃ち倒すべきだったのだろうが、残念ながらこの状況では難しい。 反撃の収まったバリケードにレジスタンスが突入してきた。レジスタンスは生き残った敵兵を連行していった。 「片桐! 生きていたか?」 フランツが駆け寄ってきた。彼はステラを見つけると礼儀正しく一礼した。 「お目にかかれて光栄です。アムターラの聖女ステラ様。フランツと申します」 「片桐の脱出に力を貸していただいたことに御礼を申し上げます」 一通り挨拶の終わったフランツは片桐の方を向いた。すでに司令部の銃声は収まっている。ほぼ制圧したようだ。 「司令部は制圧した。ハルス大尉の別働隊が市内を回ってレジスタンスの参加を市民に呼びかけているところだ。残っていた親衛隊は全員射殺した。君のやってくれた連中も含めてな。海軍の兵士はハルス大尉の名前を聞くとたちどころに武器を捨てたよ。まずは大勝利だ」 片桐はまずは安堵した。当面ステラの安全は確保できた。そして気になることがあり、外に出た。外には捕虜が整列させられている。その中で見覚えのある衛兵を見つけた。すっと近寄って彼に声をかけた。 「君は、確か門番をしていたな……」 片桐の質問に、これからの自分の将来を危惧していた衛兵が顔を向けた。 「俺たちの乗ってきた馬の世話を君にお願いしたと思うんだが」 「はい! ヘラーの命令でちゃんと休ませてあります!」 必死のアピールだった。 「俺たちが旅立つまでの間、馬の世話を君にお願いしたいが、引き受けてくれるか? レジスタンスには俺から言っておこう」 片桐の言葉に衛兵の表情がぱっと花が咲いたように明るくなった。当面自分の身の安全が保証されたのだ。無理もないだろう。 「捕虜が逃げたぞ!」 そのとき、銃声とともにレジスタンスの大声が聞こえた。フランツが走ってくるのが見えた。 「門番が逃げた! まずい。すぐにボルマンが戻ってくるぞ。こいつは戦うしかないようだな……」 フランツの表情が暗くなった。確かに、道はそれしかないことはわかっていたが、戦力差がありすぎる。 「司令部にパンツァーシュレッケがあるのが見つかった。しかし相手は戦車を持っているんだ。それに歩兵だけでも千人だぞ。こっちは寝返った捕虜を入れても三百名にも満たない……」 「わたくしに考えがあります」 圧倒的な戦力差にうなだれるフランツにステラが顔をあげて言った。フランツも片桐も怪訝そうな顔で彼女を見つめた。 「一般市民のクアド族に語りかけるのです!」 翌朝、市内の広場にステラの姿があった。その周りにはハルス、フランツ、片桐、サクートらガントル族のレジスタンスが集まった。その様子を市民は遠巻きに見守っている。 「ガルマーニのクアド族よ、わたくしはアムターラ村の聖女ステラです!」 第一声は緊張のせいか、いささか震えているが、北の森の聖女自らの言葉にクアドの市民たちはざわめいているのがわかった。 「ボルマンはあなたがたに、強力な武器とすばらしい文明を授けました。これは疑い様のない事実です! しかし、あなたがたは大切なことを忘れていませんか? この世界はわたくしたちクアド族だけのものではありません。ガントル族の運命を忘れてはいませんか?」 彼女の声に引き寄せられるように市民たちは続々と広場に集まった。今や広場は埋めつくされんばかりの市民でいっぱいだった。その市民に向けてステラは再び言葉をかけた。 「ここにいるクアド族でガントル族がどうなっているか本当に知っている者は?」 「遙か遠くに追放されたはずだ!」 「集団で遠くに移住したと聞きました」 「アンバッドに荷担したガントルは殺され、それ以外は南に移住したはずだ!」 口々にうわさで聞いた話を声に出した。それを聞いたサクートが叫んだ。 「それはボルマンたちの嘘だ! 奴らは俺たちを収容所に入れて強制労働させているんだ。しかもその労働も全く無意味なものだ! 穴を掘っては埋める。それだけだ! 奴らは、俺たちに反抗する気力をなくさせるためだけにこんなことをさせているんだ! それに耐えきれなくなったら、奴らのゲベールの的になるだけだ!」 サクートの言葉に市民たちは衝撃を受けているようだ。互いに顔を見合わせている。群衆から声があがった。 「嘘だ! ステラ様はそこのガントルにそそのかされているだけだ!」 市民がとたんに騒ぎ始めた。自分たちの信じていたことをいきなり否定されてもすんなり受け入れられないのだろう。 