高得点作品掲載所     かっちさん 著作  | トップへ戻る | 


優しい人の殺しかた

 つう、と押し当てた切っ先を引くだけ。
 いとも簡単に、残酷なくらい呆気なく、それだけでいつもやる事は終わってしまう。
「分離、完了」
 足元の赤い水溜りの中に倒れている人を見下ろして、これまたいつものように宣告する。
 死の宣告、とはよく言ったものだ。言い得て妙どころか、これほど核心を付いた言葉なんて他にない。
 ふう、と口から溜め息が漏れる。今日はこれで三人目だから疲れていてもおかしくはないし、ことにこの仕事は神経を使う。
 地べたに腰を下ろして、倒れている人をぼんやり眺める。
 そろそろ人が集まり始める頃だろう。常日頃ゴシップに飢えている連中だから、一週間くらいは話の種になるかもしれない。
 まあ、今日びビルの屋上から遺書を残して飛び降りたって、話題性はそれくらいが関の山か。
「きゃああっ!」
 絹を裂くような叫び声がビル街に反響する。
 どうやら、第一発見者となる人が来たらしい。見ると、それは女の人で、仕事帰りのOLのようだった。
「きゅ、救急車っ!」
 そう言ったあと、慌てて向こうへと行ってしまう。携帯電話くらい持ってないのだろうか。あるいは、目の前に死体が転がっていたから、怖くなって逃げ出したのか。
 ま、どっちでも関係ない。
 救急車がやって来たら、ここもうるさくなるだろう。どうせ私の姿なんて見えないのだから都合なんて悪くならないけど、野次馬というのはそこにいるだけで鬱陶しいから嫌いだ。
 もう一度だけ、気の毒なくらいに赤く醜く広がっている死体を眺めて、仕事の道具を担いで立ち上がった。
 まったく。
 今どき死神なんて、ありきたり過ぎてジョークにすらならない。



 もうこれっきり。
 人を殺すのは、これで最後にしよう。
 そんな事をただ繰り言のように呟いて、でも結局はいつも決め事らしく実行してしまう。
 そんなものだ、仕事と人生なんて。
 よく『人生は一度きりだから自分の好きな事をやれ』なんて知ったような口を利く人がいるけど。
 分かってない。
 一度しかない人生だからこそ、失敗したくないんじゃないか。
 自分の好きな事だけやっている世の中なんて、こんなに統率が取れている訳がない。誰も彼もが一定の命令の元に動いているから、混沌を避けられているのだから。
 だから、自我を封殺しても無難で平定した道を選ぶ。私だってそうだ、人生をそつなく安寧にこなす為に、人の魂の分離なんて生臭くてフィクションみたいな役割を続けている。
 魂の分離というのは、その究極は対象を殺す事。どんなに致命的な傷害を受けても、それだけでは人というのは死なない。手がなくても足がなくても、さっきの死体のように高層ビルから落ちても。だけどそのままでは醜いし世界も淀むから、死神がやって来て魂と肉体を分断する。
 陳腐な言い方をすれば、そういう事だ。
 世間で言う死なんてのは、死神が職務を全うした結果でしかない。
