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永遠の果て

 その北の国を閑積国(しずつみのくに)という。
 長い冬、しんしんと降り積もる白雪の閑けさに感を受けた旅人が句にそう詠み、いつしかそれがこの国の呼び名になった。
 白に覆われた田畑、積もる重量を支えてしなる木の枝々。大小70ほどの家々をつらねた小国は、四方にそびえる山々にひっそりと抱かれている。
 その山の奥深く、積もる深雪(みゆき)に朱の牡丹にも似た鮮血が散った。


「頼家さまっ!」
 矢を背に受け新雪に倒れこむ男に、茅野(かやの)は悲鳴に似た声を上げた。積もる雪は深く、走り寄る足を妨げる。兜も鎧も道の途中で捨てた。このようなものはいらぬ、我が身を護るものなど一切いらぬ。民がみな無事に逃げおおせるまで、それだけの時間を保てばそれでよい。雪に阻まれる甲冑をぬぎすて、25を数えたばかりの若き主は、苛烈な炎を宿す両の目でそう言い放った。
「そう……騒ぐな。茅野」
 駆け寄る茅野に、頼家(よりいえ)はゆらりと体を起こしながらそう言った。
「女の声は頭に響く。利雅、おまえは無事か」
 低くかすれてはいたがしっかりとしたその声に茅野は安堵する。同じく駆け寄った茅野の兄、利雅(としまさ)は、口元に笑みを刻み無言でうなずいた。利雅は頼家の乳兄弟で、頼家よりみっつ、茅野よりいつつ年長である。幼い頃より主を支え妹を護り生きてきたせいか、常に余裕のある態度を崩さない。しかし今、笑みを見せるその顔は蒼白に近かった。頼家の背後を護る彼はすでに4度、その背に矢を受けている。
 背後で敵兵の声が聞こえた。3、4人だろうか。慣れぬ雪山に難儀しているのか、敵の追撃はそう激しいものではなかった。けれど閑積の領主である頼家がこちらに逃げていることは向こうに筒抜けであろう。こちらへ目を向けさせる為わざと様々な足跡を残してきたのだ。
 茅野は頼家の背に刺さる矢を、力をこめてひきぬいた。その痛みに頼家はうめき声ひとつ上げず、眉を寄せる程度に留める。そうして茅野を振り返り笑んだ。
「すまない茅野。迷惑をかける」
「とんでもございません」
 茅野は首を降った。頼家の血が染みついた矢を握りしめる。
「頼家さま、今より背後の護りをこの茅野にお任せ下さい。兄上も光重殿もお怪我を負っておられます。無事なのは私だけです。どうか、頼家さま―――」
「ならぬ。約束を忘れたか。おまえは私達が進みやすいよう雪をかきわけて前を行け」
「頼家さまっ」
「殿、浦野の兵が来ます。お早く」
 茅野たちの隣から、厳しい表情で家老の光重(みつしげ)が言う。齢53、年齢でいけば老人の類に入る光重だが、その筋肉はいまだ隆々とした兵(つわもの)である。幼い頃、頼家や利雅は彼から刀や弓を教わった。年齢を重ねた皺のひとすじひとすじに、知性と厳しさとそして深い慈愛が刻まれている。
 頼家は皮肉に笑んだ。
「分かっておる。爺、利雅に肩を貸してやれ。子憎たらしく笑っているがこいつはもう限界だ」
「なにを仰る。恐れながらこの利雅、殿より刀の扱いには秀でていると自信がございます。私よりか弱くいらっしゃる殿が光重殿の肩をお借りになるべきだ」
「減らず口を」
 笑みながら言う利雅に、頼家もまた笑った。そこへもう2本、風の速さで矢が飛んできて利雅は振り向きざまに一太刀でそれらを叩き落とした。その弾みに利雅の体が大きく傾いて、茅野が顔色を変える。
「兄上、お怪我は!」
「ない。茅野、早く進め。この先に狩り小屋があるはずだ。そこで立て篭もれば充分な時間稼ぎになる。雪にさらされることもなく一石二鳥だ。おまえが早く前を進まねばこの兄が浦野の矢に討たれることになるぞ。それでもいいか」
 笑みながらも鋭く射抜く利雅の両眼に、茅野は迷いつつもうなずいた。本当ならば自分が頼家や利雅の後ろにつき、彼らを敵の矢から護りたい。けれど、彼らの盾になることをしないというのがここについてゆく条件だった。
 茅野の身につけている服は、兄達と同じ男物の袴である。雪山に分け入る前は甲冑も身につけていた。幼い頃から兄達と同じように生活してきたせいか、同じ歳の頃の娘より筋力もあり武芸にも秀でている。そなたはおなごなのだから、と苦い顔をする母親をなだめ、茅野は敬愛する頼家や利雅とともに、武芸の鍛錬を積んだり野山を駆けまわって遊んだりして日々を過ごしていた。
 茅野は唇を噛みしめ前を向き、膝のあたりまである新雪をかきわけながら進む。光重が頻繁に矢を放ち敵の追撃を阻んだ。