「本当だ!」 今度はハルスが声をあげた。 「俺はボルマンと同じドイツ人だが、彼の政策に反対して二十五年、収容所で過ごした。その間、多くのガントルが収容されて殺された。村ごと捕まって収容所送りになった連中も見てきた。ボルマンは独裁者だ。ヤツは諸君の力を利用してこの世界に自分の帝国を作ろうとしているにすぎない!」 群衆は静まり返った。もはや彼女の言葉に反論しようとする者はいなくなった。ステラはそれを確認して再び口を開いた。 「ボルマンはまもなく戻ってきます。あの男はこの街が占領されたことを知っているでしょう。レジスタンスを皆殺しにするために容赦ない攻撃を始めるでしょう。一緒に戦ってください!」 「ボルマンがひどいことを考えていることはわかりました。しかし、わかりません! 何のために戦うのですか? 誰のためにですか? いったい何のために?」 市民から疑問の声があがった。その答えにステラは少し考えているようだった。再び市民からどよめきが起ころうとしていた。しかし、それを素早くステラは制して答えた。 「わたくしたちの祖先も、わたくしたちも古代ロザールが滅亡後、苦しい日々を送ってきました。しかし、わたくしたちは誇りがありました。クアド族とガントル族と手を取り合ってこの苦境を乗り越えてきた誇りです。あなたがたにはその誇りは残っていないのですか? 偽りの繁栄にあなたがたの誇りは奪い去られてしまったのですか? ボルマンの見せた幻の繁栄を買うために売ってしまったのですか?」 ステラは一気にまくし立てた。ボルマンの演説や演出には足元にも及ばないと自分でもわかっていた。一か八かの賭だった。市民は再び静まり返っていた。 片桐もステラの言葉を聞いての市民の反応を手に汗を握って見守っていた。この市民の反応次第で、これから起こるであろう戦いの運命は決するのだ。そして、その賭はステラの勝ちだった。 「我らクアド族の誇りのために!」 「ガントル族ととも異世界の独裁者と戦おう!」 「ステラ様の名のもとに戦うぞ!」 市民が完全にレジスタンスについたことを確信してハルスが叫んだ。 「みんなで武器を持って集まってくれ! 持ってない者には支給する!」 フランツは片桐を見やった。我がことのように得意満面な表情になっている。 「たいしたお嬢さんだ……」 「お嬢さんではありません。アムターラの聖女ですよ」 フランツの言葉を聞いてステラが笑顔で二人に歩み寄った。そしてそのまま片桐にしがみついた。フランツが驚いた表情でそれを見ている。 「緊張しました。わたくし、こんな大勢の前で話なんてしたことないんですもの」 それを聞いてフランツが大声をあげて笑った。そしてステラを抱きとめている片桐の肩をぽんぽんと叩いて言った。 「いやはや、たいした聖女様だよ! 俺もできることならお仕えしたいくらいの度胸だな!」 「来るぞ……」 城壁の上でハルスは双眼鏡を片桐に渡した。片桐はかなり接近したボルマン軍の様子を見てみた。 「これはまた、フリードリヒ大王の時代だな」 彼の言うとおり、ボルマン軍は城壁から五百メートルほどのところに展開している。戦車は最後尾。その前にドイツ兵に指揮された百名ほどの歩兵が十隊ほど、二段構えの横隊で整列している。片桐はボルマン軍の両翼を見てみたが、時折灌木がある程度だった。 「サクートの別働隊が見えないようですが」 「彼らはうまく隠れているはずだ。後は手はず通りにことが運べば完璧だ」 片桐は城壁の内側を見下ろした。市街のあちこちには市民が潜んで油の入った壺にいつでも火をつけられるように準備している。それを指揮するステラが片桐に手を振っているのが見えた。 一方、城壁にも仕掛けを施した。手榴弾をいくつか仕掛けてわざと爆発させる準備をフランツが終えて戻ってきた。 「あの戦車の砲はまだ試作でまっすぐ飛ばないって本当ですか? それが嘘ならこの仕掛けも全く無駄になっちまうけどな」 「捕虜の情報にかけるしかないですな……」 片桐がそう言ったときだった。いよいよボルマン軍の攻撃が始まった。戦車が砲撃を開始したのだ。 「やっぱり、警告もなく無差別砲撃だ」 ハルスがひとりごちた。これで、広場でのステラの言葉を疑っている市民も納得するだろう。しかし、多くの市民は彼女の言葉に応えて今では武器を持ち、いつでも戦える体勢を整えて、城壁に、建物の屋上に待機している。 