| 野々宮真司さん 著作 | トップへ戻る | | ||
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「うっわー。今日はまた、とんでもなく浮いてるねえ、あの子」 隣を歩くサトミがくすくす笑って言う。 サトミが指差す方を振り返ってみると、富崎(とみさき)マリモが通学路の上をふうわりふうわりと飛んでいた。 地面との距離は2メートルぐらいだろうか。セーラー服姿の生徒たちが失笑するなか、マリモは平泳ぎの要領で、平然と通学路上の空間を泳いでいく。 今日のマリモは、全身緑づくめだった。ボブカットにそろえた髪も、丈の短いワンピースも、履いている靴もみんな緑色だ。 私は、緑一色の格好で空中を泳ぐマリモを見て、まるでピーターパンのようだな、と思った。マリモは、切れ長の瞳でまっすぐ前を見つめたまま、私たちの横をすいーっと通り過ぎていった。全体的に小柄で童顔なマリモだが、意志の強そうなその瞳のせいで、どこか大人びても見える。 サトミがへらへら笑いながら聞こえよがしに言った。 「よく恥ずかしくないよね、あんなカッコして」 後ろから見ると、マリモのパンツは丸見えで、そのパンツもまた緑色だった。 確かに恥知らずもいいところだ。あんな姿を人に見られたら、私だったら自殺してしまうに違いない。 けれど私は、平泳ぎしながら校門に入っていくマリモの後ろ姿を見ているうちに、なんとなく可愛らしいというか、微笑ましいというか、そんな気分になってしまうのだった。 サトミが、マリモに見とれている私の顔をのぞきこんで言った。 「――どうしたの、ノリコ? ぼうっとしちゃって」 「え……なんでもないよ。あいつ、今日もすごいカッコしてるなーって思っただけ」 我に返った私は慌てて言い訳する。 サトミは、マリモの後ろ姿を見つめながら忌々しそうに言った。 「ほんと目障りだよねー。あんなのがうちの学校の生徒だなんて、こっちのほうが恥ずかしくなっちゃうよ」 一緒に歩いていた友人たちが一斉に同意する。 「そうそう。授業中とかも、あの派手な服のせいで気が散っちゃうんだよ」 「マジ、ウザいよね。ちょっと頭いいからって調子のんなっての。そう思わない、ノリコ?」 「そうだね……」 私はとりあえずそう言って友人たちに頷いてみせた。 私はマリモが空中を泳いでいる姿が嫌いではなかったが、自分がそうなってしまうのは絶対に嫌だった。繰り返して言うが、私は浮き上がってる姿を友達に見られるぐらいなら、死んだほうがマシなのだ。 ――絶対に、この場で浮いてはならない。 この奇妙な人間浮上現象が見られるようになったのは、つい一年ほど前からだった。 その場で“浮いている”人間が、本当に浮き上がってしまうのだ。変わった服装をしている人とか、みんながはしゃいでいる時に一人だけ黙り込んでるような人は、例外なく浮き上がった。 浮き上がってしまった人は、まるで月面を歩く宇宙飛行士のようにふわふわと歩かなければならない。さらに周囲の人から浮いている度合いが大きければ、それだけ浮力も強くなり、マリモのように空中を泳いだりもできてしまう。 原因はいまだに解明されていない。しかし、慣れというのは恐ろしいもので、最初のうちは不気味がっていた人々も、やがてすっかりこの現象に適応してしまった。中には、わざと変な格好をして、浮き上がるのを楽しむような人も出てきた。 けれど、私にとってこの現象は未だに脅威だった。 なぜなら、この浮上現象は、その人が周囲の人間関係に適応できていないことをまざまざと見せつけるものだったからだ。 どのクラスにも必ず一人や二人、友達のいない子がいるものだけど、彼女たちはいつもふわふわと頼りなげに浮き上がっていた。なんともいえず不安定なその姿は、彼女たちをいっそう哀れに、そして滑稽に見せていた。 特に、私が通っているような女子高では、友達がいないということは、イコール人間失格といってもいいほどの致命的な欠点と見なされる。クラスメイトたちは、教室の隅っこで肩身が狭そうに浮き上がっている子を指差してはあざけり笑った。 一応、私も彼女たちに合わせて、浮いている子の悪口を言うのだが、内心ではその子たちのことがとても他人事とは思えなかった。私も小学生の頃、友達がいないためにさんざん陰口を叩かれたからだ。 私は自分のキャラを一新するべく、がんばって中学受験して、小学校時代の知り合いが一人もいない中高一貫のこの女子校に進学した。中学生になってからの私は、それまでとはうってかわって、友達を作りまくった。本当は一人でいるのがいちばん好きなのだが、小学校時代のような辛い思いは二度としたくなかったから、無理をしてでも友達を増やした。トイレにも一緒に行きたがる友人たちのことはちょっとキモいとも思ったけれど、私は嫌な顔ひとつせず付き合ってあげた。 