 人は死ぬのではなく、すべからく殺されるもの。
 死神に。
 私に。
 そんな生き死にを司る仕事をしていると、命にも鈍感になるし、人を殺す重責にも潰されそうになって止めたいと思うのは当然で。
 でもそれが日々の糧を得る為の仕事だと分かっているから、平穏と安定の為に続けるしかないのがこの身体だ。
 平々凡々と生きるには、まず失敗しない事。そんな心構えでいれば、報われない努力を重ねるよりも確実に成功する小細工を弄する事を覚えた。
 だけど。
 一人、また一人と殺していく度に、言い知れない不安に晒されている自分もいる。
 死神の仕事は、大鎌で生命の線を断ち切る作業は、世界の律をいうものを守る為には必要なのだと分かっていても、そんな壮大な使命感にはそうそう酔えるものじゃない。
『よっ』
 ふと、頭上で声がした。
 深闇にぽっかり浮かぶ丸い月、それを背負うように、中空に鴉が一羽、羽ばたいている。
 知っている顔だったので指先を差し出すと、鴉はそこを宿り木に止まった。
『何人目だ』
「三人目」
『さすが、お早いこって』
 こんな仕事なので、褒められてもあまり嬉しくはない。だけどその賞賛が評価に繋がるから、頑張れもする。
 結局は失敗して日常が脅かされるのが怖いだけだ。
『んで、悪いがもう次がある』
 ぽ、とどこから出したのか、鴉が器用にファイルを差し出す。
 この鴉はメッセンジャーだ。死神に、担当する人間のデータを伝える為の、言わば、次に殺す人間を督促する存在。
 そんな鴉が渡すファイルだから眉をひそめたくもなる。
『ここんとこ多くてな……ま、シーズンなのかね』
 死ぬのに時節があるのかは分からないけど、言われれば私は実行しなければいけない。
『そのじいさん、すい臓ガンだとさ。もう長くないから断ち切れって』
「そう、じゃ行くね」
 対象の事情なんて関係ないし興味もない。渡されたデータはあくまでデジタルな要素ばかりで、そこに感情なんかのアナログなものは介入する余地はないから。特にこの仕事なんてのは。
『おいおい、もう行くのか。一応、期限はまだあるんだが』
「仕事だし」
『相変わらずくそ真面目なこって。さすが100%の女』
 その呼び名は仲間内で皮肉の言葉で通っているのは分かっていた。
 任務達成率100%。
 失敗が怖くて、しゃにむに成功を追い求めた結果の数値。
 穏当なはずだ。
 安寧なはずだ。
 平和なはずだ。
 今のこの生活は順風満帆に決まっている。
 だから現状を維持する為には、もっともっと仕事と成功を重ねる必要があった。
「それじゃ」
『いんや、俺も付き合うよ』
「何で?」
『暇だし。それに』
「それに?」
『パートナーぶりたい心ってのはあるな』
「……ありがと」
 例え鴉でも、メッセンジャーだとしても。一人でいるよりは気が楽になる。その申し出はありがたくあった。
 鴉を肩に乗せて、商売道具の大鎌を携えて。
 さあ行こう、日常を守る為の非日常を。