最初の砲弾は城壁の手前に着弾した。しかも不発弾だった。 「これは? あの情報はホントなのか?」 第二弾は城壁の真ん中あたりに着弾したがこれも不発で城壁に少し大きな穴を開けただけだった。 痺れを切らした戦車隊は砲身の角度を変更して一斉砲撃を始めた。 「来るぞ! 伏せろ!」 片桐は市内に潜む市民に叫んだ。しかし、その声は弾着音にかき消された。市内のかなり奥まったところに着弾した。今度はちゃんと爆発したようで火の手が上がるのが見えた。女子供や病人を街の外に避難させていて正解だった。そうしている間にも砲弾は次々と着弾したが爆発する砲弾は二割に満たなかった。 「そろそろだな……」 フランツは部下に命じて城壁の一部を爆破させた。砲弾で破壊されたと見せかけるようにタイミングをずらしての爆破だった。片桐もステラに合図を送った。 「さあ、火をつけるのです!」 彼女の合図で市民たちは街のあちこちに仕掛けた油の壺に火をつけた。真っ赤な火と黒煙があがった。 「やった! 燃えているぞ!」 ボルマンは双眼鏡で街の様子を見てはしゃいだ。そして全軍に前進を命じた。 「もう少し制圧砲撃を加えてもよいのでは……」 忠告する副官の進言をボルマンは無視した。もはやこの戦いは勝ったも同然だ。ハルスと片桐は最後まで生かしておいてこの手で八つ裂きにしてやろうと思っていた。あの女。もったいないが火あぶりにでもしてやれば市民への警告になるだろう。 「城門に砲撃を集中しろ。戦車が門をくぐればこの戦いは勝ちだ!」 「前進して来るぞ!」 市民たちが城壁にとりついた。戦車は前進しながらは発砲してこない。弾込めができないようだ。戦車を盾に歩兵の横隊が一糸乱れぬ行進で前進してくる。ボルマンはなめてかかってきているのだ。こんなに大勢のレジスタンスと市民が手に手にゲベールでボルマン軍を狙っているとは思っていないのだろう。 戦車がいったん前進をやめた。砲を城門に向けている。 「ファイア!」 一斉砲撃だった。砲弾は城門の周りに次々に炸裂して、大きな木の城門が吹き飛んだ。それを確認してボルマン軍は前進を始めた。ゲベール隊が歩きながら城壁を狙って発砲を開始した。銃弾が城壁の煉瓦に当たって砕ける音が聞こえた。 「よし! 撃て!」 ハルスの合図で城壁に身を潜めていた市民たちが一斉に射撃を開始した。次々と横隊の兵士たちが銃弾に倒れた。しかし指揮官の号令で後列の兵士が前に進んで隊列を維持している。片桐はセミオートでドイツ兵を狙って撃つが、まだ遠いためなかなか命中しない。フランツがパンツァーシュレッケを構えた。 「中尉、弾は五発です! 狙ってください!」 ドイツ兵がフランツに念を押す。「わかってるさ」と笑顔で答えるとフランツは横隊の真ん中に位置する戦車めがけて発射した。弾丸は見事に真ん中の戦車に命中して砲塔が吹き飛んだ。左右の戦車も吹き飛ばされた。それを見た市民から歓声があがった。 それを合図にして両翼に隠れていたサクートの率いるガントル族がボルマン軍に突撃を開始した。彼らは地面に潜ってボルマン軍を待ち伏せていたのだ。奇襲にあわてたドイツ兵が横隊を両翼のガントル族に向けるべく隊列を動かした。 「今だ! 撃て!」 ハルスの号令で城壁の市民が再び一斉射撃を行った。隊列が移動のため乱れたボルマン軍は次々と撃ち倒された。それでもうまく方向転換した横隊はガントルに向けてゲベールを一斉射撃した。ぱたぱたとガントルたちは倒れたが、それでも突撃をやめなかった。新たな弾を装填される前にガントル隊はボルマン軍の先頭の横隊に襲いかかり白兵戦を開始した。 今や、ボルマン軍もゲベールを捨て抜刀して迎え撃っている。ナイフを口にくわえたガントルが戦車の砲塔から内部に侵入して、動きのとれない戦車兵を血祭りにあげた。 「こんなショートレンジの戦闘じゃ撃てません! どうします?」 フランツはハルスに尋ねた。サクートのガントル隊は勇敢だが彼ら全軍で当たってもボルマン軍の第一線を白兵戦に巻き込んだにすぎなかった。 「よし! 行くぞ!」 ハルスは市民とレジスタンスを城門に集めた。片桐はハルスに続いて城壁を下りた。 「ハルス大尉、いったいなにを?」 片桐の質問にハルスは「愚問だ」と言わんばかりに髭面の笑顔を向けた。そしてワルサーを抜くと片手に抜き身の剣を持った。 「ナポレオンは自ら先頭に立って部下の士気を鼓舞したそうだぞ!」 片桐はハルスの作 |