高得点作品掲載所      龍咲烈哉さん 著作  | トップへ戻る | 


ライダーズ・ハイ

 目の前のモノクロ写真を見て、俺は後悔した。
 写真の顔はとても素敵だった。微笑っている、幸せそうな顔。
 こんなことになるなら、あの時にアイツをちゃんと認めてやるべきだったんだ。しっかり、きっとそうだよって言ってやるべきだったんだ。なのに俺は――俺は。
 涙は出なかった。  
 
 四年前の話だ。
 俺は高校生で、当時つるんでいた同じクラスの馬鹿も高校生だった。当たり前だけど。
「おうい、聞いてくれよ秋葉ァ。秋葉、秋葉ってば」
 休み時間に机に向かってマンガを見ていた俺を、親友の佐藤が呼んでいた。秋葉というのは俺の名前だ。秋葉純也。けっこういい名前だろ? 
 俺はハハハ何だよ佐藤君と笑いかけ、
「アキバぁ」
 とりあえず殴った。 
「カタカナで呼ぶんじゃねえっつってんだろ! 発汗量が増えそうで怖いんだよ! バンダナが欲しくなりそうで動揺すんだよ! 部屋にポスター貼っちゃいそうでおぞましいんだよォォ!」
 なんとなく、だけれど。
「へ、へへへ。このレバーブロウは効いたぜェ」
 机の横に座り込み、何故か恍惚の笑みを浮かべているのが佐藤伸太郎。俺の中学からの親友。筋肉質でありながら運動オンチ、顔は良いが生え際が成仏スタート、メガネで成績は良いがバカであるからモテようがない。男子校だから、というのも理由であろう。
 ちなみに俺はフツー。断じてフツー。年齢と何とか歴が等しいという事実は、この際完全無視。名と体は関係ない。と信じたい。
「こりゃもう酒は飲めねえかな」
「未成年が偉そうに」
「いやまあ、それはおいといてだな」
 佐藤はすっくと立ち上がった。俺の読んでいたマンガを手に取って見ると、つまらなさそうに放り投げる。
「くだらない。くだらないよ、ハッハッハ。キミはこんな読み物ごときで、人生の貴重な時間を無駄に浪費して過ごすつもりかい? 私は残念だよ。外に出たまえ」
 大仰に両手を広げ、「ナンセンスだ!」と叫ぶ佐藤。
 お前はムスカか。
 あ、そういや顔似てる!
「死語を自在に使いこなすのは構わないが、俺の休み時間を邪魔しないでくれ。お前が何か言い出すと、俺は毎回ものすごく嫌な予感がして困るのだが」
 これは事実だった。佐藤は勉強の成績は抜群に良いのだけれど、アタマのネジが一本、いや三一〇本くらいは、いやこれは決してサトウとかけた訳じゃないがぶっ飛んでいて、何かと騒動を起こしたがるのだ。そして下手に頭が良いからやたら手が込んでいて危険極まりない。さらにバカだから後先考えずに行動を起こして迷惑この上ない。そしてさらに本当にハタ迷惑な話だが、佐藤は事件を起こす際には必ず俺に声をかけるのだ。何度断っても佐藤は妙なところで情熱的だから、俺は根気に負け、結局は佐藤とペアでカミナリを落とされる羽目になる。正直、国家権力にお世話になりかけたのも一度や二度じゃない。
 ……何で俺、親友やってんだろ。

