高得点作品掲載所      柊 木冬さん 著作  | トップへ戻る | 

砂漠の星のオプティミスト

 ぶわんぶわん、ぶわんぶわんと、音が響く。
「ねえちょっとオーガスト、もっとスピード出ないの?」
「無茶言うなメリウェザー、これが限界だ! これ以上出したらエンジンが火を噴きかねん!」
 赤く広大な砂の大地を、砂上クラフトが疾駆していた。
 通称『ホバー』と呼ばれる型。旧時代の二輪車めいた形をした、随分と古いモデルである。
 超速に舞い上がる砂と熱気を呑み込んで、ホバーを操舵する男が喚いた。
「火を噴くの? それは派手だね、なかなかいい。少なくとも、ガリッと齧られて死ぬよりはいい散り様だなあ」
「派手って何だ派手って、花火じゃないんだぞ!? 大体落ち着き払ってる場合なのかこれが!?」 
 重力制御装置が砂をかき分け、ホバーの通った後に浅い轍(ワダチ)を作る。限界を超える速度から来る揺れが、轍の形を時折歪ませる。
 男の背にしがみついた少年が『それは、』と口を開きかけたが、その瞬間ひどい振動が襲い、言葉はひとたび中断されてしまう。
 その間もぶわんぶわんと、音は変わらず響き続けている。
「……確かに食べられるのは嫌だって言ったけど、こういうスリル自体は嫌いじゃないんだよ。だって楽しいじゃないか?」
「あああああっ、お前に地球人的感性を要求した俺が馬鹿だったよっ!」
 操舵の手を休めぬまま男は激しく首を振った。
 ――ぶわんぶわん。ぶわんぶわん。
「オーガスト、オーガスト。そんなことするとバランス崩すよ」
「もう充分崩れかけてる。いいから黙れメリウェザーお前は黙れ、口を閉じてろ俺の集中を乱すな砂漠の神とやらにでも自分の身の安全を祈ってろ!
 何十回と修羅場はくぐってきたがな、今度こそ冗談抜きで死ねるかもしれんのだぞ! 分かってるのか!?」
 ――ぶわんぶわん。ぶわんぶわん。ぶわんぶわんぶわんぶわん。
 男は叫びホバーのラダ(舵)を左に切った。
 『ひゃっ!?』と少年が叫ぶ。五十度近く舟体を傾けてホバーは急カーブする。
 ぶわんぶわん。ぶわんぶわん。ぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわん。
「ひ、ひはひゃんだ、ひはぁ」
「舌ぁ!? 知るか、自分の舌ぐらい自分で責任持て!」
 男はラダのスロットルを握り込む。カーブで不可避的に落ちたスピードに克を入れる。
 ぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわん……
「くそ」
 男は舌打ちした。
 眼球だけを動かす。
 追いすがってくるもの。ホバーが燃え上がりかねないほどの高速を出してまで、逃げ切らなければならないもの。耳に迫りくる羽音の主。
「あんたの気持ちは分からんでもない。あんたは分かるわけないと言うかもしれんがな。
 ――だがそれとこれとは別問題だ。
 俺も、そしてメリウェザーも。あんたに食われてやる訳にはいかないんだ」
 それは男の乗るホバーの倍ほどもある、巨大な蝿だった。



 なぜ彼らがこんな目に遭っているのか。
 ――それには、42分と54秒前にまで時をさかのぼらなければならない。




『親はいないみたいだよ』
 巣穴の中。
 そうとしか言いようがない。赤い砂を深く掘り、そして恐らくは何かの化学物質で固めて作られた巣穴だった。もっともその規模は単なる『巣』の域を越えている。一個中隊が数日野営するのに充分なほどの広さがあった。
 そこから響いた声に男は頷いた。
 黒い髪の成人男性だ。中肉中背、一見するとごく普通の人間。しかしその肌をよく見ると、ラバーのような特殊な繊維のような、どう見ても生身ではない素材で出来ている。
『女王は不在か。今がチャンスだな』
『というより、今しかチャンスはないね。入っていいよオーガスト。ボクも擬態を解くから』
 男は巨大な巣穴へと踏み込む。
 深さのわりに中は明るかった。今が≪朝≫、一日のうちでもとりわけ陽光の強い時期だからこそだろう。
『メリウェザー?』
 男は呼んだ。
 巣穴は無人だ、どう見ても。先ほど男を呼んだはずの声の主は、十秒にも満たぬ時間のうちに一体どこに消えたというのか。
『どこにいる?』
『ここだよ、ここ』
 誰もいない穴の中に声が響いた。
 聴覚で位置に適当に見当をつけ、男は声のした方に顔を向ける。
 巣穴の赤い壁がぐにゃりと歪んだ。
『ふう。……やっぱり擬態は疲れるよ。特に無機物に擬態するのは』
 壁と同じ乾いた紅色の、ただし材質はジェル状の物体が、壁から分離して撓(たわ)むように震えた。
 赤いジェルは更にぐにゃぐにゃと、わななきと形状の変化を繰り返す。そのうちそれは人の姿を象りはじめた。
 ジェル体は赤錆色の髪に、鋳造したばかりの銅の色をした肌に、砂薔薇を思わせる燃えるような真紅の瞳に、ゆっくりと時間をかけて変じる。やがて十代半ばかあるいは後半、その程度の年頃の少年へと変化を終えた。
『幼生は?』
『いるよ』
 巣穴の壁であり、そしてジェル状の物体だった少年――メリウェザーは頷き、そして指差した。
 その蛆虫は巣穴の中央、熱を帯びた赤い砂の上で、ぶよぶよと白い体を窮屈そうに波打たせていた。
 自分の親指ほどの大きさのその蟲を、少年は楽しげに眺める。蛆はその視線を恥じたように、またうねうねと激しく身をくねらせた。
『思っていたよりずっと可愛らしい生き物だよねぇ』
 少年は蛆虫をつまみ上げ、手で弄ぶ。
『……本気で言っているのか? メリウェザー。ただの蛆虫じゃないか』
 黒髪の男の肌はのっぺりと無機質であり、どう見ても普通の人間のそれとは異なる。機械人形かマリオネットの類と、勘違いする者もいるかもしれない。だが『蛆虫』と口にしたときの彼の顔には、どんな精巧なプログラムでも再現しようのない、純度の高い不快感がにじんでいた。
『もちろん本気さ。ついでに言うならこの上もなく正気でもある。ボクの精神はまともだよ、オーガスト』
 少年――メリウェザーはオーガストの言葉に笑みを浮かべる。その長衣の懐から小瓶を取り出した。
 砂を手ですくい、さらさらと注ぐ。その中に蛆を入れる。
『だってそうじゃないか? 可愛らしい、とても可愛らしいと思うよ。キミの美的感覚には適合しないかもしれないけどね。
 少なくとも、第一級危険指定生物の幼生にはとても見えない。親指の一本であっさりと潰されてしまう、脆くて弱々しい孤独な生き物だ』
 メリウェザーはオーガストを見、薄い唇を歪めてくすりと声を立てる。
『キミたち地球人にちょっと似てるよ』
『……それは心の底から否定したい台詞だな』
『実際そうだと思わないかい、オーガスト? 種としての本格的な銀河系進出からまだ四十年と経ってないのに、地球人ときたらその間に述べ十三個もの星の資源を食いつぶしてしまった。そのくせ生物単体としてはひどく脆弱で、爪も牙も天敵から身を守るための擬態能力も持っていないんだからねえ』
 オーガストは巣穴の出口へと歩き出す。
『無駄口を叩くな。いつ≪女王≫が戻ってくるか分からん。
 それでなくても日没までに戻って来いとのボスのお達しだ。今度命令に違反したら、腹を裂いて内臓をヤミに売り飛ばすと怒鳴りつけられたぞ』
『大丈夫大丈夫、まだ≪朝≫だよ、夜までたっぷりと時間がある』
 メリウェザーは肩をすくめる。
 この砂漠の惑星ウェズンには合計三つの恒星(太陽)があり、それら三つが全て沈んで初めて≪夜≫となる。空の太陽が二つなら≪昼間≫。一つだけ残っている状態が≪夕方≫というわけだ。
 ≪朝≫――つまりは太陽が三つとも出ている間、ウェズンの住民は基本的にシェルターの外に出られない。三つの太陽により灼熱空間と化した『朝』のウェズンで活動できるのは、この惑星の環境に耐えうる生存能力を持つごく一部の動植物のみ。
 ことに知的生物に至っては、そこまで強靭な種はほとんど存在しない。
 代表的なものとしてはオプティミストというこの惑星固有の種族。また、種ではないが皮膚を防護用特殊繊維に移植したオーガストのような者。他にもいることはいるのだが、宇宙規模で見てもごく少数だ。
 この巣穴から一歩外に踏み出せば、地獄のような熱を孕んだ赤い砂漠。ほんの一握りの適者しか生き延びることのできぬ世界が広がっているのだ。この星の≪朝≫の日差しは、脆弱な生物なら数十秒でウェルダンに焼き上げてしまえる。
 メリウェザーは小瓶を軽く上下に振った。
『せっかく予定よりずいぶん早く≪王子様≫を手に入れることが出来たんだ。ちょっとぐらい浮かれたっていいじゃないか。まったく本当にせっかちで参ってしまうな。
 ああ、もしかして喉が渇いて苛々しているのかい? それともひょっとしてお腹が空いた? 水ならあるよ。それからおやつも』
『いちいち子供扱いするんじゃない、俺はもう二十七だ。……王子様?』
 メリウェザーの手にした小瓶の中で動いているのは、ディザーテッド・フライと呼ばれる知的生命体の幼体である。
 姿は巨大な蝿に似ているが、蝿とは異なり地球人の成人なみの発達した理性、そして感性を持つ。一匹の王あるいは女王を核に群れを形成し、船も何も使わず星と星の間をその透明な羽だけで移動する。高度な社会性を持つこの生物が、単独行動を行うのは産卵のときだけだ。
 特筆すべきはその旺盛すぎる食欲である。同族以外の動く全てのものは、ディザーテッド・フライにとっては『餌』でしかない。生物であろうと特殊合金でできたホバーであろうと、たやすく粉々に噛み砕いて消化してしまう。地球人が十三個の惑星を食い潰したとメリウェザーは言ったが、それの十倍近い数の惑星が住民ごと彼らに食い尽くされている。
 高い知性を持ってはいるものの、この事実と、種族間調和に一切興味を持とうとしないその異端性から、銀河政府から第一級の危険生物指定を受けていた。
 それはつまり、『見つけ次第とにかく殺せ』ということだ。
 オーガストとメリウェザーは、その危険生物の幼生を奪いにきたところだった。
『これは雄だよ、オーガスト』
 と、メリウェザー。
『それもこのまま成長すれば王になる雄だ。ディザーテッド・フライの女王の直系の息子。
 これは彼らについて残っている数少ない研究データらしいんだけどね。彼らの女王は後継者がある程度育つまで、完全に一対一、つきっきりで王を世話するんだそうだよ。生きるための糧を与え、教育を与え、種族を統べるにふさわしい存在とするためにね』
 美しい宝石でも見るような目で、囁く。
『女王の息子にしていずれは玉座にのぼる存在。つまりは王子様っていうわけさ』
 蛆虫。何を食って生きているかも定かでない、丸々と肥え太った醜怪な、それでいてひどく無力な蟲。
 これが育てば、何千もの同種の群れを率い、星から星へと渡り飛び滅びと恐怖を撒いてまわる、怪物じみた危険な生物と化す。
 誰が信じられようか。
『分かるものなのか? 性別なんて。ボスに見せられた資料では雄も雌も、幼生のあいだは見かけ上目立った違いはなかったが』
『今更驚くようなことじゃないでしょう? ボクはオプティミストだよ』
 メリウェザーは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
 『つきあってられん』とオーガストはぼやき、しかしふと何かに気付いたように、
『おいメリウェザー』
『何だい?』
『ディザーテッド・フライは知的生命体だと言っていたな』
『そうだよ、それが?』
『つまり……こいつには知性があるのか?』
『地球人でいうところの三歳児か四歳児程度のものでも知性と言って良いのなら、あると思うよ。今の時点ではね』
『感情も?』
『まあ、あるんだろうねえ』
『愛情は?』
『それも、あるんじゃないかな?』
 あっさりとメリウェザーは答える。
『研究対象としてのサンプル数が絶対的に少ないから、実際のところはまだ全然分かっていないもいい所らしいけれど。無理もないか、調べようとした宇宙生物学者はほとんどみんな食べられちゃってるんだもの。一口一口ガリガリガリリ……』
 地球産のわらべうたのワンフレーズ。そしてふと声の調子を戻し、
『――どうしたんだい、オーガスト?』
 ふいにそう尋ねた。
『知性とか感情とか愛情とか。そんなものがあるからどうだっていうのさ。大体そんなのは今更聞くようなことじゃあないよ。
 この可愛らしい王子様をボスのところまでエスコートする。それがボクらの今回のお仕事だ。ただそれだけ、だよ。何の感情も差し挟む必要のないシンプルな内容でしょう?
 たとえ気に入らない内容でも、仕方がないよ生きるためなんだから。干上がって死ぬのは誰だって嫌なものだよね』
『……分かっている。ただ聞いてみただけだ』
『ふうん。ならいいんだけど。てっきりボクはキミが、地球人によくある苦悩とかいう病にでも悩まされているのかと思ってしまった』
 メリウェザーはくっくっと笑った。
『地球人にはお前らオプティミストと違って、哲学的なことを考えるだけの脳みそがあるんでな。ついこうしたことに思いを馳せてしまうんだよ』
『おやおや、ようやっと復讐に出てきたね? どちらかというなら、生まれついての楽天家と呼んでもらいたいな』
 ディザーテッド・フライが『危険な知的生命体』の代表格であるとするなら、オプティミストは『未知の知的生命体』の代表格とでもいうべき種族だった。
 驚異的な身体能力。この惑星ウェズンに元々存在するものなら生物・非生物を問わず≪擬態≫できる特殊能力。また刹那的・楽天的思考も特筆的だが、何より個体個体の差異・識別が非常にあいまいなのだ。個体を識別するという意味の≪名前≫という概念すら持たない。
 男ならサンデー、女ならポリアーナ、中性ならメリウェザー。彼らを区別するのはこの三種類の性別を表す≪記号≫だけだ。
 会話・筆記などの意思疎通なしに知識や記憶を個体間で共有することもできる。地球産オカルト用語でいう≪アーカーシャ年代記≫に似たものを、種族単位で保有しているのだとも言われる。
 オーガストの目から見ても、メリウェザーが妙に豊富な知識を蓄えているのは事実だった。それもどう考えても行ったことのないはずの場所や、見たこともないはずの生物についてまで。オーガストの故郷である地球についてすら、彼本人よりよほどよく知っていたりするのだ。
『ま、ボクのことなんてこの際どうでもいいよ。
 それよりむしろキミの抱える哲学的苦悩に興味があるなあ』
 うふ、とメリウェザーは声を立て、オーガストの短衣の袖を引いた。
『王子様に……何て言うんだっけこの場合。そう、同情。同情でもしているの、オーガスト? 面白いねぇ地球人って生き物は。
 心配しなくてもこの王子様は殺されることは多分ないと思うよ』
『…………』
『ボスが考えてるのは兵器としての利用だっていうからねえ。せいぜいが育てる過程でどうにかして自我を奪うか、薬漬けにして服従させる程度だろうさ』
 『安心しなよ』とメリウェザーは笑う。Meriwether、底なしの陽気者を意味するその記号の通り、一片の曇りもない晴れやかな笑みを浮かべてみせる。
『違う、そうじゃない。俺が言ってるのは親のことだよ。この蛆虫を産んだ女王のことだ』
『親?』
 丸い目をくりっと動かしてメリウェザーは聞く。
『――どうしてここで親なんてものが出てくるのさ?』
 それは明らかに心からの問いだ。
 言っている意味が分からない、理解できない、だから説明しろと言っている。
 メリウェザーの手を払いのけ、オーガストはまた歩き出した。
『オーガスト?』
 巣穴の外にはホバーが止めてある。その座席に金属のような体を持つ、鳥に似た生物が一羽止まっていた。
 オーガストが近づくと、鳥というよりはコウモリに近い羽ばたき方で赤い空へと飛び立っていく。飛び上がる間際オーガストの目に入ったその頭には、眼球が横並びに五つ付いていた。
 ≪スラップスティック・バード≫というこの惑星固有の生物だ。
『ねえオーガスト休むのかい? ねえオーガスト、質問に答えてよ。ねえねえねえ』
 払われた手を名残惜しそうに、握ったり開いたりをくりかえしながら、メリウェザー。
『うるさい』
 オーガストは端的に答える。
 保冷タンクから水筒を取り出し、中身をすすった。