 病院。
 今回の対象は末期ガンのお年寄りだ。いつもの通り、鎌を持つ手に少し力を入れただけで終わる。
『にしても』
「ん?」
『病室に直接飛んできゃいいのに、何で徒歩で来てわざわざ入り口から入るかね』
「歩くの、好きだし」
 仕事までの時間を引き延ばしたいという気持ちはあった。そうなら、期限ぎりぎりまで粘ればいいのだけど、仕事は与えられたその場で片付けた方が熱心という印象を上の人に植え付けられる。
 安定と平穏を得る為には上辺だけでも優秀さを示す事と、敵を作らない事。
 詰まるところは小狡いだけなのだろう、私は。
『ま、きりきり行くかね』
「うん」
 深夜なので、病院の中は耳が痛いくらいしんと静まり返っていた。暗闇の中にも非常灯の緑の光が鬼火のようにぼんやりと光っていて、病院という非日常な空間が余計に際立っている。
 ナースセンターだけは蛍光灯の白い光に包まれている。看護婦さん達も大変だろう、こんな死に淀んだ場所に詰めているのは。
 その淀みを取り除く為、患者を苦しみから解放する為、この大鎌はある。
 そんな大儀名分で陶酔できるくらい単純だったらよかったのに。
『ほら、まただ』
「え?」
『お前、また小難しい事を考えてるだろ』
 鴉のくせに生意気な、とは思わない。彼は少なくとも私よりは年上だろうから、敬うべき存在だ。
『自分の仕事を疑うのはいいけど、そればっかり頭の中に置いて顔をしかめるのはよくない』
「そうかな」
『そうだ、どうせ考えたって答えなんて出ないんだし、ポジティブに行けよ』
 ポジティブ、か。
 それくらい気楽になりたいとは思っても、なれないのが現状で。そんな自分が駄目だなとは自覚している。
 ま、今はとりあえず仕事に集中しよう。
 階段を登って、目的の病室がある階に辿り着く。やっぱりここにも光はなくて、そうなると空気まで重く沈んでいるような感さえある。
 末期患者だから、個室か。
 病室の目の前に立ち、表札の名前とデータの名前を確認する。
『開けるのか?』
「ここからどうやって閉めるの」
 当たり前の事を聞く鴉を無視して、ドアノブをゆっくり回す。
 かちゃ、と。命を奪うよりも呆気なく、ドアは簡単に開いた。生きている人の、死神への最後の抵抗にしては病室の扉は薄すぎる。
 消毒液くさい廊下よりは、生活臭が漂う室内。完璧なまでに真っ暗な中を、それでもふら付かずに歩く。
 ベッドの上には、チューブに繋がれたお年寄りが眠っていた。内蔵疾患らしいやつれ具合だ。
 このまま、眠っている間に殺してあげた方がいいのだろう。覚醒している意識の中で絶望を抱いて死ぬよりは。
 持っている大鎌を、お年寄りの胸に押し当てる。何の抵抗もなく、刃が根元まで沈み込んだ。血は出ないし、苦痛もない。この鎌は肉体を毀損させる訳ではないのだから。
 これから、命を奪う。
 この瞬間が、いつも気が遠くなるくらいぞくぞくする。背筋に悪寒が走って、倒れそうになる。
 何度やっても、この作業には慣れというものがない。死神の刃は、対象の人生も信念も記憶も全てを、朝起きて顔を洗うような感覚で簡単に奪えるのだから、まともな感性ならそうなるのが当然だ。
 任務成功率100%の女の実体は、そんな危うい理性を抱いてタイトロープを渡るような臆病なもの。
 ぐっと足に力を入れて、崩れ落ちそうになるのを踏ん張る。
 すう、と深く息を吸い込む。
 はあ、とゆっくり吐き出す。
 決心は付いた。
「過労死で死ぬタイプかもしれない、私」
『は? 日本語変だぞ、お前』
 そんな軽口を叩いて、とりあえずの心の安定を得なければならないのが私で。
 鎌を握る手を、すっ、と引いた。
「分離、完了」
 それで終わり。
 あとは上の人がやってくれる。
 はぁ、と独りでに溜め息が漏れた。
 自分の身体を支える足に入れる力は必要でも、人の命を容易く断つ事のできる鎌を持つ握力なんてどうしようもないくらい弱い。
 そんなだから、慣れる訳がない。
『お疲れさん。また次があるまで待機だな』
「うん」
 そう、また次がある。終わるたびにいちいち感慨に浸っていては、後の仕事に差し支えが生まれるから、こんなところで立ち止まっていられない。
 失敗に至る失敗を避ける為に。
 成功の為の成功を重ねる為に。
 私には、そうするしか――
「あれ?」
 声。
 私ではなく、鴉ですらない、完全に第三者の声。
 はっとして振り返る。
 病室の入り口に、少女が一人、立っていた。少女と言っても、私より頭三つ分くらいは高いだろうから、十代後半に見える。パジャマ姿だから、ここの入院患者なのだろう。
 消灯時間なのに、どうしてこんな場所にいるのか。他人の病室なのに。それとも、この老人が生前の頃、仲がよかったのか。
 ともあれ、もうここには用はないから立ち去ろう。
 足を出口に進めて、女の人の脇を通り過ぎる。