こんな私から見れば、富崎マリモの傍若無人ぶりはまさに驚異と言えた。その姿は、なんというかまあ、呆れを通り越して尊敬の念さえ抱かせるものだった。 マリモは、高校からの途中入学組で、噂によると入試ではトップの成績で合格したらしい。マリモが毎日すごい格好で登校してきても先生たちがあまり文句を言わないのは、その優秀な成績のおかげでもある。最初のうちこそ、マリモの服装を叱っていた彼らも、一向に言うことを聞かないマリモにすぐに匙を投げてしまった。うちはバリバリの進学校なので、勉強さえできれば、たいていのことは大目に見てもらえるのだ。 ともかく、マリモの浮き上がりっぷりは、文字通り桁外れのものだった。 入学初日、クマの着ぐるみのような衣装に身を包んだマリモにちょっかいを出したクラスメイトがいた。口元に嫌な感じの笑みを浮かべて、「おまえみたいな奴は動物園の檻ん中で寝てるがいい」と言ったクラスメイトに対し、マリモは信じられないほど素早い身のこなしで見事な「恥ずかし固め」を決めた。パンツ丸見え状態になったクラスメイトが泣いて許しを乞うまで、マリモは彼女を解放しなかった。 その日以来、マリモに対して面と向かって悪口を言うものはいなくなったが、かわりに彼女と友達になろうとするものも、当然のことながらいなかった。マリモはいつも、授業で先生に当てられる時のほかは、一言も口をきかなかった。 浮上現象が始まってからは、マリモは自由自在に空中を泳ぐことができるようになった。授業中は、自分の身体が浮き上がらないように、太もものところをベルトで椅子に固定しなければならなかった。体育の時間は、校庭の片隅で一人「空中アクロバット」の練習をしていた。定年間近の体育教師は、そんなマリモのことを完全に無視していた。 それでも、マリモは日々、堂々と学校に通っていた。ある時は真っ赤な燕尾服、またある時は『エヴァンゲリオン』のプラグスーツに身を包んで、マリモは平然と傲然と、なに食わぬ顔をして私たちのクラスに居座り続けた。 そして私はと言えば、こそこそと友人たちのご機嫌を取りながらも、心のなかではひそかにマリモにエールを送り続けていた。私にとってマリモは、自分にはできないことを、これ以上ないというぐらい徹底的に、かつ痛快にやり抜いている英雄だったのだ。 その日、私はサトミたちと一緒に下校しながら、いつもと同じように下らないおしゃべりにつき合っていた。 「――でさぁ、けっきょくエリカ、そいつにフラれちゃったらしいよ」 「うっそ、マジで? あのキモヲタにフラれるんじゃ、エリカも終わってんね」 「いい気味だよね。あいつ、男の前だとすっげーキャラ変わるから、前からムカついてたんだよ」 「でも、エリカめっちゃヘコんでたね」 「つーか、自業自得って感じじゃん? あの子、四股ぐらいかけてたんでしょ? その全員にフラれたんだよ」 「へぇ〜。そのトリビア、10へぇ!」 ぎゃははは、と無遠慮な笑い声をあげる友人たちに合わせて、私はうわべだけの笑顔を浮かべた。 エリカがいる時は、みんな仲良さげに喋っていたくせに、いざ本人が学校を休むとたちまちこうだ。 (私がいない時も、やっぱり私の悪口に花を咲かせているのかな……) そう考えると、なんだか心のなかがざわざわした。 悪口を言われないためには、つねに彼女たちと一緒にいなくてはならない。そして、彼女たちと一緒に、その場にいない子の悪口を言い続けなくてはならない。 これからもずっと。 (いつまで、こんなこと続けなきゃならないんだろう……) これから遊びにいく場所を相談している友人たちの顔をぼんやりと眺めながら、私はなんとなくやるせない気分に浸っていた。 その時だった。突然、身体がふらっと揺れたのだ。私は瞬間、目眩のようなものを覚えて、思わず立ち止まってしまった。 (……あれ?) 足下を見る。 ――靴底が、地面に着いていなかった。 ほんの1センチほどではあったが、確かに私の足は宙に浮いていた。 サトミが、怪訝そうな顔をして振り返った。 「ん? どうした、ノリコ?」 「い、いや、あの……ちょっと目眩がして……」 サトミたちは、まだ私が宙に浮いていることに気づいていない。私は慌ててその場にしゃがみ込むと、自分の足下をカバンで隠した。 友人たちが心配そうに覗き込んでくる。 「大丈夫、ノリコ?」 「うん、大丈夫大丈夫。ちょっと貧血気味なだけだから」 「ほんとに平気?」 「ちょっと休めば大丈夫だと思う。悪いけど、今日は私、カラオケパスするわ」 私はなんとかその場を言いつくろって、友人たちを追い払った。 2 友人たちの姿が見えなくなったことを確認すると、私は道端にしゃがみこんだまま、ほっと一息ついた。 (ふー。