 オーガストが初めてこの相棒に出会ったとき相棒はまだ少年だった。
 いつから少年の姿だったのかは分からないし、あれから二十数年経った今でも彼は少年の姿だ。少なくとも外見上はまったく年を取っていない。
 二十年前はオーガストの頭が彼の肩の線の位置にあったのに、今では彼の頭のほうがオーガストの肩にようやく届く程度である。
 ホバーのラダを握りながら、ふとオーガストはそんなことを思う。
『ねえ、オーガスト。本当になんだか機嫌が悪そうだよ。一体全体今日はどうしたっていうんだい?』
 やや緩い速度で走り出したホバーの上、後部座席から彼が言った。
 孤児であったオーガストを拾い、そして自活できる年齢になるまで最低限の世話と教育を彼に与えた義理の父親。中性のオプティミストにして砂漠の雇われ何でも屋。
 それが、メリウェザー。
『……なんでもない。お前がいちいち気にするようなことじゃない』
『ボクも別に、気にしているって程ではないんだけどね』
 もっとも十年ばかり前に、オーガストの自立を機に事実上の擬似父子関係は解消されている。
 今のメリウェザーとオーガストは、≪ボス≫と呼ばれる共通の上司を持つ同僚。たまにパートナーとして組まされ仕事をするだけの関係である。
『隣にいる相棒にあまりピリピリカリカリされているとね、やりにくいんだよ、≪メリウェザー≫としてはさ。キミはもっと明るくハッピーに人生を送れないものかなあ?』
 リア・シートにベルトで体をくくりつけたメリウェザーは、先ほどオーガストが出した水筒の水をすすっている。
 オーガストはかつて彼を≪お父さん≫と呼んでいた。自分が成長し外見年齢の差が縮まるにつれ呼び方はいつしか≪親父≫に変わり、そして完全に一人立ちしてからは単にメリウェザーと呼び捨てるようになった――個体名ですらない、ただ性別を示すだけの記号で。
『俺の生き方に関して、お前が口出しする筋合いは砂粒ほどもないだろう』
 水を飲むメリウェザーにそれだけ返す。
『まあ、そうだけど。……あ、この水体によさそうだね。微妙に混ざったミネラルと塩分が』
 けろりと彼は話題を変えた。
 今の二人を見て親子、しかもメリウェザーの方が親だと思う者は皆無だろう。実際、二人が一時父と子の関係であった事実はほとんど≪なかったこと≫になっている。
 そう、メリウェザーはもうオーガストの父親ではない。
 なのにどうしてこんなにも心が波立つのか。
『メリウェザー』
『何?』
『お前……本当に何とも思わないのか?』
『何ともって、だから何をだい、オーガスト。質問するときは主語を明確にしてもらわないと』
 灼熱の砂漠で水筒をむき出しのまま置いておくと、中の水が沸騰してしまう。オプティミストといえどこの熱気に支配された世界で、煮えたぎった湯などわざわざ口にしたいとは思わないのだろう。そろそろ熱くなってきた水筒を、メリウェザーはそそくさと保冷タンクに戻した。
『だからその……親のことだよ』
『ディザーテッド・フライの女王? ああ、確かにせっかく産んだ王子様を奪ってしまったのは悪いことをしたよね』
 タンクの蓋を閉めながら、
『王を産むためには、単なる兵バエを産むのとは桁違いのカロリーを必要とするらしいよ。気の遠くなるような時間をかけてまた一から蓄えなおしということさ。自分でやっておいて何だけど、さすがのボクも≪同情≫を禁じえないね』
『だから、そうではなくて』
 親から引き離された子。子を奪われた親。十年も昔の話とはいえ、一度は親だったことのある者として、今回の仕事に一片の疑問も覚えないのか。
 そうオーガストは問いたいのだ。
 少なくともオーガストは揺らいでいる。かつて≪子供≫の立場にいた者として。
『んー。よく分からないや。ごめんねえ』
 メリウェザーは首を横に振った。
『キミが何を聞きたいのかがそもそも掴めない。同種なら意識野にアクセスすれば読み取れるんだけど、地球人って本当に不便な生物だね』
 オーガストは息をつく。
 そうだ。メリウェザーはオプティミストなのだ。
 肉体の構造が違う。思考のシステムが違う。その結果生じる感性も違う。何もかもが自分とは異なる。自分とメリウェザーの間には深い溝がある。
 恐らくそれは、自分とディザーテッド・フライの間にあるものと、大して違わないレベルの深さを持つ溝だ。
『……悪い。意味のないことを聞いた』
 父としてオーガストを愛していたことが確かにかつてはあったのだとしても、それが今の彼にとって、意味のある記憶として残っているとは限らない。
 オプティミストは刹那的な生き方で知られる種だ。今日は今日できることだけ考える。明日できることは明日考える。そして昨日のことはもう昨日が終わった時点でお終いで、省みることは滅多にしない。
 それに、そもそも……オーガストがメリウェザーにかつて向けていた愛情が、子が親に対して抱くものだったからといって、メリウェザーにも同じことが言えるとは限らなかった。もしかしたらそれは、たとえて言うなら、躾の行き届いた犬に飼い主が注ぐようなものだったのかもしれない。そもそもオーガストを拾ったのだって、『地球人』という惑星ウェズンにおいては珍しい生き物に、単純な興味を抱いただけという可能性は捨て切れなかった。
 ――オーガスト、おいで。おやつのミートパイが焼けたよ。
 ――オーガスト、髪が伸びたね。椅子と鋏を持っておいで、綺麗に切ってあげる。
 ――オーガスト、ガールフレンドはいないのかい? 誰かいい子を見つけたら、ボクにもぜひ紹介して欲しいなあ……
 記憶の中の父としてのメリウェザーは、全てオーガストの脳内で都合よく変換された、単なる幻想だったのかもしれないのだ。
 オーガストはメリウェザーを、所詮根本的なところでは理解できない。
『オーガスト』
 ふと、メリウェザーが言った。
『お腹が空いたな。おやつ、先に食べていてもいいかい?』
『ああ』
 オーガストは頷いた。
『好きにしろメリウェザー』
 ――と。
 メリウェザーが顔をしかめた。