 隣国浦野が閑積に奇襲をかけたのは13日前の夜である。敵兵に囲まれた領国で頼家は家督を継いだ。頼家の父であり前領主である勝家は、戦禍に逃げ惑う領民を自ら屋敷内へと導いている途中、馬上で敵兵の矢に討たれた。すでに息絶えた尊父の亡骸を前に、頼家は涙ひとつ見せず、絶望の色を濃くたたえた家臣達に言い放った。
 武器を持て。最期まで戦え。己の為に、家族の為に、愛しい者の為に。私はおまえ達の為に戦おう。閑積にいるすべての民たちの為に戦おう。
 命果てるまで殿のお側にと自ら志願した茅野ら3人の腹心もそれにならった。茅野と利雅は生まれた時から頼家と一緒に育ってきた。光重は先代の領主からよく仕え、頼家にとって第二の父とも呼べる存在だった。そんな彼らがこの道を選ぶのに、なんの躊躇もなかった。
「つきました……! 狩り小屋です、頼家さま」
 茅野は安堵の息をつきながら後ろを振り返る。頼家と、光重に肩を借りた利雅はともにその小屋を見上げた。たった一間、真ん中には炉ばたのある小さなあばら屋だ。狩り小屋というだけあって、矢は大量に保管されているはずだ。当分矢不足に悩まされることもないだろう。
「ここが私の護る、最後の領土だ」
 雪の中頼りなく佇む小屋を見上げ、頼家はその表情に笑みを刻む。