 唐突に佐藤が言った。
「お前、プリンに醤油かけて食ったことがあるか?」

 何だいきなり?
「……あいにくと、ウニには不自由してないんでな」
「じゃあ、キュウリにハチミツは?」
「むしろスイカのほうが好きだ」
「ミルクに砂糖と麦茶を」
「混ぜるとコーヒー牛乳に――って、んなマイナーなの誰も知らねえよ」
「いやいやこれがなかなか、ってそうじゃねえ」
 佐藤は俺の隣の席、ていうか机の上にどっかと座った。コイツ、教室の床とはいえ地べたを転げまわった尻で……強者だ。
「こういう伝説って、世の中にけっこうあるだろ。とても信じられないような現象だが、何かと何かを組み合わせると別のものに変化、いや昇華するのだという伝説が」
「大袈裟だけどな。で、何が言いたい」 
「俺は信じたいんだ。火のないところに煙は立たないのだと。それが真実なのだと」
「そういうこともあるかもな。で、何が言いたい」
「先人の残してくれた伝説を、俺はこの身で感じてみたいんだ!」
 人の話を聞けコラ。
「――ここに一つの伝説がある。学校という学校に、特に男子校には必ずといって良いほど伝わっている、一子相伝で受け継がれてきた噂だ」
 日本語がいろいろ間違っている気がするのだが。
「七不思議の類か?」
 違う、と佐藤は俺の意見を一蹴した。
「時速八十キロ程度で走ったとき、肌に受ける風圧が、女の二の腕の感触と同じだという伝説を知っているか?」
「ああ……中学ん時にそんなことを聞いたような聞かないような」
 中学生の頃は「二の腕って何だ?」で躓いたような気がする。
「さらに、だ。よく聞きたまえ。反発係数と体積弾性率が等しく、さらにはいずれも不完全回復遅延型弾性体という事実からみて、女の二の腕と乳房は同じ感触であると結論付けた説があるのだよアキバくん」
「よくそんな論文を出せたな、そのアホな学者は」
 殴りながら冷静に突っ込む。しかも何だそりゃ、そういう難しい言葉が入っているとうっかり信じちまうじゃねえか。脇腹を押さえて呻きながら佐藤がつぶやいた。
「ば、バヌアツ共和国エロマンガ島在住の五二歳、もちろん独身、ご存知ムネサラシ・ダイスキー博士だ」
「ご存知じゃねえ」
 いや待て。コイツは、佐藤は何が言いたい?
 ――まさか。
 佐藤は「気づいたようだな」とでも言いたげに、口の端をにやっと持ち上げた。

「ということは、だ。仮にここに、すっぱだかで高速道路を八十キロで駆け抜けた男がいるとしよう。なんと彼は、その全身にぷにぷにっ、としたふくよかなるおっぱいの」
 問答無用で殴った。

「アホかお前は!」
 佐藤は「め、目があ、目がぁぁぁ」とか叫びながら顔を押さえて床をのたうちまわっている。ちなみに俺が殴ったのは再び脇腹。
「――すると何か? お前はその仮説の説明後に俺の肩をポンと叩き、『一緒に高速道路で風になろうぜ! 全裸で』とか言うつもりだったのか?」
「違う。スクーターを貸して欲しいのだ」
 俺の愛車に変態行為の片棒を担がせるつもりかこの野郎。
「お前は免許を持ってないし、改造無しのスクーターじゃ八十は出ないし、どっちにしろ高速道路は原動機付自転車での走行禁止じゃ! 大体『ぷにぷに』って何カップレベルの感触なんだよ。さらに八十キロって、走る速度が上下したらカップ数はどう変化すんだ。そもそも俺は、C未満のチチに対してその効果音の使用は許可していない! お天道様とナイチチ女子が許しても、この俺が断じて許さん! ちなみに『ぽよぽよ』はE以上の女性限定だボケェ!」
 いつの間にか、両の手のひらを軽く柔らかく開き、目の前の何も無い空間をぷにぷにぽよぽよと漂わせていた俺。おぅジーザス。
 ……ふっ、いかんいかん。俺としたことが、触ったことも無いくせに、リアルなマシュマロを愛でてしまったぜ。
 ようやく立ち上がりかけた佐藤に、俺は手を貸してやる。
「すまん、チチの事になってついついエキサイトしてしまったようだ。許してくれ。しかし、馬鹿なことはやめとけ。別に全裸でハイウェイを疾走したって、得られるものは何も無いぜ、佐藤」
 ストリーキングの称号と前科は手に入るけどな。
「でも、俺は証明したいんだ。風になった偉大な先人たちが、その身に何を感じたのかを」
 佐藤の熱弁は続く。
「本当に風ごときが、女性の神聖な乳房を再現できていたのかを」
 力の入った握りこぶしが、震えていた。
「何より俺は、真実を知りたい!」
「あー……」
 つまり、あれか。
「分かりやすく訳せ」

