高得点作品掲載所       神無月さん 著作  | トップへ戻る | 


人形の感情

 今日もまた、あのお医者さんがやってきた。私の身体を診るために。私の世話係をしている秋峰さんに会うために。
 理由は前者よりも後者のほうが圧倒的に強いと思う。だって、秋峰さんと話をしているときのあの人の顔は、それはまた子供の私でも脈ありだとわかるほどに赤いんだから。
 秋峰さんとお医者さんの会話は……だけど会話なんて言えるものじゃなかった。
 冷静沈着で無駄なことは口にしない秋峰さんと、それとは反対にぎくしゃくとしてなにを喋っているのかわからないお医者さん。私のまえじゃあ普通に日本語を喋っているのに、秋峰さんのまえになったらそれはなにかの呪文のような意味不明な言葉に変化してしまっている。緊張しているからにしたって、それはあまりにも情けない姿だった。
 なんてちっぽけなものなんだろう、と私は男という存在のイメージを無理矢理にもダウンさせられた。いまはとにかく、それを改善するために作戦を遂行させようとしているわけだけど……どうにもうまくいかない。さすがにそろそろ限界だっていうのに。
「身体のぐあいはどうかな。もうそろそろよくなってもいいと思うけど」
 子供の私には大きすぎるベッドに腰かけて、お医者さんは訊いてくる。いつもの挨拶代わりの言葉に、私は決まって変わらない返答をしていた。
「ちょっと……まだ胸が苦しいです」
 できるだけうまく咳をする。この場面だけなら、私はどこかの俳優よりもうまいと自賛できる。
 咳の強さからタイミング――手のひらを口元に運んでいく動作。それから表情の調節は薄くても濃くてもいけない。ちょうど中途半端に苦しそうな顔をすれば相手を納得させられる。
 とくにお医者さん相手には慎重にならなくちゃいけない。生半可な演技をしたらすぐばれちゃう可能性があるから。
「そうか……まだ調子が悪いか。風邪だとは思うけど、それにしては治りが遅いしな」
 お医者さんの笑顔が困惑によってくずれる。二十代前半と思える端整な顔立ちが台無しになった。
「じゃあ服をめくって。音を聞くからね」
 お医者さんの指示に私は素直に従う。最初は恥ずかしかったけど、いまじゃあどうも思わなくなっちゃってる。たぶんそれは、自分の身体が未発達な小学四年生のものだと自覚したからなんだと思う。なんか、とても悲しいけど……
「ここが苦しい?」
「いえ……」
 適当な言葉はなるべく避けなくちゃいけない。ひたすらに胸が苦しいと言い続けるのが、いまこの時点での私の仕事だった。
 お医者さんの顔は私に向きながらも、視線はちらちらとドアの傍に立ちつくしている秋峰さんを確認している。
 秋峰さんはその視線に気づかず、相変わらず無表情のままでいる。その人形のような状態を確認しているだけで、目のまえにいるお医者さんの顔はすっかり赤くなってしまっていた。いつものこといつものこと。
 こうなると聴診器はほったらかしになっちゃって、お医者さんの視線はまったくといっていいくらいに秋峰さんに釘付けになる。
 本人はバレないようにしているかもしれないけど、観察能力の鋭い私にはとっくにバレている。ううん……これならどんなに鈍い人でも気づくわよ。
 聴診器を身体にあてられてる時間が、いつも最低でも三十分以上かかってれば。

 
 そんな重病でもないのに、診察はざっと一時間ほどかかった。
 聴診器での時間が一番に苦しかった。正面のときはずっと、私は服をめくってないといけなかったから。まあそれでも、今日の診察は今までで一番に短かった。いつもなら一時間を軽く越しちゃうのに、今日はだいたい一時間ぴったり。
 もっとこっちに集中してくれれば、終了時間もそれだけ短縮されるんだけど……さすがに無理難題か。
 ドアの傍で秋峰さんとお医者さんが話をしている。私の身体のこととか、これからの診察の内容とか……私にとってはどうでもいい話だった。