危ないとこだった) もう足は地面に着地していたが、まだ心臓がどきどきしていた。 自分では周囲のペースに合わせていたつもりだったが、少し自分の考えに沈み込みすぎていたようだ。これからは気をつけなくてはならない。 (油断するなよ、ノリコ) 私はそう自分に言い聞かせてから、少し虚しい気分になった。 私は、ここで何をやっているんだろう。私はなんのために、あんなに頑張って受験勉強したのだろう。中学受験に合格して、この学校に入ったばかりの頃は、新しい人生を前にしてワクワクしていたのに、今の私ときたら……。 いいや、考えるのはよそう。考えても、ますます虚しくなるだけだ。なんだか最近、サトミたちのペースに合わせるのが下手になってきているのも、きっと余計なことを考えすぎるからなんだろう。 私は、心のなかにわだかまるモヤモヤを振り払うように立ち上がった。 その時、駅に向かって歩き出した私の横を、緑色の物体が通り過ぎていった。 (あ……) それは、例の緑一色のすごい服に身を包んだマリモだった。いつも奇抜な服装をしている彼女は、たとえクラスメイトがまわりにいなくても宙に浮き続けている。朝よりは低い位置になっていたが、それでも地面から1メートルほどの高さに浮かんで、マリモはやっぱり平泳ぎで泳いでいた。 マリモは一瞬、ちらりと振り返って私の顔を見たが、すぐにそっぽを向き、そのまますいすい泳いでいってしまった。その無関心で超然とした様子は、なんとなく野良猫を思わせた。 ――いいよなあ、あいつは呑気で。 私は羨ましいような、ねたましいような、そんな複雑な気持ちで、マリモの緑色の姿が遠ざかっていくのをぼんやりと眺めていた。 油断してはダメだ。油断してはダメだ。油断してはダメだ。 私は、前よりもいっそう用心深くなった。さまざまな注意事項を、たえず自分に言い聞かせながら学校生活を送るようになった。 友達の話にはつねに愛想よく相槌を打つこと。自分の意見は言わず、つねに相手の意見に同意すること。相手の好きなタレント、アーティスト等はきちんとチェックしておくこと。どんなしょーもないボケでもちゃんと拾ってあげること。さりげなく相手をほめること。相手が嫌いな人間の悪口を会話のなかに織り込むこと―― けれど、そうやって友達に気をつかえばつかうほど、私は疲労困憊し、結局なにをどうすればいいのか、だんだん分からなくなってしまった。私は、場違いなセリフを言うのが怖くなって、次第に口数が少なくなっていった。 気がつくと、私は学校でたびたび浮かび上がるようになっていた。 浮上する高さは、今のところ1センチ以内におさまっていたので、なんとか友達には気づかれずに済んでいた。だが、いまや私は友達に合わせることよりも、自分が浮いていることを隠すだけで精一杯になっていた。 「あれ? ノリコ、ちょっと身長伸びた?」 化学の実験室に移動中、サトミがそんなことを訊いてくる。 ぼんやりしていた私は、はっと我に返ると、慌てて笑顔をつくろった。 「えっ、そうかなあ。あっ、そうかもね。いやー、これ以上高くなるのはちょっとイヤなんだけど、困ったなー、あはは……。ところでさー」 私は話題を変えるために、化学の教師の悪口を喋った。 やばい。気を抜いていたら、また浮いてしまっていた。幸い、喋っているうちにすぐに着地することができたが、今の浮上はけっこう高かった。 私は、横目でそっと友人たちの様子をうかがった。どうやら、私が浮いていたことには気づいていないようだ。 ――けれど、今の話題の転換の仕方はちょっと不自然ではなかっただろうか。っていうか、あれはあきらかに不自然だったよな……。もしかしたら、誰か私のことを怪しんでるかもしれない。 そんなことを考え出すと、どんどん不安が募っていって、私はまた自分の思いのなかに沈んでしまいそうになる。 ああ、ダメだダメだ。会話に集中しなければ―― そんな風に、私が自分のせせこましい悩みにとらわれている時にも、マリモはやっぱりいつものように悠然とのんびりと、私たちの横を平泳ぎで通り過ぎていくのだった。 今日のマリモは、サーカスのピエロみたいな格好をしていた。 友人たちは一様に眉をひそめて、そんなマリモの姿を見つめている。 最近では、私もちょっぴりマリモのことを憎らしく思うようになっていた。 (――私は浮き上がらないようにこんな苦労してるのに、なんであいつはへっちゃらな顔して浮いてるわけ?) マリモの姿を見ていると、ついそんなことを考えてしまう。 それが理不尽な怒りだってことは自分でも分かってる。私が大変な思いをしてるのは、全部私が悪いのであってマリモは関係ない。 それでもやっぱり、マリモの堂々とした態度は、なんとなく腹立たしく感じられてしまうのだ。そして、そう感じてしまう自分のことは、もっと腹立たしかった。 (どうしちゃったんだろう、私……) 私は目の前をゆったりと泳いでいくマリモから目をそらし、「絶対に浮き上がっちゃダメだ」と、あらためて自分に言い聞かせた。 しかし、私の恐れていた事態は意外な形でやってきた。 ある日の休み時間、私が廊下を歩いていると、教室のなかからサトミたちが喋っているのが聞こえてきた。 「――あれはマジうけたよねー。私、笑いをこらえるのに必死だったよ」 「あいつ、声裏返ってたもんね」 「すっごい必死だったよね。あの子、焦りがすぐに顔にでちゃうんだよなあ」 おかしそうにそう言ったのは、サトミの声だ。 (……?) 私は歩みを止めて、思わず耳を澄ませた。 なんとなく嫌な予感がして、息が苦しくなってくる。 「つーか、あそこまで一生懸命だと、見てるこっちがイタくなっちゃうよね」 「ほんとほんと。しかも、最近ますます高く浮き上がってるし」 「ねえ、今度あの子が浮いたら、みんなで一斉に足もと見てやろうか」 ――ああ、これは。これは、もしかして……。 私は胸を抑えて、壁に寄りかかった。壁の向こうから、サトミの非情な言葉が聞こえた。 「それじゃあ、つまんないよ。もうしばらくは気づかないフリしてようよ」 ――嘘だ。嘘だ。嘘だ。 「だって、ノリコがいろいろ言い訳するのを見てるほうが面白いじゃん」 私の世界は一瞬にして暗転した。 私は、それ以上その場に立っていられなくなって、廊下の隅にへたりこんでしまった。 (――バレていた。もう、ずっと前からバレていたんだ) 私が必死になって自分が浮いているのをごまかそうとしていた時、みんなはそれを見て楽しんでいたんだ。 小学校時代の苦痛が生々しく蘇ってくる。 ――このままでは、あの頃に逆戻りしてしまう。 涙があふれそうになるのをぐっと堪え、私は自分に言い聞かせた。 (落ち着け……まだ大丈夫。まだ挽回できるはずだ) 私は立ち上がると、ゆっくりと深呼吸した。 ――落ちついて対処すれば、元の関係に戻れる。絶対に戻れる。 私は、できるだけ自然に見えるように、ふだんと変わらない様子を装って教室に入ろうとした。だが、足がかすかに震えているのが自分でもわかった。 (大丈夫。落ちついていれば大丈夫……) 私は心の中で懸命にその言葉を唱えながら、教室に一歩足を踏み入れた。 「あれ、ノリコ、どこに行ってたの?」 サトミが何事もなかったかのように私に声をかける。 友達がいっせいにこっちを見た。 私は思わず身をこわばらせた。友達はみんな笑っている。心なしか、その笑顔がいつもよりも冷ややかに、そしてどこか不気味なものに見える。 その時、震え続ける私の足がまた浮き上がった。 (――!) サトミたちの目元には、いまや露骨な嘲笑が浮かんでいた。 「どうしたの、ノリコ? なんか顔色悪そうだよ?」 にやにや笑いながらそんなことを言う。 (……ダメだ! もう、ここにはいられない!) 私は無言のまま、自分の机からカバンを取り上げると、そのまま逃げるように教室を後にした。教室を出た私の背中から、サトミたちの爆笑が聞こえてきた。 「いまの、最高記録じゃん!」 教室を出ても、私の身体は浮き上がりっぱなしだった。私は例の“月面を歩く宇宙飛行士の歩き方”で、ふわーりふわーりと廊下を進まなければならなかった。恥ずかしさのあまり、私は俯いたまま一度も顔を上げることができなかった。 私は、そのまま職員室に行って、体調不良を理由に早退する旨を担任に告げた。 そうして、私は微妙に浮き上がったまま、ふらふらと校舎から脱出した。 ふとグラウンドのほうを見遣ると、ゴスロリファッションのマリモが空中でぐるぐる回って遊んでいるのが見えた。マリモは私に気づくと、いつもの無表情な瞳でじっとこちらを見つめ返した。私は思わずマリモから目を逸らした。 相変わらずマイペースなマリモに比べると、なんだか自分がすごく惨めに思えてきて、私はまた泣きそうになった。 3 その日以来、私は学校に行けなくなってしまった。 朝起きて、身支度をする。朝食を食べ、家を出る。そこまでは出来る。 しかし、駅へ向かって歩くうちに、次第に足取りが重くなってくる。サトミたちが嘲笑する光景が蘇ってきて、息が苦しくなる。私はよろよろと壁に手をつき、ついには一歩も前へ進めなくなる。 何日経っても、その繰り返しだった。両親は、いつまでも学校に行けない私に対して、ただおろおろするばかりだった。私は今までずっと、手のかからない「いい子」であり続けてきたから、こんな事態がくるなんて思ってもみなかったのだろう。 親には、学校に行けない理由はいっさい話さなかった。というか、話せなかった。親も、無理に聞き出そうとはしなかった。父親も母親も、私に接する時はまるで腫れ物に触るように、必要以上に優しく話しかけてきた。