「どこ行くの、可愛い死神さん」




 え。




「急ぎの用事?」
 女の人は間違いなくこちらを見て言っている。私の事は常人には見えないはずなのに。
『何で見えてるんだ……?』
「わ。喋る鴉なんて初めて見た」
『聞こえてるんかい!』
 どうやら、この人は見えないものが見えるらしい。
『素質がある、って事か? お前みたいに?』
「かもしれない」
 鴉の言葉を肯定する。きっと私達死神と波長が近いんだろう。実例を見るのは初めてだけど、話としては知っていた。
「はー、今時の死神はチビっ子なんだ」
「悪かったですね」
「あ、やっぱり死神なのね。病院に大鎌なんて持って来るから」
 意外と順応性の高い人だ。普通なら、死神がリアルにいれば脅えて竦むのが筋だと思うのだが。
「なんで」
「ん?」
「私に気が付いたんですか」
「いや、病室の扉が開いてたから」
 ふざけているのだろうか、それとも見くびられているのか。女の人の気安さが訝しい。
「消灯時間でしょ」
「そうでしょうね」
 やっぱり小馬鹿にされているような感じがする。気に食わないので、彼女を見る瞳を多少なりとも鋭くしてみせた。
「いやや、本当なんだって。私、消灯過ぎの真っ暗な病院を散歩するのが趣味で」
 嫌な趣味だった。
 それは散歩ではなく、むしろ徘徊と言うのではないのか。
 まあ、いいか。
 どうせ姿を見られた事によるペナルティなんてないし、この場はさっさとお暇しよう。
「ちょっと、どこ行くの」
「帰るんです」
「えー、せっかく来たんだからもっとゆっくりしてきなさいよ」
 目の前で老人の命を断った光景が繰り広げられて、それを目の当たりにしているのにこうも落ち着き払った表情をしている。
 この余裕は何だ。
「次の仕事が入っているから行くんです」
「いいからいいから。ちょっとくらいサボってもバチは当たらないでしょ」
 思い付きの嘘で回避しようとしても、彼女は全く意に介していないようだった。この図々しさは特筆すべきものがある。
 正直、付き合ってられない。気にしないで踵を返して一歩を踏み出した。
「まーまー!」
 背後から羽交い締めにされた。私が見えるだけじゃなくて接触もできるのか。つくづく素質があるとみえる。
「離して下さい」
「いいじゃないの。おねーさんとお茶しましょ」
「は?」
「ほら、いらっしゃいな!」
「あ、ちょっ――」
 ぐい、と手首を引っ張られて。
 女の人はそのまま駆け出した。
 鎌を振るう力はあっても彼女の拘束を振りほどく力なんてなくて、足を床に踏み締めて抵抗をしても、すぐに無意味になった。
 肩に乗っている鴉を見る。
 やれやれ、と言った様子でゆっくりと頷いていた。やれやれなのはこっちの方だ。
 仕方ないので、女の人に導かれるままに夜の病院を駆け抜けた。
 手の平に彼女の握力を感じながら、漠然と。
 こういうのが生きている人の力なのか。
 そう思った。