『オーガスト……何か、ブンブン音がする』
『ブンブン?』
 オプティミストの五感の鋭さは、地球人のそれとは比べ物にならない。メリウェザーが顔を向けた方向を見ても、オーガストには当然何も見えず何も聞こえてこなかった。
『ブンブンって、お前。それってまるで』
 絶句するオーガストに構わず、嗅覚を研ぎ澄ませるメリウェザー。5.2秒ほどそうしていたろうか、ようやく顔を上げる。
 そしてオーガストの顔を真っ直ぐに見返す。
『ねえ。地球の歌で確かこんなのがあったよね』
『はあ?』
『確か、チェコとかいう所の民謡に日本語で歌詞をつけたやつだよ。うーん』
 首をかしげるメリウェザー。
 きっちり3.84秒思考したあと、ぽんと手を叩いた。
『ああ! ブンブンブン、ハエが飛ぶ♪ ってやつだ!』
『よく分からんがそれは……多分違うんじゃないか?』
 オーガストは顔をひきつらせる。
『親バエ……女王だな?』
『うん、そろそろ見えてきた。今はあの辺を飛んでいる。なかなか速いよ』
 首肯するメリウェザー。
『まさか取り返しに来るとはね。ディザーテッド・フライに自分の子供の位置を知る能力があるだなんて記録は、確かないはずなんだけど――』
『記録しようとした学者がみんな食われてしまったんだろうよ』
 赤い空の一点を指で差し、メリウェザーは肘でオーガストを突いた。
『速度上げてオーガスト。ボクは食べられたくないよ』
『奇遇だな俺もだ。久しぶりに意見が一致したな』
 頷き合う暇すらない。ホバーのラダのスロットルをオーガストは握り込む。
 ぐぉん、とエンジン、そして重力制御装置が低く唸り、カデンツァのようにその音を高めていく。
 全速力でホバーは砂上を疾駆しはじめた。
『ここから一番近いシェルターなら≪オストラシズム≫だが?!』
『あそこは駄目、防衛機能が弱いから。行くなら≪イコノクラスム≫だ、一匹だけならあそこでも対応できる』
 振動こそない。が、吹き付ける熱風と砂の粒が呼吸困難を誘う。
『オーガスト、もっとスピード出せない?』
『無茶言うなこれが限界だ! 改造した分市販のより速度が落ちてる』
 それでも、惑星ウェズン上に生息するどの生物よりも速く走れるはずなのだが。単に女王蝿の飛来速度が速すぎるのだ。
 エンジン音に混じり、羽音がようやくオーガストの耳にも届き始めた。メリウェザーはブンブンと形容したが、ぶわんぶわんとでもいうほうが近い音だ。鼓膜を振動させる、というよりは共鳴するタイプの音。
 ぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわん。
 ぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわん。
 確実に大きくなる羽音。
 振り返りたい。
 振り返れない。
『追いついて来るよ――』
 メリウェザーが低く言った。
 ぶわぁん。
 風が唸る。ホバーが振動するほどの突風。
 関節が軋むほどにスロットルを握り締めたオーガストの、視界の端に恐ろしく大きなものが目に入った。
 蝿。
 それもとてつもなく、巨大な。
 ふた抱えはあろうかという胴体。巨大なブラシのような触覚。何より無数の赤い複眼に、オーガストは腹の底から戦慄した。幼い頃メリウェザーが語ってくれた、オプティミストの神話に出て来る砂漠の悪魔を思わせた。
 驚愕とそして一抹の恐怖は、操舵手の反応を一瞬、遅らせた。
『オーガスト! 右!』
 メリウェザーの叫びにようやく我に返る。
 ラダを右に切ったのと、女王蝿が宙を舞い、方向転換して襲い掛かってきたのが同時だった。
『うわあっ!?』
 どうにか避ける。体当たりの被害はどうにか免れ、ぶわあぁんという強烈な羽音だけが耳元をかすめていく。崩れかける船体のバランスを慌ててオーガストは立て直した。
『止まったら最後食べられるよ』
 メリウェザー。
『頭からね。一口一口ガリガリガリリ――』
 女王蝿は弧を描くように飛び一旦退く。隙あらば再び突進しようとつけ狙う。
『クソッたれが』
 ぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわん。
 響き続ける羽の音をBGMに、オーガストは奥歯を軋ませた。



 ――42分と54秒前からの、それが一連の出来事。



「メリウェザー! ところで俺は思うんだが!」
「何?」
「お前の持ってる、その≪王子様≫をな、」
 口を開きかけたところでまた体当たりが来た。
「ぬぉっ!?」
 ぶわああぁぁあん。
 またラダを切る。バランサーの調整などする暇もなく、ただ勢いに任せて上半身の重心を左に落とす。ホバーは操舵手の動きに合わせ、悲鳴に近い軋みを立て左に曲がる。
 避けきった、と思った。少なくともオーガストはとっさにそう思った。しかしそれが事実誤認であることを、0.3秒もしないうちに知覚することになった。
 羽だ。女王の羽がホバーの脇の保冷タンクをかすめた。
 どのような遺伝子組成により構成されているのか――振動する薄い羽は驚異の鋭利さでタンクを破壊する。
 さっきメリウェザーがしまった水筒が、真っ二つに分断されきらめきながら砂の大地へと落ちていく。巨大な羽の作り出す風圧に、それだけでもホバーは均衡を失いかけ激しく揺れる。
 エンジンは無事だった。重力制御装置も、燃料タンクも。走行継続に支障はない。
 だがラダを切る角度がもう数度浅ければ、メリウェザーの胴体が吹っ飛んでいた。
「…………っ」
 羽だけで、この威力。
 オーガストは息を呑んだ。
「メリウェザー! お前! その≪王子様≫を返せ!」
「え?」
 怒鳴る元・息子にメリウェザーはきょとんと返した。
 皮一枚で死ぬところだったというのに、少しも怯えていない。
 何にしてもオーガストは頭痛を覚えた。
「返すんだよあの≪女王≫に! 今からでも返して土下座でもして謝れば許してくれるんじゃないか!?」
「土下座なんて地球の局地的な謝意の表現、彼女は理解してはくれないと思うな」
 メリウェザーはしれっと答える。オーガストからは見えないが、手にした小瓶を抱え込むように胸に抱く。
「そうだね試しにやってみてもいいかもね。でも無理だと思うよ? ディザーテッド・フライは基本的に他生物と交流はしない。たとえ相手が知的生命体であっても。
 彼女たちにとって自分たち以外の動くものは皆、餌だ。たとえ返したってこの状況なら、最後に食べられてしまうのは変わらないと思う」
 淡々とした説明。
「投げ捨てて数秒の時間を稼ぐって手もあるけど、この王子様は、少なくとも今のところはとても脆弱な生物だ。全速力で走るホバーの上から放ったりしたら、100パーセント死んでしまうだろうね。
 せっかく膨大なカロリーを消費して産んだ王子様だ。殺されたら多分女王様は許してくれないよ。時間稼ぎ程度のメリットとの引き換えじゃいい案とはいえない。
 ……また来たよ、今度は後ろに退いて」
「! くっ」
 歯軋りしつつラダを手前に、回転させるように大きく捻る。
 ホバーが後退した瞬間、女王が上から急降下してきた。
 大きさが大きさだ。空から巨岩が降ってくるようなものである。これも間一髪で避けるものの、かかり続ける絶大な負荷にエンジンが泣きわめき始めている。
「うーん、やっぱり老朽化してる。生き延びられたら買い換えたほうが良さそうだね」
「うるさい! ……『基本的に』だって?」
 オーガストは問い返した。
 オプティミストは、未来や過去については考えないが、その代わり現在については深く思索する。考えなしに言葉を使うことは滅多にない。
 メリウェザーが『基本的に』と口にしたということは、どこかに必ず『応用』があるということだ。
「何かコミュニケーションを取る方法があるなら言え!」
「えー。でも王子様を返しちゃったら、ボクらは給料がもらえないじゃないか。ボスに腎臓を片方売り飛ばされるよ?」
「給料と自分の命とどっちが大事だ!」
「うーん……どっちかなあ」
「いちいち悩むなこのくそオプティミスト! いいから言えばいいんだ……よっ!」
 ラダを今度は左に切り、女王の追撃を回避する。
 相変わらず羽音がうるさい。ぶわぁんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわんぶわぁん――
 耳を手で塞ぎながらメリウェザーは言った。
「触角だよ」
「触、角!?」
 右、左と連続でラダを切り、ジグザグ走行でまた避ける。
 コツは少しずつ掴めてきた。女王バエの動きにはパターンがある。しかし一方でオーガストの目は疲労し、長時間張り詰めた状態でいることで集中力も少しずつ擦り切れ始めている。
「ディザーテッド・フライは言語を持たないんだ。触角で相手に触れてその思考を読み取り、更に相手に読み取らせてそれを会話に替える。これは異種族との間でも可能みたいだ。非常に稀なケースだけど、七年と八ヶ月前に宇宙生物学者が一人、そういう形で彼らの王とコンタクトを取っている」
「本当か!?」
「うん。でもその人は食べられちゃったけど」
 学者の助手が、離れた所で通信機を使って得た情報が記録されたのだという。
「だからもしコミュニケーションが取れたとしても、それが必ずしも活路になるとは限らない。ボクは≪オプティミスト≫で≪メリウェザー≫だけど、そのボクでも無条件に希望を抱こうとはちょっと思えないくらいの大博打だよこれは。
 こちらが『ごめんなさい』って伝えたとしても、向こうの答えが『いただきます』だったりしたら結局どうにもならないんだからね」
 メリウェザーの抱いた瓶の中でうねうねと白い蛆はくねる。自分の母親を乞い求めるように。
 それに応えるように女王はまた突進してきた。
 避けるための、もう何度目かも定かでないラダの切り回し。
「それでも、やってみる?」
 淡々とメリウェザーは言う。
「それだけの価値があると思う?」
 からからに渇いた口の中。なけなしの唾液を寄せ集め、オーガストはごくりと呑み込んだ。
「……やってみるさ」
 その答えにメリウェザーは笑う。くっくっと澄んだ声を響かせる。
「ギャンブラーだねえ、なかなかに」
「誰かさんの影響を受けすぎたんだよ」
 嫌味たっぷりにオーガストは言い、スロットルを更に強く握り込んだ。