自分のことを気遣ってくれているのは分かったけれど、私にはその優しさがちょっと鬱陶しく思われた。 不登校が長引くにつれ、私はどんどん投げやりになっていった。はっきり言って、自分が再びあの教室に復帰できるとはとても思えなかった。サトミたちのあの不気味な笑顔を思い出すにつけ、「学校に行く」ということがますます恐ろしい試練のように思われてくるのだ。 すっかり学校へ行く気をなくした私は、家にいる時でも、わずかではあったが浮上するようになっていた。なんでも、不登校や引きこもりの子はみんな浮きっぱなしになってしまうのだという。要は、世間全体から浮いてしまっているということなのだろう。両親は、ふわふわと家のなかをさまよう私を、ただ悲しそうな目で見つめては、深い溜め息をついた。そんな両親の姿を見るたびに、私はいたたまれなくなって、心のなかで小さく「ごめんなさい」と呟いた。 ある日、私は近所のコンビニで雑誌を読みふけっていた。 最近では、家にいるのも辛くなってきたので、私はコンビニで時間をつぶすようになっていた。長時間雑誌を立ち読みしていても、足が浮いているのであまり疲れることもない。 (こういう時に浮けるのは便利でいいよな……) 私は雑誌棚のまえでプカプカ浮いたまま、そんなことを考えていた。 私は、もう浮遊することに慣れつつあった。浮いたまま移動するのもけっこう上手くなってきたし、人目もあまり気にならなくなってきた。学校で浮かんでしまう場合とは違って、ほとんど他人に関心を払わないコンビニの店員や客のまえでは、浮き上がっていてもそんなに恥ずかしくないのだ。 だが、その日はいつもと様子が違った。 私がマンガ雑誌を読みふけっていると、背後からくすくすと女の子たちの忍び笑いが聞こえてきたのだ。 その笑い声は、学校で私をあざ笑っていたサトミたちのものとなんとなく似通って聞こえた。私は雑誌を読み続けるフリをしながらも、重苦しい気分が蘇ってくるのを感じた。 私は、その笑い声が自分に向けられたものではないことを祈りながら、ひそかに耳を澄ませた。女の子たちは、私の後ろに立っている棚の向こう側でひそひそと囁き交わしていた。 「ねえ、あれってやっぱり……」 「絶対そうだよ。六年生の時の……」 「だよね?」 私の背筋に悪寒が走った。 あの声には、たしかに聞き覚えがある。小学校の時の同級生だったヒトミとカナの声だ。彼女たちこそは、たびたび私の陰口を叩いていたグループの中心人物だったのだ。 ヒトミたちは嘲笑をふくませた忍び声でなおもひそひそと話し続ける。 「見てよあれ。すっげー浮き上がってんじゃん」 「なんかちょっとキモいよね。でもまあ……」 「……やっぱり、って感じ?」 「そうそう! 予想通りだよね」 「ノリコは、どこに行ってもああなんだね」 私は、何気ないフリを装ってマンガ雑誌を棚に戻して、その場を立ち去ろうとした。 その時、私の背後からヒトミの声が絡みついてきた。 「ねえ、ノリコ? ノリコじゃなぁい?」 心臓が高鳴る。私は思わず足を止めそうになったが、けっきょく一度も振り返らずにコンビニから飛び出した。 私はそのまま、家に向かってひたすら駆けた。 耳まで真っ赤に染まっているのが自分でも分かる。 悲しくて、悔しくて、私は唇を噛み締めたまま、ただ走り続けた。 走るといっても、浮き上がったままの私は、月面歩行でふわふわと進むことしかできなかった。走っているというよりも、すごく間延びしたスキップといったほうがいいかもしれない。 そんな間抜けな自分の姿が、腹立たしくてしかたなかった。いつしか、私の瞳から涙がぽろぽろとこぼれだした。止めようとしても、涙はあとからあとから溢れてきた。頭のなかで渦巻く恥ずかしさや怒りや悔しさが、そのまま涙になって湧き出してくるような感じだった。 もう私は、コンビニにも行けない。もう、私の居場所は、この世界のどこにもないんだ―― 夕陽に照らされて細く長く伸びた私の影は、いかにも頼りなげにゆらゆらと揺れていた。 しばらく走っているうちに、ようやく私の気持ちも落ちついてきた。 私はすでに、当分のあいだ家にひきこもる決心をしていた。下手にこの辺りをうろうろしていると、また小学校の同級生に目撃されてしまうかもしれない。 家にひきこもったら、きっと今よりももっと浮き上がってしまうだろうが、さっきのような目にあうのはもう二度とごめんだった。 ――ひきこもり、か。 最近、急速に増えてきているとは聞いていたけど、まさか自分がそうなってしまうとは思ってもみなかった。浮上現象が始まってからというもの、浮き上がる姿を他人に見られるのが嫌でひきこもる人が増えているらしい。今の私には、そういう人たちの気持ちが痛いほどよく分かった。 前に現国の先生が授業で喋っていたのだが、フランスの哲学者で「地獄とは他人のことである」と言った人がいたそうだ。