「ほうほう。じゃあ、あのおじいさんはあれでお亡くなりになっちゃったんだ」
 ぼんやりと薄暗い部屋の中で、女の人は得心したように呟いた。
 ここは彼女の病室。だけど、ベッドは一つしかない。個室なのだ。普通、個室を与えられる人は重い病気とかそういうのだろうが、この人は全くの健康体だ。
 死神という職業柄、人の身体状況の把握は得意だった。もっとも、そんな特技は持っても嬉しくはないのだが。
 あるいは、この病棟に来る前に見えた表札が関係しているのかもしれない。
 精神科。
「あ、何か飲む? 冷えてないけど、アルコールもあるよ」
「未成年じゃないんですか」
「そりゃそうでしょうが」
「飲んでいいんですか」
「だから控え目にしてるのよ」
 そういう問題ではない。おまけに自分だけならまだしも、明らかに年下に見える娘に勧める心はどういうのだろう。
 死神を目の前にしてこの立ち回り。チャレンジ精神旺盛という言葉でくくれないものがある。
「しかし、まあ」
 女の人は好事家のような視線でじろじろとこちらを見ている。品定めか何かのようで、とてもいやらしい。
「何ですか」
「ん? いえね、死神って言ったらこう、真っ黒くてみすぼらしいローブを被ったガイコツってイメージあるじゃない」
「それはあなた方が勝手に」
「そう、だから君みたいな可愛い女の子が死神ってのは新鮮」
 そうなのだろうか。
 だいたい、同僚を見ても一人として骸骨なんかいないし、物語にあるような薄汚れたローブなんて着ていた日には、査定に響く。
 とかく現実的なのは、こちらもそちらも変わらない。ネクタイを締めて数字とタイムカードとコンクリートの中で生きている社会なんて、全然笑えないのだ。
「おまけに衣装がゴスロリちっく? 狙ってるとしか考えられないわね」
「何を狙ってるんですか」
「私みたいなヒ・ト」
 わきわきと手を動かして、不愉快極まりない。危険信号のようなものが発せられた気がして、わずかに身を逸らす。
「さあ、ウブな少女をオトナにする魔法を教えて――」
 す、と鎌の切っ先を彼女に向ける。
「――あげるのはまた今度ね」
 その機会が永遠に訪れない事を願いたい。
 女の人が身を引いたのを確認して、鎌を下ろす。もっとも、実際に襲われたって鎌を振るう事はできない。殺すべき対象以外を殺めるのはご法度だし、そんな事をするメリットはどこにもない。
「でも、死神ねぇ。やっぱり魂をあの世に連れて行くお仕事?」
「違います」
「え?」
「人殺しです」
 どんなに歯に衣着せても、正当性を主張しても。本質は情けないくらいに人殺しだ。人間の死因が何であれ、最後の最後の一線で命を奪うのは私達なのだから。
「人殺しって、君が直接殺す訳じゃないでしょ」
「直接殺すんです。人はどんなに死にそうな打撃を受けても、それだけじゃ死なない。頭が潰れようが、消し炭になるまで焼かれようが」
 女の人は黙っている。当然だ、こんな会話なんてリアルじゃ敬遠されるか無視されるかのいずれかなのだから。
「でも、それだと困るんです。いつまでも肉体にしがみ付いてもらっては、世界が汚くなる。だから私達が、殺すんです」
「そう、なんだ」
 女の人の表情が翳る。
 どうして、こんな事を彼女に話してしまっているのか。私が見える人間と会うのが初めてだから、舞い上がっているのかもしれない。同僚にも一歩引かれている自分だし、鴉以外との会話に飢えていたとも考えられる。
 だけど、何かが違う気がした。
「君、優しいのね」
「え」
「だってそうでしょ。死んでも死に切れない人を、殺してあげてるんだから」
 どきん、と胸が高鳴った。
「そんな事、ありません」
「あるわよ。事故死にしたって自殺だって他殺だって、結局は君達の手で死ぬんでしょ? 人生の最後に誰かが自分の為に何かしてくれるって思えるのは、孤独じゃないわ」
「殺すんですよ、私」
「同じ事よ。世界が汚くなるとか言ってるけど、自分が殺す人に何の感慨もないなんて言わせない。だって君、さっきのおじいさんを殺す時に辛そうだったじゃない」
 見られていた。
 倒れそうになるのを必死に堪えて、気持ちを鎮める為に深呼吸をしていた事を。
「きっと君、優しいのよ。だからそんな無関心を装って殺すなんて言って、自分だけ悪者にしてる」
「違います」
「そうでしょ」
「違います。ただ私は、失敗したくないだけなんです」
「失敗?」
「安定を得たいから。夜も眠れないくらいの敵とか、頭を抱えるようなトラブルを作りたくないから」
 だからこうして、鎌を振るう仕事を続けている。これが好きな訳じゃないし、愛着なんて湧くはずがない。でも、仕事をして成功する間は不安材料なんてない。
 本当は不安なんてそこら中に転がっているのかもしれないけど、少なくとも平穏無事だと思い込む事はできる。
「うん……それでも、君が優しい子だって事には変わりがないよね。君の生き方がどうあっても、気持ちとは別問題なんだから」
 そう、なのだろうか。
 確かに仕事とは別の次元で人を殺す事には躊躇いがあるけれど。でも、それよりも失敗しない事の方が大事だと思っていた。
 だけど、彼女が私の所業を評価してくれるなら、それは正直嬉しい。少しも楽しくなんてない仕事だけど誰か一人でも理解してくれるのなら、それがお為ごかしだとしても悪い気はしなかった。
「で、優しい君を見込んでお願いがあるんだけど」
「え」
「あのさ、私も殺してくれない?」