 ≪父さん≫でもなく≪親父≫でもなく、メリウェザーを≪メリウェザー≫と呼ぶということ。
 それはオーガスト自身が決めたことである。
 そう。防護皮膚移植手術を受けると決め、父と同じ雇われ何でも屋になると宣言したあのときに。砂漠に出た父の身を案じ、シェルターで待ち続けるだけの日々に別れを告げると決意したあのときに。守られているだけの被保護者の身分を脱出し、その背中を守れる存在になると誓った、あのときに。
 その誓いを告げた父に、生まれて初めて殴り倒されたあの瞬間に。
 父の拳はオーガストを吹き飛ばし、こっぴどく背後の壁に叩きつけた。
 倒れ込んで痛みに呻く義理の息子を、父は見下ろした。
『どうして……』
 そのときの表情と言葉は今でも覚えている。
『どうして、分かってくれないのさ……』
 父がそんなことを口にしたのは初めてで。ついでに言うならほんの少しでも、悲しそうな顔をしてみせたのも初めてで。
 当時十七歳だったオーガストは、ほんのひとかけの申し訳なさを父に対して感じた。
 けれどそれも、湧き起こった怒りに押し流されてどこかに溶けて消え去ってしまった。
『分かって、くれない……?』
 心臓に火がともるような感覚に、突き動かされてオーガストは立ち上がった。
『何が分かってくれないだよ! そっちだって分かってくれなかった癖に!
 毎日毎日危ない砂漠に出て行って、戻ってこない日だってあって! 俺がどれだけ心配してたと思ってるんだ!』
 家を出る間際、『行ってくるよ』と玄関先で微笑み、オーガストの頭を撫でる癖が父にはあった。オーガストが十代後半になり、子供扱いするなとごねるようになっても、その習慣だけは変えようとしなかった。
 分かってくれないというのならそっくり同じことが父にも言えるのだ。オーガストが毎朝どんな思いで父の笑みを眺め、その柔らかい手の感触を感じていたか。
 砂漠に出ていく父。砂漠に出ることのできない自分。危険な地に赴く父をただ待つことしかできない無力な自分。
 守られるだけの自分という存在が、ただただ嫌だった。
 少なくともオーガストの方は、そのもどかしさを何とかして父に伝えようとしていたつもりだ。出発できないようホバーの燃料をあらかじめ全て抜いておいたり、体温計に少し細工して高熱を出したふりをしたりと、二十七歳の今の思考回路から思えば子供っぽい搦め手に頼ったりもした。
 だが父は、そのどれ一つとして理解してはくれなかった。息子の額を指で軽くはじきながら、やはり微笑を浮かべてこう言うだけだった。
 ――大丈夫。大丈夫だから、オーガスト。ボクは大丈夫。
『分かってくれないから、親父が……お父さんがちっとも分かってくれないから。だからいっそ一緒に砂漠に出て、もう心配しなくても済むようにって……そう思っただけじゃないか。
 何が悪いんだ。なんで殴られたりなんかしなきゃならないんだ!』
 父は青ざめた顔で、唇をきつく噛みしめていた。
『ボクは……オーガスト、ボクはただ』
『もう、いいよ……』
 呻く父の言葉を息子は遮った。
『もういい。もう、分かってくれだなんて言わない』
『オーガスト?』
『出て行くよ俺。このままお父さんとずっと一緒にいたって、きっと辛いだけだ。
 俺はお父さんを分かってあげられない。お父さんも俺を分かってはくれない』
 それは宣言。訣別の。
 息子は父に背を向けた。
『オーガスト!』
 歩き去ろうとする息子に父が叫んだ。
『オーガスト……ボクは……』
 名前を呼ばれ、立ち止まってオーガストは振り向いた。
『さよなら、≪お父さん≫』
 ――そして、二人はひとたび別れた。




 オーガストは自活しつつ少しずつ金を貯め、防護皮膚の移植手術を受けた。荷物運び。シェルター補強工事の人足。やれる仕事は何でもやった。働いて働いて生き延びた。手術に充分なだけの額を貯金するまでには、五年と少しの月日がかかった。
 移植手術を受け、更に半年ほどをリハビリに費やしたオーガストは、≪何でも屋≫となるためにその会社へと赴いた。
 表向きは≪人材派遣会社≫。裏では殺しも誘拐も盗みも武器・麻薬密売も、本当に何でも請け負うというよろずの企業。
 父と再会したのはその会社の入り口でだ。
『……あ』
 仕事の報告でも終えたところだったのだろう。鼻歌を歌いながら歩いていた父は、オーガストの姿を見てふと立ち止まった。
 皮膚を全て防護繊維に植え替えたオーガストの顔立ちは、少年時代とは似ても似つかぬものになっていた。嗅覚で判別するにしても、癖の強い特殊繊維の匂いは彼本来の体臭を消し去ってしまうには充分だったはずだ。
 父があのとき、いかなる手段を以ってオーガストをオーガストと断定したのか。それはあれから更に五年経った今でも分からない。
『……どうも。初めまして』
 動揺と驚愕を、オーガストはほとんど意地だけで抑え込んだ。深く呼吸し、平静を装って挨拶した。
『あんた、ここの社員か?』
 オーガストの言葉に父は一度瞬いた。
 驚いたのかもしれない。オプティミストの共通感性からすると、恐ろしいほど稀な話ではあるが。
 しかしそれでも父はオプティミストだった。地球人の平均とは比べ物にならない頭の回転、そして環境適応能力を持っていた。
 わずか1.3秒の沈黙の後、メリウェザーは呑気とも取れる口調でこう返した。
『そうだよ。それが?』
『俺はここで雇われるつもりなんだ。あんたの同僚になるかもしれんということだな』
『ふうん』
『あんた、名前は?』
 オーガストは聞いた。
 もう≪親≫ではない。≪子≫でもない。一度は分かれた二本の糸がここで再び交わるというなら、過去の交わりは忘却の彼方に捨ててしまわなければ。
 そう思った。
『一緒に仕事をすることになるかも知れん相手だ。それでなくとも新しい就職先にはあらかじめ知り合いがいたほうがいい。……あんたの名は?』
 真紅の砂薔薇の瞳を父はすっと細めた。
『ボクはオプティミストだ。名前、という概念はボクたちには存在しない』
『そりゃあ失礼。じゃあ質問を変える。あんたは周りからなんて呼ばれている?』
 知っている。全て知っている。かつて十年以上共に暮らした相手だ。これは再確認の儀式に過ぎない。
 あるいは――単なる念押し。
 二人のこれからの関係と、そして互いへの接し方に関する。
『メリウェザー』
 かつてオーガストの父だった彼は言った。
『楽天家。底なしの陽気者。オプティミストの中性体。それがボクを指す記号』
『刹那に生きる者、過去を省みない者?』
『……そういう意味もあったかもね』
 メリウェザーは首を振った。
『キミのことは、なんて呼べばいい?』
『オーガスト、種は地球人。これは記号じゃなくて俺自身を指す名前だ。代わりに使えそうなものが見当たらないんでな』
『そう。そうなの』
 メリウェザーは頷き、そしてオーガストに向かって右手を差し出した。
 かつての義理の息子、そして未来の同僚に。
『よろしく、オーガスト』
『よろしく、メリウェザー』
 防護繊維の手の感触はさぞかし、少年時代とは違ったものになっていたろう。