 聞きたくないのに聞こえちゃうのは、お医者さんがひどく緊張していて声が裏返しになっているせいだ。言葉になっていない言葉なんで私には全然ちっとも理解できない。
 それを理解できている秋峰さんは尊敬しちゃう。秋峰さんにはちゃんと言葉に聞こえていても、私にはこの世界には存在しない呪文のようなものに聞こえてしょうがなかった。
 私のまえではちゃんと大人なのに、秋峰さんのまえでは子供みたいにちっぽけになるお医者さん。たしかに秋峰さんは美人だけど、もう何回もきてるんだからいい加減に慣れてほしい。見ているこっちが気力を喪失しちゃうから……
 やっぱり無表情のまま、秋峰さんはお医者さんに一礼をした。お医者さんとは反対に秋峰さんの声は小さくて聞こえない。
 秋峰さんの仕草に照れたのか、お医者さんはにやけながら後頭部を手で掻いていたりする。……いつものこといつものこと。
 そして、今日も何事もなくお医者さんは帰っていってしまった。
 開いている窓から眺められる場景に、ただ一人がっくりとうなだれているお医者さんの帰り姿が浮かぶ。秋峰さんとうまく話せなかったことに萎えちゃったんでしょう。
 たどたどしい足取りはまるで、魂の抜けた身体が勝手に動いているみたいだった。……うん、だけど来週にはきっと完治してる。これもいつものことだから。
「お嬢様。お身体の具合はよろしいですか?」
 秋峰さんが私の傍までやってくる。変わらない無表情だけど、そこに私は偽りのない優しさを感じている。この人はただ、それを表現するのが苦手なだけで……
「まえよりはよくなったと思う。でもまだちょっと調子が悪いかな……」
 笑顔も微調整しなくちゃいけない。満面の笑みだったら怪しまれるし、あまり力が無くても秋峰さんを心配させてしまうから。
「……お嬢様、どうかなされましたか?」
「ううん……なんでもないなんでもない」
 私はまた、秋峰さんを見つめてしまっていた。見惚れるくらいに綺麗なんだから、それもしょうがないかなと最近は思い直している。
 顔は小さくほっそりしているし、身長だって大きくも小さくもないなんて理想形だし、それになによりも淀みのない黒瞳がたまらないくらい綺麗だった。腰まである黒髪の感触はふわふわしていて気持ちがいい。ずっと触れていたいと駄々をこねて、一緒に寝てもらったこともあった。
 そんな優しい秋峰さんが私の世話係になってから一年。二十二歳になった彼女に恋焦がれる人が現れた。秋峰さんには関係のないことかもしれないけど、それは私にとってなんとも喜ばしい神様からの贈り物だった。
 私は秋峰さんを笑顔にさせてくれる人を……秋峰さんを自然と笑えるようにしてくる人を待ち望んでいた。それがあのお医者さん。私が仮病を使って学校を休んだときにきてもらったお医者さんがあの人だった。
 お医者さんが秋峰さんに一目惚れしたのを、私は最初の診察で見抜いちゃっていた。だから私はそれからも仮病を使おうと思い、あのお医者さんが診察にくるように両親に頼んだというわけ。でも……現実はそう甘くなかった。今日まででお医者さんと秋峰さんの新密度が上昇したようには見えない。二人が話すのは私の身体のことだけだし、お医者さんの緊張はいまになっても解けないし。
 もう二十回くらいはきてるのに……あのお医者さんは秋峰さんをまえにすると、どうしても思考が雪色に染められちゃうみたいだった。
 名前は秋高修二といってこの付近の小さな病院で働いてるらしいけど、まあそんなことはどうでもいい。
「ねえ秋峰さん。あの人のことどう思う?」
 秋峰さんに抱きついて、私は問題のことを切りだした。最初からこうすればよかったんじゃないかといまになって思う。
「それは秋高様のことですか?」
「そうそう。あのお医者さんのこと」
 逃がさないように私は秋峰さんを抱きしめている。秋峰さんは私の質問にしばらく黙りこんでしまった。