「おっぱいが……触りたいです」

 佐藤は泣いていた。
 俺は、思わず佐藤を優しく抱きしめた。ここが男子校だということと、周りの視線がやたら突き刺さるのは気にしないことにする。
「あ、秋葉……?」
 佐藤の鼓動が学ランを通して伝わってきた。佐藤の広い額が赤く染まっている。今はこの薄ささえもいとおしい。
「お、俺は」
「何も言うな。分かっているさ。男なら誰もがそう思っているんだ」
 そうさ。ここで俺が止めないで、誰が佐藤を止めるというのだ。
「きっとその伝説も、浮かばれない男たちの生んだ、哀しい都市伝説に過ぎないんだよ」
 ……あ、そういえば教師がしっかり止めてくれますね。生活指導室で。
「秋葉……」
「現実を見ろ、佐藤。ここはどこだ? そうだ男子校だ、見渡す限り野郎しか居ないじゃないか。ならどうする? 卒業しろ、卒業した後にC以上の彼女を作れ」
 佐藤は俺の胸の中で泣きじゃくった。俺ももらい泣きしそうになっていた。
 頑張れ。頑張れ、佐藤。
 チャイムが鳴り、先生が入ってきたが、今の俺たちには関係が無かった。
「いつか彼女が出来たら、思う存分に触れるがいい。揉みしだくがいい。彼女のムネで、ハイウェイの風を感じればいいじゃないか」
 頑張れ。頑張れ、世の中のモテない男どもよ。
 うん、と佐藤は頷いた。
「俺、頑張ってみるよ」
「おう。でもその前に、お互いちゃんと学校卒業しなきゃな」
 ははっ、と心から笑いあう。赤点連発で成績の悪い俺と、事件連発で素行の悪い佐藤。そんなこと、どうでもよかった。ここに笑顔で居られる事。それが嬉しかった。
「ありがとう、アキバ」
 いつの間にか佐藤のキャラが清純派に変わっている事と、最後のセリフのカタカナが気になったが、佐藤が可愛いので気にしないことにする。
 ――今、俺は何を言った? 
 つか男子校でナニやってんだ俺ら。先生も無言で呆れてないで止めろよ。
 いいさ、青春なんてこんなもんだ。そうだろ。
 違う?
 冷静に考えると、違うかもしれないな。 

 
 で、四年後の俺。
 手に持った新聞には、高速道路をスクーターで爆走した一人のバカの写真。写真はとても素敵だった。微笑っている、幸せそうな顔。何かをやり遂げた漢の顔。彼は何故か全裸だったそうな。曰く、「一度うずめてみたかったんだ」。
 ……何に、何をだ。
 かわいそうに、あれからアイツ彼女できなかったのかなどと思い、俺は新聞を閉じた。
 うん。本人も満足しているみたいだし、何とかにつける薬は無いって言うしな。

 大人になった今なら、冷静に考えられる。いや、高校生で考え付かないのも問題なのだ。しかし、頭の良すぎる佐藤には盲点だったのだろう。チチの話題だったことでアツくなってた俺も気づかなかった。はっはっは。いや、そもそも、高校生にもなってあの話題で盛り上がれるってのが問題だったのだ。真性のバカだろという意見は勘弁してくれよ。おっと、人間的にも問題アリとかいう声もな。
 今の佐藤には口が裂けても言えない。そしてこれからも胸の奥だろう。
 自動車で走って窓から手だけ出せばいいじゃん、なんてことは。

 まあ、アレだ。
 今日も平和だなあというお話。


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