 むろん今のこの状況では、回想に浸っている暇などない。
 女王蝿の追撃を巧みにかわし、オーガストはメリウェザーを乗せて走っていた。
 砂漠といっても砂ばかりではない。一面赤い砂の大地だった風景が、少しずつ変化しはじめていた。
 岩だ。砂の中から巨大な尖った岩が、行く手を塞ぐかのように生えている。
 気付けば三つの太陽のうち一つは、いつの間にか沈みかけてもいた。≪朝≫が終わり、そして≪昼間≫がやってくる。
「だが触角っていっても……」
 重心を斜め前に傾けながら呻く。
「触ろうとした瞬間に食いちぎられるか押し潰されるかしそうじゃないか?」
「だから言ったじゃない。活路になるとは限らない、って」
 相変わらず殴り倒して気絶させたくなる、のほほんとした口調でメリウェザーが言った。
 ぶわんぶわんと響き続ける羽音とあいまって、ただでさえ緊張感と恐怖で尖ったオーガストの神経を更に尖らせる。
「お前なあ。自分の命もかかってるんだぞ!?」
「うーん。実はボクは死自体はそれほど怖くはないんだよねえ。ただ頭からバリバリ食べられてこの生を終えるのはどうにも気が進まないっていうだけで」
「正気かおい!」
「オーガストは、死が怖いの?」
「当たり前っ、……!」
 喉が痛む。
 熱気を吸えば気管や肺も火傷し、呼吸できなくなってしまうので、防護皮膚の移植手術には気管への処置も含まれている。常人の数十倍は丈夫なはずだ。
 しかし防護処置を施された気管は熱には強くても、喉の内側に貼りつく砂の粒には無力だった。
 オーガストは激しく咳き込んだ。
 その際少しバランスが崩れたのを、ディザーテッド・フライの女王は見逃さなかった。
 体当たりがくる。
「オーガスト!」
 ――対応が遅れた。
 やられる。
 そう思った瞬間後ろから手が伸び、オーガストの握っていたラダを右に倒した。
 ギュイィィとエンジンが悲鳴を上げる。ほとんど直角に近い角度でカーブを切るホバー。
 女王の体当たりは空振った。
「メリウェザー!?」
 手を出したのはメリウェザーだった。リア・シートのベルトをとっさに外し、不安定な体勢から腕を伸ばしてラダを操作したのだ。
 急カーブに平衡を失うバランサー。
 すかさずメリウェザーはオーガストにしがみつく。蛆の入った瓶を落とさなかったのは奇跡に近い。
「食べられるのは嫌だって、言うのは、確かこれで、三回目……なんだけどっ」
 荒い息をつきながらメリウェザー。
「死が怖いのなら死を避けるために、最大限の注意を払うべきでしょっ。言った舌の根も乾かないうちに何をやってるのさっ。あいったたたたたっまた舌噛んだっ」
「すま……」
「謝る暇あるんなら早くバランサー調整してっ。いくらボクだって、そういつまでもキミにしがみついていられないっ」
 オーガストは慌ててバランサーを操った。ラダの中央に嵌まった球体を、掌で転がし安定性を取り戻す。
 しかし間髪を入れずに第二撃が来る。
「くそっ。メリウェザー、もう少しつかまってろ!」
 叫んでまた重心を変えた。今度は斜め左。続けざまに今度はラダ自体を手前にひねりつつ左後方。
 避けた、と思う。
 だがそれも束の間、女王はオーガストの動きを予見していたかのように、進行方向めがけて突っ込んできた。
 節くれだった巨大な胴体が目の前に広がる。
「――っ!」
 こちらが向こうのパターンを読んだように、向こうもこちらのパターンを読んでいた。
 悲鳴すら出ず、ただ体が反射的に動く。己に出せる限りの力でオーガストはラダを手前に引く。
 避けるためではない。
 衝突の衝撃を少しでも緩和するために。
 ホバーとオーガストとメリウェザーは吹き飛ばされた。




 きっちり三秒間気絶していた。
 砂の大地に叩きつけられ横倒しになったホバーは、操縦に不可欠なラダの部分が大破している。
 辺りを見回すとすぐ脇に、巨大な岩がそそり立っているのに気がついた。衝突の角度によっては串刺しになっていたかもしれない。
 ゾッとした。
「……くっ」
 呻いてシートベルトを体から引き剥がそうとして、気がつく。
 腕がない。
 ベルトを引き剥がすため動かそうとした右腕が、根元からごっそりとなくなっていた。
「……っ!?」
 強烈な恐怖が背筋を這いのぼった。
 衝突の際ちぎれたのか。それともあの回転ノコギリのような羽に切断されたのか。あるいはあのとき女王蝿に食いちぎられたのか。
 答えは上げた視線に映った、女王蝿の姿が教えてくれた。
 姿形は巨大な蝿そのものだったが、その口だけは違っていた。肉食の哺乳類の猛獣のような、鋭い歯のずらりと並んだ口。
 その口から自分の短衣の袖と、人工的な質感の白い手首が覗いている。
 女王蝿はオーガストの目の前で、オーガストの右腕をむさぼり食っていた。
 防護繊維も意外に美味なのか、あるいは餌の味など彼女たちにとっては大して関係のないことなのか。女王は彼の腕を皮膚の一枚、肉の一片、骨のひとかけすら残さずに平らげてしまった。
「おぇっ……」
 恐怖の次に生理的な嫌悪感、次に激しい痛みが襲う。
 ただ出血多量による悪寒と意識の混濁だけはなかった。これにはウェズンの≪朝≫の地獄の灼熱が幸いしている。繊維で守られている肌とは異なり生身だった頃のままの切断面は、≪朝≫の業火のような高温に焼かれ、一面を焦がすことでその出血の度合いを抑えていた。
「メリ……ウェザー……?」
 姿が見えない。
 蛆を閉じ込めたあの瓶は、まだ彼が手にしているはずだった。衝突の際取り落としてどこかにやってしまったり、誤って潰して殺してしまったりしてさえいなければ。
 オーガストなどいつでも食い殺せると思ったのだろう。女王は腕を食べてしまうと、ぶわんと羽をまた震わせて舞い上がる。
 メリウェザーを捜しはじめた。
 そう、この女王の目的はあくまで息子の奪還。愚かなる略奪者たちを捕食し制裁を加えるのは、あくまで二次的な行為。
「ぐっ……メリウェザー」
 彼はベルトをつけていなかった。オーガストのミスのフォローのために一旦外した後、装着しなおす暇がなかったのだ。そのまま一緒に吹き飛ばされたのだから、普通に考えればかなりダメージが大きいはずだ。オプティミストは確かに地球人よりは丈夫だが、だからといって不死身というわけでもない。
 女王蝿は飛ぶ。王子を連れたメリウェザーを捜す。
 しかし見つからない。オーガストの目でも彼がどこにいるかは分からなかった。
 あるいはとっさに擬態したのかもしれない。オプティミストには、生物・非生物を問わずあらゆるものに≪擬態≫する能力がある。しかも見かけだけでなく自身の構造まで作り変えてしまうことができる。ただし自然界に存在するもの、しかもこの砂漠の惑星ウェズンのもの限定という制限が存在するのだが。
 たとえば先ほど女王の巣穴に潜入したときは、巣の素材である砂に擬態して壁の一部になっていたのだ。
 ――砂。
「……メリウェザー?」
 ベルトを外し、痛みをこらえつつオーガストはそっと呟いた。
「メリウェザー? もしかして、」
「いるよ」
 返答はやはり自分の真下から。
「砂に≪擬態≫してクッションになった。さすがに生物の状態であれだけのショックを、しかもリア・シートベルトなしでまともに受けたらボクも危ないから。
 王子様も無事だよ。きちんと瓶が割れないように受け止めた」
「おかげで俺も潰れてはいない訳だな……」
 さすがに衝突の衝撃までは殺せなかったが、包み込むようにして落下の際のダメージだけは、かなり和らげてくれたのだろう。
「ホバーはどっちにしても買い換えないとならなくなってしまったね。――腕は?」
「食われてしまった」
 焦げた傷口を無事だったほうの手で押さえながら。
「……ボクが言っているのはそういうことではなくて、痛くないかとか平気かとか大丈夫かとかそういうことなんだけどね」
「死ぬほど痛いし平気じゃないし、多分大丈夫でもない。少し考えれば分かるだろう?」
「まあ、そう言われれば『確かに』としか返答のしようもないというか。……そう、痛かったの、可哀想に」
 砂の大地から突然、ほぼ同色のジェルが湧いた。0.5秒でジェルは人の腕を象り、オーガストの傷口を『いい子いい子』と撫でる。
「メリウェザー、それも痛いんだが。それからこの光景は非常にシュール且つ気持ち悪いのであまり嬉しくないんだが」
「あ、そう。ごめん。戻ったら忘れずにちゃんと義手を買いに行くんだよ」
 ディザーテッド・フライの女王の複眼がぎろりとこちらを見た。
 少なくとも自分には何の感情も読み取れないその目に、オーガストは怯えた。
 メリウェザーは腕だった部分をまたジェルに戻し、そしてまた更に砂へと擬態させる。
「まあ、とにかくここまでご苦労様。
 キミは少しここで休んでいるといいよ、オーガスト」
 言葉とともに砂が、風もないのにざぁ――と動いた。
「考えがある。ここから先は、ボクに任せてくれ」
 穏やかな、波のない口調。
「メリウェザー?」
「ねえ、オーガスト」
 砂の擬態を保ったままメリウェザーは笑った。
「キミは知らないかもしれないけど……
 ボクだってたまには怒ったりとかもするんだよ」