 無表情にもなにかを考えているようには見える。私は期待してその答えを待っていると――
「どう思うと言われましても、私にはよくわかりません。どういった感情でかを指摘していただければ答えられると思います」
 機械的な返答が私の期待を裏切った。……まあ、秋峰さんの性質を考えればこういう返答になるのは予測できたかもしれない。いや確実に予測できたと私は反省する。そして改めて質問することにした。
「好きとか……嫌いとか。秋峰さん恋愛とかしたことないでしょ」
「恋愛とはなんですか?」
 今度は頭が痛くなる返答だった。……なるほど、無駄な知識は持ち合わせちゃいませんか。
「う〜〜んと……じゃあ秋峰さん。私のこと好き?」
 普通に考えたらおかしな発言かもしれないけど、秋峰さんが相手ならおかしくない発言になる。それがわかっていても、なんか照れるというか恥ずかしい気持ちがこみあげてくるのは否定できない。
「はい。私はお嬢様が好きです」
「……」
 ……面と向かって言われるとやっぱり恥ずかしい。
 口調は重いけど、それが偽りじゃないってなんとなくわかるからよけいに照れちゃう。そのせいか、同性愛もいいかもしれないなんてふざけたことを欠片でも考えてしまった。
 気を取り直して、私は秋峰さんを見据えた。
「じゃ……じゃあそういう感情があの人にもある?」
「……それはわかりません。私の視界にはつねにお嬢様しかはいっていませんから。お嬢様はどうなのですか? あのお医者様をどう思っていらっしゃるんですか」
 卑怯な返答をしたあと、秋峰さんはそう反対に訊いてきた。
 秋峰さんが私に訊いてくるなんてめずらしいことだった。そのことに驚きながらも、私は秋峰さんの問いかけに真面目に考えてみる。
 あのお医者さん、秋高修二さんはちょっと情けない人だとは思うけど――
「私は好きかな。悪い人じゃないし優しい人だと思えるから。それにかっこいいしね」
 私が偽りない本心を伝えると、秋峰さん口元が少しだけ緩んだ。
「秋峰さん――いま、笑った」
「……え?」
 本人はとぼけているのか、それとも本当に自覚が無いのか。
 私にとってそんなことはどうでもいい。たしかに私はいま、秋峰さんが微笑みを浮かべる瞬間を目撃したんだから。
 けれどもうその映像はなく、もしかしたら単純な私の錯覚だったのかもしれない。
「いや……なんでもない。それであの先生は今度いつくるの?」
 錯覚だったとしても、私はなにか希望を与えられたような気がした。
 いつか秋峰さんが自然と笑うようになったら、さっきの瞬間を話してあげよう。そのころにはもう、ちっぽけなことになっているでしょうけど。
「来週の火曜日ですが……それがなにか?」
「べつになんでもないって。ただ気になっただけだから」
 彼女が人形から人間になるためにも、あのお医者さんには何度もきてもらわなくっちゃ。そのためなら、私は何度だって仮病を使ってやるんだから。
「お嬢様。お食事はどういたしますか」
 食事の時間だと秋峰さんは告げる。私はそれを――
「いらない。ちょっと身体がだるいから眠るね」
 たったの一言で拒否することができる。
 いつもならしつこく食べろと言ってくる秋峰さんも、私は病気にかかっているという認識があるから簡単に了承してくれる。……まあ仮病なんだけどね。
 そろそろ学校が懐かしく感じてきたけど、最優先はこっちのほう。
 彼女が私の世話をしてくれるんだったら、私も彼女のためになにかしてあげたいんだ。これは彼女の仕事だからとか、そういうのは関係ない。
 豪邸のお嬢様としては常識外な心持ちだとしても……人間として一番に大事なのは、こういう感謝の心を忘れないことだと思うんだ。


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