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ラムネキッス・グッバイ

「ラムネキッス・グッバイ」

 正午過ぎ、四時限目の授業が始まる前。
 俺がラムネ瓶を手に保健室に入ると、常葉さんは机につっぷし寝てた。
 常盤常葉(ときわときは)二十四歳。背は低いし、童顔に三つ編みと眼鏡のせいで子供っぽく見えるが、一応我が中学校の保険医である。一応。
 開けっ放しの窓から秋風がそよぎ、カーテンレースがユラユラとたゆたう。
「う…んん」
 心地いい風を受け気持ち良さそうに寝息をかいている常葉さん。
 机の上には男性と二人で写ったフォトスタンドが飾られている。
 この男性聞いた話では常葉さんの婚約者らしい。
 婚約者と言っても距離が離れている上に、随分と連絡も全くなくふられたも当然なのだとか。
 それでも写真を飾るのは……未練、だろうか。
 保険室内はいつも常葉さんの私物で散らかってるが今日は珍しく片付けられていた。
「常葉さん」
 俺は人差し指でチョンチョンと肩を叩く。
「常葉さん?」
「んん……」
 眠たそうに眼をこすり常葉さんが起き上がる。
「おはようございます」
 俺はそう言うとラムネを差し出す。
「眠気覚ましです。飲みます?」
「うむ」
 常葉さんは受け取ると、細い指で栓を開けラムネを飲みだす。
「半分飲むかね?」
「いや、俺、炭酸飲めないんで」
「お子チャマだな、君は」
 常葉さんはラムネを一口飲んでデスクに置き、俺の身体にギュッと抱きついた。
「ちょっ……常葉さん?」
「目覚めの充電なのだよ。ジッとしていたまえなさい」
 寝ぼけてるのか日本語がおかしい。
 常葉さんの体は柔らかくて、なんか、こう、ふにっとしてて……。
「ふーむ」
 常葉さんが俺を抱きしめたまま呟いた。
「君、どこか悪いところはないかね?」
「いや、特に」
「ああ、頭であったな。子供の癖に大人ぶる病、通称、思春期背伸び病だ」
「おい、こら」
 この人が俺を子供扱いするのはいつものことで、それは悔しいが仕方のないことだったりする。
 フフッと常葉さんが笑う。
「さて、次の授業は?」
 何を言わんとしてるか分かった。
「あるけどさぼります。思春期背伸び病ですから」
「ではじっくり手当てしてあげよう」
 常葉さんが俺の首筋にかぷりと噛み付く。
 柔らかな舌先が俺の首筋を愛撫する。
「君は悪い生徒だね」
「貴方も悪い先生ですね」
「お、今日は随分生意気だな、坊や」
「ガキ扱いしないでください」
 俺は多分、代わりだと思う。
 随分前に、実は常葉さんに告白してふられている。
 その理由は『似てるから』ということだった。
 だから、恋人でもなくこういうこと続けるのは婚約者へのあてつけではないだろうかと思う。
 それでもこうしてる間だけは俺と常葉さんは対等な存在だ。
 多分、それは勝手な思い込みだろうけど。
 俺たちはゆっくりと唇を重ねた。
 その触れた唇が少しピリッする。
 ……キスはラムネの味だった。
 ……。
 …。
 繋がってる時間なんてあっという間だった……。
 窓から吹く秋風が少し肌寒い。
 一枚のシーツに身を寄せ合い、ベッドサイドでぼんやりと座ってた。
「……明日からはもうここに来なくていい」
 常葉さんはラムネ瓶を眺めながらそう言った。
「え?」
「私は今日で、ここを辞めるから」
 ……。
「そう、ですか」
 それだけは言えた。
 聞いていないと言いたかったが、そう言うのが精一杯だった。
「ちょっと前に婚約者の実家から電話があってな。一緒に暮らさないかと……」
「ふられたんじゃなかったんですか?」
「……死んでた」
 常葉さんはフフといつものように笑う。今にも泣きそうな顔で。
「元々身よりもないし、向こうの家族と暮らすのもいいと思ってな」
「俺じゃダメですか」
 ……なんて言えなかった。
 子供っぽい我侭で常葉さんをこれ以上苦しめたくない。
 ずっと待って、苦しんで、傷ついてきたはずだから……。
 分かってる、分かってるんだ。
 なのに目頭の辺りが熱くなる。
 言いたかった言葉も、気持ちも、この胸の痛みも……全て飲み込んだ。
「常葉さん、俺、今……」
「ん?」
「少し、大人になりました」
 常葉さんはシーツに顔をうずめた俺の頭をなでる。
 痛みも、思いも、言葉も、飲み込んだのに。
 なんでだろう。
 なんでこんなに。
 思春期背伸び病のせいだろうか、ただラムネの味が残る唇が切なかったのだった。


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