まさにその通りだ、と思う。私のような人間にとって、他人というのはほとんど悪魔みたいなものなのだ。他人とは、私をたえず監視し、私がしくじるのを今か今かと待ち受けている残酷な審判なのだ。 私は悪魔どもの徘徊する町なかを抜け、ひたすら家へと急いだ。 ――やっぱり、家が一番いい。両親と長い時間いっしょにいるのは気まずいし、申し訳ないとも思うけど、外の世界よりはずっと安全だ。 安全であること、それこそは今いちばん私が必要としているものだった。いまや、家だけが、悪魔どもの攻撃から自分を守ってくれる唯一のシェルターのように思われた。 やがて、自分の家が向こうに見えてくる。 とその時、私は行く手の道に誰かがいるのに気づいた。私は息を飲んでその場に立ちすくんだ。 “悪魔”がいる。シッポも角も生えた、紛うことなき“悪魔”が―― よりにもよって、私の家のまえに。 (あれは――マリモ!?) それは、悪魔のコスプレに身を包んだマリモだった。コスプレといっても、全身黒タイツに、角とシッポとコウモリのような羽根をくっつけただけの安っぽい代物だ。しかし、そんなしょうもないコスプレでさえ、マリモが着るとびっくりするほど決まって見えるのだった。 マリモ悪魔は片手にヤリを持ち、玄関の前にぷかぷか浮かんだまま、母親と何か話していた。私とは比べ物にならないほどの高さに浮かんでいる珍客を、母親はあからさまに不審そうな目で見つめている。そして、二言三言なにか言うと、すぐに玄関のドアを閉めてしまった。 マリモはしばらくそこにじっとしていたが、やがて、すごすごといった感じでこちらに引き返して来た。 やばい、見つかる―― そう思った時にはもう遅かった。ばっちりと目が合ってしまった。 マリモは瞬間、ちょっと驚いたような顔をして私を見た。それから、その切れ長の瞳にうっすらと笑みを浮かべた。なんていうか、いかにも「ニヤリ」って感じの、得体の知れない微笑みだ。悪魔の格好をしているだけに、よけい不気味に見える。私は思わず後ずさった。 マリモは私を見つめたまま、すーっとこちらに向かって飛んできた。私は催眠術をかけられたみたいに、その場から動くことができなかった。 マリモは、私のすぐ傍までやって来ると、にんまり笑って言った。 「遠藤ノリコくん、といったね? ちょっとぼくについて来たまえ。君に見せたいものがある」 そう言うが早いか、私の手を掴み、家とは反対の方向に向かって空中を泳ぎ出した。 「え……ちょ、ちょっと、待ってよー!」 抗議しようとする私の声を無視して、マリモはぐんぐん私の手を引っ張っていった。 4 「こ……これは……」 マリモに引っ張られてたどり着いた場所は、近所の森林公園だった。森のなかに、噴水のある広場や池が点在するけっこう大きな公園だ。 私たちは今、公園のなかの広場にいた。 日はすでにとっぷりと暮れ、街灯の光だけが森に囲まれた広場を照らしだしている。広場の中央に設けられた噴水の水しぶきが、街灯の光を反射してキラキラと輝いていた。 そして、そんな幻想的な広場を背景にして―― 色とりどりの服装に身を包んだ十数人の人々が、空中を乱舞していた。 真っ赤な鼻のピエロに、ピンクの花びらのような衣装も可愛らしいプリマドンナ。いくつもの輪っかを空中で投げ合うジャグラーたち。楽士たちは好き勝手に浮かび上がっては陽気なメロディーを絡み合わせ、シルクハットのマジシャンは、白い鳩と一緒に飛び回る。なかには、虹色の服を着た柴犬まで混じっていた。 芸人たちが空中で難しい技を決めるたびに、周りを取り囲んだギャラリーたちから、さかんに喝采が送られる。 私も思わず感嘆の溜め息を漏らした。 「すごい……」 目の前の光景に心を奪われたままの私に、マリモが満足そうに言った。 「気に入ってもらえたかな、遠藤ノリコくん? これが、ぼくの自慢のサーカス団だよ」 「あ……あなたの?」 そしてマリモは、気取った仕方で私にお辞儀をすると、声を張って言った。 「シルク・ドゥ・ソワール(夜のサーカス)へ、ようこそ!」 マリモは私の手を取ると、噴水の前に設けられた舞台へ向かって泳ぎ出した。 「このサーカス団の団員はね、みんなぼくが集めてきたんだ。君と同類の人ばかりをね」 「同類……?」 「浮いちゃってる人たち、ってことさ。不登校にひきこもり、適応障害に多動性障害。まあ、とにかくいろんなのがいる。我ながらよく集めたものだと思うよ」 確かに、よく見るとサーカスの団員たちは皆、小学生から高校生ぐらいまでの少年少女たちばかりだった。 けれど私には、彼らが自分と「同類」であるとは、とても思えなかった。ステージ上の空間で舞い踊る彼らの姿は、とても華麗で堂々としている。それは、今の私の惨めな現状とは、あまりにもかけ離れたものに見えた。 