 ひどく、澄んだ笑顔だった。










「何の、冗談ですか」
「冗談でこんな事言えないわよぉ。ほら、その鎌でできるんでしょ? バッサリやっちゃって」
「もう一度だけ言います。何の冗談ですか」
 微塵の愛想もなく、一片の呵責もなしに、ただ平静に問い掛ける。
 女の人は顔を苦笑の形に変え、ごろんとベッドに寝転がった。
「私さ、病気なのよ」
「見れば分かります」
 でなければ、何の為の入院か。
「それがちょっと厄介でね。君も見たでしょ、ここ精神病棟なんだわ」
「はい」
「……覚えてらんないのよ、寝る前にあった出来事とか」
「え、それは」
「記憶の動的領域がどうとか、そんな小難しい病気らしいわ。眠っちゃったら全部忘れちゃうの」
 記憶が、無くなる?
「今じゃこのメモが私の記録ね。記憶じゃないわ。きっと私自身、眠ったら夜中に出会った素敵な死神さんの事も忘れてる」
「あ」
「眠るのが怖くて起き続けてるのも、もう限界。だから、君に楽にしてほしいの」
 だから、殺して欲しい?
 その人の人生も、信念も……記憶も。
 根こそぎ奪い取ってしまう死神の鎌で?
「要するに、失敗したんだと思う」
「しっぱい」
「そう、生きる事にね。どんなに楽しい想い出を作っても、覚えていられない。寝て起きたら、周りの人は全部知らない人。親も、友達も。そんなんじゃ、人って死んでるのと同じよね」
「それが、失敗だと」
「うん。だから、失敗はやり直さないといけない。で、ちょうどここに死神さんもいる事だし。転生なんてのがあるかは分からないけど、失敗の人生を続けるよりは有意義だと思うのね」
 何を、言っているのか。
 喉がカラカラして、乾いた舌が纏わり付く。背筋に悪寒が走る。目の奥がチリチリして、きぃんと耳鳴りがする。
 そうだ、いつもと同じ。
 人殺しの予兆。
「メモ見ると、明後日が私の誕生日らしいから、その日にしましょ。場所は……えっと……ああ、丘のある公園が好きだったんだって。近くらしいわ。日時と場所はそれでいいわね。メモっとくから」
「それで」
「何?」
「それで、いいんですか? そんな簡単に命を捨てて」
「捨てるんじゃないわよ。君にもらってもらうの」
「っ」
 命をもらう。
 数多の命を奪ってきた私が、この人の命を受け取る。
 そんなのは、言葉を飾っているだけだ。
「よし、オッケ。それじゃ、そろそろ眠いから私は寝るわね。約束、君は覚えててよ」
「あ、あの」
「お休みぃ……」
 引き止める間もなく、女の人は布団を被ってしまった。
 ついで聞こえる、安らかな寝息。よほど我慢していたのか、驚異的な寝付きのよさだった。
 これで、この人が起きた時には今までの事を全て忘れる。
 死神に出会った事も、人殺しを褒めた事も。
 全部。
 私との想い出も。
『どうするんだよ』
「どうするって」
『その女、まだ死ぬ運命じゃないだろ。無関係の人間に鎌を向けるのはご法度だぞ』
「分かってる」
 そのご法度が失敗に繋がって、結果的に今の生活を壊す事くらい、容易に想像できる。
 それは私が何よりも恐れていた結末。
「帰ろう」
『……だな。こいつの事は、忘れよう』
 忘れよう、か。
 彼女は誰の事も覚えていなくて。彼女の事もみんな忘れてしまったら。
 この人は、何の為に生きているんだろう。

 ――失敗したんだと思う。

 ――生きる事にね。

 そういうのか。
 失敗の尻拭いを私に押し付けて。
 そんな事、できる訳ない。
「次のお仕事、早くして」
『……分かった、催促してくる』
 もう一度だけ、彼女のあどけない寝顔を眺めて。
 病室を後にした。












 次の日は、無心で仕事をこなした。
 殺したのは五人。鴉の台詞ではないけれど、シーズンなのかもしれない。不謹慎ではあるが葬儀屋は儲かっているだろう。
 いつも通りだ。
 ただ違うのは、ふと気が付けばあの女の人の事を考えている。あの時点で彼女との接点は切れたはずなのに、目を閉じるとあの屈託の無い笑顔を思い浮かべている自分がいる。
 頭から強引に振り払うように淡々と職務に励んでも、どうにも忘れられない。
 私自身、夜中の病院で出会った不思議な他殺志願者を覚えておこうとしているのかもしれない。
 今頃はあの人、何もかも忘れてまた大胆不敵な行動に及んでいるのだろう。
 そんな意識が頭から離れなくて。

 ――約束の日を迎えた。




『仕事だ』
「うん」
 鴉に言われるままに、交通事故現場に赴いた。
 対象は、五歳の男の子。車に跳ねられたらしく、血だまりの中で沈んでいる。気の毒とは思うけど、これも仕事だから鎌を引いた。
 救急車が来て、この子を担架で運んでいく。けれど無駄だろう、即死と判断されるに違いない。この私が、この場で殺したのだから。
 これでも、あの人は私を優しい子だと思ってくれるだろうか。
『ご苦労さん』
「うん」
 極めて事務的に、その場を立ち去る。
 歩きながら、考えた。
 今日は約束の日だ。あの女の人の誕生日で、殺してくれと頼んだ日。
 それはあまりにも一方的な願いで、約束とすら言えない守る義理もない事なのだ。元より、予定にもない鎌を振るう気もなければ権限もない。そんな事をすれば待っているのは、安定を欠いた生活。私が何よりも怯えていた結末だ。
 なのだけど。
『行くのか、あの女の所』
「何で」
『……いや、悪かった』
「次」
『はいよ、今度は中心部だ。撲殺だってよ』
 仕事をしている間は、するべき事がたくさんあると自分を言い聞かせる事ができる。
 あの女の人だって、あの夜の事なんて覚えてはいないのだ。メモを読んだとしても、わざわざ好き好んで命を投げ出したいなんて思う人はいない。あの日の彼女が特殊だったのだろう。
 そう思って、また命を刈る為に歩き出した。