「民は無事、逃げおおせたでしょうか」
 頼家の背中に穿たれた矢傷に手当てを施しながら茅野はつぶやいた。最初に手当てを終えた利雅と、怪我のそう酷くない光重は外であたりの様子を見ている。今小屋の中にいるのは茅野と頼家のふたりだけだった。
「それを信じているから、おまえは戦っているのではないのか?」
「……茅野が信じるのは、ずっと前から、頼家さまだけです。もちろん皆のことは心配です。頼家さまが民は無事逃げたと仰るのならば、そうなのでしょう」
 頼家はくつくつと笑う。包帯を巻く肩がゆれた。
「おまえは昔からそうだ。はっきりとした意思があるくせに、私にはそれをひとことも言わぬ」
「言っております。わたしは頼家さまのことを信じているのです。それ以上もそれ以下も、茅野の中にはございません」
「茅野」
 ぐい、と頼家は茅野の腕をひいた。前のめりになる茅野の耳元に唇を近づけ、低くささやく。
「おまえほど、大事な女はおらぬ」
 耳元の低音に、茅野はびくりと体を震わせる。みるみる頬が朱に染まった。
「よ、頼家さま―――」
「逃げるな。利雅の前ではおまえにふれることすらできん。おまえも知ってのとおり、あやつは主にすら遠慮のない男だからな」
「きゃ……!」
 そのまま引き寄せられ、座した頼家の腕に抱きすくめられた。いくら体を鍛えていようとも、男の力には敵わない。茅野は頬を真っ赤にしながらも抵抗をあきらめた。そうすると、すぐに頼家の唇が茅野のそれに押しあてられる。
 熱い口付け。何度交わしても慣れない。体はつい強ばってしまうし、胸の動悸は痛いほどだ。頼家の唇はいつも熱かった。苛烈な炎を宿すその双眸と同じように、強い力でで引き寄せられるのだ。
「……―――」
 唇が離れ、茅野は呆っとしながら息をつく。目前にある頼家の、普段は見せぬ優しい微笑。この表情は茅野だけのものだった。いつも激しい炎をゆらめかせている双眸が、すき透るような優しさをはらむこの瞬間を、茅野はなによりも愛しいと思うのだ。
(頼家さま)
 ふいに茅野は泣きたくなった。
 必死の思いでこらえた。
「……茅野。おまえは私の女だ。黄泉の国へ行っても永遠に私のものだ。だから最期の時も傍らにと、ずっと思っていた」
 頼家は茅野の頬を愛しげになでる。
「だが、実際におまえが私についていくと言った時、心の臓が潰れる思いがした」
「頼家さま……?」
 茅野は眉を寄せる。意味を取り損ねたのだ。茅野の中で、果てる時は頼家と共に、という思いは当然の理であった。それ以外のものはなにもない。
 頼家は深く笑みを刻む。
「女には生きていてほしい。私よりも長く、穏やかに、なんの憂いもなく、なにものにも傷つけられず、暖かな幸せに囲まれて。そんなふうに生きていてほしい」
「頼家さまのおられぬこの世などに、茅野の安息はございません」
 茅野は頼家の着物をにぎる。いずれは敵兵に囲まれるであろうこの状況で、頼家の口からそのような言葉など聞きたくなかった。自然、必死さの滲む声音になってしまう。
「だからそのようなことを仰らないで下さい。頼家さまは茅野になにを言わせたいのですか。まさか私に、この茅野に、逃げろと―――」
 茅野の言葉を遮るように、頼家は彼女の額に唇を寄せる。やわらかく熱い感触を残し、頼家は深い慈しみにゆれる双眸で茅野を見下ろした。
「ひとこと――――生きたいと」
 茅野は目を見開いた。
「それだけでよい。私の我侭かもしれぬがこの際付き合え、茅野。おまえの口から聞きたいのだ。誰よりも、おまえの口からその言葉を聞きたい。……それなのに」
 頼家は少年のように笑んだ。
「おまえときたら二言目には私の為に死ぬ、だの最期の時は共に、だのと、張り合いがない事この上ない。死を覚悟しておる女を護りながら戦うなぞ、興ざめだとは思わぬか」
「そ、そういうものなのですか」
「そういうものなのだ」
 困惑する茅野に深い笑みを向け、その黒髪を撫でる。優しい仕草が茅野の胸を切なく突いた。
「……私は民を護る。命に代えても民を護る。その為ならなんでもしよう。幾百の兵が攻めてこようようとも一歩もひかぬ。だが茅野、おまえの為ならば私は幾千の兵とて恐れはせぬ」
「頼家、さま……」
「あがけ、茅野。生きたいと強く願う姿を私に見せろ。私の目の前で貪欲に生にしがみつけ。そうすれば私はおまえの願いを叶えようと必死になれよう。おまえを背に、己の持つ力以上の力でもって浦野と対峙できよう」
「………。されど、頼家さま」
 否定的な響きを持つ茅野の言葉に頼家は眉根を寄せる。予想通りの反応に茅野は苦笑した。
「茅野の心にはとうに死ぬ覚悟があるのです。それを覆して嘘を言えとは………全く、困ったお人ですね」
「だから言ったろう。私の我侭に付き合え、と」
「主君に嘘を申し上げてもですか?」
「二度は言わぬ」
 頼家はこれ以上ない程茅野をきつく腕に抱きしめ、芯の通った低音で心を伝える。
「おまえを私より先に死なせはせぬ。その為ならば私は無双の兵になれよう」
 耳元に響くゆるぎない言葉。秘められた熱に眩暈を覚える。


 ―――茅野が信じるのは、ずっと前から、頼家さまだけです。
 己の言葉を思い出す。嘘偽りのない本心に再び耳を傾ける。
(死への覚悟はできている)
 だが信じるものはひとつきりだ。
 ひとりきりだ。
 頼家が望むのならば喜んでそれを叶えよう。
 それが自身の心になる。
 凛とした誇りと共に、ゆるがぬ強き心になる。