 動けぬオーガストから少し距離をおいた地点。
 砂の大地に渦が生まれた。
 ディザーテッド・フライの女王はそれに気付き、無数の細かいルビーの塊のような目を、そちらに向ける。
 渦。大きな渦だ。先ほど大破した≪シルカシェン号≫程度なら、余裕で呑み込めてしまうほど巨大な渦。
 異様な光景。女王はぎちぎちと口から警戒音を発した。
 渦はそのうち治まる。消え去る間際にその中央から、赤く透き通ったジェルの塊を生む。
 ジェルはうねった。うねり、たわみ、そして震えながらヒト型生物の姿を象った。女王のような外部骨格ではなく、柔らかくちぎれ易い肉をまとう、もろくはかない生物の形を。
 赤錆の髪。新造の銅の色をした肌。そして砂薔薇の瞳。
 ――オプティミストのメリウェザー。
 メリウェザーはジェル体の中央に、王子の閉じ込められた瓶を手にしていた。人の姿となった今は右手の中におさめている。
「おはよう、女王様」
 微笑みながらメリウェザーは言った。
「いや、『こんにちは』かな。もうすぐ一つ目の太陽が沈んで昼になる。ランチの時間にはまだ少し早いけどね」
 ディザーテッド・フライの女王は、音声を介した会話を理解しない。興味を抱き学ぼうと思えばすぐにも習得できるだけの知能を持ってはいるが、そもそもそんな無意味なものを学ぼうという気にはならない。
 彼女たちにとってコミュニケーションとは、触角で相手に触れ互いの思念を読み合う一種のテレパシーだ。言語以上に信用のおける思念というものがあるのだから、言語などそもそも必要ない。
 言語という概念が他の知的生物にあることぐらいは理解している。しかしディザーテッド・フライにとっては、特定の意味を付与された音声や文字などというものは軽蔑の対象だった。それは嘘と誤魔化しを媒介するものだ。言語をコミュニケーションの媒体として使用することは、虚と偽りと欺瞞に満ちた魂の持ち主である厳然たる証拠と考えていた。
 思念ならば、嘘はつけない。また抱いた思いを、たとえば愛しいと思う心といったようなものを、相手に伝え損なうようなこともない。
「今回は本当に悪かったねえ。貴女が多大な労力を払って産んだ王子様を、奪って利用するだなんて砂漠の神もお許しにならないことだった。本当に深く反省しているよ」
 この生物は何を言っているのか。
 この生物は何を伝えようとしているのか。
 ――そんなことは、どうでもよろしい。
 女王は結論づけた。
 汚れた魂の持ち主が、彼女の愛しい子に触れるなど想像するだにおぞましいことだった。
 いずれは偉大なる王となり何千もの兵を率いて星と星との間を旅する彼女の息子。彼女の王子。その王子が心汚れた者たちの手に落ち、あまつさえあんな粗末で汚らしい入れ物に閉じ込められて喘いでいるなど。これ以上は一秒たりとも許されないことなのだ。
 あってはならない。断じてならない。
 女王は口を開けた。
 どす黒い緑色の牙を覗かせた。
「うわあ、大きなお口。それはもしかしてボクを食べるためかな?」
 メリウェザーはにこりとする。
 これまた女王には理解できない。唇の端を持ち上げてみせるなどという所作は、ディザーテッド・フライの文化においては何の意味も持たないことである。
「仕方ないよね。ボクたちはきっと貴女に頭からガリガリかじられても言い訳できないような罪深いことをしたんだ。貴女の怒りは理解するよ。とても深く理解する。
 ……でもねえ。それはそれとして」
 メリウェザーは瓶を握る手に力を込めた。
「貴女はオーガストを傷つけた」
 メリメリメリと瓶にひびが入る。
 王子は危険を察したのか、狭い瓶の中で逃れようと激しく身をくねらせた。
 女王は悲鳴を上げた。ぎちりぎちりぎちりぎちりぎちり――悲痛な響きを伴って広大な砂漠にそれは響く。
 悲鳴を上げながら女王はメリウェザーに飛びかかった。
 その華奢で脆い体の首にかじりついてやる、即死はさせない息の止まるぎりぎりまで牙を差し込んで口の中でヒュウヒュウと笛の鳴るような音を立てさせてやる、私と私の息子の生きる宇宙に生を受けたことを心の底から胸の底から腹の底から意識以前の無意識そのもので後悔後悔後悔後悔させてやる――
 急降下してくる女王に向け、メリウェザーはまた微笑んだ。
「女王。ボクは貴女の怒りを理解するよ。
 だから貴女にも、ボクの怒りを理解してもらいたい。
 たとえそれがボクの身勝手、わがままであろうとね」
 メリウェザーは瓶を持った手を振りかぶる。そのまま遠い彼方へと放り投げた。瓶は蠢き続ける王子を閉じ込めたまま、長い銀の放物線を描いて赤い砂の中にぽとり、と落ちる。そのまま砂の上を転がる。
 笑ったままのメリウェザーの顔がぐにゃりと歪み、赤く透けたジェル状の物体と化した。
 急速に縮む。小さな鳥ほどの大きさになると、ジェルは再び変化を始める。
 金属のような体表組織を持つ鳥。その頭には、五つの眼球が横並びに並んでいる。
 惑星ウェズンに生息し、この砂漠の環境に適応した生物――≪スラップスティック・バード≫。
 鳥ともコウモリともつかぬ生物に変化したメリウェザーは、そのまま空へと舞い上がった。
 飛行する生物の飛び方の精度には翼面荷重が関わっている。通常食卓で見られるような小さな蝿が自由自在に飛べることは、一つにはその体のサイズという理由が大きい。強度構造としては優れておりかなりの加速度にも耐えられるディザーテッド・フライだが、飛び方の器用さに関しては小型の蝿に遠く及ばなかった。
 加速度をつけすぎれば方向転換できない。更に小型の蝿と同じく後ろ羽が退化したディザーテッド・フライには、四枚羽で飛ぶトンボのように空中で静止するような芸当も不可能だ。
 女王は降下を続ける。続けるしかない。
 メリウェザーは更に高く飛ぶ。加速度を落とし止まろうとする女王の上にきたところで、
「そろそろいいかな」
 その肉体が再びジェル状に転じた。
 次なる変化は、岩。
 この砂漠の大地にいかめしくそそり立つ、それ自体が何かの凶器のような巨大な岩石。
 岩と化したメリウェザーは惑星ウェズンの引力に従い、女王蝿めがけて天罰のように降った。
 尖った岩が女王の羽を貫く。赤い砂の大地にその巨体を縫い止める。
 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちっ!
 女王がまた悲鳴を上げる。
「ディザーテッド・フライは確か、再生能力も持っているんだったよね。しばらくの間は飛べないけど、別に一生ってわけではないしこの位は構わないよね?
 オーガストのもがれた片腕は、貴女のみたいにまた生えてはこないんだから」
 岩、いやメリウェザーが言う。
「本当はやりたくなかったんだよ……元々ボクらのほうが先に貴女を怒らせたわけだし、第一擬態っていうのはとても疲れるものだ。
 特に連続で生物・無生物に擬態を繰り返したりしたら、肉体にどれだけの負担がかかるか分かったものじゃない。ボクの好き嫌いの問題ではないよ、怒られるんだよ。ボクと記憶と知識を共有するボクの同族にね。罰だって食らう。それもかなりこっぴどく。
 でも、今のボクは少し怒っているからねえ」
 岩が再び真紅のジェルに変化する。
 再び元のヒト型に戻る、と思いきや。
 違った。
 砂だ。女王の羽に巨大な穴を空けたメリウェザーは、今度は再び砂漠の赤い砂に擬態した。
「怒っているから、少しばかりやり過ぎてもお説教はほどほどにしてもらえると思うんだよね」
 大量の砂と化したメリウェザーは、さらさらと流れるようにして地面に落ちる。
 そして、先ほど作ったものと同じ渦を作りはじめた。
 凄まじい勢いで大量の砂が渦を巻く。
 女王は今度は声もなくその渦に呑み込まれた。




「……メリウェザー」
 大破したホバーの横でうずくまったまま、オーガストが傷を押さえて呻いた。
「やりすぎだ……」




「あのねえとりあえず誤解しないでほしいんだけど。そこまで酷いことをしたつもりはないんだよ?」
 ヒト型生物の姿に戻り、オーガストの傷に簡単な処置をほどこしながら、メリウェザーが言った。
 生身の部分を防護しなければ、体の内へ内へとじわじわと焼けていってしまう。予備の防護繊維を貼り付けて熱と日光を遮断しなければならない。また激しい痛みを抑えるために、強力な鎮痛剤を服用する必要もあった。
「だって向こうは怒りに我を忘れている上に、こちらから対話をはかって説得しようとしても言葉が通じない相手なんだから。彼女からとにかく逃げ切るにしろ彼女とまともにコミュニケーションを取れる状況を作るにしろ、まずはこちらに危害を加えられないような状態に彼女を追い込む必要があったんだってば。
 そしてキミが動けなくなってしまった以上、それはボクの役目。そうでしょう?」
「まあ……筋は通っているんだがな。でも、だからといって」
 オーガストはある種哀れみさえこもった目で女王を見つめた。
「ここまでコッテンコテンのパンッパンにのす必要が果たしてあったのか?」
「…………。あ、あったっていうことにしておいてよオーガスト……お願い……」
 女王は六本の脚のうち二本を失い、メリウェザーに穴を空けられた羽は本来の四分の一ほどの大きさになっていた。ルビー色の複眼も一部欠損してしてしまっている。
 羽を事実上使用不能に追い込まれ、飛んで逃げることもできない状態で渦に呑まれてもみくちゃにされた結果だった。少なくともしばらくの間は、ほとんど動くこともできないはずだ。
「このまま王子様を浚って逃げても、無事で済みそうな状況だよね、これは。
 いっそ彼女のことは放っておいて真っ直ぐ戻る? キミの手当てもできるだけ早くしたいしね」
「その方が確かに、都合がいいには決まっているだろうが」
 オーガストは女王を見つめた。
「――やはり、ここは返すべきだろう」
「オーガストはお人好しだね、本当に。腕まで食べられておいて」
 メリウェザーは鼻を鳴らす。
「お前は、返すべきだとは思わないのか?」
「べき、べきじゃないっていう言い回しはあまり好きじゃないな。
 決定権はこの際、腕をもがれた可哀想な被害者であるキミに任せるべきだとボクは今思ってる。好きにしなよ。
 個人的にはまあ話したいことがなくはないけどね」
「この期に及んで一切、同情はしないんだな。それどころか共感すら」
 息をつくオーガスト。
 とはいえ、自分の命が救われたのは間違いなくメリウェザーのおかげである。
 また、彼が『怒った』、『怒ってくれた』ということ。自分の失くした腕のために怒りを、かなり屈折した形であれどあらわにしてくれたという事実には、一抹の嬉しさを感じなくもない。もっともそれは、既に≪父親≫としての彼とは縁を切ったはずの自分の、未練がましさ思い切りのなさに対する苦笑と隣り合わせのものだったが。
 父子の関係は自ら断ち切ったはずなのに、胸の底から暖かいものが込み上げてくるのが分かるのだ。それはもう自分で自分を罵倒したくなるほどのあからさまさで。
「オーガストがそのつもりなら。――さてと。女王様」
 メリウェザーはあの後、わざわざ投げ捨てた場所まで行って拾ってきた小瓶を取り出した。そしてそのまま女王の触角に触れようとする。
 慌ててオーガストはそれを押しとどめた。
「待てメリウェザー。俺がやる」
「どうして?」
「普通に考えろ。この女王蝿はお前にさんざんに痛めつけられたんだぞ。お前に、だ。自分に当てはめて想像してみろ。けちょんけちょんのぼろぼろになるまで殴り倒されて、そんな相手にいきなり『ゴメンネッ』なんて言われたところで、許す気になれるのか? 俺はなれんぞ」
「そういうものなの?」
 呑気に答える元・父親。
「でもオーガストも一応ボクの仲間な訳だからね。ボクがやるにしろオーガストがやるにしろ、反応自体はあまり変わらないんじゃないかな?」
「そう簡単にいくとは元々思っていない。根気よくやるさ」
 女王はところどころ欠けた複眼で、それでもオーガストとメリウェザーをきつく睨み据えていた。
 女王にヒト型生物の表情が判別できないのと同じく、オーガストにも昆虫型生物の表情の判別などできはしない。しかしそれでも睨まれていると分かった。具体的にどこか、というのではなく。高い誇りと強烈な憎しみが、その全身から湧き起こるように伝わってくるのだ。
 オーガストはメリウェザーの手から、なるべく恭しい手つきで≪王子≫を受け取った。
「……女王」
 その触角の先、ブラシのようになった部分に軽く触れる。
 ぴくん、とその先が動いた。