 すう、と。
 極上のステーキ肉よりも抵抗がなく、身体に切っ先が走った。
 これでこの人はお終い。世間には痴情のもつれからの撲殺だと認識されても、直接殺したのは私だ。
 痛い。
 身体の節々と、胸の中がちくちくと痛む。死神の仕事の後遺症とも言うべきか。
『これで今日の分は終わりだ、けど』
「けど?」
『……自由時間だな』
「うん」
『何をするかは、お前の自由だよな」
「そうだね」
『……止めないぞ?』
「――――」
 鴉の言いたい事は分かっている。
 だけど。
 正直、迷っているというのが本音だ。
 気が付くと辺りは夕暮れで、向こうの空に浮かんでいる雲が燃えるように赤かった。
 こんな時間だ、仮に約束の場所に行ってもあの人はいないに決まっている。時間の問題じゃない、そもそも最初から行く気などないに違いない。
 だから。
 いないはずだから。
 ちょっとだけ、暇を潰すような感覚で、その公園に行ってみようと思った。




 真っ赤な、真っ赤な夕日。
 その中に溶け込むようにして、その人は立っていた。
 からん、と思わず鎌を落としてしまう。
 それに気付いたのか、女の人はこちらを向いて。
「いらっしゃい、死神さん」
 にっこりと、世界で一番尊いかもしれない笑顔をしてみせた。
 パジャマ姿じゃなくて、年頃らしい服装をして。
「初めまして、かな。あはは、ごめんね覚えてなくて」
 何でそんなに無邪気に笑えるのか。
「メモにあったから来たんだけど、やっぱり可愛い子ね。おねーさん、本気になっちゃいそう」
「どうして」
「ん?」
「どうして、ここにいるんですか」
「え? だって、君が殺してくれるんでしょ?」
 さらり、と、至極当然のように言い放つ。
「だから、どうしてですか。殺されるんですよ。死んでしまうんですよ」
「そうね」
「だったら、何で」
「メモに書いてあったわ。君の事、たくさんたくさん。それ見てたらさ、『ああ、私はこの子の事が好きなんだな』って思ったから、来たの」
 好き?
 私を?
 人殺しを?
「殺されるって分かってて」
「そ。初めは私も興味本位で来たんだけどさ、君を見たら納得したわ。君になら殺されてもいいかなって」
 夕陽が眩しい。
 眼球にすら染み込んできそうな、圧倒的な緋色。
「笑っちゃうわよね、寝たフリして君が帰ったあとに、また起きて想いを綴ってたんだってさ。ガキかってーの」
「ガキですね」
「……はっきり言うわね。ま、いいでしょ。好きな子に殺されるなら、こんな失敗した人生でも最後にいい事があったって訳だから」
 また、失敗。
 失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失
「何で私なんか好きになったんですか」
「そうね……あの夜の私が何を思ってたのかは知らないけど。多分、似てるからじゃないから」
「に、てる?」
「君と私。何となくだけどね」
 そう言って、彼女はウインクを一つした。その仕草はたまらなく魅力的で、魔法のように私の心に針を刺す。
「他の誰にでもない、自分にですらない。君だけに、殺してもらいたいの」
 それはあまりにも開けっ広げな好意で。
 それだけに、酷く残酷だった。
 ぐるぐると、脳裏であの時の彼女の言葉と笑顔が駆け巡る。
 そうだ、彼女はあんなにも楽しそうだった。命を奪うなんておぞましい存在の私を目の前にしても、子供のように。
「分かりました」
『お前……』
「黙ってて」
 私は、彼女に好かれていた。
 そんな確信。
 なら、その想いには応えなきゃならない。
 何の為に安定を得たかったのか。
 どうして平穏を求めていたのか。
 きっとそれは、そうする事でしか心が満ち足りないのだと盲信していたから。何も変わらない穏やかな毎日なら、不安材料なんて何もないと思い込んでいたから。
 でも、そんなのは惰性だ。決められたパッチワークをこなすだけの機械と同じ。
 緩やかな自己欺瞞に至る成功よりも、一瞬でも心底満足できる失敗があるとするならば。
 落としていた鎌を拾い上げて、彼女に構えた。
 切っ先は何の障害もなく、この人の身体と命を貫く事だろう。
「ねえ死神さん、聞いていい?」
「何ですか」
「どうして泣いてるの?」
 頬が熱い。
 日光のせいだとばかり思っていたけど。
「泣いてなんかいません」
「じゃないでしょうが。もう、せっかくの特別な日なんだからもっと笑って笑って。君の笑ってる顔って前の私も見てないらしいから」
「残酷な人ですね」
「そうね、きっと私は残酷なのよ。だからこうもなったんでしょうけど」
 ふふ、と彼女はちっとも反省していないように微笑む。
 そんな姿が眩しくて。
 この時、この一瞬。
 精一杯、心の底からこの人を愛してみようと思った。
「うん、やっぱり笑顔の方が可愛いよ」
 最後に笑ったのはいつの頃だったろうか。気が付けば、他人の評価ばかり気にして感情を押し込めていた。
 刃を、女の人の胸に沈み込ませる。
 これで、ちょっと手首を返せばそれで終わる。
「あ、そうだ」
「え」
「君の名前って何て言うの?」
「何で、今さら」
「だって、好きな人の名前を聞かないまま死んだんじゃ浮かばれないでしょ?」
 そういうものなのだろうか。
「――水素」
「スイソ、ちゃんか……うん、いい名前ね。きっと忘れないから」
「っ」
 胸が詰まって。
 ぼんやりと視界が滲んだのは、きっと夕焼けが目に染みたから。