 茅野は己をきつく抱く腕からそっと上体を離し、まっすぐに頼家を見上げた。
 その双眸に宿る苛烈な炎。それだけを追って生きてきた。
「頼家さま。茅野は生きとうございます」
 口元に笑みさえ浮かべ、茅野は強く言葉を伝える。
「まだ死にたくはございません。茅野は生きとうございます。頼家さまと共に」
 最後の言葉に、頼家がわずかに目を見開く。
(泣かない)
 それだけを強く心に思う。誓う。けして涙を流すことはしないから。
 今、ここにあるこの光景が、けしてかすむことのないように。
「だから頼家さま。茅野と共に生きてください。茅野と共に、果てぬ終わりを信じてください」
「茅野……」
 頼家は茅野の頬を手の甲でなぞった。すき透る優しさがその双眸にとけていた。
 茅野の体を今一度強く抱きしめる。
「ああ―――わかった。それがおまえの望みならば叶えよう。叶える為ならばどんなことでもしよう」
「幸せに……存じます」
 熱く逞しい腕の中で、茅野はそっと目を閉じる。


「頼家さま。浦野の兵が近くまで来ております」
 引き戸を開けて利雅が言った。茅野を抱いたまま鋭く視線を投げ、頼家はうなずく。
「やっと来たか。立て、茅野」
「はい、頼家さま」
 茅野は表情を引き締めて立ち上がる。利雅に続き光重も小屋の中に身を入れ、引き戸を閉めた。
「敵は」
「ざっと50ほどかと。しかしまだまだ増えますぞ、殿」
「ふん、望む所だ。たとえ千の兵が来ようともこの頼家の首は渡さぬわ」
「当然でございます」
 冷静な面で首肯する利雅を、頼家はおもむろに見返った。
「おい利雅。この際だから言うが、実は私は茅野を嫁に貰う気だったのだ」
「………。成程」
「よ、頼家さまっ?」
 この様な時に一体なにを喋り出すのか。顔を赤らめて茅野は利雅の顔を見る。
 が、頼りの兄は不機嫌この上ない表情だ。
「あと1年浦野の進軍が遅ければ確実にそうしていた。まあそれだけのことなのだが、一応兄のおまえには伝えておかなければと思ってな」
「そうですか。それはわざわざ有難う存じます」
「なに、礼には及ばぬ。ところでおまえ、もし浦野が攻めてくる前に私がこのことを伝えていたら、おまえはどうしていた?」
「大切な妹を我侭極まりない主にこの私がお渡しするとお思いか」
「あ、兄上っ」
 ますます不機嫌を深めていく利雅に茅野は困惑する。一方頼家は盛大に破顔した。
「はははっ、おまえの歯に衣着せぬ物言いを私は至極気に入っているぞ、利雅」
「光栄に存じます」
 利雅は無表情に頭を下げる。その隣で光重がくつくつと笑った。
「殿は昔から物好きでいらっしゃる。おまえたちはそれに深く感謝せねばならぬぞ、利雅、茅野」
「は、はあ……」
「存分に心得ております」
「爺、そういうおまえも同類だ。―――ときに利雅、おまえは私を我侭だというが先ほどはおまえの妹が私に対して我侭をぬかしたぞ」
「……茅野が、ですか」
 利雅が不審げに眉を寄せた。茅野が何か言い掛けるのを、笑みをこめた頼家の声が遮った。
「だが何しろ私は我侭なのでな。幾ら茅野といえど人の我侭を聞くことに慣れておらん。ゆえに決めたのだ。おまえたち二人にも茅野の我侭を分ける事にする」
「頼家さま……?」
 何を言い出すのだろうか。茅野は目を丸くする。
 何なりと、と頭を下げる二人の男に、頼家は苛烈な炎をその双眸にゆらめかせ言い放つ。
「生きろ。己の死を心に宿すことは許さぬ。己の思うままに、果てぬ道をゆけ!」


 小屋の外で上がった鬨の声が雪の大地を震わせた。





               *





 長い冬、しんしんと降り積もる閑けさが山々を覆う。
 その地は白雪に愛されし風の故郷。
 その道は見果てぬ夢。
 白く深い山々に抱かれ、たゆたう旋律に包まれて、深雪の大地は遥かなとわの夢を見る。


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