ステージでは、今まさに音楽が最高潮に達しようとしていた。ド派手な服装のピエロが観客の前に泳ぎだしてきて、大声で喚いた。 「レディース&ジェントルメーン! さあさあ、いよいよ今夜のショーのクライマックスだよ! 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損! どうぞ、皆さんもご一緒に!」 サーカスの団員たちが舞い降りて来て、観客を空中ダンスに誘い出す。子供たちは大喜びで、大人たちは照れくさそうに笑いながら、つぎつぎと音楽と舞踏の渦のなかに巻き込まれていく。 マリモがにっこり笑って言った。 「さあ、ぼくたちも行こう。一緒に踊るんだ」 「え? でも、私……」 「いいからいいから」 マリモは有無を言わせず、私をステージのほうに引っ張っていった。 ――まったく、どこまでも強引な奴だ。 そう思ったけれど、ステージの上で繰り広げられる楽しげなショーを見ているうちに、私もなんだか熱に浮かされたような気分になっていたので、たいした抵抗もしないまま、なし崩し的に踊りの輪に加わってしまった。 テンポの速いワルツのリズムにのって、私とマリモは空中をくるくる回って踊る。 そう言えばこのダンス―― マリモが、いつも校庭の片隅でやっているのと同じ動きだ。あれは遊んでいるんじゃなくて、このサーカスのための練習だったのか。 マリモの顔を見ると、悪魔の衣装に身を包んだままのマリモはあいかわらず真意の読めない微笑を浮かべていた。こうして近くで見ると、切れ長の瞳もうっすらと紅をひいた唇も、はっとするほどに妖艶な色気をたたえている。 まさに、小悪魔的、という形容詞がぴったりくるような……。 なんだか恥ずかしくなって思わず目を逸らした私に、マリモが言った。 「ぼくはね、ノリコくん」 そのまま、唇を私の耳元に寄せてそっと囁く。 「――君のような人間が、大嫌いなんだ」 「………」 小声ではあったけれど、こちらの心を斬りつけるような鋭い声だった。私はもうマリモの顔を正視することができなかった。 マリモは踊り続けながら、私の耳に微かな言葉を吹き込み続けた。めくるめく音楽とともに紡がれるそれらの言葉は、なんとなく歌を歌っているようにも聞こえた。 「最初に見た時から、ぼくは君のことが大嫌いだった。君がクラスメイトの顔色をうかがってへらへら笑っているのを見るたびに、ぼくは反吐が出そうな気分だったよ」 マリモと私は、いまや頬と頬をぴったりと寄せ合わせるような形になっていたから、彼女の表情をうかがい知ることはできなかった。けれど、声の調子から、マリモがすごく真剣な表情で話しているのが分かった。 「口許に卑屈な笑顔を張り付けて、それでいて目はいつもびくびくと怯えていて――まるで、昔のぼくみたいだ」 「え……?」 意外な言葉に、私は思わず目を見開いた。マリモの声はすこし震えていた。 ――もしかしたら、マリモは私が思っているのとは少し、違う人間なのだろうか。 音楽はますますテンポアップしている。周囲では、人々が笑いさんざめき、ほとんどもつれあうようにして踊り狂っている。私は息が詰まるような思いで空中を回転し続け、マリモが語る言葉にじっと耳を傾けていた。 「――実を言うとね、ぼくは小学校の頃、ずっといじめられっ子だったんだよ。だから、君のような人を見ていると、昔の自分を思い出して苦しくなるんだ。胸をかきむしりたくなるぐらいにね」 マリモが私のことを見てそんなことを思っていたなんて、まったく予想外のことだった。マリモはいつも、クラスの出来事など自分とは無関係だと言わんばかりに平然とした顔をしていたのに―― マリモが私の耳元で囁く。 「だから、ノリコくん――ぼくは君がびくびくしている姿を、もうこれ以上見たくないんだよ」 瞬間、私はかっと頭に血が上るのを感じた。 「――そんなこと言われたって、どうしようもないじゃない!」 私は掠れる声で言った。 「私は、あんたとは違うんだから。私は、あんたと違って弱い人間なんだから、しょうがないじゃない。……私だって、いじめられっ子だった。いっつもひとりぼっちで、みんなから陰口を叩かれてた」 どうして、私はこんな話をしているのだろうか。 マリモと口を交わしたこと自体、今日が初めてなのに…… しかし、言葉は自然と私の口から溢れだしていった。 「もう、あんな惨めな思いはしたくない。もうひとりぼっちは絶対にイヤだから……だから、私はあなたみたいには生きられない。他の人に合わせていないと不安になるの。どうせ、あんたみたいな強い人には分かんないだろうけど」 なんだか、自分でも嫌な言い方になってしまった。けれど、マリモは一向に意に介した様子もなく、静かに言った。 「ぼくは強くなんかないよ、ノリコくん。