「じゃ、さようなら」




















 そうして、私は。
 かけがえのない失敗を犯した。




















『いつまでここにいるんだ』
「いつまでかな」
 公園の丘に腰を掛けて、流れる雲を眺めている。
 何でもない当たり前な風景がこんなにも綺麗だなんて、気付かなかった。
 あれからずっと、この場所で空を仰いでいる。
『対象者以外への力の行使、その後の職務放棄、そろそろ人事も動くぞ』
「そうだね」
 そよぐ風が頬に当たってとても気持ちいい。絶好のピクニック日和で、そのせいか周辺にも子連れの夫婦が敷物を広げて憩っている。
『あれだけ失敗を怖がっていたのに、大した心境の変化だな』
「かもね」
 鴉は、こんな私になっても相変わらず肩に乗っかっている。早く次の担当に移ればいいのに。
『変な女だったな……』
「うん」
『最後に名前なんて聞いても、覚えちゃいないだろうに』
「きっとね、あれがあの人の失敗だったと思うの」
『あん?』
「生き方に失敗して、私を好きになった事も失敗。死んじゃうのに名前を聞いて、忘れないって言った事も失敗。何もかも、失敗尽くめなんだよ」
『そういうもんかね』
「でもそれは、あの人が願った失敗だと思う。だから私も、無理した成功よりも好きな事をやった失敗をしようって決めたんだ」
 人生は一度きりしかないんだから好きな事をやれ。
 今なら、その言葉の価値が分かる。あの女の人は、それを実践してくれた。
 だから私は、こうして時の終わりまでこの場所にい続ける事にした。あの人が好きだった、想い出の丘に。
『で、これがお前の望んだ失敗か』
「うん。失敗の先の先に、何があるか見てみたくなった」
『結局は最後まで失敗だと思うけどな』
「だったら――それこそが私の失敗なんでしょ」
 そっと、鴉の頭に指先を触れさせる。
「私に構わないで早く他の人を担当すればいいのに」
『いや、こうなったら行き着くところまで付き合うよ』
「いいの?」
『ああ――それが俺の失敗なんだろうさ』
 ぴょん、と鴉は私の頭に止まった。
 あの人の命を奪った鎌を抱き締めたまま、ごろんと草の上に寝転がる。
 心ごと、全て投げ出すように。
 ああ、きっとこういうのが満ち足りているって事なんだろうな。
 きらきらと降り注ぐ陽光に目を細める。


 スイソ、と。


 風が歌ったような気がした。


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