(さわるな)
 刺々しい思念が心を刺した。
(触れるな二本足の生き物。誰がこのような真似を許したか)
 睨み付けてくる目そのままの、高い誇りと矜持に満ちた意識がオーガストの意識に触れた。
 言語思考。言葉を持たないとメリウェザーは言っていたはずなのに。
 あるいは本来もっと抽象的で純粋なものが、オーガストの認知領域を経由する際、まとめ上げられて言語に変換されているのかもしれない。言葉を用いる生物たちは、言葉がなければ思考すらできないほどに言葉に依存してしまっている。
(貴女がこの接触を望まないだろうというのは、こちらもある程度予想していた……ディザーテッド・フライの女王)
 違和感。今まで味わったことのない、自分と外界を隔てる壁が溶け出すような感覚をオーガストは味わっていた。
 溶けてなくなった壁を越えて、次第に種々雑多なものが流れ込んでくる。
 私の子。憎い。餌餌餌。下等。餌のくせに。返せ。汚れた魂。もろい生物。餌。腕は美味かった。地を這い回るもの。私の子私の。首を食いちぎってやりたい。いやその前にもう片方の腕。私の子私の子私の子私の子私の――
(不快だろうが耐えて欲しい、我々はこれ以上貴女にも、貴女の王子にも危害を加えるつもりは一切ない)
(断る)
 拒絶。拒絶拒絶拒絶拒絶拒絶。
 目の前で重い落とし戸が、がしゃんと音を立てて下りるイメージが不意に浮かんだ。迫ってくる扉のリアルな存在感に、オーガストは思わず身を震わせる。
「オーガスト」
 メリウェザーが口を挟んだ。
 無論彼に女王の思念は伝わってはいず、扉のイメージも見えてはいない。しかし同族と記憶・知識などをかなりの程度共有できる彼には、オーガストの味わっている感覚がどんなものか想像がついたのだろう。
「やっぱり代わりにボクがやろうか?」
「……いや。続ける……続けさせてくれ」
 オーガストは首を振った。
(貴女の王子を不当な手段で略取したことについては、本当に申し訳なく思っている。その上このような暴力行為。職務上命じられ実行したこととはいえ、非は明らかに我々の側にある。深くお詫びした上で王子の身柄をお返ししたい)
 恐らくは自分の思念も、何らかのイメージとして女王に伝わっているのだろう。触角が数秒おきに小刻みに震える。
(異種の者よ。貴様たちの文化圏とやらでは、謝罪さえすれば理不尽な行為も暴虐も全て許されるのか? いと素晴らしき楽園よの)
(……許されるとは思っていないし、事実許されるわけもないだろう)
 鉄の槌で打たれるような痛みが、肋骨の辺りに走ったような気がした。これもまた女王から送られてきたイメージだ。
(だからこそこうして真正面から謝罪している。
 俺は地球人のオーガスト。先ほど貴女に無礼を働いた、向こうの赤い奴はオプティミストのメリウェザー。俺の、)
 触角に触れたままオーガストはメリウェザーの方を見た。
 メリウェザーは首をかしげ、『やっぱり代わって欲しい?』と尋ねてくる。
 どう言えばいいのだろう。同様か。それとも相棒か。
 だがオーガストが適当な呼称を選ぶ前に、女王の側からこう聞き返してきた。
(父、親?
 貴様ら、父子か)
 心臓が跳ねた。
 やはり相手に伝わっているのは、こちらの言語思考だけではない。感覚的抽象的な内容も全てが流れ込んでいる。
(……見方によってはそうなる)
 だとすれば、今更つまらぬ意地など張っても仕方のないこと。オーガストの記憶の中に、メリウェザーを父として慕った日々が未だに焼きついているのは事実だ。
(そもそも種からして違うようだが――)
 女王はゆっくりと、伝わってくる情報を吟味しているようだった。
 伝わってくる思念の刺々しさが、気のせいか少しやわらいだように思えた。針で刺されるようなちくちくとした感覚が消えていく。
 どうやらこちらに興味を抱いてくれたようだった。
(子棄てか。異種の行動はやはり理解しかねるな。そしてそれを拾い、おのれのDNAを継いだ存在でもないのに保護下に置くというのもまた、私には理解できぬことだ)
 オーガストは思わず苦笑した。
 確かにオーガストは元々棄て子である。DNA的には純粋な地球人だが、地球で生まれたわけではない。地球を発った遠征目的のシャトルの中で、主要乗組員同士の間に生まれた子だ。
 ここ百年ほどで星間飛行技術がかなり発達してきたとはいえ、星系間の移動には未だに年単位の時間がかかる。特に当時は冷凍睡眠の技術が確立していなかったため、その間の乗員間の性行為は禁じられているのが普通だった。
 生存に必要不可欠なものを中心に、シャトルには最低限の物資しか積めない。特に当時銀河系進出を果たしたばかりだった地球は他星からの援助も望めず、しかも環境上の問題で物資は枯渇しきっていた。シャトルに積まれた物資の量は本当にぎりぎりで、万一妊娠して乗員の頭数を増やすようなことにでもなれば一大事という状況だったのだ。
 オーガストの両親はその禁を冒し、しかも頑なに堕胎を拒み彼をこの宇宙に産み落としてしまった。
 当初は自分たちの分の物資を削ってでも、彼を育てるつもりだったらしい。しかし現実はそう甘くはなく、両親は結局オーガストが五歳のときに彼をこの惑星ウェズンに棄てた。シャトルに乗り遠い宇宙へと旅立っていってしまった。
 灼熱の砂漠ではなく、運次第でどうにか生き延びていけるシェルターを棄て場に選んだのは、父母の最後の親心だったのだろう。
 一人残され途方に暮れる彼を、最初に抱き上げたのがメリウェザーだった。ウェズンに生まれウェズンに生きウェズンに死ぬウェズンの生物。過去を振り返ることなく未来を見据えることもなく、ただただ今このときのみに生きるオプティミスト。
 オーガストのそうした記憶の全てが、触角を介して女王の脳の中へと今まさに流れ込んでいっているはずだ。
(≪父≫の無礼に関しては重ねてお詫びする。だが、父も全く理由なく貴女に過度の危害を加えたわけではないんだ。許しを求めるほど厚かましくはなれないが、事情を聞いてもらう権利ぐらいは、こちらにもあると思う)
 女王の触角が大きく震える。
(貴様の腕の対価という訳か)
(父の考えていることまでは、俺には分からないが。恐らくはそれもあると思う)
(面白い冗談よの。その理屈を通すのならば、私の王子の分の≪対価≫はどうなる? 無論支払う用意があるのであろうな?
 百歩譲って貴様の父が、子を想う父としての怒りを私にぶつけたのだとしても、それで全てが相殺されるはずもあるまい)
(……全面的にその通りだ)
 相手がディザーテッド・フライでなければ『返す言葉もない』というところだろう。
(とにかく王子はお返しする。彼にも恐ろしい思いをさせたと思う。……重ね重ねお詫びする)
 女王は見る影もなく傷んだ羽を動かした。
 完全に無事な右の前脚と、三分の二の長さになってしまったもう片方の脚を伸ばす。脚の先は案外柔らかそうな、昆虫のそれとも哺乳動物のそれとも異なる繊毛で包まれていた。
 オーガストは瓶の蓋を開け、白い蛆虫をそっとその毛の上に乗せる。
 母の掌の上で息子は、嬉しげにうねうねと体をくねらせた。細かい毛に身をすりつける。
 初めて見たときはおぞましいと思ったが、こうして改めて見ると可愛らしいと感じられた。あるいはそれは女王の触角に触れているから、その愛情と感覚がダイレクトに伝わってきているのかもしれなかったが。
 女王は王子を顔の前に持ってくると、複眼で愛しげに我が子を眺めた。
(地球人のケースではこうした体験をした場合、たまに精神的外傷――長期の不安状態が残ることがたまにある。そんなことにならなければいいんだが)
(脆弱な心を持つ下賎な生物よ、私たちを貴様らと同じと思うでない。貴様ごときが気にかける必要など何ひとつない)
(そうか……)
 女王は王子を、その節くれだった体の節の一つに這わせた。王子はもう一度ひとくねりすると、節の中へともぐりこんでオーガストの視界から消えてしまった。
(貴様の真摯な謝罪と、それに込められた誠意は受け取ろう)
 重く巨大な体を、女王は砂の大地から引き剥がした。
(だが、それだけだ。私は貴様らを許さぬし、許せぬ。許すことなど考えられぬ。
 それと同様に貴様の父も、私が貴様の腕を食らったことについて、私を許す必要など欠片もない)
(女王)
(さらばだ二本足の柔らかい生き物)
 オーガストの手から触角が離れる。
 女王は移動を開始した。その巨体を半ば引きずるようにしながら。
「女王!」
 通じないことが分かっていて、オーガストは叫んだ。
「女王。できたら、メリウェザーとも」
 自分が女王に伝えられなかったことを、メリウェザーが代わりに伝えられると思ったわけではない。
 むしろ逆だった。ふと思ったのだ。自分がメリウェザーに伝えられなかったことを、女王なら彼に伝えてくれるのではないかと。
 だが女王は言語を解さない。
 六本から四本に減った脚で、砂の平野を這いながら少しずつその姿を地平線へと近づけていった。