ぼくだって、一人は怖いし、淋しいと思う。ずっと友達が欲しいと思っていたよ。けれど、小学校でも中学校でも友達は一人もできなかった。とても辛かった。ぼくはどうしようもなく淋しかった。だから、このサーカス団を作ったんだ」 そう言って、マリモは周囲で踊っている芸人たちに笑いかける。 さっきまでの妖艶な微笑とはまるで違う――どこか幼さの残る、あどけないといってもいいような笑顔だった。 「ぼくが友人と呼べるのは、今ここにいるサーカスの団員たちだけだ。でも、もし君がぼくの友達になってくれるというのなら――」 音楽が盛り上がるに連れ、マリモと私はどんどん高いところへと上昇していった。 「君は、ぼくにとって初めての“学友”ってことになるな。実際、君とは良い友達になれそうな気がするよ。遠藤ノリコくん」 マリモはまっすぐ私の瞳を見て微笑んだ。 正面きってそんなことを言われたのは初めてなので、なんだかどぎまぎする。さっきは『大嫌い』って言ってたくせに、言ってることが真逆じゃん――そんな突っ込みを入れる余裕もなかった。 いつの間にか、私たちは、他の人々からも突き抜け、星空を舞台に踊っていた。 マリモは私を抱きしめたままくるくる回る。そして言った。 「実はね、この浮遊能力はある程度、自分でコントロールすることができるんだ。君もうすうす気づいているかもしれないが、自分の心の内面を見つめた時に、浮力は最高に強まる。浮き上がるのは、自分自身を見つめる目を持っている証拠なんだ。だから、そのことを恥ずかしがる必要はないんだよ。――さあ、見てごらん」 マリモは手は繋いだまま、私の身体から離れた。そして、とびっきりの笑顔を見せて、私に周囲を見るように促した。 「わあ……」 いつの間にか、音楽は静かなバラードへと変化し、そして私とマリモは広場のはるか上空に浮かんでゆっくりと回転していた。 夜の森を吹き渡る風に乗って、下界の人々が賛嘆の声を上げているのが聞こえてくる。誰もが皆、私とマリモを祝福しているかのようだった。 「君は、素敵な女の子になれると思うよ、ノリコくん」 満天の星空のもと、私を見つめるマリモの笑顔はどこまでも優しく、私は自分でも訳知らず、涙が込み上げてくるのを感じた。そのまま、私はマリモの小さな胸に顔を埋めて、幼い子供のようにしくしくと泣いた。 マリモは黙って、私の背中を撫で続けていた。 ショーが終わって観客たちが帰った後、マリモは私を公園の出口まで送ってくれた。 別れ際、マリモは私に向かって言った。 「もし、君さえ良ければ、うちのサーカス団はいつでも君を歓迎するよ。君はかなり浮上能力が高そうだからね。素質は十分にあると思う」 なんだか、人にほめられるのは久しぶりだったので、私は照れくさくて俯いてしまった。 「でも、私、運動神経ないし、踊りもへたっぴだし……」 「大丈夫だよ。最初から上手くできる奴なんていないんだ。それに――」 マリモはまた私の耳元に口を寄せて囁いた。 「君はとっても可愛いから、きっとショーの人気者になれるよ」 そう言うと、マリモは私の頬にチュッと軽く口づけた。 「――!」 マリモは、真っ赤になって固まっている私から離れると、何事もなかったかのように言った。 「すぐに、とは言わないけれど、色よい返事を期待しているよ。それでは、おやすみ、ディアフレンド。今日は君と話せてとても楽しかったよ」 そうしてマリモは広場で待つ仲間たちのもとへ向かって、軽やかに泳いでいった。 ディアフレンドって……。 まったく、最後の最後まで、徹底的にキザな奴だ。キザで、大げさで、胡散臭くて、そして―― 悔しいほどに、かっこいい。 私は、ショーの熱狂も醒めやらぬまま、どこかぼーっとした頭で公園を後にした。夜の町を家に向かって歩く私の脳裏には、いつまでもマリモの妖しげな微笑が焼きついて離れなかった。 いつか、私もマリモのようにかっこよく生きることができるだろうか。今の自分とマリモを比べてみると、その道のりは果てしなく遠いように思われた。 けれど―― 私は、街灯のスポットライトを浴びて立ち止まった。身体はあいかわらず地面から僅かに浮き上がったまま、ふわふわと揺れている。 そして、私は思い切って、くるんと前方宙返りをしてみた。 風景がぐるりと回転し―― 私は思いの他あっさりと、宙返りに成功した。 さっきサーカスの芸人たちがやっているのをさんざん見ていたから、イメージトレーニングが出来ていたのかもしれない。 そのとき、私の横を、自転車に乗ったおじいさんがひゅうっと口笛を吹きながら通りすぎていった。 「やるねえ、お嬢ちゃん!」 ………。 すっごく恥ずかしかった。 でも、やっぱりちょっと嬉しかった。 道のりは遠いかもしれないけど、これは私にとって大きな一歩になるのかもしれない。 そんな気がした。 |