「ボクも少し話したいと思っていたんだけど」
 女王の姿が完全に見えなくなってから、つまりは相当な時間が経過してから、黙っていたメリウェザーがぽつりと言った。
「完全に嫌われてしまったかな」
「嫌う、というと少し違う感じだったがな。これ以上関わりたくないし関わらない方がいい、そういう雰囲気が近かった」
「それって嫌われるよりなお悪いような気がするよ」
「仕方がないだろう。俺たちはどう頑張っても言い訳できない立場にいる」
 メリウェザーは手に付着した砂を払うように手を数度打つ。
 軽く息をついた。
「あーあ。これぞまさしく踏んだり蹴ったりっていう奴だよね。いや言葉自体の意味を考えればむしろ踏まれたり蹴られたりかな。
 仕事は失敗、オーガストは負傷。無理な擬態の連続でボクはへとへとで、しかも後で同族たちにお説教と罰を受けるのは確定的」
「お前はまだいいじゃないか、本体はジェル体なんだから。俺なんてボスに内臓を売り飛ばされるかもしれないんだぞ。片腕だけでもダメージがでかいのに、この上腎臓やら何やらまで掠め取られるのはごめんだ」
「あの人は本当にやるからねえ。しばらく夜道を歩くときとかには気をつけたほうがいいかもしれない」
 大きく伸びをするメリウェザー。
 先ほど一つ目の太陽が沈んだと思ったら、いつの間にか二つ目まで沈みかけていた。≪昼≫が終わり≪夕方≫が、オレンジ色の太陽が支配する時刻が来ようとしている。
 赤い砂漠に細く長く、幾重にも重なって伸びる二人の影。
「そういえば、メリウェザー」
「何?」
 オーガストに尋ねにメリウェザーは振り向いた。
 砂薔薇色の赤を秘めた瞳で見返す。
「お前、女王と何を≪話す≫つもりだったんだ?」
「それはどういう意図を背景に尋ねているの?」
「お前のことだ。謝るつもりなんてなかったんだろう。女王との交信には何か別の目的があったはずだ。違うか?」
 メリウェザーは笑う。
「別の目的って、いやだなあ。そういう言い方をするとなんだか後ろ暗い印象じゃないか。
 大体誰とどんな会話をしようがボクの自由だ。キミに拘束されるようないわれは砂粒ほどもないな」
「まあ……確かにそうだ」
 オーガストは首を横に振る。
「俺たちはもう、親でも子でもないんだから」
 かつてひどく遠い昔、確かに二人には父子だった時期があった。
 しかしそれは今ではない。はるか彼方の、もう手の届かない過去。
「だがな、メリウェザー」
 今しがた女王が消えた地平線に、半ば沈みつつあるウェズンの二つ目の太陽。
 メリウェザーから顔を背け、目を細めてその光景を眺めながら、オーガストは呟いた。
「自分から関係を叩き切った俺が言うことじゃないんだろうが……それでもたまに、ほんのたまに。発作的に、一度切ったものを繋ぎ直したいと思うことがあるんだよ。
 俺はオプティミストじゃないからな。どうしても過去を何度も振り返って気にしてしまうのさ」
 視界の外でメリウェザーが目を見開いたのが、何故だか手に取るように分かってしまった。
「年に何度か必ず流行る喉っ枯らしの風邪みたいなものだ。すぐに治って、消えてなくなってしまう程度の軽いものだがな。
 俺が弱くて、まだ未熟で、不甲斐なくて思い切りが悪くて、未練がましい情けない男だといういい証明だ」
「オーガスト」
「今でもたまに後悔してしまう。どうしてあのときあんたの元を出て行ってしまったんだろうと」
 赤い砂漠がオレンジに染まり始める。
 砂の大地が一日のうちで、最も美しく映える時間が来る。
「俺はお父さんを分かってあげられない。お父さんも俺を分かってはくれない、か。
 なんでもう少し分かろうとする努力ができなかったのか……本当にもう少しでいいからできなかったんだろうか」
 メリウェザーは黙り込む。
「オプティミストのお前は、オプティミスト同士でなら言葉をわざわざ使わなくても記憶や知識を伝え合えるんだったな。
 ディザーテッド・フライが触角を触れ合わせて思念で会話をするのと、少し似ている。言語を必要としないところ、そして思っていることが何の誤解も混乱もなくストレートに相手に伝わるってところではな。
 ……だからこそ逆に、お前は言葉を使って誰かに何かを伝えることは得意じゃないんだ」
 振り返ってオーガストはメリウェザーを見る。
「つい同族相手と同じように考えてしまう。相手は自分の思っていることを、抱いている感情を全部分かっていると考えて行動してしまう。そういうところはあるだろう? お前」
「かも、しれない」
 メリウェザーが答える。
「真っ向から否定されなくてよかったよ。自信があるわけじゃないからな、正直。
 ……苦手なお前の代わりに、俺がもう少し粘るべきだったんだ。そうすればあんなことにはならなかった。もしかしたら今でも、お前のことを≪親父≫と呼べていたかもしれん」
 二番目の太陽がついに沈みきる。
 赤かった砂漠は今やその赤を完全に失い、ほのかなオレンジに変色していた。
 昔オーガストは本で読んだのだが、この色はオーガストのまだ見ぬ故郷、地球の夕日の色と奇しくもよく似ているのだそうだ。何か抗いがたい運命のようなものを感じ、しばらくそのページを開いたまま呆然としていたのを覚えている。
 そういえばその本も確か、メリウェザーがくれたものだった。
「俺には、言葉しかない。俺の考えていることをお前に伝えるすべを他に何も持っていない。
 だったらその言葉を最大限に使えばよかった。途中で投げ出さずに、全力であのときぶつかっていれば、もしかしたら」
 息を吐く。深く深く。
「――悪い。つまらんことを言った」
 もう意味はない。今更言ったところで。
 過去は過去のこと。戻らぬ日々のことは、戻らぬ日々のこと。十年も前のことを持ち出したところでどうしようもないではないか。
 ましてやメリウェザーはオプティミストだ。彼にとっては過ぎし日の思い出など、彼自身を縛りつける呪うべき枷でしかないはずだった。
 オーガストは苦笑する。
「帰るか、そろそろ。お前も疲れているだろうから歩きで」
「オーガスト」
 ふいに。
 メリウェザーが言葉を遮った。





「そんなこと……そんなこと考えていたの」
 メリウェザーの表情は歪められていた。きゅっとひそめられた眉、噛んだ唇。
「ああ」
「知らなかったよ。全然、知らなかった。キミと別れてから。キミと再会してからの五年の間も、ずっと知らないままだった」
「伝えようとしなかったからな。言葉を使おうとしなかった」
 伝えなければ伝わらないのに、なんと長い間自分は怠け続けていたことか。
 そして今。現在進行形でそのつけを払わされている。
「ねえ、オーガスト。キミはボクを、オプティミストとしてはごく典型的な個体だと考えているようだけど」
 メリウェザーはまずオーガストの傷口を見た。そして何秒か注視してからオーガストの顔へとその目を向けた。
「確かに一面的には決して間違っていない。ボクらの文化圏には個性という概念もろくに浸透していないのにこんな表現もおかしいけど、種族単位で見ればボクは決して≪個性的≫な個体じゃない。
 でもね。ボクにも一つだけ、オプティミストとしては規格外な部分があるんだよ」
 中性体は目を閉じる。
「ボクは、キミが思っている以上に、ボクとキミの過去を気にしているよ」
 沈黙。
「認めたくはなかったし今でも正直認めたくない部分もあるけど、キミとの別れはボクにとっては大きな衝撃だった。
 これほど鮮明に過去のことを記憶していて、しかも頻繁に思い返して感傷的になるオプティミストは、他にそうそういない。保証してもいい」
「…………」
「それでもやっぱり、贅沢なものだよね。最初はまた会えただけでも充分だと考えていたのに。
 一緒にいるうちに、もう一度父親と呼ばれたいだなんて思い始めてしまったんだから」
「メリウェザー、お前は」
「ねえ、オーガスト」
 砂漠と同じ色のメリウェザーの髪も、やはりオレンジに染まっている。
 その髪を軽く押さえ口元だけで少し笑った。
「十年前のあの頃ね、ボクはキミを守りたかったんだよ。それがたとえ結果的にキミを苦しめることになっていたとしても。
 砂漠の危険さなんて分かりきっていたし、それに砂漠に出るためには防護皮膚の移植手術を受けなければいけない。あれにはかなりの苦痛と、長期間のリハビリが必要だって知っていたからね。もっとも今のキミは経験済みなんだから、ボクなんかよりよっぽどよく分かっているんだろうけど」
 メリウェザーはオーガストの手に触れる。防護繊維ののっぺりとした、無機質な感触が伝わるはずだ。
「まあ……建前かもしれないけどね。キミを守られる側に置いておくことで、守る側のささやかな優越感と支配欲の充足を得ようとしていたんだろうと言われたら……それを否定することはできない」
 夕暮れの砂漠に風が吹く。
 メリウェザーの髪をもてあそんでいく。
「ディザーテッド・フライの女王にはね、もし許してもらえたら聞こうと思っていたのさ。
 こんなボクにも父親の資格があるかなってね」
 オプティミストのメリウェザー。
 楽天家。底なしの陽気者。過去をかえりみぬ刹那主義者。
「彼女はどこまでも純粋に≪親≫だよね。羨望すら覚える。嫉妬すらする。――キミの腕を食べられた怒りも加わって、かなり度を越えた八つ当たりをしてしまった」
 ふっ、と声を立てる。
「馬鹿だねぇ、ボクも」
 オーガストはしばらく黙し、彼が心情を語るに任せていた。
 薄い唇に浮かぶ苦笑じみた笑いを、身じろぎすらせずにその場に立ったまま見つめていた。
「――長々と話しちゃったねえ。早く手当てしないとならないのに」
 メリウェザーは鉄クズと化したホバーに目をやった。
 口元に貼り付けた笑みを消さぬまま、言う。
「戻ろうオーガスト。その怪我で動くのは辛いよね、何か適当な生物に擬態するから乗っていきなよ。そうだね足の速さと安定性の面で一定の妥協点を取るとしたら、」
「いや」
 オーガストが遮った。
「俺は歩きでいい。無茶な擬態続きで疲れていると、さっき自分で言っていたろう」
「大したことないよ。変な遠慮なんかされるとよけいに自分が嫌になるからしないで」
「違う」
 首を振るオーガスト。
「歩きたいんだ、俺は。
 それもただ歩くんじゃなくってな」
 拳でとん、とメリウェザーの胸を突く。
「あんたの隣を歩きたいんだよ、≪お父さん≫」
 広大なる砂礫の大地の真ん中で、父は一瞬呆気にとられたように目を見開いて、そのままきっちり二十秒沈黙して。
 そして息子の言葉の意味を理解してから、温かな色の夕日を浴びて小さく笑った。


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